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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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アメリカ軍基地は本当に必要?
Okinawamarine.jpg


繰り返される事件

また沖縄でアメリカの海兵隊員が少女を暴行するという事件が起きてしまいました。 少女の年齢が14才ということも含めて、相当凶悪な事件と言って良いでしょう。凶悪な事件ですが、ありふれた事件でもあります。大きな騒ぎになっているのは、もちろん犯人がアメリカ兵だからです。アメリカ軍が関係する事件ということで、一見するとメディアの政治的な立場により、事件に対するスタンスが大きく違っているように見えます。

右派系メディアの週刊新潮は、中国食品の危険性を「「日中戦争」に発展した「毒入り餃子」シンドローム」と特集記事を組んだのと同じ号(08年2月21日号)で、「「危ない海兵隊員」とわかっているのに暴行された沖縄「女子中学生」と、被害者の責任を強調した表題で報じています。加害者が38才、被害者が14才ということを考えると、被害者側にも責任があるというのは、あまり常識的なものの見方とは言えません。この世の中の犯罪は、悪いやつが、人の油断や弱さに付け込んで起こすものがほとんどですから、アメリカ軍兵士の責任が軽くなるような言い方は全く不公平でしょう。

これに対し、朝日新聞は2月13日の社説で「米兵少女暴行―沖縄の我慢も限界だ」として、繰り返される米軍兵士の犯罪への無策を批判しています。ただ、朝日の社説も勇ましい表題のわりに、あまり提言めいたものはありません。沖縄は戦後60年以上我慢させられ続けてきたのですから、いまさら突然我慢が限界になるというのも筋の通った話とも思えません。おざなりで紋切り型の論調に逃げ込んでしまったような印象があります。

「アメリカ兵」による犯罪に対しては以下の3通りの対応しかありません。

1. 在日アメリカ軍を撤収させる
2. そのままの状態を受け入れる
3. できる範囲でできることをする

本当は朝日新聞が1、週刊新潮が2という立場を鮮明にするとわかりやすいのですが、そうもいかないようです。結局朝日新聞と小説新潮は、スタンスが正反対であるにもかかわらず対策は3で同じということになります。 強いて言うと、犯罪の発生防止に、朝日新聞は加害者側の、週刊新潮は被害者側の対策を強調したというだけです。

朝日新聞も住民が一層の注意をすることに異存はないでしょうし、週刊新潮もアメリカ軍が綱紀粛正の徹底など防止策を行うことに反対する理由はないでしょうから、この問題に対して実は同じことしか考えていないということになります。「我慢の限界の沖縄」はそれでよいのでしょうか。

日米地位協定ですべては解決しない

防止策とは別に日米地位協定を改定する、つまりアメリカ兵の犯罪に対する捜査権、裁判権の所在を、より日本側に移行するという話はあります。日本で、日本人に対して行われた犯罪が、日本側が手を出せず、犯人は帰国して罰せられることもないということがあれば、国民感情として許しがたいものがありますから、通常の犯罪について日本側が日本人に対してと同等の捜査、裁判を行えるようにすることは独立国家として当たり前ではないかというのです。

しかし、観光客やビジネスマンは外国人でも、その国の法律に従うことが入国の前提ですが、軍人や政府機関の人間は違います。 日本もPKOなどで、紛争地域に自衛隊員や政府関係者を派遣するときは、その国の司法制度の外側に日本人がいることが前提です。そうでなければ、アフガニスタンやイラクあるいはアフリカ諸国のような司法が存在もしていないようなところに、軍隊を派遣できるはずがありません。 

日本は民主的な司法制度が確立しているので、そのような国々とは違いますし、だからこそ日米地位協定では相当程度の捜査権、裁判権の行使が日本側に認めてられています。しかし、根本的にはアメリカ軍は日本ではなく、アメリカないしアメリカ軍の司法制度のもとにあることは、アメリカ軍を受け入れる以上当然のことと考えなくてはいけません。

それに日本の司法制度は信頼できると言っても、兵士を送る側、つまりアメリカから見るとそうとも言えないでしょう。何しろ完全に無実の罪を着せた事実があっても、法務大臣が「冤罪とは言えない」と言い放つ国です。

現在のアメリカは日本と並んで唯一先進民主主義国の中で死刑の執行が行われている国ですが、全ての州で死刑執行が行われているわけではありません(13の州とワシントン特別区では廃止)。アメリカでは死刑の執行は減少する傾向で、この先死刑は全面廃止または停止になる可能性もあります。

その時、日本で死刑に相当するような犯罪をアメリカ兵が犯したらどうするのでしょうか(その可能性は十分にあります)。死刑が残るような国の司法制度に身を任せなければならないとすると、兵士を送り出すことに、多くのアメリカ人は受け入れがたい気持ちを持つでしょう。

