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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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あんまりだよテロ支援国家指定解除
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あまりにふざけた茶番

このブログは「中立的立場が強すぎる」と文句を言われるほど、対立する問題には両方の見方を紹介するように努めています。また、陰謀史観的な検証できないような推測はできるだけ排除しているつもりです。ついでに言うと、拉致被害者家族会が拉致被害者の奪還というより、むしろ単なる対北朝鮮強硬論の代弁者のようになっているのもそれほど好ましいとも思っていません。

それでも、今回の日本政府が北朝鮮が拉致被害者の調査再開、よど号ハイジャック犯の日本送還の見返りに経済制裁緩和の意向を発表したことと、それから1週間も経たずにアメリカのライス国務長官が、北朝鮮の核計画申告の実行と引き換えにテロ支援国指定解除の方向を発表したことは、あまりにふざけた茶番と言わざるえません。

日本政府はアメリカ政府にテロ支援国指定解除に拉致の問題を配慮するように申し入れ、ライスは「米国にとっても極めて重要な問題であり、圧力をかけ続ける」と語っています。しかし、日米の北朝鮮政策の軟化姿勢が偶然同時期に行われたということはありえず、シナリオとしては最初にアメリカのテロ支援国家解除の方針があり、その地ならしとして北朝鮮の政府拉致再調査、日本政府の経済制裁緩和の意向発表があったと思うのが常識でしょう。

要はアメリカのブッシュ政権が北朝鮮の核放棄への道筋をはっきりつけたという外交上の得点を稼ぐために、どんなに見え透いていようと、露払いとして拉致問題の進展、テロ支援国の明確な根拠であるハイジャック犯の送還を事前に約束させておいたということです。

北朝鮮は6月27日には各国メディアを招待して、すでに機能停止している寧辺の原子炉の冷却搭爆破を生中継する予定です。視覚に訴える無意味な爆破ショーで、北朝鮮が核放棄に向かっていることをアピールしようということですが、こんなやり方はいかにもアメリカ人が考え出しそうなことです(爆破の費用はアメリカが負担)。もちろん実質的な意味などありません。

アメリカの思い込み

ブッシュ政権はイラクのフセインが大量破壊兵器を開発して、アルカイダに渡そうとしているという思い込みでイラク戦争を引き起こしました。同じように北朝鮮に対して、

(1) 北朝鮮にとって核は生存の手段であり目的ではない
(2) アメリカとのチキンゲームではアメリカの力に屈服する

と思い込んでいるようです。

北朝鮮が核を単なる防衛手段と考えているかどうか、本当の本音は誰にもわかりません。しかし、北朝鮮の核への執着、それに兵器に対し多くの国や人々が持つ、ある種魔術的な所有欲を考えると、何が何でも核兵器を保持しようと北朝鮮が考えていると想像するのが妥当でしょう。いや、対北朝鮮戦略を考えるのなら、その前提から出発すべきです。

考え方の出発点が間違っている上に、アメリカはマッチョ的な自分の力に対する過信があります。力で押しまくれば最後は相手は恐れ入るだろうというのです。太平洋戦争に日本が突入した原因の一つがアメリカのこのような思考方法であったことは確かです。しかし、日本がそうであったように、たとえ不利でも押しまくられれば、イチバチで戦おうと思うことの方が多いのです。イラクもそうでした。

北朝鮮も今の段階でアメリカと戦争に突入するのは望まないでしょうが、最後は戦争することを辞さなければ、どんな見え透いた嘘でも平気でつけるでしょう。どうもアメリカは「嘘をついたら大変なことになるのだから、北朝鮮もそうそう嘘ばかりはつかないだろう」と思っているようです。何度も何度も騙されているのに懲りることがないようです。

いずれにせよ前提が間違った思い込みであれば、どんなにすぐれた情報力や分析力があっても、結論は誤ったものになってしまいます。今回も北朝鮮は核放棄を行おうなど微塵も思っていないでしょうが、アメリカは大きな前進をしたと考えているようです。もっと言えば、アメリカにとってもはや北朝鮮は世界戦略上最優先の課題ではなく、格好だけつけて点数を稼げれば良いと思っているに違いありません。

はるかに遠のいた拉致問題解決

もともと拉致の問題は国際的には小さいというより、ほとんど知られてもいない話です。原子爆弾が爆発したら何十万人の被害者が出るし見当もつきませんし、核兵器がなくても北朝鮮と戦争になればソウルは30分後には火の海になってしまいます。日本が拉致問題ばかりこだわっているのは他国からは理解しがたいものがあるでしょう。

しかし、だからこそ拉致問題は核問題や援助と引き換えに解決する可能性がありました(「逆説的北朝鮮論 拉致は解決できる」参照)。ただ条件としてアメリカと北朝鮮がチキンゲームを続け膠着状態が続くことが前提です。テロ援助国家の指定が解除され実質的な経済的利益を北朝鮮が得てしまえば、北朝鮮が拉致問題解決に努力する必要はなくなります。もはや拉致問題の解決は望めないでしょう。

疑問なのは日本政府がどこまでそのようなことを認識しているかです。拉致問題と核問題と優先順位をつけろと言われれば、核問題でしょう。表向きはともかく拉致問題に拘泥して核問題の解決ができないとすれば、総合的には間違った判断です。しかし、北朝鮮の現政権が核兵器を手放すことは絶対にありえません。経済的に余裕ができればますますその可能性は小さくなります。核問題の解決を優先して、核も拉致も解決しなくなるのです。

ブッシュ政権の思い込みは、アメリカ人全体も相当程度共有していますから、今回の馬鹿げた妥協をある程度ブッシュ政権の成果と認めてくれるかもしれません。しかし日本国民はどうでしょうか。核問題が解決に向かうのなら拉致被害者の救済をあきらめても良いと本音では思う人も多いかもしれませんが、北朝鮮が嘘つき国家であることは骨身に染みているはずです。日本政府が成果を上げたと思うでしょうか。

北朝鮮は国際的信義、常識を持っていないという点で、交渉の相手として手強いのは事実です。しかし、人質立てこもり犯とも交渉を行うことはできます。北朝鮮の思考法はある意味単純ですし、自国民の世論を気にしなくても良いという点でぶれが少ないとも言えます。

北朝鮮との交渉で避けるべきなのは短期的な功を焦って足元を見られることです。ブッシュ政権はあっさり騙されました(あるいは騙されても、見かけをつくろえれば良いと思ったのかもしれませんが)。なぜ日本政府はわざわざ、ブッシュ政権の見せ掛けの成果獲得の手伝いしたいのでしょうか。もはや拉致問題の解決など不可能なので、アメリカのご機嫌を取るために何でも良いから一歩前進のポーズをとったのでしょうか。それでは拉致被害者をあまりに馬鹿にした態度だと思うのですが。
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なぜ女は天皇になれないのですか?
天皇制4


