ビジネスのための雑学知ったかぶり
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もとはIT屋。現在はあまり売れないビジネスコンサルタント。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語るが残念ながら全て雑学。それでも、雑学で少しでも世の中を理解したいと思っているおじさんです。

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スパコン開発中止は正しい判断
EarthSim.jpg
かつては世界最速を誇った国産スパコン「地球シミュレーター」

鳩山首相が「政権の目玉」と位置づける事業仕訳が始まっています。無駄な支出、効率的でない支出、国が行う必要性が乏しい支出を絞り込んで、3兆円以上の支出を切り詰めようという事業仕訳ですが、その中で267億円の次世代スーパーコンピューター(以下スパコン)開発プロジェクトの支出が削減の対象になりました。

このプロジェクトは、秒速1京回の計算を行い2012年に予定されている完成時点で世界最高の性能を持つスパコンを開発しようというものです。野心的なスパコン開発プロジェクトをバッサリ切って科学立国日本は大丈夫なのか心配する人も多いのではないかと思います。事業仕訳自身の仕組みややり方についての評価はここでは深入りせず、スパコン開発を行う意義を検証してみたいと思います。

スパコンというのは、計算を得意とするコンピューターの中でも特に大規模で高速に計算を行うために作られたものです。もともと、コンピューターが最初に作られた目的は高速で計算を行うためでした(ノイマン型コンピューター参照)。その意味でコンピューターとは生まれながらにスパコンであったということができます。

ところが、コンピューターは高速に計算を行うのと同時に、情報処理を行う機能を持っています。コンピューターが普及したのは、この情報処理の能力を企業が活用しようとしたからです。コンピューターの使用方法として高速に計算を行うことの重要性は少なくとも事業としては相対的に小さくなり、情報処理をいかに効率的に行うことができるかがコンピューターの発達の中心となりました。

しかし、どんなにコンピューターの活用方法が多様化しても、高速に計算を行うというニーズがなくなったわけではもちろんありません。情報処理を素早く行うためには、コンピューターの計算速度も高くなくてはいけませんから、コンピューターの発達と歩調を合わせて、高速計算を重視したコンピューターの進歩も続きました。

1960年代になるとコンピューター業界ではIBMの支配力が圧倒的になります(日の丸コンピューターを再評価する(1)参照)。その中で1964年CDC(コントロールデータ社)は、当時のIBMの最強機種Stretch(IBM7030)の3倍の計算速度を持つCDC6600を発表します。

StretchコンピューターはIBM技術の粋を結集したものでしたが、高性能と引き換えに極めて高価で商業的には失敗作でした。数千人の研究者を擁するIBMが、CDCという小さな会社(CDC6600開発に従事したのは僅か34名だったと言われています)にIBMのフラッグシップともいうべきコンピューターを上回る性能のコンピューターを開発されたのは大きな衝撃でした。

あせったIBMはCDC6600と同じ年に発表されたシステム360ファミリーの最大機種に後に「ペーパーコンピューター」と揶揄されたモデル90を加えます。そのモデル90の開発は遅れに遅れ、後にIBMはCDCのビジネスを阻止する目的でモデル90を発表したと独禁法で訴えられることになります。

その後IBMはしばらくスパコンと呼ばれる領域から離れてしまいます。情報処理の性能を追求する製品ラインとスパコンの開発はあまり相乗効果が期待できないと考えたからです。そして、スパコンの開発はCDCやさらにCDC6600の開発責任者だったセイモア・クレイが設立したクレイ社のような小さな企業が中心に行われることになります。

スパコン開発に再び大企業が参加したのは、80年代になって日本メーカーが現れてからです。アメリカではIBMがスパコンの開発から撤退し、スパコン市場はクレイが独占していました。そこに、豊富な資金と技術力を持つ日本メーカーが世界最高速を争う機種を次々にスパコンを市場に投入するようになったのです。

その頃は汎用機あるいはメインフレームと呼ばれる大型コンピューターが全盛の時代でした。日本のメーカーは官民一体となったコンピュータ産業育成策が功を奏して、IBMに対し汎用機市場で唯一の強力な競争相手になっていました。日本メーカーは大型汎用機のために開発した半導体技術をスパコンに応用し、世界最高水準のスパコンを生み出したのです。

現在の日本のスパコン開発は、80年代のスパコン開発の延長線上にあると言えます。つまり、高性能スポーツカーをレーシングカーに改造するように、数値計算に特化した機能を持たせた特注品の半導体を性能向上の核にするのです。

ところが汎用機がコンピューターの主役の座を降りてから、世界のスパコンの計思想は大きく変わります。少数生産で高性能の半導体ではなく、パソコンやワークステーション、さらにゲーム機に使われるマイクロプロセッサーを大量に連結させて計算能力を得るようになったのです。

現在開発中の「京速」スパコンは、もともと日立、NECがベクトル型という、数値計算を高速に行う半導体チップと、富士通が開発するスカラー型という普通の高性能マイクロプロセッサーを組み合わせる方式で考えられていました。ところが今年になり、ベクトル型計算を行う半導体チップ開発を日立、NECが経営悪化のため、降りてしまったために、ベクトル部分なしで開発が続くことになってしまったのです。

スカラー型プロセッサーだけでスパコンを組み立てるのはむしろ世界の主流です。世界のスパコンをランキングしたTop 500 Supercomputer Sitesを見ると上位を占めているのは全て、IBMのPOWER PCやインテルのマイクロプロセッサーのような、大量生産の半導体製品をベースに作られています。日本だけがベクトル計算に特化した半導体を開発しようとしていたのは、一重に政府の援助があったからに他なりません。

それでも、大量生産の製品ではなく、ひたすら高性能を追及する半導体を開発するのは無駄ではないという考えもあるでしょう。しかし、それは間違いだと断言できます。下の図は先程のTop 500 Supercomputer Sitesにあるものですが、スパコンの最大機種の性能は年に2倍の率で向上しています。


Top500.jpg

日本のスパコン開発計画は2012年の時点で世界最高速を目指すもので、製品が完成すれば(NEC、日立が降りて銅のように達成するか不明ですが)第一位になることはほぼ確かなのですが、その後すぐにさらに2倍4倍と強力なスパコンが出現することも確実です。世界一の座は数年も保つことはできないでしょう。

大量生産型のマイクロプロセッサーは毎年性能が向上しています。世界のスパコンの大部分は、開発サイクルが長い超高性能の半導体ではなく、もっと小回りが利くマイクロプロセッサー技術を中心にしているのです。現代のスパコン開発の焦点は、大量のマイクロプロセッサーを冷却する技術や、プロセッサー間のコミュニケーションを高速で行うデータバス、そして計算問題を多くのプロセッサーに効率的に分散させるプログラミング技術です。特殊な高速計算に特化した半導体を開発するのは、時代錯誤と言われても仕方ありません。

NEC、日立の脱落で結果的には日本のスパコン開発は世界の主流に沿ったものにならざる得ないでしょう。根本的な前提が変わっても予算執行は決めた通り行うのは、いくら科学技術のプロジェクトでもまっとうではありません。まるで、「治水」目的のダムをいつの間にか、正反対の「利水」目的にして作り続けるような話です。

日本のスパコンが時代錯誤の特殊な半導体開発に多大の資源を投入してきたのは、60年代からの国産コンピューター産業育成策が生き残ってきたためだからです。科学技術の育成を事業仕訳的な方法で切り捨てることに大きな疑問はあります。しかし、今の見当外れのスパコン開発は大幅な軌道修正をすべきです。「中身がわからない時は、銭勘定で判断する」というのも、悪くはないという一つの例と言えるでしょう。




で、どうします?
Okada.jpg


岡田外務大臣が迷走を続けています。普天間基地の問題解決に嘉手納基地との統合という、昔のアイデアを引っ張り出したと思ったら、オバマ大統領の訪日までに合意への大枠の道筋をつけたい、クリントン国務長官と会談するための訪米を計画したところ、日程が合わないと理由で頓挫してしまいました。
岡田外相は前回の民主党代表選を鳩山首相と争った実力者です。民主党の最高権力者の小沢一郎とは遠いと言われていますが、それが外務官僚の一種のサボタージュでクリントン国務長官のスケジュール調整の不調につながったのかもしれません。

本当のところはわかりませんが、岡田大臣が嘉手納基地と普天間基地の統合を率直にぶつけることで事態が打開できると本気で考えたことは間違いないようです。それはそれで、悪い考えではないような気もしますが(実際過去にはアメリカも、統合案を検討したことはありました)、現時点ではアメリカは受入れがたいようですし、沖縄県民の抵抗も強いと思われます。

気になるのは岡田外相の物言いや動きが、前原国交相の八っ場ダム建設中止や羽田空港のハブ化発言に見られる「前のめり」な行動パターンと良く似ているように見えることです。二人とも民主党代表経験者で年齢的も若く、「無事務めあげる」ことより「積極的に政策の方向性を打ち出す」ことに意欲的なのでしょう。このこと自身は評価すべきです。

しかし、外交と内政は大きく違います。内政は政権を持っていれば、相当な裁量権を発揮することができます。現に八っ場ダムを始め多くの公共事業はストップをかけられていますし、羽田空港のハブ化はともかく国際化は進めることができそうです(国際化が進めば、自然と実質ハブ化も進みます)。

これに対し、外交は普天間基地の取り扱いという、ややかしいとは言っても友好国相手の「軽量級」の問題でも解決は容易ではありません。もちろん沖縄の基地問題は外交問題である前に、取り扱いの難しい国内問題です。何より閣内に社民党という強硬な反駐留米軍派を抱える以上、選択肢の自由度は大幅に制限されています。

それでも、普天間基地の問題が外交にかかわっていることが難しさを格段に高めていることは間違いありません。アメリカが納得するか、あるいは腹を決めてアメリカと決定的に対立しない限り(それでもキューバのグァンタナモ海軍基地のように、アメリカ軍が居座る場合もありますが)、何らかの「解決策」に到達することはできません。

不思議なことに、一般大衆はともかく、多くの政治家も外交で自国に有利な主張を通すこがそれほど難しくはないと思っていることです。自分たちの正しい主張(つまり自国に有利な主張)は、正しいからには、強く言えば結局は通るはずだと思っているようなのです。

民主党の岡田大臣だけではなく、「美しい国」という「友愛」以上に意味不明な目標を掲げた安部首相は同時に「主張する外交」を唱えました。安部首相の「主張する外交」とは「戦後レジームの脱却」つまり、「日本はそれほど前の戦争で悪いことはしていない」「北方領土は絶対に返せ」といったものですが、相手の抵抗に恐れをなしたのか、ろくに主張もしないままで、体調不良とかで辞任してしまいました。

安部首相がろくに「主張する外交」を展開しなかったのは、それほど悪いことではなかったでしょう。相手に気に入らないことを強く言えば、相手は当然反発します。この反発の程度はこちらの主張の強さの程度に比例しますから、まともに「主張する外交」を行っていれば、相当ひどいことになったと予想されます。

自分にはコントロールできない外国を相手に点数稼ぎをしようというのは、日本に限らず世界の政治家で広く見られます。それも国内問題がうまくいかなくなればなるほど、その傾向が強まります。どうも国内問題の難しさを目の当たりにすると、外国の方が言うことを聞かせることが簡単だという錯覚に陥ってしまうようです。

普天間基地の問題をどのように解決すべきか色々意見はあるでしょう。しかし、確実なのはどんなに大変そうでも、国内問題は外交問題より自国の政府のコントロールできる余地がずっと大きいということです。当たり前なのですが、岡田大臣を見ていると、そんな単純なことを本当には理解していないのでないかと思えてしまいます。余計なお世話なら良いのですが。

「有能」なら官僚出身でもいいんですか?
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日本郵政の西川社長が辞任し、その後任に大蔵省(現在の財務省)の次官を務めた斎藤次郎が就任しました。齊藤次郎は「10年に一人の大物次官」と呼ばれた、大蔵省の有力者でしたが、自民党が細川内閣に政権を譲り渡した際、小沢一郎と組んで国民福祉税構想を打ち出したことでも記憶されています。

斎藤は野党時代の自民党に冷たかったからという理由で、政権に復帰した自民党から深く恨みを買い、おそらく自民党寄りの勢力から意図的に流された、大蔵省の接待スキャンダルなどの責任を取る形で、異例の短期間で大蔵次官の退任に追い込まれました。これは政権交代で辞任に追い込まれた西川日本郵政前社長と、符合した状況と言えるのかもしれません。権力闘争ではしばしば歴史が繰り返されます。

その後斎藤は「10年に一度の大物次官」というキャッチフレーズとは裏腹に、不遇をかこちます。大物大蔵次官経験者の指定席であった、日銀総裁や、東京証券取引所社長などに就くことはなく、事実上の浪人生活を5年ほど強いられた挙句、大蔵次官経験者としては「格下」の東京商品取引所社長に2000年に就任し、現在に至ります。

小沢一郎との関係が深い有名な官僚でしたが、自民党政権が続く間は半ば忘れられた存在でした。その斎藤次郎が日本郵政社長になるとの発表に世間は驚きましたが、この驚きには二重の意味がありました。「官僚体制打破、天下り全廃」を唱える民主党が、よりにもよって、官僚の中の官僚とも言える財務官僚を、民間出身の社長の後任に据えることにしたからです。

日本郵政はこれからどうなるのか、どうするべきかは様々な見解が交錯していますが、ここでは詳しく議論はしません。一つだけ私見を述べておくと、郵政はもはや日本の戦略的重要問題ではないだろうということです。

人口の大部分が居住する地域では、郵便局に行くより、コンビニで投函や切手の購入をする方が便利ですし、宅配便の方が郵便小包より手軽です。郵貯の巨大資金はありますが、それが財政投融資で第二予算として国会のチェックなしで支出が行われた時代ではありません。問題は積み上がった国債や財政赤字です。郵政事業はもはや国民に絶対不可欠なインフラではもはやありません。

郵政事業自体が昔ほど重要ではないとしても、その長に官僚出身者を充てるのはどうなのでしょうか。少なくとも民主党の「脱官僚支配」と矛盾することは疑いようもありません。鳩山首相は「有能な方だし、15年民間におられており、天下りにはあたらない」と述べていますが、本気でそう思っているとしたら、ただの愚か者ですし、嘘を言っているなら国民を愚弄しています。

好意的(?)に解釈すれば、連立政権のパワーバランスで亀井大臣の顔を立てる必要もあるし、斎藤と関係の深い絶対権力者の小沢のご機嫌を損ねるにはいかないという、苦しい事情があるのでしょう。もちろんそれは内輪の論理でしかありません。

まず指摘しなければいけないのは、「有能なら官僚出身者かどうかこだわるのはおかしい」という「へ」理屈です。有能、無能というのは客観的基準ではありません。それでも、大企業の経験の有無、郵政事業の知識などスコアカードのようなものがあり、その採点表が公開されていれば多少納得もいきますが、一言「有能です」では説明にも何にもなりません。

つまり、「有能なら官僚出身かどうかこだわらない」と言うということは、「天下りは認めます」と言っているのと同じです。今後色々な政府関係の機関、団体に官僚出身者が天下りする時、「有能だからです」と言えば済むことになってしまいます。

官僚出身者の全てがダメなわけではありません。民主党から立候補した官僚出身議員の多くは、所属した省庁と縁が切れています。このような人たちは、どこに行こうと天下りではありません。天下りとは、官僚たちが退官後も実質的な出身官庁主導の人事異動として、就職先を見つけてもらうことです。企業の出向者と同じで、忠誠心は元の出身官庁にありますし、退任、転出は人事発令のように出身官庁が決めます。