日米地位協定の改定に議論を持っていくのは、日本国民に目に見える対策の中では実現がまだしも容易そうだからでしょう。しかし、日米地位協定で現在より日本側の司法権をより多く認められるようになっても、アメリカ兵の犯罪が激変するというものでもないでしょう。異国で罰せられることには抵抗感は強いでしょうが、日本の刑罰がアメリカより重いかというとそういうわけではありません。

もし、アメリカ軍が日本の平和や安全に役立たないのなら、アメリカ軍を受け入れるのは理屈に合いません。逆に独立した組織行動を前提とした外国の軍隊を受け入れるということは、部分的に主権を放棄することです。それがいやなら外国の軍隊を受け入れなければよいのです。

アメリカ軍の存在は日本の意志

そんなことできるはずがない、と実はほとんどの人が思想の右、左に関係なく思っています。その理由は右や保守の立場からは中国や北朝鮮の脅威ですし、左の立場からは日本は所詮アメリカの占領の続いている国だという思い込みです。しかし、少なくとも左の側の思い込みは間違いです。

フィリッピンは1991年アメリカの海軍、空軍の基地の使用権の提供をアメリカに行うことを取りやめ、アメリカは基地を廃止しました。アメリカ軍ではありませんが、フランスはドゴールの時代にNATOから脱退を表明して、NATOの本部はパリからベルギーのブリュッセルに移動せざる得ませんでした。

そのフランスはアメリカのイラク侵攻にとことん反対し、アメリカを大いに怒らせました。アメリカ議会の食堂はフレンチフライをフリーダムフライと名前を変え、イラク戦終了後「イラクは終わった、次はフランスだ」というTシャツまで作られました。しかし、サルコジ大統領が親米的な政策を掲げると、ブッシュ大統領はサルコジ大統領夫妻を最上級のもてなしで歓迎しました。

日本のメディアはアメリカの大統領戦を報じるときも、どちらの候補が日本に友好的かとアメリカの対日政策にびくびくしているように見えます。しかし、アメリカとの外交関係がどうであれ、日米の経済的な関係が大きな影響を受けるということはないでしょう。中国は現在のアメリカの最大の脅威でしょうが、同時に最大の貿易相手であり、中国はアメリカ国債の最大の保有者です。アメリカ基地を追い出したくらいで、日本とアメリカの経済関係が決定的に悪くなるということは実際には考えにくいことです。

日本が「アメリカ軍基地を置いておくことが住民感情からもはや耐え難いので、基地は出て行ってください」と言ったらアメリカ軍は出て行かざるえません。アメリカが怒るのが不安なら、今後ともあらゆる面で日米の友好関係が続くこと、日本が主体的に極東の安定に寄与すること、ついでに世界的な安定にも物心両面からアメリカに協力することまで約束すれば、破滅的なことになるとは考えられません。

アメリカ軍の撤収を実現することが日本の意志で可能だあるならば、在日アメリカ軍の存在はあくまでも日本自身の選択ということになります。日本のような民主主義国家が、アメリカ兵に対し相当広範囲な司法権限を持つことを地位協定で求めることは妥当でしょうが、出発点が日本の選択なら、ある程度司法権限を外国の軍隊に譲ることは別に独立を放棄することではありません。

右の立場からの、アメリカ軍の存在が中国や北朝鮮がいる極東では必須だ、というのも日本の安全に限定すればそれほど説得力のある話ではありません。核攻撃を除けば日本に中国や北朝鮮が攻め込むというのは妄想に近い話です。在日アメリカ軍基地がなくなっても、アメリカの核抑止力は残ります。

アメリカ軍の機動力維持に日本の場所とインフラが不可欠というなら(絶対に代替不能とは考えにくいのですが)、海軍、空軍の基地を必要最小限提供すればすむことです。いずれにせよアメリカと一定の友好関係(少なくとも武器の輸入ができる程度の)が維持できれば、基地の存在が日本の安全保障になくてはならないというのは、あまり説得力がありません。

日本は経済大国なのです。今の自衛隊の軍事力でも海上からの攻撃には相当程度の対抗力があります。アメリカ軍がなくても自力で安全保障は確保できます。実現の難しさから言えば、アメリカ軍の基地を日本からなくすより、日本独自の核戦力を持つほうがよほど国際的な抵抗が多きいでしょう。日本の核保有は核不拡散条約という国際条約を破ることになりますが、アメリカ軍基地はただの二国間の取り決めです。

アメリカ軍基地を残す価値はあるのか

むしろ、日本からアメリカ軍基地がなくなることの問題は、日本が独自の防衛戦略を展開することが、中国や韓国に不安を与えることでしょう。現在の日本の軍事的動きはアメリカの従属変数ですが、日本が独立変数になってしまうと方程式を解くのがずっと難しくなってしまいます。