男系天皇、女系天皇、女性天皇

2006年に皇室では41年ぶりの男子となる悠仁親王が秋篠宮の長男として誕生して、大分下火になりましたが、天皇は男子男系に限るべきかどうかというのは、依然として大きな議論になっています。この問題はどのように考えれば良いでしょうか。

天皇の継承についての主張には色々なバリエーションがあるのですが、大きく分けて3つに集約されます。

1. 天皇は男系男子に限る
2. 女系の天皇を認めるべきである
3. 女性天皇を認めるべきである

この中で2と3の違いは混同されることが多いのですが、中身は大きな違いがあります。男系とは男親が天皇の血筋、女系とは母親が天皇の血筋にあることを指します。つまり娘の子供は男子、女子にかかわらず女系ということになります。歴史上女系の天皇は存在しなかったとされています。

これに対し女性の天皇は過去に例がいくつかあります。ただ、女性の天皇の子供を天皇にすると(父親が男系の血筋を引かない限り)、男女に関係なく女系の天皇になります。女性の天皇の子供が天皇になった例はありません。2と3が混同されやすいように、一般は女系、男系ということより、女性天皇を認めるかどうかということに関心が集まっていました。

悠仁親王誕生前は、皇太子の娘の愛子内親王を皇太子の後に天皇にするかどうかということに焦点があり、女系かどうかということより、女性が天皇になることの是非が問題とされました。仮に愛子内親王が天皇に即位すると、男系の女性天皇ということになります。

もちろん、愛子内親王が天皇になれば、その次の天皇を愛子内親王の子供にするかどうかということになります。これは女系の天皇を認めることですから、男系にこだわる人たちには重大問題になります。悠仁親王誕生までは女系天皇、女性天皇を認めるかどうかということは実質的には同じことだったわけです。

Y染色体神秘説

なぜそれほど男系にこだわるかということで、一部の男系天皇堅持派が持ち出してきた理屈で、Y染色体の継承があります。Y染色体とは人間の染色体の中で男性になることを決定付ける染色体です。人間に限らず、生物の染色体は2個づつペアになっていますが、Y染色体は同じY染色体ではなくX染色体とペアになります。人間の場合、男はXYという染色体のペアを持つのに対し、女はXXというペアになります。人間が男になるか女になるかを決定付けるのはY染色体の存在によります。

Y染色体は女である母親は持っていないので、息子は父親のY染色体を受け継ぐことになります。つまり、男系男子とは同じY染色体を共有する血筋にあると言い換えることができます。この意味で、男系男子というのは生物学的な実態に裏付けられた概念ということになります。

しかし、Y染色体が継承されていくからといって、Y染色体が何か特別に神秘的な働きをしているかとのように言い出すと話はおかしくなります。Y染色体は男女を決定付けるとはいっても、男性を特色付ける遺伝的形質の全てがY染色体にあるわけではありません。

Y染色体自身はX染色体や普通の染色体と比べてずっと小さく、おさめられている遺伝情報も多くはありません。男女の違いはY染色体の中のSRY遺伝子の存在によることがわかっていますが、SRY遺伝子は男女を形成するためのプロセスのスイッチのようなものです。

人間の場合はSRY遺伝子が男女形成のスイッチになりますが、動物によっては温度の高低や、栄養状態がプロセスの引き金になることもあります。Y染色体のスイッチとしての働きを重要視する人もいるかもしれませんが、生物学的、医学的な意味は大きくありません。そもそもY染色体の共有を天皇継承の決定的な条件と考えると、世の中には天皇と同じY染色体を持つ人が多数存在するだろうという推定をきちんと見つめる必要があります。

中央アジアを中心にジンギスカンのY染色体を持つ男性が数千万人もいると言われています。厳密な検証は困難ですが、ジンギスカンの遺伝子が非常に大きな成功を収め(つまり子孫を大量に作り)、圧倒的なY染色体の広がりを持つことができたと考えることはできます。

同様に、天皇の持つY染色体も遺伝子として大きな成功を収めていると考えられます。現在の天皇継承問題からは考えにくいかもしれませんが、歴史上天皇は多数の側室を持ち、多くの子供を作ったわけですから、日本中に天皇のY染色体をもつ男性が多数いると考えるほうがむしろ自然です。

それどころか、騎馬民族進入説のように天皇の祖先は大陸から来たという説をとると、中国、朝鮮にも天皇のY染色体を持つ男性がいても不思議はありません。このようなことは、もし本当に検証しようとすれば科学的には十分可能な話です。

逆に歴史上天皇が本当に生物学的に男系男子による継承を維持してきたかどうかも、検証できます。現在でも古代天皇の墳墓である古墳は宮内庁の管轄で、発掘調査は限定的にしか許されませんが、許されれば全然別の歴史像が明らかになるかもしれません。

Y染色体は男系男子をきちんと定義するための概念と割り切り、それ以上でもそれ以下でもないと考えたほうが妥当でしょう。歴史上男系男子が本当に維持されてきたかも、わざわざ検証などすべき話ではなく、歴史的合意事項と考えるべきでしょう。

天皇と祭祀

天皇を男系男子と限るべきだと主張する人には、天皇の祭祀の重要性を根拠とする人もいます。皇室外交や、被災地への慰問、文化勲章の授与などと比べれば天皇の祭祀への関わりは一般国民にはあまり知られても理解されてもいないでしょう。

天皇が行う祭祀は五穀豊穣を祝う新嘗祭(にいなめさい)をはじめ、驚くほど沢山あります。政治権力から離れた中世以降の天皇は大神主と言っても良い存在で、祭祀を執り行うことで、宗教的権威を持っていました。この権威は明治維新以降敗戦までの近代日本では、天皇を現人神とすることで強化されてきました。

新憲法の下では国家神道は廃止され、天皇の司る数々の祭祀は天皇の私的行事と位置づけられることになりました。しかし、天皇の職務の本筋は祭祀を行うことだというのは、それほど外れた話ではありません。天皇と宗教的祭祀との結びつきは極めて強いのです。

男系の維持は天皇の宗教的な意味合いにとって重要なのだとすると、単なる伝統以上に女系天皇とそれにつながる女性天皇は認めがたいということになります。相撲で土俵上に女は上がれないというのも、ある種宗教的な禁忌です。そうであるならば、男系、女系を議論すること自体無意味とも言えます。

ただ、今や天皇の祭祀は全て天皇の私的行事だとされているように、宗教と天皇との結びつきを厳格に考え出すと別の問題が出てきます。天皇が大神主のようなものだと言っても、仏教が普及してから明治になるまでは天皇の葬儀は仏教で行われていました。本来は西欧的な概念の宗教とは違う天皇の宗教性が、天皇を現人神としてしまった明治以降は違ったものに変質しているのです。