斎藤新社長は、前職の東京商品取引所が財務省の天下り先だったことを考えると、「現役」の官僚です。官僚をやめて15年も経ってなどいません。斎藤社長と財務省は今後も日本郵社長に財務省出身者が就くことができるように、全力を尽くすでしょう。

アメリカでは経営者をヘッドハンティングで採用することは一般的です。ヘッドハントされる経営者は「有能だから」選ばれるのですが、結果はともかく、判断基準は有能かどうかということにかかっていますし、判断をするのも個々の企業です。しかし、天下りではヘッドハントをするように、現役次官を給与を倍にしてスカウトするなどということはありえません。異動はあくまでも、出身官庁の人事(実際は官房と呼ばれる組織が中心となる)の判断です。

人事が出身官庁主導であれば、天下りした経営者、幹部は出身官庁の利害関係人になります。会計基準では役員を送り込むと、資本関係が小さくても、連結決算の対象になります。利害関係人かどうかというのは、有能、無能よりずっとはっきりした概念として取り扱われているのです。

「天下り」の根本的な問題は、官僚組織が天下り先を増やし、より多くの利益を官僚組織の人間に分配することを、ビジネスモデルそのものにしてしまっていることです。天下りを維持し、増加させることは官庁の基本的行動規範と言って間違いありません。その結果の政策が、国民にとって「たまたま」有益なものになるかどうかは、二の次三の次です。

民主党は天下り先の外郭団体に12兆円以上の金が流れていて、その無駄をなくせば増税などしなくてもマニュフェストの政策は実施できると主張してきました。算盤勘定はともかく、天下りが無駄の根源であり脱官僚支配が必要というのは政策の柱だったはずです。

官僚支配というのは、天皇の家来で東国の代官程度の位置付けでしかなかった征夷大将軍が幕府を開いて権力を持ったように、民主的に選ばれた議院内閣制のもとで、実質的な権力を官僚が握り、国民に奉仕するための組織から、天下り先を増やすというビジネスモデルを追及する組織に変質してしまったものです。

官僚支配を終わらせるには、官僚組織の人事異動の延長で行われる、政府関連機関の人事を止めさせなければなりません。それには先ず官僚組織の「利害関係人」と考えられる人物の幹部登用を排除することが必要です。有能か無能かはその次の問題です。この規準では斎藤次郎は確実にバツです。

鳩山首相の「有能ならよい。15年前に退官したらよい」は天下りを無くすのは止めると宣言したようなものです。官僚はきっと大いに力づけられたでしょう。官僚支配から脱却するには江戸幕府を倒すくらいのエネルギーが必要です。残念ながら民主党にその力はないのかもしれません。

参照: 天下りを考える
天下りを考える:もう一言

それを言っちゃおしまいだよ
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羽田空港のハブ化が話題を集めました。前原国交相の発言がきっかけですが、都心に近く24時間離発着が可能な羽田を、4番目の滑走路ができるのを機会に、国際線を大幅に増便し、国内外を結ぶ本格的なハブ空港にしようというものです。

問題になったのは成田空港の位置づけです。従来の国際線は成田、国内線は羽田という住み分けがなくなり、成田空港の地位が危うくなると思われたのです。この件は、羽田や成田単独では首都圏の航空需要をまかないきれず、どちらの空港も活用を続けるということで、取りあえず落ち着きました。

しかし、成田空港の存在意義が問われたことで、成田空港の歴史の中での払われた多大な犠牲が改めて思い出せれました。成田空港建設には非常に強い反対がありましたが、それは並の公共事業の反対運動とは次元が全く違う激しいものでした。

成田空港は羽田の容量が限界になってきたことから(その予測自体が運輸省が天下り先を増やすために、埋め立てなどの拡張案を実現不可能としたためと言われています)、首都圏に第2空港を建設する必要が生じたことで計画されました。

ところが、大物政治家の関与や様々な思惑が交差した結果、当初有力だった富里ではなく成田に空港建設が行われることが地元に何の説明もなく発表され、事態はこじれます。成田空港建設の閣議決定が行われたのは1966年ですが、おりしもこの頃から1969年の日米安全保障条約改定阻止を目指す全共闘運動を中心にした、過激な反政府活動の時代になっていきます。

全共闘運動は東大入試の中止にいたった東大紛争を始め、激しい闘争を経て、日米安保改定阻止が失敗に終わったことから急速に勢いを失っていきます。しかし、一般の学生が次第に政治的関心を無くしていく中で、「過激派」と呼ばれた先鋭的な活動家たちは、ますます暴力的な運動にのめりこんでいきます。

過激派の活動家が日米安保の次のターゲットに選んだのが成田空港建設反対運動でした。過激派は空港建設反対の農民と共闘する形で、警察との衝突、空港施設の破壊など長年にわたる「成田闘争」が展開されていきます。

その中でも1971年に機動隊が過激派の奇襲を受け、3名の死者を出したのは痛ましい事件でした。過激派による機動隊員の殺害は、その翌年の赤軍派があさま山荘事件で2名を射殺(この他民間人が1名射殺されている)して以降は起きていません。 全共闘運動はプロ化の度合いを強めながら、成田空港建設で硬直的な対応を続ける政府との対立を深めていきます。

成田空港は、当初の滑走路3本の計画から1本だけの「日本の玄関」としては極めて不満足な状態で、計画より大幅に遅れた1978年に、何とか開港にこぎ着けます。その後も反対闘争は続き、現在でも3本の滑走路はおろか、第2滑走路が2,500メートルの予定を2,180メートルにしてやっと供用されている状況です(2009/10/22より2,500メートルに延伸)。成田闘争は完全に過去の歴史になったわけではありません。

こんな中で「成田空港見直し論」を言うなどとんでもないことだという空気があります。成田闘争では警察官の犠牲だけでなく、賛成派、反対派に分かれることで、地域のコミュニティーも破壊されてしまいます。成田空港の建設計画が青天のへきれきで発表されたことが、混乱の根本原因であることを思えば、いまさら、羽田が再び国際線の中心にするなどと平然と言うのは無神経にもほどがあると関係者が怒るのは当然と言えば当然です。

同じような構図は、やはり前原大臣が火を付けた、八っ場ダムの建設中止にも見られます。ダム建設が突然発表され、激しい反対運動が、住民の中で賛成派、反対派の対立を生み、地域コミュニティーを崩壊させた挙句に、「ヤ―メた」と言うのは何事かという強い反発が起きました。

前原大臣の唐突で「政治的配慮」をひどく欠いた物言いが、事態を一層こじらせたことは間違いありません。これは前原大臣の性格が大いに関係しているでしょう。永田メール事件の時も、あまり深い考えもなさそうな強気な発言をして状況を悪くしました。

しかし、羽田空港のハブ化、成田空港との内外分離の撤廃にしろ、八つ場ダムの建設中止にしろ、根回しをきちんとしたところで、騒ぎがそれほど小さくなったとも思えません。特に八つ場ダムのように工事に伴う利害がからむ場合は、説得に相応の見返りがなくては済みそうもありません。

それにしても、気になるのは「過去に大きな犠牲を払った以上、簡単には止めるべきではない」という理屈です。殉職した警官、引き裂かれたコミュニティー、それでも空港に、あるいはダム建設に賛成したのは「お国のため」という大義名分があったからです。それをいまさら撤回とは、あまりにも人を馬鹿にした話ではないか。そもそも死者に対し非礼ではないか。

これは感情論としてはわかりますが、国の政策を決める時、過去の犠牲を理由にすることは絶対に避けるべき態度です。戦前、日本が国際社会の強い圧力にさらされながら、満州の権益を手放そうとしなかったのは、日露戦争での莫大な戦費と10万人の戦死者という犠牲を無駄にするということが政治的にも感情的にも許されなかったからです。

満州の権益確保は中国との戦争へと進んでいきます。戦争は当然多数の戦死者を出し、それが「英霊に申し訳ない」という理由を一層強固にしていきます。戦死者に申し訳ないと言っていたら、戦争を止めることはできなくなってしまいます。

危険なのは、「過去の犠牲を無にするのか」という理屈は反論するのが難しい、と言うより反論自体を憚らせてしまうことです。本当は「過去の犠牲を無にするのか」というのは理屈でも何でもないただの感情論なのですが、面と向かって非難することは政治家もマスコミも避けようとします。

空港の役割分担も、ダム建設も、得られる利益と不利益のバランスで考えるのが基本です。過去の死者や関係者の苦痛を勘定に入れてはいけません。たとえ、それが10万人の戦死者であってもです。「過去の犠牲」を事業継続の理由にすることは、過去の犠牲を利用しようとしていることです。それこそ「死者への非礼」と言えなくもありません。あるいはただのアジテーションに過ぎません。「それを言っちゃお終い」なのです。

人間を「バカ」にする装置
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林横浜市長

林文子氏はBMW東京社長から再建中のダイエーの会長になり、その後日産の役員を務めるなどした、女性経営者として有名です。 今年の9月に突如辞任した前任の中田市長の後を受け、横浜市長に就任しました。たまたま、林氏と面識のある人から、横浜市長になって驚いたという話を先日聞きました。伝聞ですので真偽は分りませんが、いかにもありそうな話だと思うので、ご紹介します。

林市長は副市長を4人にするという思い切った組織改革を最初に行ったのですが、市長室から副市長の一人の部屋を廊下を渡って尋ねようとして、驚いた秘書官に止められてしまいました。市長が副市長に面会するときは秘書官を通じて、きちんとアポを取ることが必要なのだそうです。

会議を開いてまたびっくり、会議に5分ほど早く来て、雑談をしようとしたら、「市長が早くいらっしゃっては困ります」とのこと。市長は最後にゆったり登場してくれなければダメなんですね。それでも、まぁ早く来たからということで、雑談でもということにしようとしたら、それもダメ。 結局、「市長の懇談を会議前に行うということで」ということで落ち着いたとか。

市庁舎に到着したら、秘書官以下、幹部数名が最敬礼でお出迎え。「そんなこといいですよ」と断ろうとしたのですが、「どうかそれだけは」ということで、その儀式は続くことになりました。

林市長は、ホンダの販売店の事務職員から営業に転身するところからキャリアをスタートさせているのですが、そんな市長の目から見ると横浜市長としての体験はまるで異次元世界のように映ったようです。だいたい、民間企業で社長が副社長の部屋を訪ねるのにアポだ何だと大騒ぎするような会社は、とても長続きはしないでしょう (と書きましたが、財閥系の大会社や、ワンマン社長が威張っている会社では似たようなことはあるようですが)。

この話を聞くと、いかに官僚が選挙で選ばれた首長を、バカ殿にしようと一生懸命になっているかが、よくわかります。首長よりもっと偉い大臣は俗に「三日やったらやめられない」と言いますが、きっと本当なのでしょう。こんな状況を横浜市の前市長を始め、多くの首長、大臣は止めさせるどころか、快感マッサージのように感じているのでしょう。いまや麻痺して快感でさえないかもしれません。

政治家叩きや官僚叩きをすれば世の中が良くなるものではありませんが、こんな話を聞くと「叩いてばかりいないで」と言う前に「徹底的に叩け!」と言いたくなってしまます。

温暖化ガス削減の道:鳩山首相のコミットメントをめぐって
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鳩山首相のコミットメント

鳩山首相は、就任早々の9月22日、ニューヨークで行われた国連気候変動サミットの開会式で、日本が2020年に1990年比で温暖化ガスの排出量を25%削減するとのコミットメントを行いました。実はこの件は、別のブログ「評論家山崎元の「王様の耳はロバの耳!」で読者同士のかなり白熱した議論があり、私も自分のブログをほったらかしにして(というと言い過ぎなのですが)、議論に参加していました。

議論を続ける中で、鳩山首相のコミットを「スタンドプレーで国際社会に向け格好を付けて、日本の産業と経済を無茶苦茶にする暴挙」と考える派と「国際社会に貢献し、日本の産業に新しい道を開くリーダーシップ」と思う派の二つに分かれました。

私は後者の立場、ブログオーナーの山崎さんも概ね後者で、ブログ読者の間では、鳩山首相を支援する意見が強かったようです。これは元々、山崎さん自ら「自民党は昔から嫌いだった」と言われているように、民主党に比較的近い記事が多く、読者もその考えに賛同する人が多かったからだと思われます。ただ、中にはかなり強硬に鳩山発言への懸念を示す人もいて、いかに鳩山発言が日本の国益を減じるかを論じたサイトの紹介もありました。その中で"l澤昭裕の『不都合な環境政策』は、豊富なデータで、かなり説得力のある論理を展開しています。

温暖化ガス削減のための規制を強化することは、少なくとも短期的には経済に対しマイナス要因になります。エアコンを買えば消費電力は増えますし、部屋数が増えれば台数も増え、消費電力がまた増加します。経済成長は温暖化ガスを増やすことが多いのは間違いありません。省エネには新技術の開発、設備投資、ライフスタイルの変更が必要で、多くの場合短期的には達成されません。

まして、自国だけが温暖化ガス削減の厳しい規制を行えば、企業は競争上不利な立場に置かれます。環境は資源や労働力、工場設備と違って、企業が購入するものではありません。経済学では外部化という言葉があって、企業が費用を他に押しつけてしまうことを言いますが、環境はその代表的なものです。

実際には、環境コストの全てが外部化されてはいません。現在の日本では、排水や排煙には厳格な規制があり、企業はその規制を守るように有害物資の除去装置を設置しなくてはいけません。それらの環境コストは内部化されています。

ところが、温暖化ガスの削減は十分な内部化は行われてはきませんでした。それは二酸化炭素のような温暖化ガスは、地球全体の環境に悪影響を与えても、工場の周辺住民に被害を与えるようなものではないからです。つまり、各国の政府にとって温暖化ガスの削減は、自国民にとっては何の利益もなく、経済的負担だけを背負わされることになるのです。

このような状況を踏まえれば、野心的な温暖化ガス削減を各国に先立って行うことの危険さを指摘することは十分な根拠のあることだと言えます。そこで先述の『不都合な環境政策』を頭に入れながら、温暖化ガス削減の先陣を切ることの意義を考えてみたいと思います。なお、読者の皆さんには『不都合な環境政策』の一読をお勧めしますが、当ブログ記事を、それとは無関係にお読みいただくことは可能です。

地球温暖化はどこまで深刻なのか

温暖化ガス削減についての議論は、最後はこの命題に行きあたります。この命題は、
(1) 地球は温暖化しつつあるのか
(2) 地球温暖化がこのまま進むと、人類を含む生物圏は重大な影響を受けるのか
(3) 地球温暖化の主な原因は人類の経済活動に伴う温暖化ガスなのか
の三つ部分からできていますが、一つ一つが反論の対象になっています。

地球の大気の動きは非常に複雑で完全なモデル化どころか、十分なモデル化もできていないのが現状です。2週間後の天気が全然わからないのに、50年先の地球気候を予測できるというのは、確かに信用できない話です。 地球温暖化というのは環境原理主義者の妄想に過ぎないと主張しても、それを間違いだと言い切ることはできません。

しかも、地球の温暖化、寒冷化は大気の組成だけでなく、太陽活動、地軸の傾き、さらには大陸の配置まで関係します。火山の大爆発があれば、破滅的な寒冷化になる可能性もあります。人類が少しくらい温暖化ガスの削減を行ったところで、どれほどの役に立つのかと言いたくもなります。