軍事的に独立した動きをする日本というのは、アメリカから見ても愉快な存在ではありません。日本国総理大臣が靖国神社の参拝を行うことに反対しているのは、今のところ中国、韓国、北朝鮮だけですが、靖国神社は本当は反中国ではなく反米的な施設です。靖国神社にある遊就館の展示では、第二次世界大戦が、アメリカの対日圧力で止むにやまれぬものだったことが主張されています。少なくともこれはアメリカ側の見解とは異なります。

靖国神社の首相参拝の是非や中国、韓国の非難があたっているかどうかはここでは論じませんが、靖国神社が英霊を弔うという以上に政治的なメッセージを発信している施設であることは間違いありません。各国にある無名戦士の墓などとは、ずいぶん違っています。アメリカ軍基地がなくなれば、反米的なメッセージを発信する靖国神社に首相が参拝することをアメリカも中国と一緒になって非難するかもしれません。

冷戦時代はアメリカ軍基地がなくなればソ連も中国も大喜びしたでしょうが、今となっては日本が軍事的には半独立である方がまわりは安心でしょう。それに独自の防衛戦略を展開するとなると、思いやり予算のような数千億円とは桁の違う費用もかかるでしょう。下手をすると武器の開発も最新型戦闘機などは独力で行わなければならないかもしれません。アメリカ軍と一体となった防衛戦略は、経済的には独自路線より費用対効果が高いことは確実でしょう。

ただし、経済的な効果は高くても、その分アメリカが在日アメリカ軍基地を自分の世界戦略のために自由に使うことは認めなければいけません。イラクやアフガニスタンの問題が日本にとってどこまで重要かは議論があるところでしょう。大国日本は世界の平和と安定に寄与すべきだとしても、アメリカと一体となることがどこまで正しいのかは明確な答えのある話ではありません。

世の中には極端なことを言う人はいくらでもいて、核保有から非武装中立まで、ほとんど何でもありですが、費用対効果、技術的可能性、外交戦略など総合的にかつ緻密に、日本の独立した防衛構想を展開しているのを見たことも、聞いたこともありません(私がというだけですが)。こんな状況では確かに、本気でアメリカ軍基地の撤収を考えることなどできないのかもしれません。

ガソリン暫定税率と同じ

在日アメリカ軍の存在は、最初は敗戦による占領から、次は冷戦時の日本の防衛にと位置づけが変わってきました。占領でアメリカ軍がいたのはどうしようもないことですし、冷戦でソ連に対抗してアメリカ軍基地を置いたのも妥当なことだったでしょう(左の人はそうとは考えない人が多いのですが)。しかし、ソ連崩壊後も中国や北朝鮮に次々と脅威の対象を移して存在を正当化しているのは、無条件で正しいとは言えません。

中国がいかに軍事費を急速に拡張しているとはいっても、名目では日本とあまかわりません。アメリカの軍事的優位は圧倒的で、正面切ってアメリカに喧嘩を売ろうとするのはテロリストくらいです。わざわざ強力な軍事力をアメリカが日本におかなくても、一定の日米友好関係が維持されていれば、日本に攻め込もうとする国は存在しません。北朝鮮は不安定な存在ですが、ミサイルや核を開発していても、アメリカ軍基地はヤクザがピストルを持ったからといって、戦車を警察署に持ち込むほどのかけ離れたものです。

アメリカ軍基地を置き、思いやり予算で費用を負担するのは、本当の目的が次々と変わり、実は存在しなくなっても、事業を続けるある種官僚的な本能のようなものです。本来の目的がすでに存在しないという意味では、道路が足りない頃に制定されたガソリンの暫定税率が、いまだに生き延びているようなものでしょう。

その気になればアメリカ軍基地をなくせるのにそうしないのは、そもそもそのようなことを本気で考える思考回路が右も左も欠落していることと、深くは考えてはいないものの、総合的にはアメリカ軍基地を存続させるほうが日本にとって得だろう、という判断があるからです。「得」だというくらいで沖縄の人が日本にあるアメリカ軍の75%を身近に置くことを我慢しなければいけないのでしょうか。

朝日新聞や週刊新潮を読む限りは、アメリカ軍の撤収の可能性の論議をしたり、在日アメリカ軍基地の日本にとってのバランスシートを考えているとは思えません。口でいくら厳しいことを言っても、しょせんは数年に一度、間抜けな少女が暴行されるくらいです。日本全体の観点で考えるほどの問題ではないということなのでしょうか。

沖縄の住民もアメリカ軍基地の雇用創出効果を考えると、今すぐアメリカ軍に今すぐ出て行って欲しいと思っているのは決して大多数ではありません。そしてアメリカ軍のコストの多くは「思いやり予算」という形で日本国民全体の税金から賄われています。

