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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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ヒットラーはなぜスイスを侵略しなかったか
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大きななぞ

第二次世界大戦でスイスがナチスドイツの侵略を受けなかった理由については、様々な議論があり、大きななぞの一つとされています。 特に日本では過去に、憲法九条を擁護する立場から「永世中立」による平和主義こそ戦争に巻き込まれなかった理由とする意見と、逆に「国民皆兵の強力な軍事力が平和を守った」とする反対の意見がありました。

スイスは永世中立国として知られています。スイスの永世中立国としての地位は、1815年のウィーン会議で国際的に認められました。しかし、中立がドイツの侵略を防ぐ、決定的に有効な手段だったというのは無理があります。事実、オランダとベルギーは中立を宣言していたにもかかわらず、ドイツがフランスを攻め込む経路として真っ先に占領されてしまいました。

一方、強力な軍事力がドイツが侵略をする気持ちを挫いたというのも、全面的に真実とは言いがたいものがあります。何しろ、ドイツは第2次世界大戦で、ソ連とアメリカそれにイギリスを同時に敵に回して戦いました。

スイスはギザン将軍の指導のもと、国民の2割に相当する80万人以上の兵力を動員していましたが、ドイツは圧倒的に優勢な数百万の軍団を動かすことが出来ました。必要となれば攻め込んできたでしょう。

また、スイスがドイツに攻め込まれた場合、ドイツから南北を貫いてイタリアとつなげるトンネルを破壊する決意があったからだとする説もあります。ブラフとして多少の効果はあったかもしれませんが、いくら何でもトンネルの爆破を怖がって、破壊の極致のような戦争ができるはずがありません。

さらに、スイスが焦土作戦として破壊しようと考えていたものとして、スイスの工業力があったとも言われています。スイスの高度な工業力はドイツの戦争遂行に役に立つ製品を大量に生産していました。

しかし、工場設備の多くが爆撃で破壊された大戦末期ならともかく、ドイツ自身も高い工業力を持っていました。焦土作戦がドイツの侵略を思いとどまらせたというのも、それほどの説得力はありません。

タンネンバウム作戦

少なくともドイツはスイス侵略の真剣な検討を行ったことがあるのは事実です。1940年6月、フランスがドイツに降伏して直ちに、ドイツの参謀本部はタンネンバウム作戦と呼ばれる、スイス侵攻作戦の策定を開始しました(正確にはタンネンバウム作戦はその第3版)。

スイスは多言語国家ですが、人口の70%近くはドイツ語を母国語としています。民族的にはドイツ人に近いと考えられていますが、ヒットラーはスイス人を「卑しい、最低のやつら」と言って常々スイスに対する軽蔑心を露にしていました。ところが、ヒットラーはついにタンネンバウム作戦の実行を指示しませんでした。

タンネンバウム作戦の作られた翌1941年、ナチスドイツは独ソ不可侵条約を結んでいたソ連に対し、突然大軍による進撃を開始します。バルバロッサ作戦が始動したのです。恐らく、対ソ戦の開始でドイツ軍が十分な兵力をスイスに割くことができなくなった時点で、タンネンバウム作戦は放棄せざる得なかったのでしょう。

スイスはドイツが侵略してきた場合は、徹底的に戦うことを明らかにしていました。それは単なる張ったりではなかったはずです。平坦なオランダやベルギーと比べるとスイスは狭小ですが山岳地帯にあり、ゲリラ戦を継続することは可能だったでしょう。強力なドイツ軍も気楽には手を出すことは出来なかったのです。

ドイツにとってのスイスの価値

侵略をあきらめてしまえば、スイスはドイツにとって価値のある存在でした。スイスは現在にいたる国際銀行決済システムBISの本部のある場所です。ナチスドイツの金はスイスを窓口として貿易決済に使われ、ドイツの戦争継続を助けました。

さらに、スイスはナチスの財産を秘匿することにも役立ちました。スイスの銀行の秘密主義は戦後もナチスの戦争犯罪者たちの財産を守ったのです。ただし、スイスはユダヤ人の財産の秘密も守りました。執拗なドイツの要求にもかかわらず、ユダヤ人(その多くはホロコーストで殺されてしまったのですが)の財産はドイツに手渡されることはありませんでした(ただし、スイスの銀行はユダヤ人の財産をネコババしたこともあったようです。戦後スイスの銀行に対しユダヤ人が預金の返還を求める裁判を起こすなど、事実は一様ではありません)。