地球が温暖化したからといって、どれほどの事態になるかも、よくはわかっていません。生物圏に大変動が起こることは確実でしょうが、シベリアが快適な気候になり、南極に住むことができるのなら、温暖化もそれほど悪いことではないのかもしれません。

しかし、このような楽観的な考え方は、温暖化ガスの増加が破滅的な地球破壊につながるという予測と比べて、十分に説得力のある根拠があるわけではありません。科学界全体としては国連の下部機関IPCCの「産業革命以来、特に20世紀以降の急激な二酸化炭素増加は人類によるもので、将来加速度的な地球温暖化を招く危険がある」というのは標準的な考え方です。

このIPCCの予測は外れるかもしれません。また当たるかもしれません。それではIPCCの予測が当たって悲劇的な結果を招く確率はどれくらいなのでしょうか。 歴史を繰り返すことはできません。将来には色々な可能性がありますが、私たちの経験できる未来はただ一つです。どの程度の確率や危険性なら、私たちは受け入れることができるのでしょうか。飛行機の落ちる確率が30%と言われたら、その飛行機に乗るでしょうか。6連装に1発弾丸の入ったロシアンルーレットをする気になる人はどれくらいいるでしょうか。

地球温暖化を否定し、温暖化ガス削減の努力が無用だと言う人は、ロシアンルーレットを進んでやりたがっているように思えます。地球温暖化はIPCCの悲観的な予測が当たった時の被害は相当に破滅的で、そんな危ないゲームに参加するくらいなら、取りあえず地道に温暖化ガス削減努力をする方がまっとうな考え方ではないでしょうか。あくまでも私の感触ですが、地球温暖化は6連装の銃に弾丸が3発入っているロシアンルーレット程度には危険なゲームのように思えます。

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他国に先立って温暖化ガス削減努力をするのは損ではないだろうか

これが鳩山首相のコミットメントに対する一番の非難でしょう。日本の温暖化ガスの排出量は世界全体の5%以下、GDP比で言えばすでに相当省エネが進んだ状況です。日本が少々努力したくらいでは世界全体の温暖化ガスがいかほども減るものではありません。

これに対し、アメリカや中国は世界全体の20%以上の温暖化ガスを排出します。米中両国が頑張ってくれなければ、自分だけ損をして、しかも世界中は何もよくならないという最悪の結果になります。これはアメリカや中国といえども同じことが言えます。自分が努力せずに他の8割の排出量が削減されることが一番楽なはずです。

どの国も自国は削減努力をせず、他国の削減努力の果実を待つというのは、典型的な囚人のジレンマです。囚人のジレンマでは、2人の囚人のどちらも、自分だけ自白して、相手が黙秘することが最善で、自分が黙秘して、相手が自白してしまうことが最悪です。結果は、2人とも黙秘すれば、無罪になるのに、2人とも自白することになります。温暖化ガス削減にあてはめれば、どの国も自国の削減は最小にとどめようとすることになります。

温暖化ガス削減が囚人のジレンマになってしまう根本的な原因は、世界の多分大部分の人は、地球温暖化がロシアンルーレットのような危険なゲームであるとは認識していないからです。別の比喩を使えば、ボートが滝壺に向かっていると思えば、一生懸命オールを漕ぐ損得など考えずに、オールを奪い取っても滝と反対の方向にボートを漕いで行こうとするでしょう。地球温暖化は全体としてそれほど深刻には受け止められていません。

事態がそれほど深刻に受け止められていないという前提で、囚人のジレンマを解くことはできるでしょうか。ジレンマはあくまでもジレンマですから、そのままでは解けないのですが、囚人のジレンマ型のゲームでは繰り返しゲームを行うとジレンマでなくなることが判っています。

囚人のジレンマ型のゲーム、つまり双方が自分に得になることだけ考えると、全体最適にならないようなゲームでも、繰り返しゲームが行われ、繰り返す回数が無限だったり(これは実世界ではありえませんが)、繰り返し回数が予め参加者には知らされていない場合は、「しっぺ返し戦略」つまり、最初は譲って、相手が裏切ったら報復する(こちらも裏切る)戦略が最強だということが、コンピューターシミュレーションで検証されています。

「私は温暖化ガスを積極的に削減しますよ」と言っておいて、相手が全然乗ってこなければ「それでは残念ながら、こちらも約束を反故にします」という戦略は「繰返し型の囚人のジレンマ」では有効なのです。温暖化ガスの削減交渉は、これから何度も行われるでしょうし、それが何回になるかはだれも判りませんから、「しっぺ返し前略」が有利になる条件を満たしています。

これは確かに実世界でも正しそうです。「自分はもう目いっぱいだから削減努力は、ほどほどにしかしないが、温暖化ガスを沢山出す国は、うんと頑張ってくれ」というより「自分は挑戦的な目標達成に努力する。君も頼む」と言う方がずっと説得力があるでしょう。

しかし、国際社会というのは弱肉強食のジャングルのようなもので、甘い顔を見せても侮られていいようにされるだけだ、という考え方も当然あります。現にアメリカは京都議定書に参加していませんし、中国を筆頭に新興諸国は、「先進国こそ削減負担の大半を負うべきだ」と主張しています。このような物言いは、誰も地球温暖化とは同じボートに乗って滝壺に向かっていくようなものだ、あるいはロシアンルーレットで遊ぶよりもっと危険だ、などと全然思っていない証拠です。

こんな状況で「しっぺ返し戦略」など効果があるのでしょうか。 だいたい「しっぺ返し」などできるものなのでしょうか。これは難しい質問ですが、仮に地球温暖化が最後は破滅的結果につながるとすると、弱肉強食型の世界観は囚人のジレンマよりもっと危険なチキンゲーム型ゲームをしていることになります。

チキンゲームとは、お互い正面を向けた車を運転し、衝突すれば死んでしまうのに、アクセルを踏み続け恐怖に駆られてハンドルを切って逃げ出した方を「チキン(臆病者)」と嘲るものです。正気の人間から見れば馬鹿げているとしか言いようのないものですが、戦後アメリカのカリフォルニアで若者たちの間でチキンゲームはやっと言われています。国際社会では「瀬戸際戦略」とも言われる北朝鮮の手法がチキンゲームの典型です。

他国にいいようにされることを心配する人たちは、地球温暖化をめぐる各国間の対立はチキンゲームかもしれないという認識はまるでないようです。どんなに馬鹿にされても、正面衝突するより「チキン」と呼ばれた方がマシだと思うのですが、そんな論法は文字通り「チキン」だと嘲られそうです。実際、「日本だけバカ高い排出権を買わされるというのは、老練なヨーロッパ諸国に利用されているだけだ」と言う精神構造は、昔のカリフォルニアの若者たちとそう変わらないかもしれません。譲るやつは、ダメなやつだというわけです。

実際の温暖化ガス削減交渉はチキンゲームよりさらに悪いとも言えます。チキンゲームなら自分がハンドルを切れば、とりあえず命は助かりますが、IPCCの悲観的な予測が当たると、自分だけが努力しても人類が破滅的状況に陥るのは変わりません。ハンドルを切るのは自分だけでダメで、他の参加者にもハンドルを切ってくれなくてもはいけません。

滝壺が眼前に迫る前に、危険を察知していち早くリーダーシップをとる国が必要です。そして、リーダーシップを得るには自己犠牲の精神がなければいけません。しかし、ボートが滝壺に向かっていると思えば、勇気も自己犠牲の精神も湧いてくるのではないでしょうか。

本当に温暖化ガスの削減は可能なのか

温暖化ガスの発生が、経済活動つまり文明生活に結びついているのだとすると、石器時代に戻らないで大幅な温暖化ガス削減は可能なのでしょうか。製鉄技術が生まれたとき、製鉄の方法は大量の木材を燃やすしかありませんでした。木材資源の減少は鉄の生産高の減少を招き、ついには文明の崩壊にまでつながりました。中東の砂漠は、その名残と言われています。

石油文明も石油がなくなってしまえば崩壊します。しかし、石油の消費量と経済の規模は必ずしもリニアな関係にあるわけではありません。現に、70年代初頭の第一次石油ショック、80年前後の第二次石油ショックを通じて日本はGDPあたりの石油消費量を大幅に減少させてきました。

ところが、日本の石油消費、言葉を換えれば温暖化ガスの排出量は、90年を境に増勢に転じます。そして、京都議定書も、今回の鳩山首相の25%の温暖化ガス削減も、90年を基準年にしています。一方、ヨーロッパ諸国は90年代は共産主義政権が崩壊した東ヨーロッパ諸国の遅れた産業インフラを廃棄していくだけで、温暖化ガスの削減が達成されました。京都議定書は老練なヨーロッパ外交の勝利だったという見方は、あながち僻みではありません。

しかし、日本が90年代から再び石油消費量を増やしたのは、「できることはやり尽くしたから」というより、第二次石油ショックの後石油価格が極めて安定的に推移したことが大きな原因と考えられます。省エネは技術開発にしろ、設備投資にしろ、効果が表れるまで遅行性があり、石油価格のトレンドと石油消費のトレンドは、ずれるので、90年代以降のエネルギー需要の増大は十分説明のつくものだと考えられます。

石油価格は世紀をまたいで、再び上昇カーブを描きます。これがロシアの復活にもつながるのですが、日本の省エネの努力も再開されます。70年代の省エネルックはクールビズとして生まれ変わることになります。プリウスは売上第一の車種になりました。

中長期的には省エネは技術開発や設備の入れ替えで実現できるとしても、2020年までの1990年比25%削減は達成可能なのでしょうか。これは日本の削減努力にどれだけ他国が足並みを揃えるかによります。日本だけ独走すれば温暖化ガス削減で国際競争力が低下した企業は海外に出て行ってしまうでしょう。

これはあまり好ましくない事態です。 企業が日本から出ていくことで雇用が失われるだけでなく、税収も減ってしまいます。おまけに海外に企業が出て行っても、他所の国で生産活動を続けるわけですから、温暖化ガスは削減されません。日本が損をして、他国は温暖化ガス削減コストを「外部化」して、地球温暖化の流れは止まらないという、まったく面白くない結果です。

しかし、日本ではどの道、実施しにくい温暖化ガス削減策があります。たとえば原子力発電所は日本のような狭くて人口が密集している国では立地が難しいのですが(本当にそうかは細かく検証が必要でしょう。これはあくまでも表面的な分析です)、立地の容易な国で発電し、電力多消費型の産業を移転してしまえば、地球全体として温暖化ガスの削減は達成されます。

これは、温暖化ガス削減コストではなく、原子力発電所立地のコストを外部化してしまうことでもあります。ただ、原子力発電所がライフサイクルで温暖化ガスを排出する火力発電所より、好ましいのかは難しい問題です。すくなくとも温暖化ガス削減と比べると、原子力発電所の設備自身を含めた放射性廃棄物を長期間安全な状態に閉じ込めるのははるかに困難な技術です。原子力発電所の生み出すプルトニウムの半減期が2万4千年ということを考えると、完全に安全なシステム構築は現代技術ではほとんど不可能です。

ここでは適当な立地さえ選べば、原子力発電所は安全だと仮定しましょう。そうすれば、自動車と発電の分だけで温暖化ガスは50%程度削減できます。さらに太陽エネルギーや、燃料電池による発電設備の分散化などを行っていけば、21世紀末までに80%の温暖化ガスの削減を行うことは可能でしょう。森がなくなっても、石炭で製鉄ができるように、代替エネルギーと省エネで目標を実現することは可能です。

問題は再び、2020年までに政治的、経済的に大きな困難を伴わずに25%削減ができるかどうかです。多分とても簡単とは言えないでしょう。しかし、25%が未達になったときの一番の心配事は(人類が破滅することを除けば)、国際的な非難のあげくに、経済が大きなダメージを受けることでしょう。これは、国際間で温暖化ガス削減ための国際的取り組みができあがれば、相当程度緩和される問題です。もし、そんな仕組みがついにできなかったら、削減目標は達成されず、身勝手な非難を浴びて、地球は破滅に向かうということになります(この部分は正確にはロシアンルーレットの確率ですが)。

取りあえず頑張ろう

ここまで述べたように、温暖化ガス削減のリーダーシップを取ろうとする考えに反対する意見は、本質的に温暖化ガス削減は「自分のため、人類のため、地球のため」という発想を欠いていると言えます。もし、野心的な削減目標を達成しようとすることを、「国際政治の現実を知らない甘ちゃんの妄想」というなら、知らずにロシアンルーレットをやろうとしているという現実にも目を向けるべきです。

また、日本の削減努力がすでに乾いたタオルを絞るに等しいというのは、短期的な温暖化ガス削減と経済縮小のリニアな関係を、中長期にも当てはめるという誤りを犯しています。木がなくなっても鉄は作れるのです。

世界中が温暖化ガス削減に努力すれば、削減努力のかなりは循環型社会を作ることに」向かうはずです(原子力発電所という重要な例外はありますが)、これは資源の節約につながりますし、温暖化ガス以外の汚染原因を減少させることにもなります。

温暖化ガスの増大は経済発展のために生み出された技術が原因です。文明を破壊しない解決策は、技術でしか得られませんし、その技術は経済的枠組みで進歩します。温暖化ガス削減は、経済的には温暖化ガス排出コストを内部化させることと、技術的にはそのコストを最小化する努力で達成されます。これはやる価値と勝ち目は十分ある戦いです。

参照:
地球という丸木舟
地球温暖化を止めるには(もし本気なら)
科学は多数決?
地球温暖化
人類絶滅のシナリオ
ロシアと石油
喫煙の行動経済学
少子化という囚人のジレンマ
チキンゲームと北朝鮮
バブルよもう一度
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経済学者にバブル経済は理解できない

だが、自分は理解できるぞ、などと言うつもりは毛頭ないのですが、バブル経済をまともな経済学者があまり取り上げようとしないのは事実です。 経済学では、物の価格が安くなれば、需要が増えて、供給が減る、高くなれば、逆に需要は減って、供給は増える、結局、ある価格で需要と価格が釣り合うというのは基本中の基本です。ところが、バブル経済では価格が上がるほど、どんどん需要も供給も膨らんでいきます。こんな現象を経済学者は、呆れて見ているしかないようです。

バブル経済というのはバブルがはじけた後になって、「あー、あれはバブルだったんだ」と皆思うのですが、バブル経済の真最中は、今がバブル経済なのかどうかもはっきりしません。今がバブルかどうかも、ろくに判らないのですから、なぜバブルが発生して、発生したらどうすればよいかという処方箋を書くというのは、できない相談なのかもしれません。

そこで原点に戻って、なぜ値段が上がれば供給が増え、値段が下がれば需要が増えるかという理由を考えてみます。人が物に対価を支払うのは、買ったものを使う価値が、買う値段より高いと考えるからです。価値は、利便性や快感のようなものもありますし、それを使ってもっと金を稼ぐことができることかもしれません。いずれにせよ、物の値段がどんどん上がっていくと、その値段に見合った価値を見つけることができる人は、だんだん少なくなります。逆に値段が下がれば、より沢山の人が買値より大きな価値を物から得ることができます。つまり、物に対する需要は、値段が上がれば減り、下がれば増えることになります。

物を売る側からみると、物を売るのは物を作るコストより、高い値段で売れるからです。コストが売値を下回ると、在庫処分でもない限り、新たに物を作ってまで売ろうとする人はいなくなります。物を生産するコストは生産者によって違いますが、売値が下がってくればコストに見合って生産できる人は減ってきます。物の値段が下がれば供給は少なくなり、値段が上がれば供給は増えていきます。