要は日本は国内的に第一次湾岸戦争で金だけ拠出した国際貢献と同じことを沖縄にしていることになります。アメリカ軍が本当に日本の安全保障や国益に寄与しているのなら、日本人は沖縄に感謝すべきでしょうが、そういうわけでもありません。沖縄は金はもらえるかもしれませんが、右の側も左の側も沖縄に名誉を与えるなど夢にも思っていないようです。

沖縄戦で沖縄住民の4分の一から3分の一は死亡しました。大田海軍中将は海軍次官に玉砕の決別電として,「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜ることを(現代仮名遣いに改めています)」と打電しました。ご高配とは思いやり予算のことなのでしょうか。


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食料自給率の愚
日本の食料自給率は40%

中国製の冷凍餃子に農薬が含まれていたことで、食料自給の低さが、改めて論じられるようになりました。TVでコメンテーターや有名人が、「日本の農業を復活させなければならない」とか、果ては「自分で食べるものは自分で作るのが当たり前だ」とまで言いだしました。

言葉は勇ましいのですが、「自給率を高くしろ」「食料を外国に頼るのは危険だ」と言っている人の誰も、自分で農業をしようとは思っていないでしょう。かりに食料自給率を高くするために、日本でもっと沢山の農産物を作るとしても、それは誰か他人の日本人で自分ではありません。

現在の日本の食料自給率は40%程度と言われています。 江戸時代の日本の食料自給率は100%ですが、日本人の90%以上は農民でした。それでも、一般的日本人の栄養状態は極めて悪く、男女とも平均身長は現在と比べ10センチ以上低い状態でした。江戸時代の人口は3千万人程度ですが、段々畑を山の上までつくるほど、耕地は高度に利用されていました。土地も人的資源も全て農業に注ぎ込んでも現在の人口の4分の一も養えなかったのです。自給率を高めることなど可能なのでしょうか。

可能なはずだという根拠に、現在の40%という食料自給率が、先進諸国と比べ著しく低いことはよく指摘されます。日本の40%という食料自給率に対し、オーストラリアが237%、アメリカ、カナダの128%、145%は当然としても、フランス、ドイツ、イギリスも122%、84%、70%となっています(すべて2003年度の数字 農水省調べ)。日本の食料自給率が突出して低いのは事実です。

段々畑
段々畑は日本人の勤勉さの象徴

日本の食料自給率が低いわけ

「自給率を高めろ」という人が自分が農民になるなど夢にも思わないのも、日本が食料品の多くを輸入に頼るのも、経済学的には「比較優位の原則」で説明がつきます。話を単純化して二つの国同士の貿易で考えて見ます。もし、A国で農産物を作れば、一日あたり一人1万円の生産高を上げ、自動車を作れば10万円の生産高をあげるとしましょう。これに対しB国では、農産物では一日で5千円で、自動車なら2万円だったとします。

農産物を作っても、自動車を作ってもA国のほうがB国より生産性が高いのですが、A国は自動車生産に特化し、B国は農産物に特化したほうが、どちらの国にも貿易上有利になります。A国は農業生産でもA国より生産性が高いのですが、A国の国内では農業より自動車産業のほうが実入りが良いので、皆自動車産業に従事しようとします。逆に、B国では自動車産業のほうが農業より実入りが良いのですが、自動車産業ではA国に対し競争力がないので、農業に皆従事することになります。

実際には、貿易は二国間だけではありませんし、実入りがよくても誰もが割りの良い就職口にありつけるわけではないので、話はもっと複雑ですが基本は同じです。テレビのコメンテイター氏は、外国、たとえば中国に対し、比較優位のない農業に従事するより、コメンテイターをしているほうが実入りがずっと良く競争力もあるのです。

TVのコメンテイターには誰もがなれるとは限らないのですが、ワーキングプアと呼ばれる人たちさえ、大部分は農業より比較優位の原則で有利な仕事についているはずです。要は農業など稼ぎが悪くて、日本ではやりたがる人は少ないのです。

それにしてもなぜ日本だけ、他の先進諸国と比べて、かくも農業の生産性が低いのでしょう。ひとつには日本は狭い上に山岳部が多く、ヨーロッパ諸国と比べても、耕地可能面積が少ないことがあります。国民一人あたりの耕地可能面積で見ると、フランスが0.3ヘクタール、イギリス、ドイツが0.1ヘクタール前後なの対し、日本は0.03ヘクタールです。

日本人が長い歴史を通じて営々と耕してきた、山間部の段々畑などは大型機械での耕作には適していません。日本が農業で競争力を持つのは、基本的に難しいように思えます。しかし、耕地可能面積が小さいことは、必ずしも原因の全てではありません。

実は、どの国でも耕地可能面積の中で、農地にしている部分はほんのわずかです。フランスでは耕地可能面積の6%が農地ですが、ドイツでは2%以下、日本でも8%です。イギリスにいたっては1%以下に過ぎません。耕地可能面積の狭さは問題の一部かもしれませんが、自給率向上の根本的な障害ではありません。