天皇にとって祭祀は重要、というより本来の天皇制とは祭祀そのものなのかもしれませんが、現代の日本人は宗教にはどうしてもイデオロギー的な絶対性を感じてしまいます。祭祀は天皇の私的行事とした微妙なバランスが、祭祀の宗教的重要性を表に出したとたんに瓦解してしまうかもしれません。


いくつかの選択肢

悠仁親王誕生まで焦眉の急と言われていた天皇の継承問題ですが、「次期天皇がいない」という事態になるまでには時間がかなりあります。現皇太子は1960年生まれ、日本男子の平均寿命の80歳になるのは、2040年です。悠仁親王が80歳になるのは2086年。考えてみればずいぶん先の話です。悠仁親王に男子ができれば、問題はさらに先送りできます。

とは言っても、男系男子というのは、かなり厳しい条件です。1千年先も大丈夫かと言われれば、いずれ天皇の継承者がいない状態になる可能性の方が高いでしょう。この際根本的な解決策を講じたいと考えるのは、ある意味当然とも言えます。天皇制を廃止したい、廃止しても良い考える人は今の日本ではごく少数派でしょうから、解決策は次のようなものになります。

(1) 女系、女性天皇を認める
(2) 天皇に側室を置く
(3) 宮家を増やす
(4) 男系の男子をたどって候補者リストを作っておく

このうち(1)を除けば、他は女系および女性天皇を排除するためにはどのような努力も行うというものです。また、(1)でも皇位継承順位を男子、女子で差をつけるかどうかという議論もありますが、とりあえず置いておきます。

いかめしい名前ですが、天皇の男系男子継承を定めているのは皇室典範という法律です。日本国憲法は天皇の地位や役割の規定をしていますが、具体的に皇族の範囲や条件などを決めているのは皇室典範です。皇室典範は法律ですから変更は憲法の改正よりは大分ハードルが低いのは確かですが、どの解決策も法改正が必要です。

女系、女性天皇を認めるというのも、当然法律改正が必要です。ただ、将来男系男子を規定した皇室典範が男女平等を定めた憲法と矛盾するので違憲と最高裁が判断する可能性はあります(誰が原告になるかという問題もあるのですが)。皇室典範が違憲になってしまうと、ルールがなくなってしまうので、天皇選出は混迷を極めることになってしまいます。

一方で、天皇の候補者範囲を広げたり、宮家を増やすことも皇室典範を改正することになりますから、女系、女性天皇容認派と果てしない議論になってしまいます。側室は皇室典範には規定はありませんが、少なくとも一般では公序良俗に反するものです。簡単にはいきそうもありません。

実は(1)から(4)以外の解決策もありえます。側室などおかなくても、代理母(「代理母出産」参照)や人工授精を利用する方法です。代理母ともかく、人工授精は現在の日本でかなり一般的に行われています。ただ、普通の人工授精は、夫側に障害があって妻が第三者から精子を提供されますが、それではY染色体の継承はできません。男子男系派を納得させるのは、他の女性に人工授精を行わなければなりません。側室よりはましと考える人は多いかもしれませんが、一般の人の抵抗感は残るでしょう。

この手の技術は急速に進歩しているので、数十年も先の話であれば、絶対確実に男子を誕生させることが可能になっているかもしれません。人工授精や代理母に対する社会的認識も数十年も経つとずいぶん違ってくることも考えられます。自分の遺伝子を残したいというのは、天皇制とは関係なく人間の本能のようなものですから、結婚によらずに子を作ることはもっと普通になっているかもしれません。

今は決められない

愛子内親王を天皇にという意見が盛り上がったときに、天皇の男系男子継承を主張する人たちから、それがどんなに無知で天皇制に対する無理解からくるものかという批判が相次ぎました。確かに、愛子内親王の天皇即位を支持した人の多くは、単純に「いまどき男女平等は当たり前じゃないか」ということで女性天皇の実現に賛成したのでしょう。女系天皇と女性天皇の区別さえつかない人が多かったと思われます。

しかし、現代日本では男女同権、人間の平等というのは非常に強い社会的規範です。憲法の根本理念の一つでもあります。男女を差別、区別するのは本来はトイレを分けるようなレベルのものしか許されません。男系男子の絶対性を主張するのは相当の説明責任があると考えるべきでしょう。

日本の中には前述の相撲の土俵に女性が立ち入れないといったような、伝統的に女性を排除するものが多数あります。歌舞伎もそうでしょう。刀鍛冶も女性を排除するのが普通でした。日本だけではなく、西欧社会でも男専用のゴルフクラブは少し前まで当たり前でしたし、船乗りは海の神が嫉妬するといって女性が船に乗り込むのを嫌いました。

そのようなものは伝統であったり、慣習ではあっても法律ではありません。法律の中では、女性は離婚後6ヶ月間は結婚が認められないというような、一応生物学的根拠(前夫の子の妊娠の可能性を排除するという)ものを除けば、明確な男女差別があるのは皇室典範くらいです。つきつめれば、天皇制も血統による相続しか認めていないのですから、人間の平等に反しています。個人財産の相続は保証されていますが、公的な地位の世襲が認められているものは他にはありません。

だからといって、天皇の世襲制を否定する日本人は少ないでしょう。色々な矛盾があっても、イギリスを始め、先進諸国でも王制が残っていることもあり、天皇を天皇の子孫が継承することまでは十分な国民的合意ができています。しかし、祭祀の重要性のような宗教的意味づけを始めると、日本人全体が納得するかというと、むしろ逆でしょう。

大概の日本人にとっての天皇や皇室は、にこやかに手を振ったり、被災地をお見舞いする姿、あるいは外国の要人を華やかに迎えたりする姿でしょう。国民が天皇を支持しているというのは、そのような仕事を誠実に勤められているということに対してで、聞いたこともなく理解もできないような神事を司っていることではありません。天皇制は日本の伝統文化に深く根ざしているとは言っても、憲法、法律で規定されている存在である以上、相撲の伝統を守るということなどと比べれば、男女同権との整合性をより厳しく求められます。

天皇の男系男子継承の理由付けを神武天皇以来の万世一系の維持などと言い出すと話はますますおかしくなります。今年は神武天皇の即位を基点とした皇暦で2668年になるのですが、その頃に天皇制が確立したというのは学問的には全くの絵空事です。神話として伝承するのはともかく、国会で法律改正をする理由付けに、そんな怪しげな根拠を元にするわけにはいきません。

一方、女系天皇、女性天皇を容認しようというのは、国民の多数派であっても、男系男子派の先鋭的な抵抗を打ち破って皇室典範を改正しようとするような勢いは現状ではないでしょう。女性天皇を擁護する人たちの多くは天皇制にそれほど強い思い入れはありません。