わかりきった話なのですが、もう少し考えてみましょう。金は1グラム3千円くらいで売買されています。 金にどの程度の価値があると考えるかは、人によって色々でしょうが、金を生産するには金鉱山から金鉱石を掘り出し、精製するために相当なコストがかかります。それは金を1グラムあたり、概ね1千円から1千5百円くらいです。金の値段が暴落して1千円以下になってしまったら、誰も金鉱山を掘って金を取りだそうとはしなくなってしまいます。金の値段は、金を採掘、精製するコストで下支えされていると考えられます。

最近、携帯電話のような電子製品に、タンタル、インジウムといったあまり耳慣れないレアメタルと呼ばれる材料が使われています。このレアメタルの生産が中国など一部に限られていて、需要が増えるとともに価格が高くなっていて、各国が確保に躍起になっていると言われています。

値段が高くなっていくのは、あまり嬉しい事態でないのは間違いないのですが、携帯電話を作る材料がどんどん高くなれば、携帯電話の値段も高くなって、そのうち携帯電話を買える人はほとんどいなくなってしまいます。そうすれば携帯電話の材料の需要も減って値段も下がってきます。レアメタルの値段が天井知らずに高騰することを心配する人は、携帯電話に天井知らずの値段を払うつもりなのでしょうか。そうでなければ、金の価格が金の生産コストで下支えされているのと逆に、レアメタルの価格は、レアメタルを材料にする製品の使用価値を上回るほど高くはなれないことになります。

転売するためなら価格は関係ない

ここまでは単純な話ですし、経済学の教科書はこんなことばかり書いています。しかし、使用するのではなく、転売するとなると物の値段の意味はまったく違ってきます。買った値段より、もっと高い値段で売れるのなら、買値は高くても関係ありません。それどころか、高い方が値打のある証拠で価値が高いと考えるかもしれません。そしてバブル経済の主役は、物の使用価値ではなく、転売期待で売買される商品です。

今から考えると想像もできないのですが、80年代の日本経済のバブルの真っ盛りには何千万円もするゴルフの会員権を何口も普通のサラリーマンが買っていました。ゴルフの会員権はもともとはゴルフがプレーできるという価値しかないはずですが、その頃はゴルフがプレーできるというは、航空会社株の株主優待券くらいの意味しかなく、値上がりしたゴルフ員権を売って儲けることが、ゴルフ会員権の価値の源でした。

物の値段の決め方が、転売してどれだけ儲かるかということになると、値段による需要と供給の関係は、使用価値や生産コストとは無関係になってしまいます。これでは経済学者がバブル経済を嫌いになるのは無理もないかもしれません。

では、バブル経済の原因が、もっと高い値段で転売できるだろうと多くの人が考えるからだとすると、どのような物がバブル発生の対象になるのでしょうか。まず、転売できるためには、転売できる市場がなくてはいけません。手軽に買え、手軽に売ることができるということが、バブルが大きくなるためには必要です。そしてバブルが一国あるいは世界を揺るがすほどのものになるためには、市場は十分に大きくなくてはいけません。

マニア同士が、門外漢には不可解なほど高い値段で趣味的な品物の売買を行うことはありますし、その中には転売で儲けようと考える人もいるかもしれません。しかし、売買がマニアの間で小規模におこなわれている限り、バブル経済を引き起こすことなどありません。

転売で儲けられる可能性があっても、保管に多大なコストがかかったり、時間とともに価値が減っていくようなものは、大規模なバブルを作り出すことはできません。たとえば、保管すれば品質が劣化していく食料品はバブルを引き起こすには不適です。食料品が原因のバブルの発生は今後ともないでしょう。

次に、バブルを作る物は価格が上昇しても供給が増えない、増やすにしても非常に困難でなければいけません。原油を含め、ほとんど天然資源はこの点でバブルを発生させるには向いていません。原油は数百年単位で考えれば、使えばなくなってしまうものですが、価格の上昇は従来コストに見合わなかった、油田の開発を可能にします。ある程度以上の価格になれば、代替エネルギーも採算に合うようになります。価格の増大が経済学の教科書通り供給の増大を促進するような物はバブル経済を作り出すことはできません。

簡単に転売ができ、時間ともに目減りせず、供給が限られている、このような条件を並べると、バブル経済を作ることができるのは、土地と株などの金融資産にだけになってきます。土地は本当は供給が限れてなどいないのですが、同じ土地は二つはないので、何かもっともらしい理屈をつければ供給が限られているこような錯覚は起こります。

過去のバブル経済の歴史を振り返ると、土地と通貨を含めた金融資産以外で大規模なバブルを発生させたのは、17世紀にオランダで起きたチューリップの球根をめぐるものだけです。球根はどう見てもそれほど長期間保管はできませんが、球根を栽培してチューリップを育てると、また球根ができるということで、事実上無限に保管できると思われたのでしょう。

バブルを作るには

土地や株がバブル経済の発生源になるとしても、バブルが膨らみ始めるには、バブルを生み出す環境ときっかけが必要です。バブル発生の環境で重要なのは金余りです。80年代の日本のバブルは、急激な円高を防ごうと、政府がドルの買い支えで膨大な円の供給を行ったことでした。余った金は、設備投資や、国内消費ではなく。土地の購入に向かいました。90年代のアメリカのIT株のバブルは、冷戦後軍事費が大幅に減り、政府が黒字化して国債の購入に向かっていた資金が、株式市場に流れこなだために起こりました。そしてリーマンショックを引き起こしたバブルは、サブプライムと呼ばれる信用度の低い債券を分割して、信用度の高い金融商品に化けさせたことで、大量の資金が集まったことで起きました。

一度バブルができると、転売価値が実体的な価値を持つようになります。つまり、転売価値で金を借りることができ、対象資産の値上がりでさらに金が借りられます。価格の上昇が通常の需要と供給の関係のように、値上がりが需要の減退を招くのではなく、需要を生み出す信用と資金の拡大で、ますます需要が増大するという、ポジティブフィードバックが働くことになります。バブルはとめどもなく成長を始めます。

それでは、余剰資金というバブルの環境が整ったとき、バブルは必ず発生するのでしょうか。爆弾は信管がないと爆発しないように、バブルが膨らみ始めるのには、何かのきっかけがなくてはいけません。一つには、今までよりずっと高い値段を正当化する理屈やメカニズムが必要です。

80年代の日本の不動産バブルは、地上げというテクニックで、小さな家が集まった付加価値の小さな土地をまとめて、大きなオフィスビルを建てることが普及したことです。しかも、地上げはあまりまともでない連中を不動産会社や銀行が使ったために、乱暴な土地の買い漁りが起きました。

人の金でチャンスを求めて無責任に買い続けるような人種は、バブル発生の起爆剤としては強力な力を発揮します。リーマンショックにつながる、今世紀初頭のバブル経済は、人の金を集めて投資をするファンドの存在が原動力になったことは間違いありません。

恐らく、バブル経済作り出すには、もっともらしい理屈より無鉄砲に高値を追い求める人の存在の方が、大きな役割を果たすのではないか思われます。ITバブルでインターネットに少しでも関係がある会社の株が、利益どころか売り上げも上げないうちに高値を付けたり、サブプライムでどう考えても支払い余力のない人々が、不動産が無限に値上がりするという前提で、金を貸してもらえたというのは、理屈とか理論があったとしても、まっとうなものではなかったはずです。

日本の80年代の不動産バブルの時は、皇居の面積でカリフォルニア州が買い占められると言われてました。このようなことがバカバカしいことを不思議だと思わなくなるというのは、一部のイカレタ連中の狂気が、皆に伝染したとしか考えられません。

人間がなぜそこまで愚かになれるかと不思議としか言いようがないのですが、人間は本能的に多数の意見にしたがう傾向があることはわかっています。実験で、非常に薄い砂糖水を10人に飲まして9人(全員サクラ)がしょっぱいと言うと、残りの1人(本当の実験の対象者)はかなりの確率で、砂糖水をしょっぱいと答えることが知られています。

砂糖水をしょっぱいと感じるくらいですから、一度皆が高値を追って転売期待で買い始めると、皆が買うという理由で、無茶苦茶な値段でも妥当だと信じてしまうのです。この力は非常に強力で、バブルの最中は、皆「今の値段が正しいのでは」と信じるために、バブルの真っ盛りにバブルということが認識できなくなってしまうのです。

バブルは悪いことなのか

それにしても、バブルは悪いことなのでしょうか。誰かが「王様は裸だ」などと叫ばなければ、転売期待が本当に実現されて、信用がどんどん膨らんでいく、つまり経済が際限なく大きくなって皆な幸せになれるのではないでしょうか。

本当にそうかもしれません。しかし、使用価値とも、生産コストとも無関係に値段が上がり続けると、いつかは真実に人が気がつく時が来ます。砂糖水を飲み続ければ、そのうち「やはりこれは塩水ではなくて砂糖水だ」と気付く時が来てしまいます。大部分の人が妄想に取りつかれていても、ごく少数の人が目が覚めて「王様は裸だ」と叫ぶことで、バブルは文字通り破裂してしまいます。

バブルが破裂すると、膨れ上がった信用は突然梯子を外されて、銀行は不良債権を大量に抱えることになります。貸し倒れリスクが大きくなる銀行は金を貸したくても貸せなくなります。 企業も目減りした資産が重くのしかかって、積極的な設備投資は控えるようになります。個人も財産が減って、浮かれた気持ちが失せてしまったり、財産がなくても解雇されることもあります。バブルで膨れあがった信用が大きければ大きいほど、破裂した時の打撃は深刻になります。

つまり、バブルは必ず破裂する運命にあるし、破裂すれば重大な影響があるのだから、バブルは発生しないに越したことはないというわけです。1920年代のアメリカの株高のバブルは、世界大恐慌を引き起こし、ついには第二次世界大戦につながってしまったのですから、バブルの発生を未然に防ぐような努力は不断に続けなければならないというのは一つのコンセンサスと言えるでしょう。

金利を機敏に上げたり、銀行が過大なリスクを背負わないように監視したり、無責任に他人の金で大儲けを企むことがないように、金融機関のボーナスを制限しようとするのは、バブルの発生を抑える施策の数々です。

そのような政策は一定程度は必要でしょうが、過度な締め付けは健全な市場機能も弱めてしまう危険もあります。それにどのような政策、制度を導入してもバブルを完全に防ぐことはできないでしょう。物を転売できるというのは、資本主義の基本的な機能ですから、潜在的に常にバブルの可能性はあるのです。

それに、バブル経済が破裂した後は、金融機関だけでなく、一般の企業、産業も大きな変質を余儀なくされます。日本では土地バブルがはじけた後、簿価よりずっと高い土地を含み益として抱えて、本業で赤字続きなのに企業が生き延びるという「含み経営」が、ほとんど一掃されました。

言って見れば、バブル経済の破裂は巨大隕石の衝突のようなものです。6,500万年前に恐竜は隕石の衝突で滅亡してしまいました。しかし、恐竜の全滅がなければ哺乳類の隆盛はなかったでしょうし、多分人類も生まれてこなかったでしょう。

巨大隕石は環境を激変させることで、生物界の秩序をひっくり返してしまいます。バブルの破裂がなければ、日本は今でも3つの長期信用銀行、12の都市銀行が護送船団として生き残っていたかもしれません。これは今よりましな状況とは思えません。

国際社会でジリ貧となっている日本の現状は、バブル経済が生まれて破裂してしまったというより、、バブルの破裂だけでは、遅れた部分を完全には変革できなかったからではないでしょうか。そう思えば、もう一度元気を取り戻すために、再びバブルを起こしてみるのも悪くはないのかもしれません。

80年代のバブル経済の時代には、結構良い目を見た人も多いはずですし、少なくとも戦争のように人が沢山死ぬようなこともありませんでした。袋小路で悩んでいるより、次のバブルネタを考えてみたらどうでしょうか。
自民党は第二の社民党になるのか
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民主党が大勝し、政権交代が起きることになりました。予想通りなのですが、選挙前から民主党の大勝を予測する報道が相次いだため、有権者のバランス感覚や自民党に対する同情で揺り戻しが来て、予想ほどは民主党が勝てないのではないか、という観測は当たりませんでした。

民主党政権にすれば何もかも良くなるなどと持っている有権者は少なくて、まずは政権交代を実現させ、民主主義の重要な道具を機能させようと思った人が多かったようです。そのような理由なら、民主党の勝たせすぎを心配するより、とにかく民主党政権を実現させようと思ったのでしょう。民主党有利の報道が逆に民主党に不利に働くのではないか、という深読みもあったかもしれません。

民主党が政権を取って、その民主党がダメだったら、また自民党に替える。二大政党で政権交代を繰り返すことで、民主主義政治を実現していくというのは、長年の悲願のようなものですし、アメリカやイギリスでは有効性が証明されているものです。政権交代自身をテーマに選挙が行われたのは間違いではありません。

日本のようにまっとうな政権交代がなく(前回の細川政権による交代は自民党の分裂でなかば偶発的に起きたものですし、1年も続きませんでした)50年以上が経過するというのは、いわゆる先進民主主義国家では例がありません。民主党政権の誕生は必然でもあったし、遅すぎたと言ってもよいでしょう。

問題は、これから本当に継続的な政権交代が実現されるようになるかということです。自民党が再び政権に返り咲くことで、次の政権交代が行われるというのが常識的なシナリオですが、どうなるでしょうか。

考えられるのは、政界再編で民主党や自民党が分裂して、新たな政党ができるということです。民主党は旧社会党系の護憲派から積極的な改憲派まで、よく言えば幅広い、悪く言えばバラバラな政党です。いつ空中分解してもおかしくないように思えます。

しかし、自民党が多様な意見を抱えながら政権を維持するという一点で結びついていたように、政権は強力な求心力を持っているため、そう簡単には分裂することはないでしょう。むしろ政権を失った自民党が意見の違いが表面化する可能性が高いと思われます。

自民党の意見の違いが表面化する大きな要素は防衛・外交問題です。自民党が旧社会党系の護憲派を抱える民主党に外交・防衛で揺さぶりをかけようとして、思想的な純粋性を高めて、その結果として、保守と言うより右派、SAPIO思想に傾斜してしまう危険(あえて危険と言います)があるのです。ここで言うSAPIO思想とは、
(1) 戦後教育は日本は悪かったという自虐史観に毒され、国民の誇りを失わせるものだった
(2) 東京裁判は勝者が敗者を裁く不当なもので、その結果を受けいれる必要はない。東京裁判で戦犯となった軍人、政治家は犯罪者などでない、
(3) 戦犯とされた人は悪くないのだから、靖国神社にA級戦犯が合祀されていても何の問題もない、靖国参拝を批判する韓国、中国は内政干渉も甚だしいのだから、毅然として参拝の信念を貫くべきだ。
といったものです。これらは、一つの考え方ですし、日本人の多くが多少なりともとも、同意するようなt類のものです。

しかし、このような考えかたは、派生的に、教科書改訂、日の丸掲揚反対の教員処分、さらには中国、韓国政府との先鋭的な対立を意味します。移民排斥もその流れでしょう。隣国との対立には、多くの日本人はあまり賛成しません。隣人のゴミの捨て方が気にいらないからといって、大声で怒鳴りこむことは逡巡する。これは平均的な日本の常識人の生き方です。