日本の農業の大きな問題は、生産高に比べ異常なほど農業従事者が多いことです。日本の農業人口は国民の1.8%ほどですが、ドイツ、イギリスでは1%以下、食料自給率が122%と日本の3倍もあるフランスでも、1.2%です。日本の農業は一人当たりで考えると生産性が著しく低く、そのため経済的に農家が沈滞し、その結果また自給率も生産性も下がるという悪循環に陥っているのです。

現在の日本の農業は兼業が前提です。しかも、兼業農家の多くは地元で唯一の産業ともいえる、公共事業をあてにした土木事業に従事しています。公共事業の削減は農家を直撃することになります(また公共事業ですか)。長年、生産性の低かった日本の農業を支えたのは、出稼ぎを含む兼業と、国際価格から見て数倍に維持された米価です。

食事の欧米化が進む中、米の消費量は激減しました。零細な農家でもかろうじて採算のとれていた米作は過剰となり、財政赤字と国際的圧力の前で、米価は大幅に切り下げられてきました。端的に言って、日本の農業政策は「産業」としての視点を欠いたまま、農業従事者への所得保障という面ばかりが強調され、結果として崩壊に向かっているのです。

低い食料自給率は国家の危機って本当?

最近サブプライム問題でアメリカ住宅市場が崩壊して、投機資金が穀物取引に向かって穀物が高騰しているとか、マグロを中国人が好むようになってきて日本人が「買い負け」しているとか、日本の食料自給率が低いことで、日本人が食料を得られなくなるというセンセーショナルな論調がよく聞かれます。

これは全く馬鹿げた議論としか言いようがありません。価格の高騰と、供給の不足が混同されているのです。確かに、穀物の値段が上がれば、日本人の買う食品の値段も上がります。良いことではありませんが、金さえ出せば供給がなくなることはありません。世界全体を考えれば、穀物の奪い合いになれば、負けるのは貧しい国々です。香港の金持ちに最上級トロを取られるようなことはあるかもしれませんが、日本が「買い負け」などするはずがありません。

戦争になって食糧輸入が途絶えたらどうするのか、という心配もあります。しかし、これは富士山が爆発したらどうしようかという程度の確率の設問です。かりに、日本が中国と戦争して、海上封鎖をされたらどうするのかというのなら、自給率の改善を考えるより、軍事力の増強を考えたほうが、備えとしては現実的かつ有効でしょう。

だいたい食料の輸入がまったくできないのなら、99%以上輸入に頼っている石油も入ってきません。農機具も動かせず、農薬や、肥料も使えず、できた農産物を移動させることもできません。手に入った食料の煮炊きも都会では困難です。食料自給率だけ取り上げて、高いの低いのと言うことは無意味です。

江戸時代は石油なしで食料自給を果たしていましたが、そのために糞尿を徹底的に活用しました。江戸には周りの農家が糞尿を買いにやってきたので、江戸の市民が糞尿の処理に頭を悩ます必要はありませんでした。見事な循環型社会ですが、糞尿に混ざっている寄生虫が無限に循環するという衛生情況でした。こんな状態に戻れと言うのでしょうか。とても現在の日本人が受け入れられるものでありません。

話題の食の安全はどうなのでしょうか。食物は体内に入るわけですから、安全性が最重要であることは間違いありません。数年前まで中国産の農産物は残留農薬が付着している危険がありました。しかし、実際にはもはや危険はほとんどありません。

このようなことを言うと反発を感じる人が多いと思いますが、BSEも含め輸入食品で死亡事故を起こしたという話は皆無です (もっとも餃子の農薬混入事件は危険な段階になりましたが)。今でも食中毒が、報告されるものだけで年間千件、死亡事故が10人程度起きていることを考えると、家庭での食品保存や調理のほうが実際にはよほど注意が必要です。

食料自給率は農業政策失敗の隠れ蓑

農業政策が失敗し国際競争力の低い、日本の農業を守る根拠の一つが食料自給論です。日本の高すぎる米価を批判されるたびに、政治家や官僚はありとあらゆる論理を考え出しました。「米は日本の文化」「米作は環境維持に必須」など、価格以外の価値を強調することで、農産物とくに米の自由化に反対してきました。

その中で、考え出されたのが食料自給率という考え方です。ここまで日本の食料自給率を40%としてきましたが、これはカロリーベースの計算で、価格ベースで計算すれば70%をわずかに切ったくらいです。カロリーベースで計算するというのは、穀物に大きな比重をかけるやり方です。米作から野菜や果物に転作すれば、普通はカロリーベースでの自給率は下がります。

穀物は日本人の食生活が、パンやスパゲッティーのような欧米の主食に置き換われば、米から小麦へ需要が変わるので、それだけでも低下します。カロリーベースの食料自給率を維持しようとすれば、米の完全自由化などとんでもないということになります。