スイスはユダヤ人の難民を何万人も受け入れましたし(ただし、それ以上に多数のユダヤ難民の受入を拒否もしました)、1,700人におよぶ撃墜されたアメリカ人パイロットも助けました。中立は看板だけではなかったと言えるでしょう。けれでも、ドイツの侵略を避けるために行ったスイスのナチスドイツへの協力は、名誉と言えるようなものではありませんでした。ナチの金とスイスの関係は、戦後繰り返し非難されることになります。

それでも、スイスはドイツ空軍が領空を飛ぶことを武力を行使してまで、許しませんでした。経済的な協力はしても、軍事的な協力は拒否し続けたのです。強大なナチスドイツの軍事力や、残酷な占領政策を考えれば、それは勇気のある判断と言って良いでしょう。小さな国の中立主義は国民の強い意志で貫かれたのです。

国連加盟と食料備蓄

スイスは何度かの国民投票での否決のあと、2002年の投票で、ようやく国連に加盟を決定します。それも賛成が55%、反対が45%というきわどいものでした。第2次世界大戦で中立を通したスイス国民から見れば、英語で国連を意味するUnited Nationsはドイツ、日本、イタリアの枢軸国と対峙した、もとの「連合国」という意味しかなかったようです。

それと比べるとUnited Nationsを国連と訳し直した日本が、国連を世界平和の象徴とありがたがったこととの距離は大きいと言えます。国連には敵国条項とよばれるものがあり、ルール上国連加盟国がドイツ、日本などの旧枢軸国を国連の承認なしで攻撃することが許されています。敵国条項は国連が「連合国」であることの紛れもない名残りですが、それを気にする日本人は多くはありません。

しかし今となっては、一見お気楽な日本的な国連解釈のほうが、国連加盟は連合国の一員になることだというスイス人の意識より、ずっとまっとうなものでしょう。スイス人が国連加盟はすなわち連合国の一員となるというのは、聖書の話を全て真実と考えるのと同じようなものです。敵国条項も死文であることは、人間はアダムとイブの子孫ではないのと同程度に自明のことです。

スイスでは備蓄した古い小麦でパンを作るので、スイスのパンはまずいという話があります。溶かしたチーズにパンを浸して食べるスイス名物のチーズフォンデュは、パンのまずさをカバーするために作ったという話もあります。

スイスが食料を備蓄しているのは本当で、政府だけでなく、一般家庭でも2ヶ月程度の食料の備蓄を奨励されています。スイス政府は国民一人当たり2,300kcalの食料を6ヶ月供給できる在庫を確保することが義務付けられています。

スイスの食料自給率は日本と同様(食料自給率の愚)低いのですが、狭小で山だらけの国土を考えるといたし方ないでしょう。しかし、第2次世界大戦中はドイツに食料補給を押さえられ、戦前一人当たり3,100 kcalの補給が大戦末期には1,800 kcalまで落ち込みました。

ドイツはスイス侵略をあきらめていたわけですから、これはスイスを兵糧攻めにしようとしたからではないでしょう。ドイツもそれ以上に食料危機に陥っていたのです。もし日本の食料自給率の低さを「有事」に対する備えという意味で心配しているのなら、スイスのように備蓄を考えるしかないでしょう。日本はどんなに頑張っても肥料や農機具の燃料の元を石油に頼っている以上、最終成果物の農産物が自給できても意味がないからです。

鳩時計そして日本は何を学ぶべきか

スイスと日本はほとんど正反対と言っても良いほど違う国です。ヨーロッパの真ん中に位置するスイスと、海で囲まれた日本では、防衛の切実感は全く違います。人口が日本の20分の一しかないスイスでは4つの言語が使われ、一定以上の教育のあるスイス人はほとんど流暢な英語を話します。

その一方で、山が多い狭い国土で、資源や食料を輸入に頼らなければならないという点では日本と同様とも言えます。もっとも資源を他国に依存しなければいけないのは、ほとんど世界中全ての国が同じです。アメリカでさえ原油を日本以上に大量に輸入しているのです。

真面目に「有事」を考えるなら、食料自給率の向上や、資源確保で騒ぎまくるのではなく、スイスのように備蓄を行う方が現実的です。もちろんこれは莫大なコストがかかります。穀物を安定的に保存する大変さは、「事故米」事件でも明らかになった通りです。