かつて社民党の前身の日本社会党は、憲法9条の絶対的遵守を主張しました。これは自衛隊の否定(防災専用の部隊に再編するとの政策も主張しました)、アメリカ軍基地の即時撤退など、冷戦時代のソ連が泣いて喜びそうなものでした。実際、社会党がソ連から相応の資金的援助を得たことは、ほぼ歴史的事実と受け止められています。

それどころか、北方領土のことは黙殺、北朝鮮の拉致疑惑は公式にデマとする立場でした。それはそれで、日本の軍事化は悪、アメリカは帝国主義的な野望の塊とする考え方からは当然ですし、靖国神社参拝は日本の国内問題とするのと、同じ程度の正当性は持っていました。

しかし、そのような社会党の基本姿勢を、日本国民は社会党には政権担当を委ねるわけにはいかないと考えました。自民党が政権復帰のためだけに担ぎ出した社会党委員長の村山総理大臣は、従来の社会党の立場を放棄して、自衛隊の閲兵式に参列までしました。その時の反省なのでしょうか、現在の社民党はほぼ昔の社会党の主張に戻っています。

社民党とSAPIO的思想の持ち主(共産党も含めてもちろん構いません)は共通点があります。それは憲法9条は、日本の軍備を認めていないというものです。違いは社民党は「だから軍備は放棄」ですし、SAPIO思想は「だから憲法9条は改正」ということです。

もし、自民党が社民党と根は同じの、SAPIO思想に傾けば、少数の人々からは熱狂的な支持を得ることはできます。しかし、社民党や共産党が1ケタの議席しか確保できないような、全くの少数政党に転落してしまう可能性もまた高くなります。そうすれば二大政党政治は、少なくとも民主党と自民党の間では実現できないということになります。今回の選挙で麻生(総理でも総裁でもよいですが)の右派保守的な主張を聞く限りでは、自民党は第2の社民党の道を歩もうとしか思えなくなります。議席が減り、思想的な単一性が高まり、野党として現実主義から離れると、自民党が社民党と逆向きの、極端な思想政党になることは十分に考えられます。そんなことが起きても、長年自民党を支持してきた人は満足なのでしょうか。

付記: 今回の選挙で、小選挙区300のうち、民主党が候補を立てたのは271人でした。29の選挙区には候補をあえて立てなかったわけです。その中には新党日本の田中代表や、国民新党の亀井静香のような選挙協力のために立てなかったものもありますが、加藤紘一や小渕優子のような名前もありました。 小渕は民主党の小沢が、父親の小渕首相(当時)の死に少なからず原因となったという気持ちが働いたのかもしれません。加藤紘一についてはSAPIO思想に反対の有力者を救うことによって、自民党の分裂を早めようとしたとも考えられます。小沢の思惑通りになると、自民党の第2社民党への道は遠くはないでしょう。



ゴミ有料化の行く末
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進むゴミ有料化

一般家庭のゴミ収集を有料化しようとする動きが広がっています。東京では多摩地区ではゴミの収集は有料化されていたのですが、中野区、杉並区など23区でも有料化の検討が進んでいるようです。

多摩市ではゴミの有料化は、2008年4月から始まり、ゴミ袋に指定のものを使い、大(40 liter)60円、中(20 liter)30円、小(10 liter)15円、ミニ(5 liter)7円などと値付けをしています。多少違いはあっても、ゴミ収集の有料化に際しては、同様の方法がとられるのでしょう。

ゴミ収集の有料化を行う目的には次のようなものが考えられます。
(1) 一般家庭のゴミの量を減らす意識を高め、ゴミの総量を削減する
(2) 多額のコストがかかるゴミ収集費用を補い、逼迫化している地方財政からの税金の投入量を減らす
(3) ゴミを野放図に大量に捨てる人のコストを、ゴミの量の削減に努力している人が負担する不公平感をなくす
どれも、もっともな理由に思えます。多摩市では共産党が「市民負担の増大に反対」という立場で反対キャンペーンを展開しましたが、有料化が導入された後、ゴミの量は大幅に減り、有料化推進派の目論見が正しかったことが証明された形になっています。ゴミ収集が有料なのは多摩市に限りません。全国の自治体の7割が何らかの形でゴミ収集を有料化しているようです(たとえば:参照)。

ゴミの有料化が受け入れられつつあるのは、一般家庭も日常生活で環境に配慮しなければいけないという風潮もあるでしょう。ゴミの分別化の動きと、有料化の動きは対になっていると考えることができます。

しかし、このままゴミの有料化が進むと事態は非常に悪くなる危険性があります。東京などの大都市では環境の著しい悪化を招くのは、それはほとんど必然さえ言えます。それは多くの公共サービスがなぜ無料化されているかという理由を考えれば明らかなはずです。

ゴミ有料化で無視されていること

ゴミ収集の有料化で殊の外無視されるのは、ゴミを不法投棄する人たちの存在です。ゴミ収集が無料の地域でも、家庭ゴミをコンビニや駅のゴミ箱などに捨てる人は後を絶ちません。彼らは特定の収集日を守ってゴミを捨てるのが面倒だったり、単に長い間家にゴミを置いておきたくないという利己的な理由で指定日、指定場所以外でゴミを捨てているのです。

このような人たちが、ゴミ収集が有料化されたら、真面目に料金を払ってゴミを捨てるというのは考えずらいことです。現在は真面目に指定日、指定場所を守っている人も、小額でもゴミの投棄に費用がかかるとなると、きちんと払ってくれるかどうかはわかりません。有料化されたら、不法に投棄しようとする人は少なくないでしょう。

このような不心得な輩は多摩市のような郊外の住宅地ではそれほど多くないかもしれません。しかし、新たに導入を検討している中野区、杉並区には単身用のアパートが沢山建ち並んでいます。台東区のようにワンルームマンションの建設を制限しているところで、ワンルームマンションを迷惑がる最大の理由はゴミの捨て方です。このような人たちは有料の指定ゴミ袋を真面目に買うようになるのでしょうか。

指定されたゴミ袋を使用しないときには二つの対応が考えられます。一つは指定の袋でなくても持っていくこと、もう一つは持っていかずに放置することです。どちらも満足な解決策でないことは明らかでしょう。放置すれば街中ゴミだらけになるかもしれませんし、黙って持っていけばよほどのお人よし以外は有料のゴミ袋を買わなくなるからです。

なぜゴミ収集は無料なのか

ゴミ収集は長年無料でしたし、今でも無料にしているところが数多くあります。これはゴミを勝手に路上に放置されると、衛生上、美観上公共の利益が損なわれるという問題があるからです。ただ、公共の利益が損なわれるというだけであれば、不法なゴミ投棄を罰するということで解決できるはずです。あえて無料化したのは、不心得な不法投棄を行う人を簡単に捕まえる方法がないからです。

不法投棄を行う人を効率的に捕まえる方法がなかったり、たとえ捕まえても有無を言わさず罰金をとるようなことがなければ、法律違反が日常化するという面倒な問題が起きてきます。

そもそも、ゴミの収集はどれくらいお金がかかるものなのでしょうか。ゴミ収集を行う人件費、車両代、ゴミ焼却場の建設コストと稼働経費、埋め立てなどゴミ投棄場の確保の費用、さらに環境汚染が加わります。最後の環境汚染は場合により無視しがたいコストですが、それを除いてもゴミ1キロあたり50円―100円程度、1人につき年に1−2万円というところが一般的な推定です。日本全体では防衛費の半分程度、高速道路建設費と同じくらいで、決して小さな金額ではありません。

一方、ゴミ収集の有料化が機能しなくなると、どのようなことが起きるでしょう。コンビニはあふれる家庭ゴミに閉口して、ゴミ箱をレジの近くに移してしまうでしょう。そうでなくても、日本はオーム事件で駅のゴミ箱に爆発物や毒ガス発生装置を仕掛けれるという騒動(多くはオームでも何でもなく、ただの間違いもあったのですが)で、公共の場所からゴミ箱がほとんど消えてしまいました。コンビニにもゴミが捨てられなくなったら、読み終えた新聞や、空のペットボトルをどうすればよいのでしょうか。

日本人の公衆道徳の水準は低くないので、今はペットボトルを路上に投げ捨てる人は多くないでしょう。しかし、路上がすでに不法投棄のゴミで溢れていたら、邪魔になった空の容器を捨てるのに抵抗感はそれほど大きくなくなるはずです。

少し街を観察すると、ゴミが捨てられている場所、たとえば中央分離帯やゴミの溢れた公園のゴミ箱のまわりには、どんどんゴミを捨てる人がいます。これに対し、きれいに掃除された住宅街の路上には子供でも(あるいは子供だからこそ)ゴミは滅多に捨てません。ゴミ収集を無料化して街をきれいにすることこそ、ゴミをやたらに捨てさせない効果があるのです。

有料化の目的は達せられない

これに対し、ゴミ有料化の効果は、大いに疑問があります。一般にゴミの有料化は導入当時はゴミの量が減っても、すぐに元に戻ることが多いと言われてます。多摩市の価格づけだと、一般の家庭が捨てるゴミが1週間に大型袋40L(60円)2袋と考えると、月500円くらいです。頑張って倹約しても削減額は100円になるかならいかでしょうから、価格的にはゴミ量のの抑制効果はあまり期待できません。

1人2万円と考えたゴミ処理費用を全て受益者負担で補おうとすると、月に4人家族で6千円以上払うことになります。それでも電気代などと比べて、それほど高くはありませんが、ゴミを不法に投棄しようというかなり強力なインセンティブにはなるでしょう。逆に考えれば月5百円ではゴミ処理コストの10%しかリカバリーできません。それでも、ゴミ投棄のモラルハザードを引き起こす危険を受け入れるのでしょうか。
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日本全国ナポリ化?

イタリアの有名な観光地ナポリは、今年町中がゴミで溢れかえったというニュースで話題になりました。詳細はわかりませんが、ゴミ収集所が一杯になっているのに市当局有効な手を打たず、おまけにマフィアが他所のゴミを格安で引き受けて、ゴミ投棄を行いゴミを捨てる場所がなくなったというのが原因のようです。

原因はともかく、ゴミが収集されなくなったナポリの光景は身の毛もよだつと言ってもよいものです。美しかった街にはゴミ袋が散乱し、写真からも強烈な悪臭が漂ってくると感じられるほどです。

いったんこのような状況が現出すると回復は容易なことではありません。真面目に決められた日や場所でゴミを捨てても何もよいことはないわけですから、人は勝手に勝手な所でゴミを捨てるようになるでしょう。海外にも清潔なので有名な日本の町々は、破壊されてしまいます。

このようなことが起きる(少なくとも可能性がある)のは、道路、防衛などと同様にゴミ収集も個人個人の受益者負担ではなく、公共財として無料でで提供するのが基本だということを忘れているからです。

繰り返しになりますが、ゴミ有料化の目論見は、人間の本性を無視したものです。あるいはしっかりしたモラルとコミュニティーが存在する地域でしか成立しないものです。日本中がゴミで溢れる前に、どこかの政党がゴミ収集は無料にするというのをマニュフェストに載せてくれないのでしょうか。それとも「それはバラマキだと」言われるのを恐れているのでしょうか。

参照:
なぜ救急車はタダなのか
奇策ではない高速道路無料化


イスラエル人と平和憲法の話をした
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21世紀に入る少し前、というともう10年たつわけですが、勤めていた外資系企業で、同じ会社のイスラエル人とチームで仕事をしたことがあります。場所はアメリカ。イスラエル人は、日本に行ったこともないし、あまり興味もないようでしたが、お互い出張なので、バーでよく飲みました。その時、日本の平和憲法の話をしたのがきっかけで、安全保障について色々な話をしました。日本の常識はイスラエル人の常識とは大分違うみたいで・・・。

平和憲法

私「日本は憲法で戦争をすることも軍隊を持つことも禁止されているんだ。知っていた?」
イスラエル人「初めて聞いた。ずいぶん平和な国なんだね。でも、どこかの国が攻めてきたらどうするんだい」
私「攻撃された場合、防衛するために戦うことまでは、憲法で禁止されていないというのが一般的な日本人の解釈だ」
イ「防衛のための戦いが戦争じゃないというなら、イスラエルも戦争をしていないことになる」
私「イスラエルは自分から何度もアラブ諸国に攻めこんでいる。日本なら憲法違反になるね」
イ「そうかもしれないが、先に攻めこまれた時は大きな被害を出している。被害を小さくするために先制攻撃をしただけだ。本質的に防衛目的だよ。まぁ、それはいいけど守ると言っても軍隊がなければどうしようもないだろう」
私「軍隊はないが自衛隊というのがあって、核兵器と空母以外ほとんど何でも持っている。」
イ「規模はどれくらいなの」
私「約20万人で、予算はドイツやフランスと同じくらいかな」
イ「それでなぜ軍隊じゃないと言えるの」
私「防衛目的にしか兵器の使用ができないという決まりがある以外、軍隊と違う点はあまり見当たらない」
イ「日本人はずいぶん柔軟な考え方をするんだね。でも、そんな憲法なら変えてしまえばいいじゃないか」
私「それが簡単ではない。改正には国会では3分の2以上の賛成が必要で、さらに国民投票で過半数の賛成がなければいけない。日本では戦争で軍隊が勝手なことをして、ひどい目に会ったと思っている人もたくさんいて、憲法は軍国化を防ぐ最後の砦だと思っている」
イ「自分の国の軍隊にひどい目にあったことはあっても、外国からひどい目にあったことはないのかい」
私「第2次世界大戦までは、周りの国をひどい目にあわせたことはあっても、ひどい目にあわされたことはほとんどない。日本にひどい目にあわされたと思っている、中国や韓国は日本が憲法の改正をするというと怒りだすだろう」
イ「そんなに恨まれたり、嫌われたりしているなら、守るためには軍隊を持っていた方がよいと思うけど」
私「確かにそうかもしれないが、現状を変更するというのは問題が起きることが多い。無理して憲法を変えて余計な問題を起こしたくないというのが、日本人の平均的な考え方のようだ。それに外国からひどい目にあっていないということでいえば、日本は君の国と違って海に囲まれていて、攻めるのが難しい国だ。第2次世界大戦でさえ、アメリカ軍が日本に上陸したのは、日本が降伏した後だ」
イ「敵が上陸もしていないのに、なんで降伏しなければいけなかったんだい。日本人は戦う気がなかったのかい」
私「そうとも言えない。本土での戦闘はなかったけど、沖縄という南の島で大規模な戦いがあって、軍はほぼ全滅し、民間人の3分の1を含め20万人以上が死んでしまった」
イ「それはすごい。民間人が3分の1も死ぬような戦いはあまり聞いたことがない。でも降伏した理由がますますわからなくなった」
私「日本以外の戦場では、負け続けていて、海軍は全滅して先の見込みは全くなかった。それと原爆を落とされたのが決定的だった。日本が世界で唯一の被爆国だというのは知っているだろう」