かと言って、男系男子による継承を確実にするために、宮家を増やしたり、男系男子の天皇候補者のリストを拡大したり、まして側室を認めるなどというのことに国民多数の賛同を得るのは、ほとんど不可能でしょう。国民の支持が十分になければ、天皇制そのものが危うくなります。

天皇制は文化的、宗教的には伝統芸能や、古い神社仏閣のようなものです。男系男子を含め、現代の一般常識とはことなる慣習を持つことはむしろ当然でしょう。しかし、それを皇室典範と憲法と言う形で法体系の中に押し込めようとしたとき、様々な無理が生じます。法事や葬式の実行を法律で強制しようとするのに近いと言っても良いかもしれません。

今の日本で女系、女性天皇を認める、はたまた男系男子を確実にするシステムを定めるなどの決定を行うことは事実上不可能でしょう。それで問題がないとは言いませんが、天皇がいなくなるかもしれないといったことは何十年、あるいはさらに先になります。

それほど先になれば、婚姻や子作りに対する国民の考えが大きく変わることもありえます。科学の進歩で、その気になれば男子を作ることは自由自在にできるようになるかもしれません。どうせ決まらない話なら、仮定の話であまり悩まず先送りするのが利口というものでしょう。こんなことは、わざわざ言わなくてもそうなるのでしょうけれど。

地球温暖化を止めるには(もし本気なら)
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前回は人類絶滅の記事を書きましたが、絶滅シナリオの中で一番対処が可能そうな環境破壊、なかでも地球温暖化に対応することは本当にできるでしょうか。残念ですが、とても簡単とは言えません。

問題1.そもそも本当に地球が温暖化しつつあるのか確信が持てない

地球の温暖化は人間活動による温室効果ガス、特に二酸化炭素の増加が原因と考えられています(詳しくは「地球温暖化」参照)。国連の下部機関のひとつIPCCでは、地球の温暖化が進行しつつあり、しかも深刻な結果をもたらすだろうと警告しています。これには80%の科学者が賛同していると言われますが、それでも「いつから科学は多数決になったのか」などといういちゃもんがはいります(「科学は多数決?」参照)。

少なくとも、地球温暖化の予測が、星の運行を予測するほど正確であるとは言えませんから、地球が一転寒冷化に向かう可能性がないわけではありません。それどころか、大規模な火山の爆発でもあれば、絶望的なほど地球が冷え込むこともありえます。

今では「エコ」という言葉はポジティブな印象を与えますが、ある種の市民運動が持つ、正義感の押し付けのような印象が完全になくなったわけではありません。共産主義が反体制の思想的バックボーンでなくなってしまった西欧社会では、エコがその代わりをしている面もあります。

そのせいか、地球温暖化に疑問を挟んだり、否定的な見解を持つのは、右派系メディアが多いようです。80%の科学者が地球温暖化を認めているということは20%は賛同していないわけですから、「科学的」に地球温暖化に反論する科学者を探すのは難しくありません。

地球温暖化を防ぐために人類の活動を制限しようというのは、産業界にも、個人生活にも相当の犠牲を強いることです。心の底から地球温暖化という危機が迫っていると信じられなければ、心地よい意見にしがみつきたくなる人も出てくるでしょう。「100%確実とまでは言えないけれど、多分地球は温暖化しているので、全力を尽くして二酸化炭素排出量削減に邁進しよう」というのが本当のところです。確かにこれでは力がはいりにくいかもしれません。

問題2.地球が温暖化して何が悪いのかよくわからない

本当に地球が温暖化するのかということが一点の曇りもないかいうとそうでもないと同様に、地球が温暖化するとどのような問題が起きるかもはっきりしません。北極海の氷が溶けて白熊が絶滅しそうになっている映像を見ると心が痛みますが、「人間は白熊じゃない」のは確かです。

年の平均気温が何度か上がると、日本でもマラリアを媒介するハマダラカが生息できるようになるなど、熱帯、亜熱帯の伝染病が増える危険があることは間違いありません。しかし、シンガポールのように熱帯の気候でも文化水準が高ければ、熱帯性の伝染病はそれほど恐れる必要はありません。

北極の氷が溶けると海面が上昇するなどとうっかり言うと、「水に浮いている氷が溶けても、水面は上昇しない」と突っ込まれるように、南極の氷が溶け出さない限り、海岸沿いの大都市が全滅するような事態は起きそうもありません。南極の氷に関しては、温暖化で降雪量が増えてむしろ増加するという説もあり(ふたたび「説」ですが)、海面上昇がどこまで危険なのかは、控えめに言っても一致した意見はありません。

もっとも海面上昇に関しては、パラオのような海面近くに国土の大部分がある南太平洋の諸国では深刻な問題になってきています。ただ、これはもちろん北極の氷が溶けたせいでなく、主として温暖化で水温が上がって膨張したためだと思われます。少なくとも東京やニューヨークが水没しそうな危険が迫っているようには見えません。

気候変動で大雨や旱魃が増えるような異常気象の増加も心配されています。農業や都市のインフラは安定した一定の気候を前提にしていますから、気候の変動で農業が大きな被害を被る場合もあるでしょう。しかし、温暖化のおかげでイギリスでは地中海地方のようにワイン生産が可能になってきました。 気候変動が必ずマイナスとは限りません。

地球温暖化で農業生産が大幅に低下する予測が出てきますが、あくまでも気候変動に対し何の工夫も対策も行わなかった場合の話です。実際には人間は色々な対応を試みるでしょうから、農業生産がどこまで低下するかは予測は難しいでしょう。

地球温暖化で気温が現在より何度か上がると、どうもロクでもないことが起きそうな気はしますが、「人類絶滅」とまではなかなか思えないというのが、ほとんどの人の感じ方でしょう。本当に怖いのは何が起きるかと十分に予測ができないということなのですが、この程度の論拠では、地球温暖化否定論者の突込みにはなかなか耐え切れません。

問題3.未来への高い割引率

現在の地球温暖化の議論の中心は2100年ごろの地球の平均気温や二酸化炭素濃度がどうなる、どうするというものです。2100年というと、今生きている人はほとんど残っていません。自分の死後という意味では未来永劫先の話と同じともいえます。二酸化炭素排出量の削減目標も2050年には60-80%削減を達成しようということですから、これもずいぶん先の話です。

人間は先の問題は実際より小さく見積もる傾向があります。未来の損害は高い割引率で現在の価値に換算するとも言えます。このことは「喫煙の行動経済学」で書いたので、そちらをご参照いただければと思いますが、喫煙のように相当明確に自分自身の寿命を縮めるとわかっていても、将来の危険を過小評価しても人間は目先の快楽を追及します。まして、自分自身でない将来の世代のために、どこまでの犠牲を受け入れるかは疑問です。