覚えている人はあまりいないでしょうが、戦後日本は「アジアのスイスになれ」と言われたことがあります。最初に書いたように永世中立だけで、平和が守られたわけではありません。

かと言って、必死に武装したことがナチスドイツをはねつけたとも言えません。フランス攻撃の通路だった、オランダ、ベルギーと違って、スイスの周りは枢軸国と、降伏したフランスでした。スイスの地理上の戦略的重要性は低かったのです。

攻め落としても大して意味がないとなると、精一杯の武装はそれなりに効果があったのでしょう。中立国としての立場も、海外貿易の窓口としての意味がありました。銀行の秘密主義は腹立たしいこともあったでしょうが、ナチスの高官にとって敗戦後の備えて財産を秘匿する役割を期待できました。

スイスは中立を守り、戦争に巻き込まれなかったことで、もちろん大きな果実を得ました。ナチの金の取扱を含め、中立国として貿易を行うことで、スイスは大きな利益を上げました。何より、戦争をしなかったことで人的被害も、戦災も被らずに済みました。ドイツやソ連は国民の20%程度を失ってしまったのです。

スイスが中立を貫けたのは、多くの幸運もありましたが、必死の努力の賜物でした。それは中立原理主義と言っても良いかもしれません。しかし、世間はスイスの必死の中立維持の努力に必ずしも好意的なばかりではありません。

オーソン・ウェルズは映画「第三の男」の有名な科白で言っています。「イタリアではボルジア家三十年の血の圧政の下に、ミケランジェロ、ダヴィンチそしてルネッサンスを生んだ。スイスの五百年の同胞愛と平和と民主主義は何を生んだか。鳩時計さ!」
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わかっていても
福田辞任

総選挙では皆4匹の兎を追う

福田首相が辞任してしまいました。「びっくり」と「またか」の感想が入り混じっていますが、どうも自民党総裁選挙、首班指名と来て、やはりここは総選挙で民意を問うという流れになりそうです。

一寸先は闇という政界ですから、何が起きるかわからないのですが、とにもかくにも総選挙ということになると自民党か民主党か、どちらかを中心とした政権が誕生するはずです。第3の道として大連立という選択肢もあるのですが、それはなさそうです(もちろん、何が起きるかわからないわけですが)。

しかし、今自民党と民主党が総選挙を行うと、何が争点になるのでしょうか。「どちらが国民の目線で、国民のためになる政治をするのか」では政党選択の基準としては同義語反復でしょう。

争点としては無意味に近いのですが、テレビも新聞の「そこが一番大事」といつも言っていますから、同義語反復の科白をどちらが、より大声で叫ぶかが勝敗の分かれ目になるのでしょうか。

自民党と民主党も1.国民の福祉を向上させ、2.経済を好転させ、3.消費税は上げず、4.財政は再建すると言っているように聞こえます。政策の実現可能性は別として、基本は「4兎を追う」ということのようです。

そんなことはできるはずはないと、おそらく日本国民の大部分は思っているのですが、あれも嫌これも嫌と言っているうちに、こうなってしまいました。

ただ、この4つが同時に成立するのが数学的に不可能と証明されているわけではありません。現に戦後の高度成長期の日本はまさに、消費税なしで、赤字国債の乱発もなく、好景気のもと福祉はどんどん向上して行ったのです。

いくら少子高齢化といっても、国家は人間と違って、生理的老化が運命付けられているわけではありません。「夢よもう一度」と考えても良いのかもしれません。

自民党の「上げ潮路線」を提唱しているグループの主張はある意味、合理的に「4兎を追う」という主張です。ただ、上げ潮派も前提となる経済の高度成長を実現する明確な具体論を持っているわけではありません。

しいて言えば、「規制緩和」ですが、郵政の民営化でもあの騒ぎでした。政府系金融機関の統合くらいでも、官僚との命がけの激突は避けられませんでしたし、まして廃止ともなればなおさらです。農業の規制緩和や自由化にいたっては、まじめにやれば首相のくびがいくつあっても足りないでしょう。

ということで、5.規制緩和はそこそこにして、場合により昔に戻すという、5匹目の兎も追い駆けようということになります。ここまでくると、高度成長期を含めても実例は見当たりません。高度成長期には少なくとも産業界は自由化を進めました。