原爆

イ「唯一かどうか確信はないけど、日本に原爆が落ちたのは知っている。東京がやられたのかい」
私「東京には落とされなかった。東京に落とされて天皇が殺されて、国体がなくなってしまうという恐怖が降伏の一番の理由だ」
イ「東京じゃないとするとソウルに落ちたの」
私「ソウルは日本じゃなくて韓国の首都だ。もっとも2次世界大戦が終わるまでは日本の領土だったけどね。落とされたのは広島と長崎だ。聞いたことないかい」
イ「スペルで書いてくれる」
私「HiroshimaとNagasakiだ」
イ「発音できるけど、ちょっと覚えにくいな。被害は大きかった?」
私「合計で20万人以上が即死した。その後も、後遺症でたくさんの人が苦しんだ」
イ「テルアビブに落ちたらと思うとぞっとするね。そこまで威力を見せつけられたのに、日本は核兵器を持っていないんだね」
私「持たないどころか、核兵器には強い抵抗感を持っている。核兵器の全廃は日本人の願いだ」
イ「核兵器がなくなれば良いとは、僕も思っているけれど、最悪なのは敵だけ核兵器を持っていて、自分は持っていないことだ」
私「イスラエルが原爆を持っていることは、公然の秘密だものね」
イ「それには、ノーコメントというのがイスラエル政府の立場だ。しかし、イスラエルに敵意を持つ国が核兵器を持って攻撃されそうなのに、何もできないのは政府として無責任だろう。日本は核兵器で脅されたらどうするんだ」
私「アメリカの核の傘に頼るというのが日本政府の立場だ」
イ「そんなにアメリカを信用しても大丈夫だと、日本人は思っているの」
私「全く不安がないわけじゃない。しかし、冷戦時代はドイツや核保有国のフランスやイギリスでさえ、ソ連に対抗するにはアメリカの核の傘に頼るしかなかった。それに北朝鮮が核の開発をするまで、日本人が核の脅威を強く感じたことはない。そこはイスラエルと違うかもしれないね」
イ「イスラエルのまわりの国は、ほとんど民主主義国ではなく、独裁者が予想できない意思決定をする可能性がある。対抗措置を持っているのは絶対必要だね」
私「日本も北朝鮮や中国は民主主義国家とは言えない。ロシアも民主主義国家としては未熟だ。ただ、日本人はホロコーストのように民族を全滅させられるような経験がないこともあるかもしれない」

ホロコーストと謝罪

イ「ホロコーストのことを日本人は知っているのかい」
私「詳しくは知らないかもしれないが、何百万人のユダヤ人がナチに殺されたのは知っている人が大部分と思うよ」
イ「それは嬉しいね」
私「ところで、ユダヤ人はドイツがホロコーストや第2次世界大戦を引き起こしたことを謝罪しているのをどう思っているのか興味があるね。日本は中国や韓国(Korea)から戦争責任の謝罪がないとしょっちゅうクレームを受けている」
イ「ドイツ人は公式に謝罪しているし、ホロコーストのことを学校で教えているのも事実だ。だけど、本心から謝っているかはわからないし、謝らせてばかりいるとユダヤに憎しみを持つ人が増える危険もある」
私「日本はもっとちゃんと謝るべきかな」
イ「それはわからないな。日本がどれくらい中国や朝鮮(Korea)に悪いことをしたか知らないので何とも言えない。でも、日本兵が残酷だったというのはよく聞く話だね」
私「日本兵がドイツ兵やロシア兵と比べて、残酷だったとは思わないね。アメリカ兵は占領軍として例外的に優しい軍隊だったと思うけど、それでも殺されたり、暴行を受けた日本人は数えきれないほどだ。日本軍が残酷だったというは、黄禍論の一種の偏見が背景にあると思う」
イ「それなら、やたら謝る必要はないと思うね。イスラエル兵も占領地域の行動で、しょっちゅう文句を言われているけど、謝る必要は感じない。それに謝らせたからといって、将来同じことをしないという保証はないしね。昔の話より未来の話の方が重要だね」

領土問題

私「日本もイスラエルほどじゃないけど、周辺の国と領土の紛争がある」
イ「日本人が住んでいるところを外国が占領しているんだ」
私「それはない。竹島という全くの無人島は韓国が勝手に占領している。昔は日本人が何万人も住んでいた4つの島がロシアに戦後占領されて、そのままになっている。日本人はみな追い出されて、今ではロシア人が住んでいる」
イ「今の日本の領土を自分のものだと言っている国は?」
私「それはないね」
イ「それじゃ、日本が攻撃を仕掛けない限り、領土紛争が起きる可能性はないね。君たちの憲法では先制攻撃は許されていないだろ。何も起きる要素はないね」
私「日本人には不満に思っている人は多い。ロシアとの間では、経済協力の進展が領土問題で滞っているし、竹島は日本の領土だと教科書に書いたら、韓国では日本の国旗が燃やされたりする」
イ「国旗が燃やされるくらい大したことじゃないね。腹が立つならこっちも燃やしたらいい。ロシアと経済協力が進まない件はよくわからないね。でも小さな島なんだろう。ロシアと日本のような大国同士がそんなことで関係を悪くするのは損だと思うけど。でもロシアは領土は返さないと思うよ。そんなことしたら、あの国はバラバラになってしまう」
私「イスラエルはもっと深刻だね」
イ「イスラエル全体が領土問題の対象になっている。日本を自分の領土だと言う国もないし、島には日本人は誰もいなくて、ひどい目に遭わされているわけでもない。領土問題とは言えないと思うけど、これは日本人の考え方の問題だ」

アメリカ

私「イスラエルはアメリカからずいぶん支援を受けているけど、アメリカを動かしているのはユダヤ人だと思っている日本人も多い」
イ「その日本人はイスラム教徒なのか」
私「関係ない。日本にはキリスト教徒は1%もいないし、イスラム教徒はほとんどいない」
イ「それじゃヒンズー教徒?」
私「ヒンズーでもない。同じインドの宗教だがインドではほとんどいない仏教徒が多い。もっとも、熱心な仏教徒は少ない。これはユダヤ教徒ばかりのイスラエルとは違うね」
イ「イスラエルにはイスラム教徒もいるしキリスト教徒も多い。ユダヤ教徒も熱心な信者は多くない」
私「それはともかく、イスラエルは国連でイスラエル非難の決議を安全保障理事会で可決されそうになるとアメリカが必ず拒否権を使って守ってくれる。それでも100%アメリカの言う通りに動くわけじゃないね。中国には戦闘機の技術を提供しているし」
イ「アメリカだってイスラエルの言う通りにいつも動いてくれるわけじゃない。アメリカの都合で、イラクを支援していたこともあるし、結局は自分の都合だけだ」
私「でもアメリカにはユダヤ人が沢山いて、大きな影響力があるだろう」
イ「差別もされている。アメリカはユダヤ人だけじゃなくて色々な民族がいるし、ユダヤ人だけの考えで動くはずがない」
私「だから100%信用はしない」
イ「そんなことは当たり前だ。日本もアメリカより中国と協力すれば、アジアの力をもっと拡大できると思うけど」
私「中国とは経済的には近付いているけど、軍事的には日本は警戒している。イスラエルから見れば無いようなものかもしれないが、尖閣列島というところで、資源もからめた領土問題もある。中国をアメリカの代わりにするのは難しいと思う。日本人には中国が第2次世界大戦の謝罪を求めることに反発する人も多い」
イ「きっと日本は平和だから、心配事を作りたいんだろうね。戦争しないという憲法を変えなくてもいいくらいだから幸せだよ。このまま将来も平和なことを祈るよ」
私「僕もだよ。どうもありがとう」

財源論議のバカバカしさ
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どうやら政権交代

やっと総選挙が8月30日に行われることになりました。総選挙の最大の焦点は自民党から民主党への政権交代があるかどうかということです。もっとも、どの予想でも民主党の勝利はほぼ確定的で、関心は民主党が勝つかどうかということではなく、どれくらい勝つかということになってきました。

同じ勝利でも、連立政権でなくては多数派を確保できないかろうじての比較第一党と、常任委員会全てで多数派となる絶対安定多数、さらに参議院での否決に再可決で対抗できる3分の2を超えるような圧倒的多数とでは、政局の動きに大きな違いがでます。今のところ、絶対安定多数程度の議席は獲得できるのではないかというのが大方の予想です。

民主党がここまで優位に立つことになったのは、政権交代を実現したいという意思が国民多数に強くなっているからでしょう。民主主義を機能させる上で、政権交代は基本的な要件と言ってもよいものですが、日本では自由民主党設立以来、細川政権の短い例外を除き、政権交代がありませんでした。

皮肉なことに、民主党があまり勝つと、自民党が崩壊してしまうのではないかとも言われていることです。せっかく二大政党による政権交代が実現するのに、一方がなくなって二大政党ではなくなってしまうということもありえます。

全ては国民の財布

自民党が崩壊してしまうかどうかはわかりませんが、民主党も基本的な政策でバラバラな集団の集まりで、崩壊する可能性は小さくありません。それでも、今回の総選挙ではマニュフェストという形で、政党として統一した公約を文書化しています。政権獲得後、マニュフェストに従って、整然と政策を実行していくのなら、内部的な意見の相違は本来は大きな問題にはならないはずです。

政権交代が目の前に迫ったことで大きな注目を浴びることになったマニュフェストですが、民主党のマニュフェストに対し、自民党は財源の裏付けないバラマキだと批判しています。確かに、具体論として出てくるのは高校教育の無償化など支出を伴うものがほとんどなのに、どこからその金が出てくるかというと、「無駄をなくす」の一点張りだからです。消費税は検討するとさえ言っていません。具体的なのは配偶者控除をなくすということくらいでしょうか。

しかし、「財源がどこにあるのか」という質問は良く考えてみればおかしな話です。どのような財源にしろ外国から借りたり、もらったりしない限り、大元は日本国民が自分の財布から支払う以外にはありえないからです。

長年の自民党政権で既得権化したものや、分捕り合戦で獲得されたものには、非効率だったり、無駄だったりするものも多いでしょうから、それらをきちんと削減できれば、他に回す予算は多少捻出できるでしょう。しかし、もし本当に無駄な支出だったら、取りあえず国民に返すのが筋で、無駄を見つけた分を勝手に使ってよいということにはなりません。

本当に必要な支出であれば、他で予算が余るかどうかと関係なく、予算化すべきでしょう。民主党のマニュフェストの施策を見ると、バラマキかどうかは別にして、国民の生活費の補助を行うものが大部分です。ということは所得の再配分を行うことが政策の基本です。財源論議とはどこのポケットからどこのポケットに金を移すかということで、どこからか打ち出の小槌を見つけるという話ではありません。

予算を捻出するのに、無駄を無くすという方法以外に、色々なところに積み立てられている資金、いわゆる埋蔵金を活用するというやり方もあります。しかし、埋蔵金は使ってしまえばお終いですから、当面の増税を回避できるというだけで、恒久的な財源とはなりません。

そもそも埋蔵金と呼ぼうと何と言おうと、国民の財産であることには変わりません。国民の財産を使うというのは、国債を発行して借金で財源を購うのと、国民の立場から言えばなんの変りもありません。埋蔵金を財源と言うのは本質的にはナンセンスです。

経済成長の財源は国債しかない

生活保護も幼児教育の援助も所得の補助は、国民の誰かの支出になるはずの所得を別の誰かに移してしまうことです。マクロ的に考えると、国民全体として負担が増えるわけではありません。使えるはずだった所得を税金で持っていかれる人は嬉しくはありませんが、もらって嬉しい人もいるわけですから、全体として計算上は帳尻が合っています。

ところが自民党の目指す経済成長の実現となると話が違ってきます。経済成長の実現、あるいは同じことですがGDPの減少の回避ということになると、帳尻が合っていては逆にまずいということになります。

GDPは、個人の消費支出、企業の投資、輸出から輸入を引いたもの、政府の支出(政府による最終消費で歳出そのものではありません)を合計したものです。個人が消費を節約したり、企業が投資を控えたら、輸出を増やすか、政府支出を増やすしか、経済成長を実現する方法はありません。

このうち輸出の増加(または輸入の減少)が難しければ、政府が支出を増やす必要があります。このとき、政府が税金を徴収して支出を増やしても効果はありません。その分、個人や企業は支出を減らさざる得ないからです。

結局、経済成長(ないし縮小の防止)のためには税金以外に財源を求めるしかありません。外国からの援助や借金をあてにするわけにはいかない日本は、国債の発行額を増やすことが経済成長実現の(少なくとも短期的には)唯一の手段と言うことになります。

自民党は民主党のマニュフェストの財源の不明確さを非難する一方、自身は消費税を議論の俎上に載せる、つまり消費税の増額を求めることで、責任のある政党としてのイメージを打ち出そうとしているのでしょうが、国債残高をさらに大きく積み上げざる得ないということには口をつぐんでいます。

単純に考えても、日本の500兆円のGDPを2%増加させるためには10兆円の支出増が必要です。消費税を含め、税金を財源にしては意味がないわけですから、10兆円の国債を追加発行しなければいけません。ほっておけばマイナス成長が予想されるのなら、民主党の16兆円どころではない、バラマキが行われることになります。

財政再建は危険な思想

実際には、民主党政権が実現しても、国債を大量発行しても経済の勢いを回復させる必要は出てくるでしょう。国債を唯一の財源として経済成長を実現しようというのは、何も間違ったところはありません。むしろ、危険なのは赤字国債の積み上げを国家の危機と考えて、増税あるいは支出の削減で借金の残高を減らすことを、財政再建と称していることです。

日本人全体から見れば、政府支出も個人消費も日本国民のお金の使い方です。この中で政府部門の赤字が積み上がったからといって、個人から税金を召し上げたり、福祉を削りまくって、財政が再建できたというのは全体を何も見ていないと言われても仕方ないでしょう。

もちろん、国債を無制限に発行していけば、最後は財政というより、国民経済が破綻してしまうでしょう。ただでさえ、政治家はバラマキをしたがりますし、税金を払うのが好きな人はいませんから、長期的に歳出・歳入のバランスを取るには一定の節度や努力がなければいけません。

しかし、財政が再建される、つまり積み上がった赤字がどんどん減っていく状態を作るのは経済的には持続的なマイナス成長の要因を政府が作り出すことで、何もよいことはありません。積み上がった借金は、さらに雪だるま的に増加するのを防げれば十分です。

政策軸はできるか

自民党のマニュフェストは、「どんな政策を、どのように、いつまでに行っていく」ということを明確に示すという意味ではマニュフェストと言うにはかなりお粗末と言わざるえません。ただ、政権党として今までの施策を全面否定することはできませんし、選挙前に増税をはっきり示すのは難しいですから、これが精一杯かもしれません。要は「今のままで何が悪いですか?」と開きなおるしかないわけです。

とは言っても、今回の選挙で政策軸らしきものは出てきました。民主党が所得の再配分を目指す、つまり貧しい人をなるべく作らないという考え方を取るのに対し、自民党が政府は所得再分配にはあまり介入せず、不況の緩和や、公共投資、防衛などに限定した役割を担うというものです。

民主党は政策は所得の再分配のためには、税金をかなりたんまり取るのが必要なのに対し、自民党は本質的には小さい政府を目指しますが、景気の平準化には国債を頼らなくてはいけません。民主党は高負担・高福祉、自民党は低負担・低福祉を目指していると言っても良いでしょう。

選挙前ですから、民主党は税金など増やさなくてもやりくりで何とかなると言っていますが、それでは所得の再配分の機能は果たせません。逆に、自民党は格差社会の追及が経済の活力のためには必要、と言った方が論理的な筋道は立つはずです。

マスコミ的なエモーショナルな表現を使うなら、所得の再配分を求める方は、貧しくて教育や医療を満足に得られない困窮した人々に焦点を当てることになりますし、格差追及を求める立場では、生活保護を騙して受け取るヤクザや、失業保険で遊んでいる若者(このような人種は日本では、あまりいませんが、ヨーロッパの高福祉国では当たり前の風景です)を描くことになります。