議論が数十年単位あるいはそれ以上のスケールだということは、温暖化防止の日々の努力はすぐには目に見える成果を結ばないということも意味します。現在の予測では、二酸化炭素の排出量は削減努力を行っても、2030年ごろまでは排出量はむしろ増加するとされています。快楽は今現在のものとしてあって、努力や犠牲は目に見える成果もなく、高い割引率を適用される。それでも努力するという人はどれくらいいるでしょうか。

問題4.囚人のジレンマ

もっと大きな問題は囚人のジレンマ(「少子化という囚人のジレンマ」参照)です。囚人のジレンマというのは、一緒に罪を犯した2人の囚人が別々に尋問されて、どちらも相手が自分より先に自白することを恐れて自白してしまい、二人とも黙秘するより重い罪を負ってしまうことです。

皆が自分に最適な戦略を取ることで、結果的に全体の利益が損なわれてしまうということなのですが、道路などの公共財は、自分が資金を出さなくても誰かが作ってくれれば利用できます。それでは誰も資金を出そうとしなくなってしまうので、税金で政府が作る必要があります。

二酸化炭素の排出制限も、誰かがやってくれれば、自分は何をしなくても恩恵にあずかることができます。できたら何もしないで済ましたい、少なくとも他人より苦労させられるのはかなわないというのが、多くの人や国の本音でしょう。完全に公平な排出量制限の方法など存在しませんから、不平を言い出したら収集がつかないことになります。

二酸化炭素の排出は主に石油、石炭などの化石燃料を燃やすことで発生しますが、これはGDPと高い相関関係があります。逆にいえば、GDPを減らすようなことをしなければ二酸化炭素の排出量は減少しないことになります。さらに、ガソリン自動車の使用を制限するような利便性、快適性を失うことも我慢しなければなりません。

総論で二酸化炭素排出量削減に賛成しても、できれば自分は楽をしたいと思うのは自然です。みんながそのように行動すれば、二酸化炭素の排出量は減りません。空気という人類全体の公共財を誰が守るかというのは簡単ではありません。道路なら、それぞれの国が責任を持つしかありませんし、道路に投資しなくても他の国が困ることはありませんが、空気はそうはいきません。

日本の二酸化炭素排出量は世界全体の5%です。日本が削減に努力しても、アメリカや中国が努力しなければ無意味です。何も努力をしなくても、他の国が頑張ってくれれば二酸化炭素排出量は減ってくれます。日本のように国内的合意を重要視する国で(どこの国でも同じですが)、本当に二酸化炭素排出量削減に国論がまとまるかは疑問です。

問題5. どうすれば二酸化炭素の排出量が減るかよくわからない

エコバックなどのファッションとしてのエコは大盛況です。エコには二酸化炭素排出量の削減だけではなく、自然環境全体を守るという意味がありますし、もちろんそれは悪いことではありません。しかし、何が効果があるかということになると簡単にはわかりません。

白熱電球が蛍光灯より電力を消費する、つまり二酸化炭素を沢山排出するというのはわかりますが、マグロと牛肉のどちらを食べるほうが環境負荷が大きいかと聞かれて即答できる人は少ないでしょう。私たちの手元に製品やサービスを届けるためには、おびただしい材料や複雑な流通過程が必要です。どこで二酸化炭素を大量に排出しているかどうすればわかるというのでしょう。

ファッションとしてのエコが危険なのは得てして見た目でエコを判断しがちなことです。たとえば、大都会のスラム街は、森の中のログハウスよりいかにもエコの点で悪そうに見えますが、一人当たりの二酸化炭素排出量という点では圧倒的に効率的です。エネルギー消費でも、ゴミ処理でも、人間をまとめて大都会に押し込んでしまったほうが、ずっと環境負荷は小さくなるのです。

エコという点では、安っぽいプラススティック固めの製品に囲まれたほうがずっと環境には良いでしょう。プラスティックはゴミ処理の点で問題が多いのですが、捨てなければゴミになりません。そしてプラスティックは木や紙よりずっと丈夫で長期の使用に耐えます。

魚は遠洋漁業で漁船が大量の油を使うので、エネルギー効率はよくありません。飼料の重さあたりの肉の生産量を考えると、狭い鶏小屋に押し込めたブロイラーが蛋白質源として一番効率的です。農薬も使わなければ、手間がかかり収穫量が減ってしまうので、エネルギー効率としては好ましくありません。

このように考えると、二酸化炭素排出量の削減とエコのイメージは重ならないことが多いことがわかります。要は経済活動の全プロセスを通して、エネルギー効率を最大化する、つまり二酸化炭素排出量を最小化するようなことを考える必要があります。これは個人の知識や努力を大きく超えるものです。

ではどうすれば二酸化炭素排出量は削減できるのか

とりあえず、地球温暖化が問題で、それは二酸化炭素の排出量を大幅に削減すれば阻止できると仮定してみましょう。 「大幅」という言葉もあいまいですが、2050年ごろの日本の削減目標(の目安)の60-80%としましょう(まだあいまいですが)。

技術的にはこれはそれほど難しくありません。少なくとも、ガンの特効薬を作るとか、人工頭脳を開発するような大きなブレークスルーは必要ありません。技術はすでにあります。まず、電力を全て原子力、水力、風力に置き換えてしまえば、4分の一は削減できます。技術は既存のもので十分です。

家庭用の暖房を全て電力にして、車を電気自動車にすればさらに40%程度削減できます。電気自動車は技術的には極端に難しくはありません(「EVはトヨタ王国を終焉させるか」を参照)。飛行機や船、離島の発電などはそれより簡単ではありませんが、その他の努力を積み上げれば80%の削減は夢でも何でもないでしょう。

要は実行するかどうかなのですが、化石燃料の他のエネルギー源への変換は当面は経済にマイナスです。もし、最初からプラスになるのならとっくに移行しているはずです。移行を促進するためには、化石燃料が経済的に不利になることが必要ですが、一番簡単なのは、石油や石炭の値段が上がることです。

石油価格の値上がりは、他の人為的な対策と比べるとずっと効果的です。石油価格の上昇が原因の代替エネルギーへの転換は純粋に経済的な行動で、「地球温暖化は本当か」「こんな対策は意味があるか」などと聞かれる心配はありません。代替エネルギーに早く転換したほうが競争上有利になるのですから「囚人のジレンマ」に悩まされることもありません。

原油の価格上上昇は材料費、加工費、運送費など広範な影響があり、物価を押上げます。しかし、市場経済が有効に機能する限り、長期的には物価の値上がりは原油価格の値上がり分に落ちつくはずです。つまり、何が二酸化炭素の排出量が多いかを考えなくても、価格がすべてを教えてくれるはずです。エコなど気にしなくても、金を節約すれば、二酸化炭素を節約したことになるのです。

日本のガソリン価格はドイツなどのEU諸国と比べて顕著に安いのですが、ガソリン価格が上昇するとマスコミや世論は「困った、何とかして欲しい」という流れに傾き、これを機会にガソリン消費量を減らそうという意見はあまり表に出てきません。