政策が同じになる理由をゲーム理論で考えると

皆バカバカしいと思いながらも4匹も5匹も兎を追っ掛けるフリをする羽目になるのは、民主主義である以上、ある程度しかたのないことなのですが、二大政党制は一層その傾向を強める働きがあります。

今、町の端から端、A点とB点を結ぶ1本の道沿いで、屋台のラーメン屋を開くとしましょう。端から端まで歩いて30分くらいなら、どこに店開きしても、そんなに繁盛の程度は違いないでしょう。そこで、A点から5分くらいの場所に店を開くことにします。

ところが今競争相手が現れて、A点から6分のところに店開きをしたとします。そうすると、新しい屋台はB点から自分の屋台までの人は皆奪うことができます(屋台の味や値段の差はないとします)。

前からの屋台はA点から自分の屋台までの客と、新しい屋台との中間の客までしか奪えなくなります。これでは困るので、前からいた屋台はA点から7分のところに屋台を移動します。

そうすると新しい屋台はA点から8分のところに屋台を移動します。このようなことを繰り返すと二つの屋台はどちらもA点から15分、A点、B点の中間地点に店を置くことになります。

これはどちらの屋台にとってもベストの戦略ですが住民にとってはベストではありません。本当はA点から10分、B点から10分のところに、それぞれ屋台を開いてもらうのが一番良いのですが、屋台にとって大切なのは自分の商売で、住民の便利さではありません。

二大政党制では様々な意見の中央にどちらの政党の政策も収束する傾向があります。とは言っても、消費税を25%にして北欧型の高福祉社会を作るか、アメリカの共和党右派のように防衛以外は福祉であろうと企業救済であろうと連邦予算は一切使わせないという、本来の両端が示されているわけではありません。

中間点もそこそこの税率で、そこそこの福祉になるはずですが、実際には自民も民主もいかにも4匹の兎、つまり税金は少なく、福祉は大きくを追っているような態度を取ります。

選挙でおいしいことばかりを言うことこそ、まさに「国民を目を向けた、国民目線の政治」に他なりませんから、一概に責めるわけにもいかないのですが、選挙の後、A点、B点どちら寄りに屋台の店開きをするのかは、本当は知りたいところです。どんな政策でも、必ず損をする人得をする人は出てくるはずだからです。

奇跡を期待するより、現実的な政策を

実際に4匹とか5匹の兎を一度に捕まえることはできるでしょうか。高度成長はその答えの一つですが、年間10%の成長を実現する政策は思いつきそうにありません。

思いつかないのなら、高負担、高福祉か低福祉、低負担か、あるいはその中間かの選択をオプションとして提示するのがまっとうなやり方というものでしょう。そんなことは自民党、民主党どころか社民党、共産党にもありません。実のところ、外交防衛問題を除けば、どの政党も4匹兎を追い駆けますと言っているのです。

4匹の兎の中では「財政再建」だけを単独で取り上げるのは無意味です。つまり、財政赤字をなくしたいのなら、税金をバカ高くするか、歳出を福祉だろうと防衛だろうと何もかも切り捨てればよいのです。高福祉、低福祉の選択なしで財政のことだけ切り離しで議論するのは家計と国家財政を混同しているとしか思えません。その気になれば、少なくとも当分は借金は続けられます(借金なんか怖くない)。

経済活性化の議論も本質的ではありません。景気が悪いとき、政府支出で有効需要を作り、景気が良いときは、逆をして過熱を防ぐというのは、普通の経済政策です。公共事業をどこまで行うのかという、方法論は議論は分かれますが全体から見ると枝葉末節です。

多分、高福祉高負担、低福祉低負担のどちらが絶対的に正しいということはないでしょう。生活保護を冷たく打ち切られて飢え死にしてしまうような状態と、働かないで遊んでいたほうが得になるような状態と、どちらかが正しいというものでもありません。

政策は行きつ戻りつしながら、片方に振りすぎるのを修正するのが結局はうまくいく、というのが二大政党制の根幹でしょう。皆が4匹あるいは5匹の兎を追い駆けているのは、制度が機能していない証拠です。

残念ながら、無理だとわかりながら、まじめな政策論議は横において、口当たりの良いことを皆等しく言うのが今の状況です。兎が4匹とも捕まる奇跡は起きないでしょう。日本は本当にもうダメなのかもしれません。

以下の記事もご参照ください
社旗福祉は最大の景気刺激策
日本は大企業病
天下りを考える
高福祉それとも低負担
また公共投資ですか
借金なんか怖くない