企業でも、好況時は金遣いが荒くなりますし、不況時はケチケチモードになります。どちらか一方だけでは、無駄だらけの体質になったり、逆に将来の布石を何も打たないリスクを抱えたりすることになるので、好不況の循環があるのは、企業にとってむしろ好ましいことです。

同様に国家でも、一方的に所得の再配分に突き進むと、経済の活力が失われたり、国民の労働意欲が衰える可能性が高まりますし、反対に格差の拡大を放置すると社会の安定性を破壊してしまう危険があります。

首尾一貫していることは、個人でも政党でも信頼を得るためには必要ですから、行き過ぎを是正するには、政権政党を変えてしまう方が良いだろうというのが、二大(政党による政権交代が健全な民主主義のために有効だろうということになります。

今回の総選挙は政権交代を行うための政策軸が、かなりはっきりと出てきました。耳触りの悪いことは言いたくないということで、民主党は増税を、自民党は国債増発を唱えていませんが、政策の色合いはかなり違っているように見えます。

国民主権なのですから、その時々に良いと思う方を選べばよいのですが、「どちらを選んでも同じこと」などでは全然ありません。かなり性格の異なる主張をお互いにしているのです。

ただ、財源論議は問題の本質ではありません。税金か国債かというのも、PLでみるかBSでみるかという違いです。どちらにせよ、全ての財源が国民であることだけは間違いありません。


ワシントンベービーシッター協同組合
借金なんて怖くない
また公共投資ですか
社会福祉は最大の景気刺激策
わかっていても
高福祉それとも低負担?
奇策ではない高速道路無料化論



サントリーをキリンに売却する創業者一族
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食品業界はM&Aが有効だが・・・

サントリーとキリンが統合に向けて話し合いを進めています。世間的にもこの合併計画のニュースは大きな驚きでした。消費者市場を相手にする食品業界は、規模に比べて知名度が高いのですが、キリンは2兆3千億円、サントリーは一兆5千億円という大きな売上高で、知らない人は誰もいません。

しかも、不況の中で食品業界は原材料費の低下もあって業績は好調です。サントリーもキリンも昨年度は黒字で、追いつめれてというより、グローバルに展開するための規模を確保しようという戦略的で前向きな合併と考えられます。

食品業界はM&Aが成功する確率が高いと言われている業界です。それは食品業界では製造技術や研究開発の能力よりブランドが一番重要な競争力、コアコンピーテンシーだからです。つまり、合併で人材が散逸しても企業価値には大きな変化がなく、ブランド価値が維持できれば合併は成功するからです。

食品業界のM&Aは、重複するブランドや製造設備、販売チャネルの大胆な整理を行って合併効果を出すことが容易にできます。他の業界であれば、大規模なリストラはキーとなる人材を失う危険があり、必ずしも簡単ではありません。

アメリカでは80年代食品業界と、同様にくブランド価値が一番のコアコンピーテンシーである洗剤、化粧品などの日雑用品の業界でM&Aが積極的に進められました。この動きは90年代から国際的なものとなり、食品業界は巨大なグローバルプレーヤーが活躍する場になってきました。サントリーとキリンの売上高を合計すると3兆8千億円に達しますが、国際的な食品大手のユニリバーは5兆円、ネスレは10兆円の売り上げ規模を持っています。

しかし、食品業界がM&Aに向いているというのは、企業価値を損なわずにリストラを簡単に行えるからです。もともと、サントリーは非上場企業で家族的、キリンは三菱グループの中核企業として官僚的な体質を持つ会社です。社風は正反対と言ってよく、あえて共通点を探すと今時リストラとはほとんど無縁だということくらいです。ある意味これほど合併に不適な組み合わせはないと思われます。

強みを失ったサントリー

それでは、なぜサントリーとキリンは合併に向かうことになったのでしょうか。本当のところはなかなかわからないのですが、今回の合併話は適当な合併先を探していたサントリーが一番の合併候補として、たまたま社長が慶応で同期どうしだったキリンに持ちかけたと言われています。

キリンは、90年代に入って樋口社長のもと積極経営を進めたアサヒが、アサヒドライでビールNo.1の地位を奪うまで、圧倒的なビール業界の巨人でした。一時キリンのビールの市場占有率は60%に迫り、独禁法で分割される恐れまで言われたほどです。現在でもアサヒに首位を譲ったとは言っても、その差はわずかで40%近い市場占有率を持っています。

これに対し、サントリーはウィスキーでキリンのビールのシェア以上に高い80%の市場占有率を持っていました。独占に近い状態で、ウィスキー事業での膨大な利益は、ビール事業に進出する原資となりました。サントリーのビール部門は昨年初めて黒字化したのですが、それまでには参入以来、実に45年が経過していました。非上場企業ならではの長期的な観点での事業展開と言えるでしょう。

ところがサントリーの強みであるウィスキー事業は急速に収縮しています。ウィスキーとブランデーを合わせた消費量は、ピークの1983年には3万6千キロリットルだったものが、現在では4分の1の9千キロリットルになっています。

その上、1989年、97年には酒税法が改正され、スコッチウィスキーが安価に販売されるようになりました。昔ジョニーウォーカーの黒ラベル、通称ジョニ黒はサントリーオールドの5倍以上したのが、今では値段はほとんど変わらなくなってしまいました。本家のスコッチウィスキーがここまで安くなってはサントリーも大変です。

収益の柱だったウィスキーの需要が大きく落ち込む中、スコッチとの厳しい競争を強いられているサントリーの将来は難しいものがあります。何とか黒字化したとは言っても、ビールはアサヒ、キリンの3分の1のシェアしかありません。国際的なM&Aが進展していることを考えると、どのような事業展開で今後の展望を開くかは、サントリーの経営陣にとって大きな課題だったはずです。

合併は実質的にキリン主導か

名門ではあるが収益源のエースのウィスキーが先細りで、やっと黒字化したビールもアサヒとキリンの背中はとても見えない。人口が減少に向かい、食品の消費量は減る一方。国際的な食品業界のM&Aは加速化し、日本企業は大手といえども安閑としてはいられない。サントリーにとって合併戦略は生き残りのために当然のものだったのでしょう。

それでも、相手がキリンだったのはなぜなのでしょうか。主導権を握るのであれば、サッポロや企業規模ではキリンに劣るアサヒという選択はなかったのでしょうか。考えられるのは、サントリーが鳥居、佐治という創業者による経営が続いてきたことがあります。

サラリーマン経営者であれば、吸収合併されるということは実質的に全てを失うということです。新しい会社の経営権を持つことができなければ、会社を去っていくしかありません。去ってしまえば、元いた会社とは赤の他人です。

しかし、創業者は違います。創業家一族はサントリーの9割近くの株式を握っていますが、キリンとの合併比率がどのようになるにしろ、巨額の富を持ち続けることに変わりはありません。むしろ合併するなら、合併効果が大きい方が投資先として優れていることになります。

サントリーの佐治社長は将来にわたって、創業者一族がサントリーを支配し続けることはもはや困難だと思っているのでしょう。同じ関西の名門企業、武田薬品も創業者一族は経営陣からいなくなりました。経営権は失うが財産は競争力のある食品世界企業を作ることによって守ることができる。サントリーを売るなら一番高く売れるところ、それがキリンだったのでしょう。

サントリーの佐治社長の気持ちが、サントリーという企業をキリンに売ってしまうことにあるのなら、合併後の事業再編はキリン主導で進むでしょう。サントリー社員にとってはつらい道かもしれませんが、創業者一族の佐治社長(合併でどのような立場になるかわかりませんが)であれば混乱を最小限に抑えることができるかもしれません。混乱が小さければ、大きな合併効果を素早く手にすることも可能です。

サントリーがなくなったら

ここまでは私の想像にすぎませんが、もし私の想像が当たっていれば、合併後サントリーの色は急速に薄まっていくはずです。ビールは高級ブランドのスーパープレミアムモルツしか残らないかもしれません。ウィスキーはサントリー主体で再編が行われるでしょうが、今後とも市場の縮小でブランドの整理は進むでしょう。

商品もさることながら、サントリーは美術館、音楽ホールを持ち、文化事業の支援をさまざまに展開しています。モルツ球団で往年のプロ野球選手の活躍をまた見られることにしたのも大きな功績です。開高健、山口瞳、柳原良平を生んだユニークな広告も文化と言って良いと思います。そんな文化もこれからの存続は微妙なものがあります。

高度成長のころ、ウィスキーこそサラリーマンのアルコール飲料の中心でした。スナックやバーではヒラはトリス、係長になったらサントリーホワイト、課長は角、部長はオールドとウィスキーのグレードを上げるのが出世の象徴でした。スコッチは役員やお得意への進物用でした。

酒税の改定とウィスキー離れで、そんなウィスキーのハイアラキーが無意味になった時、サントリーは企業の使命を終えていたのかもしれません。それでも「やってみなはれ」の精神は優れた商品力で飲料業界で一定の地位を確保してきましたが、食品業界の変化はサントリーに大きな変革を迫っているのです。

サントリーとキリンの合併はサントリーの創業者一族が会社をキリンに売って、自分たちの財産を守るためのものかもしれません。しかし、同時にそれはサントリー自身を生き残らせるものになるはずです。創業者一族だからこそできる合併戦略と言ってよいでしょう。

イチローよもっと三振を
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出塁率はイチローの弱点?

アメリカの大リーグのオールスターが始まります。イチローは今年で9年連続オールスターに選ばれ、先発メンバーとして出場します。オールスターの後、後半戦が始まりますが、イチローが今年も200安打を打ち、8年連続200本ヒットの大リーグの記録を塗り替えるかが大きな注目点です。

オールスターまででイチローは128本のヒットを放ち、200本安打までは後72本です。イチローの所属チームのマリナーズは74試合を残していますから、1試合1本ヒットを打てば記録は達成されます。先頭打者を務めるイチローは打席が多く、1試合1本は打率2割3分に相当します。新記録達成は大きな怪我でもしない限り、間違いのないところです。

新記録と並んでもう一つ注目されるのは、イチローが首位打者を取れるかということです。オールスターまでのイチローの打率は3割6分2厘と高打率なのですが、怪我でスタートの遅れたミネソタ・ツインズのジョー・マウアーが、規定打席に到達して3割7分3厘で首位となり、イチローは2位となっています。

もっともマウアーは復帰後4割を超える打率で打ちまくっていたのが、この30日は3割1分6厘と少しペースを落としています。大リーグは強打者が多くイチローといえども首位打者になったのは8シーズンで2回だけですが、今年のイチローは絶好調で首位打者獲得は大いに期待できます。

そんなイチローですが、出塁率が打率と比べて低すぎるという批判があります。出塁率というのは、文字通り打席に立った回数に対し、どのくらい塁に出るかということです。打率では四死球やエラーでの出塁は分母からも分子からも除外されますが、出塁率は全て計算に入ります。

現時点(2007・7・14)でのイチローの出塁率は3割9分3厘ですが、これは打率上位50人中37位です。イチローは打率が高いので、出塁率を打率を割ると1.085倍程度になってしまいます。この1.085という数字は打率上位50人の打者の中で48番目です。イチローと首位打者を争うマウアーは1.196で24位、50人の平均は1.213となっています。

打率も大切ですが、本来野球は塁にどれでだけ出るかが勝負です。抜群の安打製造機のイチローですが、アメリカでチームに対する貢献よりも個人記録にばかり執着しているのではないかという陰口が聞こえてくるのは、全く根拠がないとばかりも言えません。

なぜ出塁率が低いのか

イチローの出塁率が打率と比べて相対的に低いのは、四球が少ないことに理由があります。イチローの今シーズンの四球の数は17個ですが、これは50人中の45番目です。四球の数の1位はプーホールズの71個、2位はフィールダーの67個ですが、マウアーも35個を稼いでいます。イチローが大リーグの平均並みの1.2程度の出塁率と打率の割合を達成するためには、少なくとも30個程度の四球を選ぶことが必要な計算になります。

四球の数は一般的には強打者が多くなります。四球数の1位と2位のプーホールズ、フィールダーはホームラン数も現在1位と6位で、32本、22本を放っています。ホームラン打者は敬遠四球が多くなりますが、プーホールズは71個の四球のうち32個が敬遠です。ただ、意外なのはイチローも11個の敬遠四球があり、敬遠四球の数では4位につけています。ホームラン打者ではないイチローを敬遠するというのは、ヒットを打つ技術を相手が非常に恐れている証拠です。

ともかく、イチローの四球は敬遠を除くとたった6個しかないことになります。イチローは四球を粘り強く選ぶくらいなら、どんどん打っていくのです。どんどん打つので四球だけでなく三振も少なくなります。イチローの三振は32個で、打率上位50人中の40番目です。この三振の少なさは、イチローの選球眼の良さもあるでしょうが、四球の少なさを考えるとどんどん打ってしまうことが三振の少なさにつながっていると考えた方がよいでしょう。

つまりイチローにとっては出塁率どころか、打率さえ必ずしも重要ではなく、ヒットを沢山打つことに全てを集中していると想像されます。イチローが1番にこだわるのは打席数が多く稼げるからでしょうし、ヒットが打てなければ四球を選んでも塁に出ようというこだわりはないのです。

最強打者の指標OPS

出塁率の大切さは単に塁に出て得点の機会を増やすということだけではありません。出塁率を高くするためには、敬遠ばかりされる強打者でない限り、粘り強く四球を選んでいく必要があります。打者が粘り強く打球を選ぶと、ピッチャーは投球数が多くなります。ピッチャーの投球数の管理を厳格に行う大リーグではこれは非常に意味のあることです。粘ることで球数を増やせば、ホームランやヒットを打たなくても、ピッチャーを引きづり下ろすことができる可能性があるからです。

三振は大振りするホームランバッターにつきものと言われますが、粘って四球を選ぼうとすると見逃し三振を取られる可能性も高くなり、やはり増えてしまいます。けれども、イチローほどの打撃術があれば、ストライクとボールの区別がつきにくい臭い球は、ことごとくファールにすることもそれほど難しくはないでしょう。もしイチローがヒット数へのこだわりを捨てて出塁率にこだわるようになれば、たちまち出塁率トップ争いに加わることができるでしょう。

もっとも「出塁率争い」と書きましたが、出塁率は記録としてはほとんど注目されません。打撃3部門と言えば、大リーグも日本のプロ野球も、打率、ホームラン、打点です。出塁率はタイトルとして意味はありません。

しかし、打者の能力を評価しようとすると、打率よりはむしろ出塁率、ホームラン数よりは長打率(出塁数を打数で割ったもの。10打数で本塁打1本、2塁打1本、単打1本は、そう出塁数は4+2+1=7で長打率は7割になる)が真の実力を評価しているというのが最近の考え方です。打点は本人の能力だけでなく、他の打者や打順の影響が大きいので、評価指標としては、必ずしも適切ではありません。

アメリカでは出塁率(On Base%)と長打率(Slugging%)を足したOPS(O Plus S)という指標が打者の能力を測定するもっともすぐれた指標であると言われてきています。OPSの数値がキャリアを通して1を超えたバッターは大リーグ史上8人しかいません(ただし記録は5,000打席以上が条件)。1位はベーブ・ルース(バンビーノの呪い)の1.159です。ルースはホームラン記録で有名ですが、生涯打率も3割4分2厘でイチロークラスです。1.159というOPSは出塁率4割6分9厘、長打率6割9分で達成されています。

OPSの記録は日本のプロ野球では、(少なくともマスコミ報道では)全く無視されています。そもそも、出塁率や長打率もほとんど気にとめられることもありません。それに出塁率と長打率を足すというのも、それが実体的な意味があるのか(たとえば出塁率x長打率ではいけないのか)も今一つ不明確です。今さら打者の真価はOPSで決まると言われても納得する人は少ないかもしれません。