原油価格がどこくらいになれば、皆本気で代替エネルギーに移行するかは一概に言えないでしょうが、無限に原油価格が上昇しても我慢し続けることはありえません。移行が難しい自動車も、街中しか走らない都市コミュータなら今の電気自動車で十分実用に耐えます。

むしろ問題は原油価格がどこまでも上昇することはないだろうということです。代替エネルギーへの移行や省エネ努力は、石油需要を押し下げますから石油価格は下落します。1980年のイラン・イラク戦争をきっかけにした第2次石油ショックの後、石油価格は3分の一に下落し、その後20年停滞しました。現在の石油価格高騰がいつまでも続く保証はありません。

石油価格の高値が保証されないということは、長期的な観点で代替エネルギーの開発を行うことを難しくします。政府ができることがあるとすると、石油価格の下落を目指すことではなく、高値安定を維持することです。原油の値上がりは産油国に税金を払っているのと同じことですから、産油国に金をむしりとられる前に、環境税、炭素税のような形で、石油の値段を吊り上げて、需要を抑制した方が得策なのですが世論はなかなか納得しないでしょう。

アメリカのブッシュ政権は無意味なイラク戦争で中東を混乱させ、石油価格の高騰を招きました。経済の停滞は投機資金を石油市場に向かわせ高値に拍車をかけています。ここまで石油価格が上がると、こんどこそ世の中は本気で代替エネルギーへの移行や電気自動車の開発に向かうかもしれません。そうすれば、石油のことしか頭にないようなブッシュ政権が、結果的に低炭素社会の実現へ大きく流れを転換させたことになります。(このあたっりは「ロシアと石油」も参照してください)

首尾よく二酸化炭素排出量が劇的に削減され、地球温暖化にストップがかかれば、将来ブッシュ大統領が最大の功績者ととされるようになるかもしれません。だからと言って、ブッシュが先見性のある偉大な大統領だったと評価されることはないでしょうが。

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参照: 地球温暖化
人類絶滅シナリオの雑学的アプローチ
縁起でもありませんが、地震のような天変地異、環境破壊の進行、鳥インフルエンザの大流行の懸念など物騒がさせな話題が多いと、本当に人類は絶滅しないのか心配になる人も出てくるかもしれません。人類が絶滅するとすればどんな原因がありうるか、雑学を駆使して(?)考えてみます。

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超新星の爆発

太陽のような恒星は、核融合で輝いていますが、核融合の燃料の水素を使い尽くすと最後は、大爆発を起こして超新星になります。もっとも超新星になるには星が一定以上の大きさであることが必要で、太陽は超新星にはならず、赤く膨れ上がって赤色巨星になります。太陽が赤色巨星になると、地球も飲み込まれてしまいますが、幸いなことにそれは50億年も先の話です。

超新星の爆発は銀河系以外のものでも観測できるほど強烈です。地球から5光年程度の星が超新星になると、地球の表面は熱線で何もかもなくなってしまいます。 もちろん人類は絶滅します。この熱線は光と同じ速度で地球に向かってくるので、爆発を観測してから逃げ方を考えるというわけにはいきません。見えた時は全てがお終いです。

爆発力が大きいと500光年離れていてもガンマ線で生命体を全滅させることが可能です。ガンマ線も光速で空中を進みますから、見えた時は全てが終わっています。いきなり不意打ちを食らわされるわけですが、幸いなことに500光年以内にそこまで強力な超新星になりそうな星はありません。

地球に生命が発生して40億年、真核生物が生まれてから20億年たっていますが、DNAを持つ真核生物が超新星の強烈なガンマ線を浴びたことはなかったと思われます。これから将来にわたって、超新星で人類が絶滅する心配はなさそうです。

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隕石の衝突

6,500万年前に恐竜を始め多くの生物がほとんど突然絶滅した原因は、巨大な隕石が衝突したためだというのは、現在ではもっとも有力な説となっています。巨大隕石の衝突が恐竜絶滅の原因の全てだったかどうかは、まだ議論があるようですが、その頃メキシコ湾のユカタン半島に直径10キロほどの隕石が衝突したことは、地形に残る痕跡や、イリジウムを多量に含む地層の存在によって、ほぼ確実なものと信じられています。

直径10キロというと地球の直径の千分の1以下です。1メートルの大きな地球儀を作っても1ミリほどの大きさで、砂粒ほどです(千万分の一の地球)。こんなもので人類が絶滅するというのもいささか情けない気もしますが、エベレスト山より大きいわけですから、もの凄いスピードで激突したら確かに大変です。

10キロの隕石が衝突すると、ほとんど瞬間的に大陸全部ほどの広がりで、哺乳類は全滅してしまうでしょう。その後、数千メートルに達する津波や、様々な落下物が襲います。これだけで人類の文明はお終いでしょう。しかも、大気圏外に達する大量の粉塵が太陽を覆い隠し、何年も急速な気温低下が続くと予想されます。

10キロの隕石が地球に衝突する確率は1億年に1回程度と見積もられていますが、いつになるか正確な予測はできません。 火星と木星の間にはこの程度の大きさの天体を無数に含む小惑星帯がひろがっていて、それぞれの動きの完全な把握はできていません。複雑な引力の作用で、小惑星は時として安定した軌道から外れて地球に衝突する方向に向かうこともありえます。また、小惑星帯以外にも小さな天体は沢山太陽系を回っていて、地球の軌道の近傍を通ることもあります。

もしかすると来年あたり小惑星の一つが突然地球に接近する可能性がないわけではありませんが、1億年に1回程度のことであればそれほど心配するものでもないでしょう。1キロ程度の隕石の場合、100万年に1回程度は衝突があるといわれ、これでも一つの都市は簡単に全滅しますが、人類絶滅まではいかないと思われます。

将来は小惑星の全てが追跡可能になり、10キロの隕石の衝突なら数年前に予測できるようになるかもしれません。もし、きちんと予測できれば、地下シェルターに人類文明を存続させるだけの人と資源を移動させることは可能でしょう。ただ、仮に100万人程度の人間がシェルターで生き延びられるとしても、残りの人間は死んでしまうわけですから、どのように生き延びる人を選抜し、資源を集積するかは大問題です。そもそも、5年以内に巨大隕石が衝突するというのを広く発表すべきでしょうか。

考えると頭が痛くなってきますが、とりあえずは忘れておきましょう。1億年に1回のことを気にしてもしょうがありません。

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超巨大火山の噴火

日本は火山列島でもあるのですが、地震の脅威の方が取り上げられることが多く、火山の恐ろしさはあまり言われません。確かに、東京などの大都市で直下型大地震が起きたり、東海大地震が起きれば、被害は甚大です。場合によっては数万人が死亡するようなことも考えられます。