日本の食料自給率が低くなる理由として、耕作可能面積が狭いことと、農業の崩壊をあげました。しかし、金額ベースで70%の自給率というのは必ずしも低い値ではありません。米価の維持や、土木事業への資源配分が行われる中、それでも日本の農家は付加価値の高い、飽食の日本人に好まれる産物を作ってきたのです。

食料自給率を安全保障や危機の観点で、論じるのはコストを無視しろというメッセージと考えられます。成田空港や、羽田空港が外資に狙われると国交省は大騒ぎをしていますが、問題視している根拠はテロリストが入国しやすくなるとか、言いがかりとしか言いようのないものばかりです。国交省の役人の本音は重要な天下り先である、空港会社が外資に支配されて、天下り先がなくなることを恐れているのです(天下りを考えるを参照してください)。食料自給率というのは農水省発のプロパガンダと言っても過言ではないでしょう。

食料自給率の論議を聞いていると、農業に対し特別な思いがあることがうかがえます。農業は食料を作る、人間の生きる源を作るという意味で特別なものはあるのかもしれませんが、産業として考えれば経済原則の適用を免れるわけにはいきません。農業は産業ではない、心の問題だとまで言ってしまえば、農業は宗教になってしまいますが、口で農業は大切と言っている人たちも大部分は自分で農業をする気はないわけですから、あまり熱心な信者はいないようです。

低下する一方の食料自給率と、食の安全をからめて話をされると、どうしても「日本の農業を復活させろ」というふうに話は傾きがちです。しかし、低下する食料自給率は、経済原則に従った結果であり、経済原則にしたがった方法しか本当の解決策はありえません。役人の脅しに乗る前に、少し冷静になる必要がありそうです。

ネオテニーの日本人
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日本人は若く見られる

アメリカのバーでアルコールを注文すると、年齢を証明するIDカードの提示を求められることがあります。外国人はパスポートとか国際免許証を見せればよいのですが、うっかり忘れるとアルコールを飲めないこともあります。日本人は若く見られることが多く、20代どころか人によると30代でもパスポートを携帯していないと酒も飲めないということになりかねません。

人種を大雑把に、白色人種(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)、黒色人種(ネグロイド)に分けることがありますが、日本人を含むモンゴロイドは一般にコーカソイドなどと比べて次のような特徴があります。

1. 顔が扁平で丸く鼻が低い
2. 体毛が薄い
3. 手足が短く、胴が長い
4. 全体に小づくり

これらは日本人でも、大人より子供により強く見られる特色です。つまり、モンゴロイドが若く見られるのは、モンゴロイドが幼児の外見をコーカソイドより多く残しているからです。日本人でも、アメリカ人でも若々しく見られるのは良いことですが、子供っぽく見られるのはあまり嬉しいことではありません。ビールを飲むたびにパスポートを取り出さなければならないことに、うんざりした日本人は多いでしょう。

生物の世界では、幼生の外見のままで性的に成熟する、つまり子孫を作る能力を持つ現象を幼形成熟-ネオテニーといいます。たとえば、両生類はオタマジャクシがカエルになるように変態を行うのが普通なのですが、アホロートルというサンショウウオの一種はエラ呼吸をしたまま成長し繁殖も行います。
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チンパンジーの成獣

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人間と外見上の共通点の多いチンパンジーの幼児

ネオトニーは、体や脳の発達が遅れる一方、器官の特殊化や機能の固定が遅れるので、多様な環境に対応しやすくなることで生物の進化で重要な役割を演じることがあると言われています。その中で、人間はチンパンジーのネオテニーだという説があります。人間とチンパンジーの祖先は7百万年ほど前に分離したのですが、人間はチンパンジーの幼児の特徴を多く備えています(写真を参照)。

チンパンジーの脳は1年で成長を止めてしまいますが、人間の脳は20歳過ぎまで成長を続けます。人間は脳つまり頭部が大きいので、哺乳類で人間だけが難産の苦しみを耐えなければならないのですが、そのためチンパンジーや他の哺乳類と比べて、人間は未熟児の状態で生まれます。そして、外見上チンパンジーの幼児の段階にとどまったままで、ゆっくりと成長を行うのです。

モンゴロイドは若く見られるということで、人種差別的に精神年齢も未熟だと言われたことがあります、第2次大戦後、日本を占領した占領軍の総司令官マッカサー元帥は「日本人は12歳」と言いました。この言葉は日本人にかなり深い屈辱感を与え、いまだに引用されることも多いのですが、マッカサーも日本人が外見上若く見えることがなければ、精神年齢が12歳などとは言わなかったでしょう。

モンゴロイドがネオテニー的な特徴を持っているからといって、精神年齢が遅れているとか、逆に人間がチンパンジーと比べはるかに知的に進化しているように、コーカソイドから分離して新たな進化の道を歩んでいるわけではありません。