ちなみに大リーグの記録ではイチローのOPSは通算で0.811ですが、松井秀樹は0.851です。最近影が薄い松井ですがOPSで見ると、そこそこやっていることがわかります。今年も松井のOPSは0.884でイチローの0.873を上回っています。打率は低くても、日本に戻れば相当威圧感のある打者でいることはできそうです。

もっと三振を

イチローが大打者であることは何の疑いもありません。シーズン262安打の大リーグ記録、大リーグになっていきなりの首位打者とMVP獲得、守備も8年連続のゴールデングラブ賞。今年9年連続のシーズン200本安打を達成しようとしまいと、野球殿堂入りは確実です。

しかし、イチローほどの打者であれば、個人記録だけでなく、チームに貢献する度合の高い出塁率にもっとこだわってくれれば、相手のチームにとって本当にいやな選手になることは確実です(今だって相当いやな存在でしょうが)。

野球はどんなバッターでも平均すれば3回に1回くらいしかヒットを打てませんし、1週間くらい見ていて、良く打つバッターが打たないバッターより優れた選手だというわけにもいきません。打者の良し悪しはシーズンあるいはキャリアを通じて、統計的にしか決めることはできないのです。その中でイチローがヒット数という確実な統計データにこだわるのは、プロとして当然でしょう。

とは言っても、イチローのような天才バッターが持てる能力の全てをヒットを打つことだけに注ぎ込んでいるのは、いささか残念な気がします。出塁率にこだわれば、四球も増えますが、三振も増えます。イチローの三振がもっと増えれば、それはイチローが個人記録だけにはこだわらなくなってきた証拠かもしれません。

ハイジャック撃退装置の作り方
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厳しいセキュリティーチェック

空港でうんざりさせられるのは、セキュリティーチェックの長い行列です。特にアメリカは911テロ以来格段にチェックが厳重になり、うっかりすると搭乗便に乗り損ないかねません。今では靴まで脱がねばならなくなり、そのうち全裸でボディーチャックをさせられるようになるというも、あながち冗談とばかりも言えないような状況です。

しかも、持ち込み禁止になる荷物の種類はますます増えています。液体は化粧品、シャンプーの類も含め、一つ100mlまで、合計して1リットルの袋にはいるだけ。リチウム電池は機器に装着しているものはよいが、予備は2個までと細かく決められていて、とても覚えきれるものではありません。

案外なのは喫煙用のライターやマッチは、預け入れ荷物には入れられないのに、機内には1個は持ち込めることです。これは煙草メーカーがアメリカで、売上維持のための強いロビー活動を行った結果です。

煙草メーカーの頑張りで、乾燥して可燃物だらけの旅客機の中に、火をつける道具を堂々と持ち込めることになっているのはどうかと思うのですが、原則は危険物は何も持ち込ませないという姿勢には間違いありません。

ところが、旅行客に多大な時間を強いて行っているセキュリティーチェックは完璧には程遠いというのが現状です。多少旧聞に属しますが、911テロの翌年、2002年にアメリカ政府が行った覆面テストでは、主要32空港で24%は武器(ただし玩具)をセキュリティーチェックを通過させることができました。特にロサンジェルス空港、ラスベガス空港はそれぞれ40%、50%通過率でした。2回に1回は見逃してしまったわけです。

これとは別にアメリカ運輸省の行った覆面テストでは、銃器の30%、ナイフは70%、爆発物も60%が見逃されてセキュリティーチェックを通過しています。これでは何のために長い時間行列に並ばされるかわからなくなってしまいます。

指摘されたことの一つにセキュリティーチャックを行う職員が時給6-7ドルとマクドナルドの店員並みの給料だということです。マクドナルドの従業員が不真面目だということはないのですが、殺気立った乗客を相手に、X線画像を見続けながら確実に危険物を見つけ出すというのは、それほど簡単な仕事ではありません。セキュリティーチェックがハイジャック防止の最後の砦だと考えると、かなり不安が残ります。

もっとも、仮に半分でも凶器の類を発見できるのであれば、組織的なテロ集団がハイジャックを行うことの相当な抑止力にはなるでしょう。少なくとも正面切って武器を機内に持ち込もうとはしないはずです。

しかし、個人的な、もっと言うと頭のいかれた人間が正々堂々(?)武器を持ち込む場合、すべては防ぎきれないだろうというのは事実です。ただ、頭がいかれていても、ハイジャックを行おうという人間は、意外なほど緻密に犯罪計画を立てることも多いので、そのような連中を防止することはできます。

現在の厳しいセキュリティーチェックは、それなりの効果があることは期待できますが、膨大な設備や人件費は大きな負担です。911テロ後、アメリカでは緊急に空港のセキュリティーチェックのレベルを高くするために、250億円が必要とされました。

その後継続的に発生する運営費、さらに旅行客の時間ロスを考えると、ハイジャック防止のコストはほとんど天文学的です。テロリスト達の目的が西欧文明社会に損害を与えることだとすると、それはかなり達成されたことになるかもしれません。

それでもハイジャックは起こるかもしれない

そこまで犠牲をはらっても、ハイジャックが完全に防げるかと言うと、誰も確信は持てないでしょう。セキュリティーチェックで完全に危険物を発見できない以上、個人的で無茶な犯罪者が武器や爆発物を持ち込む可能性は否定できません。

組織的なテロ集団はセキュリティチェックの正面突破をはかることはしないかもしれませんが、空港関係者を買収したり脅迫したりして、セキュリティーチェック後に武器を入手することはあり得るでしょう。

問題はハイジャック防止はすべての空港が同じように厳しく実施しなければ、効果が著しく低下してしまうということです。航路によってはバスのようにいくつもの空港を経由して目的地に到達するものがありますが、トランジットで乗り入れる空港の中で、従業員管理やセキュリティーチェックがいい加減がところが一つでもあれば、武器の持ち込みはできてしまいます。

危険物も液体は何でもかんでも100ml越えてはダメとされていますが、化学に詳しければ機内で致命的な損害を与えるような爆発物や毒物を作ることは可能でしょう(そんなレシピがネットで広まったりしないことを祈りますが)。

セキュリティーチェックも、身につけているものは金属探知機が頼りですから、硬質プラスチックでナイフを作れば通過できてしまいます。その程度の武器でも、軍事訓練を受けた人間が数人いれば、機内を制圧するには十分でしょう。

911テロでも、ハイジャックに参加せずに逮捕された、アルカイダのメンバーの何人かは「筋力」でハイジャックを行うように訓練されていました。ハイジャックされた3機の飛行機のうちユナイテッド93のハイジャック犯人はナイフを持っていたことが確認できていますが、他の飛行機については不明で、素手で乗っ取ってしまった可能性もあります。

ハイジャック撃退装置

アメリカやイスラエルではスカイマーシャルと称する、武装した当局係官を乗務させています。日本でもスカイマーシャルの制度はあり、アメリカ行きの便に配備されることはあるようです。どのような装備で何人くらい乗務するかは非公開ですが、実際には全ての便ではなく、一部にとどまっているようです。スカイマーシャルが配備されている場合は、パイロットはコックピットに立て篭もり、ハイジャック犯への対応はスカイマーシャルに任せることになっています。

しかしスカイマーシャルがいても、ハイジャック犯がスカイマーシャルの手に余るような人数である可能性もあります。また、日本の対応がそうであるように全ての便にスカイマーシャルを乗務させることは費用や体制の面で、それほど簡単なことではありません。スカイマーシャルの存在が伏せられていることで、組織的なハイジャック犯に対し一定の威圧効果を期待するというのが現実的なところでしょう。

もっとスマートに、ハイジャック犯を睡眠ガスで眠らせてしまうようなことはできないでしょうか。飛行機は密封されていますし、緊急時に酸素マスクで酸素を供給するように配管ができています。パイロットも眠ってしまうと困りますが、操縦席の換気を別系統にするとか、パイロットがマスクを着用すれば解決できそうです。

手術の際、麻酔で良く用いられるものに亜酸化窒素または笑気ガスと呼ばれるものがあります。ありふれたもので、安全性も高いのですが、眠らそうとすると、少なくとも呼気の30%以上、確実性を考えると60%程度の濃度にする必要があります。これではいくら密封された空間といっても相当量を積み込んでいなくてはなりません。

しかも、笑気ガスも通常は単独で使われることはなく、静脈注射を別に行って、笑気ガスは鎮痛効果などのために用いられるのが普通です。おまけに、笑気ガスの催眠作用は持続的なものではなく、吸入し続けなければ比較的簡単に醒めてしまいます。沢山の乗客が乗り込んで機内の空気の換気を行わないわけにはいきませんから、短時間しか有効ではないことになります。

他の麻酔ガスはどうでしょうか。犯罪ドラマなどでクロロフォルムを染み込ませたハンカチを口にあてて誘拐してしまうというシーンが出てきたりしますが、クロロフォルムはそれほどの即効性はありません。笑気ガスと同様に、静脈注射などと併用するのが普通です。一気にハイジャック犯を黙らせる役には向いていません。

それにクロロフォルムは可燃性があります。クロロフォルムに限らず、麻酔ガスの多くはエーテル系で可燃性があるため、電気メスを使う最近の手術では使われることがなくなってしまいました。飛行機の中で可燃性のガスを充満させるというのは、ハイジャック犯で考え付かないような恐ろしい仕業ですから、とても使うわけにはいきません。

麻酔ガスに限らず、人の意識を完全に失わせるような薬物の使用は危険を伴います。手術の場では専門の麻酔科医が慎重に患者の様子を観察しながら、薬物の投入量を調整します。簡単に眠らせ、追加の投入がなくても効き目が持続し、しかも安全、こんな麻酔ガスがあれば麻酔科医は失業してしまうでしょう。どうも麻酔ガスでハイジャック犯を撃退するというアイデアは難しそうです。

モスクワ劇場占拠事件

ここまでは、物騒ではありますが、思考実験のようなものです。実際に麻酔ガスを使って、人質犯に対応するというのは、他にどんな手段があるか、使用環境が適しているかどうかなどを相当慎重に考えなければならないでしょう。本当に効果があるかという点でも、実験してみなければわかるものではありません。ところが、ハイジャックではありませんが、ロシアは麻酔ガスを使った人質奪還をいきなり実行してしまいました。

911テロの翌年、2002年の10月23日から26日にかけて、チェチェンのからのロシア軍撤退を要求する42名のチェチェン独立武装勢力が、モスクワのブロフカ・ミュージアム劇場を観客922名を人質に占拠しました。

この4日におよぶ占拠事件は、ロシアが特殊部隊スベツナズが突入させ、武装勢力を全員殺害することで終了したのですが、この時ロシア軍は突入時に、催眠ガスであるKOLOKOL-1を使用しました。KOLOKOL-1はモルヒネの200倍の鎮痛効果のあるフェンタニル系の薬物で、1−3秒で効果をあらわし、6時間程度持続すると言われています。

KOLOKOL-1が武装一派の制圧にどれほど効果があったか不明ですが、人質は922名中129名がガスのために中毒死しました。強力な麻酔ガスを劇場のような大きな空間で多数の人質がいる中で使用するというのは、先進民主主義国家ではほとんど考えられないような暴挙です。空間が広いと均一なガス濃度を作るのが難しく、死者の多くは非常に高い濃度のKOKOLO-1に曝されたと考えられます。

狭い航空機の機内であれば、より小さな被害でもっと大きな効果を得た可能性はあります。しかし、これを見ても麻酔ガスを使うのは非常に危険の大きな方策だということがわかります。

ハイジャックに遭遇したら

ハイジャックに遭遇してしまったら、どうしたらよいでしょうか。生死の不安に脅かされながら、長い時間を耐えなければならないことを考えると、とても楽しい経験とは言えません。しかし、飛行機ごと爆弾兵器に仕立ててビルに激突するという911テロが出現するまでは、ハイジャックで乗客が殺されてしまうことは非常にまれでした。

日本の航空機がハイジャックされた事件では、1999年にコンピュータゲームのフライトシミュレーターで磨いた飛行機技術を実践して、レインボーブリッジをくぐってみたかったという異常者に機長が刺殺されてしまった以外、死者は一人も出ていません。

しかし、1977年に日本赤軍がバングラデシュのダッカ発の日本航空機をハイジャックした事件で、日本政府がハイジャック犯の要求に屈して「超法規的措置」として服役中のメンバー6名を釈放したことが国際的な非難を浴びて以来、容易ハイジャック犯の要求には屈しないという原則が政府の対応として確立されたと思われます。

この事件をきっかけとして、日本では警察組織に特殊急襲部隊、SATが設立され、ハイジャック、重大テロ事件などに対処することになりました。SATの隊員は高度の訓練を受け、武力によりハイジャック犯から人質を解放することを想定されています。日本政府も、もはや「人の命は地球より重い」と言ってハイジャック犯の要求を丸呑みするようなことはないと考えてよいでしょう。

ハイジャックに対する当局側の厳しい姿勢が、事実上の国際的な合意事項として確立されてきたため、当局と「交渉」しようとするハイジャック事件は、1980年代から減少傾向にあります。1990年以降は組織的なハイジャックはほとんどなくなりました。911テロは交渉によって当局の譲歩を引き出すのではなく、ハイジャックした飛行機を兵器として使うという意表をついたものだったのです。

乗客の側からみると、「ハイジャック犯とは交渉せず武力による解決を行おうとする当局」と「交渉せず破壊による攻撃を企てるハイジャック犯」という、はなはだ危険な組み合わせになってしまっているわけです。ハイジャックされた飛行機に乗り合わせるということは、相当高い確率で命を失うことが予想されるということになります。
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それでも長い行列は・・・

ハイジャック撃退装置を麻酔ガスベースで作るには、安全かつ強力で素早く効果をあらわし、しかもその効果が長時間持続するようなガスが開発される必要があります。そのようなガスが開発されない限り、ハイジャック撃退装置は作れそうにありません。

とは言っても、ハイジャック犯だけでなく当局も乗客の生命を最重要と考えてくれないとなると、少々不完全でもハイジャック撃退装置を実用化してくれた方がありがたいようにも思えます。そんな装置が全ての航空機に装着されるまで、セキュリティーの長い行列はがまんするしかなさそうです。21世紀になってこんな目に合うとは、誰も予想してなっかのではないでしょうか。

(再録) 沖縄戦の集団自決
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沖縄渡嘉敷島の集団自決の慰霊碑

今日6月23日は「沖縄慰霊の日」です。この日3カ月に及んだ、沖縄での日米の激しい戦いは、日本軍が組織的戦闘を止めたことで終結しました。

沖縄戦の集団自決に軍の強制はあったのか」は20007年12月の当ブログの記事です。 この年、文科省が沖縄の集団自決に軍の強制があったとする教科書の記述を不適切としたため、大きな論争がありました。

ブログの記事にあるように、集団自決の存在自身は、文科省の対応への賛否の如何を問わず、否定する意見はありません。沖縄の民間人は4分の1が死亡し、その中の相当数は民間人としては考えられないような集団自決によるものだったのです。

私の結論は、集団自決は軍の組織的命令によるものではないが、自決を強要する強い文化的空気があったとするものです。そしてその文化は平時であれば、むしろ社会を円滑に進めるために必要な規範精神によるものだったと思っています。戦争は、平和であれば正しく立派な道徳心を、恐ろしく残酷なものに変質させてしまうのです。