しかし、たとえば富士山が大爆発を起こすと、ふもとも町は恐らく全滅してしまうでしょうし、東京も人の住めないような状態になるかもしれません。地震と比べれば火山噴火は予測が可能で、対策は立てやすいかもしれませんが、本当の恐ろしさという点では巨大火山の方が危険です。

ボンベイの町がヴェスヴィオ火山の爆発で埋まってしまったのは有名ですが、地震が都市型の災害であるのに対し、巨大火山は面で被害を出します。日本では7,300年前、九州の縄文文明が屋久島の近くの鬼界カルデラを作った巨大火山の爆発で壊滅し、それが朝鮮半島からの騎馬民族の進出のきっかけになったと言われています。都市を形成していなくても、巨大火山の噴火は十分な破壊力があります。

今から7万5千年ほど前、スマトラ島のトバ火山が多分ここ100万年では最大の噴火を起こしました。この時の噴出物は2,800立方キロ程度と見積もられていますが、これは富士山の体積の2倍以上にもなります。それだけのものが一瞬の大爆発で地中から吐き出されたわけです。

これほどの大爆発があると、噴出物は巨大隕石の衝突と同じように長期間にわたって太陽光をさえぎって、気候に大変動を起こします。当然これは人類にとって大きな脅威になります。実際、人類はトバ火山の爆発のために全世界的に絶滅の危機にさらされました。人類のDNAを分析すると、トバ火山の爆発で人類の個体数は5,000から1万程度(1千人と言う説もある)に減少したと推定されています。人類の遺伝的多様性が大きく失われたこの出来事は、トバボトルネックと呼ばれています。

ふたたびトバ火山の大噴火クラスの爆発が起きたらどうなるでしょうか。気候の大変動を考えると、巨大惑星ほどではなくても、相当な危機にさらされると考えてよいでしょう。かりに食糧生産が100分の1程度に落ち込んでしまったら、人類文明を維持することは恐らく不可能でしょう。国家は崩壊し、混乱と絶望の中、大部分の人間は死んでしまうでしょう。

数万年単位の話とは言っても、超巨大火山の噴火は巨大隕石の衝突と比べると3桁ほども発生確率が高いと考えられます。対処すると言われても困難ですが、巨大隕石と同様に、人類文明をある少数の人たちに託する合意が得られるのなら、残った人間で人類文明の再興は可能です。ほとんどの人類が死に絶えた後、残されたインフラを少しづつ回復させれば、高い文明水準を失うこともないでしょう。しかし、そんな秩序だったことができるかは大きな疑問です。

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資源の枯渇と環境破壊

資源の枯渇は石油価格の高騰を待つまでもなく、いつも心配のタネになります。どんな資源も有限であることは間違いありませんから、再利用のシステムが確立していなければいつかはなくなってしまいます。まして、化石燃料は再利用はできませんから、無限に使い続けることはできません。

しかし、「石器時代は石がなくなったから終わったわけではない」と言うように、資源がなくなって文明が滅ぶというのは考えにくい話です。資源が枯渇してくれば、普通価格が上がってきますから、消費を節約したり代替品を開発しようとします。それは化石燃料でも同じです。誰もが買えないほどガソリンの値段が上がれば、誰も車に乗らなくなりますし、原子力や風力発電の競争力が高くなります。

問題は、もともと値段も所有権もないようなもの、環境資源です。空気にお金を払うことはありませんし、海にゴミを捨てても金を取られるわけではありません。このようなものは、人為的にルールを設定して、使用を制限する必要があります。空気や海に国境はありませんから、ルールは国際的に守られなければ意味がありません。これは簡単なことではありません。

環境資源が破壊されて、文明が崩壊した例は歴史上いくつもあります。モアイ像で有名なイースター島は、部族同士がモアイ像作りを競った挙句、狭い島の森林資源を枯渇させて衰亡してしまいました。イースター島の例は狭い実験室の中の話のようなものですが、ギリシャやローマも森林資源の枯渇が、製鉄能力を低下させ、衰退の原因になったと言われています。

現在のような調子で、化石燃料を燃やしたり、森林資源やサンゴ礁の破壊を進めれば、人類全体が過去のいくつかの文明がそうであったように、衰退の憂き目にあうことは十分考えられます。地球温暖化はそのような事態の一つでしょう、解決はもともと値段のなかった、環境という資源にルールで値段を付ける国際的枠組みが構築できるかどうかにかかっています (参照)。

イースター島も、ローマもそのような枠組みを作ることができませんでした。もしできなければ、人類全体がイースター島のように遺跡だけを残して原始時代に逆戻りすることになるでしょう。

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パンデミック

1918年に世界は史上初めて全世界的な伝染病の蔓延の恐怖に晒されました。スペイン風邪です。スペイン風邪は当時の12-15億の人口の半数が感染し、そのうち4千万人が死亡しました。日本だけで人口5,500万人のうち1%50万人がスペイン風邪で死亡しました。

このように一つの伝染病が世界的に流行することをパンデミックといいます。現在もっとも心配されているのは、鳥インフルエンザが鳥から鳥、鳥から人へだけでなく、人から人に感染するようになることです。鳥インフルエンザが人に感染した場合の死亡率はスペイン風邪(スペイン風邪自身が鳥インフルエンザが変異したものと推定されている)よりはるかに高く、人から人への感染するようになった場合、全世界で最大5億人の死者がでると予想されています。

5億人も死者が出るというのは、人類的な危機と言っていいでしょうが、人類絶滅とまではいかないでしょう。鳥インフルエンザよりさらに致死率の高い、ほぼ100%が死亡するエボラ熱のような伝染病でパンデミックがおきたらどうなるでしょう。

エボラ熱はインフルエンザのような空気感染はせず、患者の血液、体液に接触しなければ感染しませんが、空気感染をするエボラ熱のようなものが現れたら大変なことになります。心配するときりがありませんが、アメリカ大陸にヨーロッパ人が進出した時は、それに近い状態になったようです。ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病で、北米の数千万人いたはずの原住民がほとんど全滅し、わずかなアメリカンインディアンを残して、平原だけになってしまいました。

現代の人類は、例えワクチンがない場合でも、細菌やウィルスの知識があり、感染の予防策を講じることができます。世界全体が一つの都市のように連結されて、伝染速度は加速していますが、通信やコンピューターシミュレーションにより、伝染状況をかなり正確に把握し予測することができます。

ふたたび問題は、有効な予防策の構築と実行が素早く行えるかどうかです。パニックに陥ったり、自分たち、自分の国だけが得をしようとすると、予防策が有効に機能しない可能性があります。

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核戦争

ソ連が崩壊するまでの冷戦時代では現実的な人類絶滅のシナリオとして唯一考えられたのが、米ソ両国が核戦争を行うことでした。両国とも数千発の核ミサイルを持ち、全面戦争になれば人類は滅亡すると考えられていました。おそらく文明が崩壊してしまったことは間違いありません。