モンゴロイドの若く見られがちな外見上の特徴はネオテニーではなく、氷河期の極寒で凍傷を防ぐために、鼻が低く手足が短くなったり、凍結を防ぐように体毛が薄くなったことなどが原因だと言われています。ただ、同じようにヨーロッパの極寒に耐えなければならなかったコーカソイドの鼻が高く、手足が長いこととは矛盾します。コーカソイドの高い鼻は冷気が直接肺に流れ込むのを緩和する効果があると考えられています。

同じ氷河期の極寒といっても、モンゴロイドは寒風の吹きすさぶ広野に生息し、コーカソイドはより緯度が高く日照が少ない土地で、洞窟を主たる住居にしたということが関係しているのかもしれません。モンゴロイドの細い目は、雪の反射から目を守るためだったと考えられていますが、このような特徴はヨーロッパの山地ではあまり必要がなかったのでしょう。

結局モンゴロイドもコーカソイドも氷河期を生き延びたわけですから、外見上の違いはプラズマTVと液晶TVのように、同じ目的に違った解があるということなのかもしれません。いずれにせよ、モンゴロイド、コーカソイドの外見上の特徴はネオテニーなどとは無関係な進化上の適応と考えられます。

ついでにいうと、人種差別の一番大きな原因となる肌の色は、日照の多寡によるものです。肌にメラニン色素が多いと、日照を吸収する能力が弱くなるためクル病になる確率がわずかに高くなります。現在でも、インドからイギリスに移民した子供にクル病に罹患する例が白人より多いことが報告されています。

反対に、日光が強いと白い肌は皮膚ガンになりやすいという問題を引き起こします。オーストラリアは皮膚ガンにかかる人が多いのですが、イギリスに移民したインド人の逆で、白人が日光の多い土地に移民したことが原因です。クル病はカルシウムとビタミンDの摂取をきちんと行えば防げるのに対し、皮膚ガンは日焼けを防ぐことしか有効な対策はありませんし、治療も困難ですから、現代では肌の色は濃い方が生存の上で有利です。

現生人類は20万年ほど前アフリカで生まれ、8万年前にアフリカから離れ世界各地に分布していていきました。ネグロイドの肌が黒いように、人類は当初は皆黒人で日照の少ない地域で肌の白いものが現れてきたと考えられます。洞窟で生息する魚やヤモリが比較的短い期間で白くなることでもわかるように、進化の中で普通メラニン色素を生成するような能力は獲得するより失うほうが簡単です。白い肌は、進化の過程で不可逆的に不利な特色を持つようになったのかもしれません。

男は精神的ネオテニー

モンゴロイドの精神年齢が遅れているというのは根拠のない偏見ですが、女は外見的なネオテニー、男は精神的なネオテニーという説は、あながち否定できません。女性が肉体的に幼形を多く残しているのは事実で、男性と比べ体毛は薄く、体も小さくゴツゴツしていません。

アニメの吹き替えで少年の声を女性が担当するのは普通です。昔のシェークスピア劇では風紀上の問題で、女の役は少年が演じていました。シェークスピア劇で女の台詞が少なく、性格的にも男性と比べ平板なのは、少年が演じることを考えざるえなかったからだとも言われています。外見上は肉体的に女性が子供に近いのは確かなようです。

逆に男が女より精神的に幼稚だということもよく指摘されます。肉体的な外見と比べ、精神的な成熟度を明確に示すことは難しく、文化的には「女、子供」とまとめてしまったりして、女性の精神年齢を低く見る場合もあります。とは言え、「高校生がオナラに火をつける実験をして火傷した」などと聞けば、その高校生は九分九厘男子生徒でしょう。女は高校生でも精神的には男よりはるかに大人と考えるのは妥当に思えます。

オスがメスより大きく、筋力が強い(つまりゴツくなる)のはオスがメスの獲得で争うために現れる一般的な傾向です。この傾向は一夫一婦的な夫婦関係を持つ種より、一夫多妻的な夫婦関係を構築する種でより顕著に現れます。ゴリラのオスはいわゆるハーレムを形成しグループのメスを全て独占してしまうのですが、ゴリラのオスはメスの2倍もあります。

人間はゴリラのようなハーレムを作ることはあまりなく、太古から一夫一婦制を基本にしてきたのですが、肉体的に強い男は、生活力、戦闘力が高いので女を引き付ける上で有利だったことは間違いないでしょう。配偶者の選択つまり、性選択の過程で、人間の男はゴリラほどではなくても、肉体的な特徴を強めてきたのでしょう。
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メスの獲得競争でゴリラのオスは大型化した

筋肉を増強させるテストステロン(男性ホルモン)はヒゲを濃くする働きもあります。テストステロンの分泌の優れた遺伝子を持つ男性の子孫が性選択に勝って、より沢山の子孫を残すことで、一層男性的特徴を強めていったと考えられます。それでは精神的な幼稚さは何によるのでしょうか。

男の精神年齢が低いことを「男はいつまでも少年の心を持っている」などといって、肯定的に評価する場合もありますが、乱暴、無鉄砲、いたずら好きなどの男性に多く見られる幼児性は、生存競争を生き抜く上で、それほど有利に働くとも思えません。

粗暴さはテストステロンの効果としても現れるので、ヒゲの濃さと同様に、肉体的な強さの付属物として乱暴さが残ってしまったのかもしれません。ただ、男の肉体的な特徴が性選択の中で強められたのと同じように、女は子供を育てる必要性から慎重さや計画性がより多く求められることで、精神的な成熟を高めていったと考えるほうが妥当かもしれません。

人間は大きな脳を持つために、未熟児として生まれてしまう代償として、他の哺乳類より、はるかに長く親の庇護で育てられる必要があります。1歳にもなればチンパンジーの子供はアリを捕まえて食べたり、一人で生きていく能力を身に付けていきます。これに対し人間がその段階に達するには何年もかかります。

人間の女は長い間の保育にコミットする必要から、配偶者の選択でも男よりはるかに慎重ですし、毎日の生活でも計画性が必要です。男は狩りに出て獲物を獲ればよいのですが、女は男が狩りに出ている間も、自分と子供の分の食料を確保する必要があります。

男はやたら慎重であったり計画的であるより、外敵や獲物に勇敢に突撃する能力が先ず要求されたのかもしれません。臆病に危険なものを避け続ければ、自分自身の生存確率は高くなりますが、女性に好まれれるという点では不利だったのでしょう。現代でも女は臆病な男性より勇敢な男性を好むようです。

多分男は精神的に、女は肉体的にネオテニーのように見えるのは、性選択や生存の必要性から、男が筋肉の強さを、女が慎重さと計画性という特徴を発達させてきた結果でしょう。そもそも、男の精神的な幼稚さが、一般的なネオテニーに見られる、環境への適応性やある種の能力向上(たとえば人間の知能)に役立ってはいません。思慮の不足から強敵に立ち向かって死んでしまうことが多くても、首尾よく生き残れば女性に選ばれる確率が高まる。そのような理由で、男は子供の精神にとどまる必要があったのでしょう。

日本人は文化的ネオテニー

進化生物学的に考えれば、モンゴロイドが若く見られたり、男が精神的に幼稚だったりするのは、ネオテニーではなく、環境への適応や性選択の結果でしょう。しかし、生物学的な意味でのネオテニーではなくても、最近の日本人は文化的にはネオテニーの現象が見られます。

日本人の若者が社会に出る時期はますます遅くなってきています。これは高学歴化という理由が一番なのでしょうが、少子化で親が子を養う能力が相対的に高くなってきたことも原因でしょう。ともあれ、社会に出るのが遅くなる、モラトリアム世代とかニートと呼ばれる状況は、両生類がオタマジャクシの段階のままでとどまっているのと同じような現象と考えられます。

日本人の若者が社会人になるのを遅らせるという意味でネオテニーであっても、もちろん生物学的に遺伝子レベルで親の世代と何か違っているということはありません。しかし、インターネットを操る遺伝子など存在しなくても、インターネットへの適合性が世代により大きく違うように、社会的、文化的なネオテニーは人間を大きく変えてしまう可能性があります。

生物のネオテニーは、生長を遅らせることで、環境への適応の多様性を得ることができます。これに対しニートの若者は、何になるべきかがわからず、「自分探し」を求めます。昔は、「自分探し」などしなくても、社会人になることで、強制的に何らかの枠組みにはめられてしまったのが、今は多様性を残したままで大人になれるのです。これでは、「自分探し」が必要になるのは仕方のないことです。

人類がチンパンジーの幼形を保つことで、飛躍的な知能の拡大を行ったように、ニートやモラトリアムになっている若者たちが、日本人あるいは人類全体に何か大きなブレークスルーをもたらすのでしょうか。頼りなげな若者たちを見ると、とてもそうとは思えません。しかし、人類の祖先はチンパンジーの目には、哀れな未熟児の集団と映ったかもしれません。進化の世界で未来を作り出すのは、時として勝者ではなく敗者です。日本人が文化的なネオテニーになるのも何か意味のあることなのでしょうか。

 実際にはオーストラリア原住民のオーストロイド、アメリカ原住民を加えるべきでしょう。また、インド人はコーカソイドに分類されますが、大部分は肌の色は白くありません。モンゴロイドの名はモンゴルに由来するのですが、ネグロイドはラテン語の「黒い」という意味のnigerが語源です。コーカソイドはコーカサス山脈が語源になっていますが、いつの間にか白人全体を指すようになりました。

人類の進化については
地球という丸木舟
未来の人類
イケメン進化論もご参照ください


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