今は、そのような危険は過去のものと考えられています。しかし、アメリカもロシアも依然大量の核兵器を保持しています。いざ全面戦争になれば、事態は冷戦時代とそれほど変わらないでしょう。世の中何が起こるかわかりませんから、核兵器がこの世の中からなくならない限り、心配が完全になくなることはありません。

人類絶滅にはいたらなくても、テロリストが核兵器、それもメガトン級のものを大都市で爆発させるようなことは考えられます。そんなことをされたら、被害は東海大地震とは比べものにならないほどすさまじいものになるでしょう。幸いなことに、このようなことはまだ起きていません。起きていないということは、ロシアの古い核兵器が横流しされることもなかったし、北朝鮮が使える兵器を売ったこともなかったということです。

この点でも世の中どうなるかわかりません。技術が進歩すれば相対的に核兵器を作るハードルは下がってきますから、北朝鮮あるいはアフリカのどこかの国が核兵器を売り出すことがないとは断言できません。人類絶滅の心配は小さくとも、潜在的な恐怖が解消されることは当分ないでしょう。

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宇宙人の侵略

SFでは何度もでてくる話ですが、人類よりはるかに高い文明を持った宇宙人が地球を侵略する可能性はないでしょうか。可能性という言い方をするなら、100%否定することはそれこそ不可能です。人間は太陽系を抜け出すどころか、月より遠くの天体に行ったことはないわけですから、太陽系の外から地球にやってこれるような科学力は想像を超えるものがあります。

そのような科学力を持った宇宙人が攻撃してきたら、人類は狼に襲われたペンギンほどの力もないでしょう。人間が絶滅させた生物はマンモス以来いくらでもありますが、こんどは自分たちが同じ運命をたどることになります。頼りは現代人が白熊の絶滅を心配するような自然保護の精神を宇宙人が持っていることです。

そんな博愛精神を宇宙人も持っているかどうかということはもちろんわかりませんが、期待できないわけではありません。他の生物を守ろうという精神は、人間以外は持っていませんが(不必要に殺さないというのとは別です)、このような精神は生物的な進化の結果というより、共同社会を作る中で文化として生まれてきました。互いに奪い合い、殺しあうだけでは高度な社会を作ることは不可能だったのです。

宇宙人も高度な文明を持っているからには、高度な社会システムを持っているはずで、そのようなシステムには博愛精神、相互扶助、弱者救済の文化があると期待するのは妥当でしょう。博愛精神の中で、北極熊やクジラを保護するように人類は宇宙人に守ってもらえるかもしれません。

しかし、多くの生物が依然として絶滅の危機にあるように、人類は自分たちの目先の欲得のためには、平気で他の生物の生存圏を破壊してしまいます。人間同士でも虐殺し合うことをやめたわけではありません。宇宙人に慈悲を期待するのは図々しいとも言えます。また、宇宙人に人類を生物種として保護しようという気持ちがあっても、せいぜいサハリ動物園のような保護区で細々と生きさせてもらえるだけかもしれません。少なくとも現在のようにわが物顔で地球を支配することは許されないでしょう。

幸い(かどうかはわかりませんが)、宇宙人が地球にやってくるというのは、きわめて考えにくい事態です。宇宙には文明どころか、多細胞生物さえ地球以外には存在しないかもしれません。かりに人類をはるかに超えるような科学力を持てたとしても、宇宙はあまりに巨大で恒星間の旅行はとても簡単にはできません。宇宙人の侵略で人類絶滅になる可能性は、超新星の爆発で人類が滅ぶより小さな確率でしょう(もちろん本当のことはわかりませんが)。

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突然死

世界が緊密に統合されていくにつれ、人類全体が突然死する危険が高くなっています。ホモサピエンスが出現して、20万年程度になりますが、その間75,000年前のトバ噴火によるトバ・ボトルネック以外には、人類が絶滅寸前になったことはありませんでした。氷河時代も伝染病も戦争も人類全体を危機に陥れることはなかったのです。

その間、多くの文明は滅びました。失われた知識や技能も沢山ありました。それでも人類全体が種として絶滅の危機にまでいたらなかったのは、どの文明も世界全体のごく一部でしかなかったからです。ローマが滅んだ時も、東には中国文明が栄えていましたし、アメリカにはマヤ文明がありました。

現在の世界は事実上ただ一つの文明しかありません。イスラム原理主義のテロリストも、マイクロソフトのパソコンからインターネットにアクセスし、携帯電話で連絡を取り合っています。冷戦時代はまだ、ソ連がアメリカの最新技術を盗むことはあっても、一応自分で咀嚼して別の技術システムに仕立て上げたのですが、今やそのようなことはありません。

グローバル化と競争の激化で企業は、どんどん特定の部門への選択と集中を進めています。マイクロソフトのパソコンソフトでのシェアの高さは誰でも知っていますが、思いもかけない重要部品が世界で唯一つのメーカーがしか作っていないということはよくあります。

ミミズは下等な生き物ですが、二つに切られても死ぬことはありません。しかし、哺乳類のような高等生物は、真っ二つにされて生き延びるようなことは絶対にありません。生物として高度化される中で、各部分の機能的な専門化と統合が進んだ結果です。人類文明もその段階に近づいてきているように思えます。文明が統合化されると同時に、文明の多様性が失われてきているのです。ただ1個しかない現代文明が崩壊すれば、代替する文明はありません。文明がなくなれば人類は滅亡するでしょう。

どんなことが現代文明を崩壊させる引き金になるかはわかりません。環境破壊が農業生産の低下を招き、政治的混乱が決定的な事態を引き起こすことも考えられます。あるいは強力なコンピューターウィルスがインターネットとそれに接続されているコンピューターを稼動不能にして、社会の仕組を機能不全に陥れるかもしれません。

何が原因になるかは別にして、文明が一つに集約され世界が統合された状態は、石器時代と比べれば人類を脆弱な状態にしてしまったことは間違いありません。トバ火山の大噴火で人類の大半が死んでしまっても、残った1万人足らずの人間は、そこから人類をもとの状態に回復させることができました。同じことがまた起きたら、それは難しいでしょう。

圧倒的な力を持つ人類は、その社会システムが有効に機能すれば、ほとんど全ての危機から人類文明を守ることができるでしょう。近傍での超新星の爆発以外、巨大隕石の衝突にさえ耐えることは可能です。しかし、全ては人類が全体として理性的に人類文明を維持することに力を集中できた場合です。大きな気候変動などなくても、社会システム崩壊の引き金になるような危険はますます増えているでしょう。人間を殺すには、細い針が一本あれば十分です。そして何が人類にとって致命的な細い針になるかは、わからないのです。