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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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奇策ではない高速道路無料化論の続き:財源論議
明石大橋
本州と四国には3本も橋を架けたが・・

前回の続き)

国民の借金には変わりはない

高速道路の通行料を無料化すると言った時、真っ先に出る反論は財源をどうするかということです。英語で「No Free Lunch!:タダ飯はない!」と言いますが、高速道路料金がタダになったら、どこかでつけを払わなくてはいけないのでしょうか。

ここで注意しなければいけないのは、高速道路料金の半分以上は過去に積み上がった40兆円の借金を返済するために使われているということです。この借金の貸し手は主として郵便貯金ですが、仮に高速道路会社が破綻して借金が返せなくなったらどうなるでしょうか。

40兆円もの金が焦げ付けば郵便貯金も連鎖倒産する危険があります。民間企業と民間銀行の間で、同じことが起きればそうなるでしょう。

しかし、民間銀行でも預金者の預金は最大1千万円まで保護されます。最近の金融危機では「自己責任」を信条とする、市場主義のアメリカやイギリスでさえ、預金は政府が全額保護しようとしています。

高速道路会社の借金も、高速道路会社の存続とは無関係に、日本政府が保証を与えている実質的な国民の借金です。どうせ国民の借金であるなら、利息の一番安い国債に置き換えてしまうのが得なはずです。

ここで話は高速道路が「たまたま」政府あるいはその関係機関が運営している営利事業なのか、公共財として政府が対価なしで提供するべきものかの議論に戻ります。公共財なら、そのために作った借金を国債で賄うことは当然です。

高速道路建設のための借金を国債で行うことが妥当なら、40兆円は高速道路無料化のための財源議論ではなく、その20倍におよぶ国の借金返済の一部の問題ということになります。

財源論議を借金返済に結びつけるのは危険

国の借金と個人の借金は違います。その違いの根本は、個人は寿命があるが国には寿命がないということです。個人は寿命があるので、最後はきちんと元本を返済しなければいけませんが、国は利息さえ支払えるのなら元本は減らさなくても構いません。

もちろん、野放図に借金を重ねていけば、借金の利息を新たな借金で返済し、なおかつ借金が雪ダルマ式に増えていくという破滅的なシナリオに陥る危険がありますが、今からでも財政の規律を回復して、無茶苦茶をしないように気をつけても遅くはありません(このあたりは「借金なんか怖くない」をご参照)。

むしろ危険なのは、なりふり構わず財源を探し出し(つまり国民から金をむしりとって)借金を返済しようとすることです。国民が返済された借金の分を、消費や設備投資にまわしてくれればよいのですが、溜め込んだままだと、経済は大縮小してしまいます。

これは、国債を買っている郵貯や銀行が償還期限の来た国債の償還を受け、新たな国際の発行もなく、かといって他に安全な借り手もいなくて途方に暮れるという状態です。金が余って、預金利息がますます低くなるという、あまり嬉しくないことになります。

歯止めがなく、ずるずると国債発行額が増加するというのは、体に悪いと判っていて、タバコを吸い続けるようなものかもしれません。 その例えで言うと国債残高増加にやたら神経質になるのは、タバコの煙を吹き付けられたからといって殺人未遂だと騒ぎ立てるようなものです。体に良くはないでしょうが、いきなり死んでしまうような話ではないのです。

国債の発行が一定程度あるというのは、今では経済の生理現象として組み込まれています。国の借金を目の敵にするというのは、必ずしも正しくはありません。

借金の責任は誰にあるのか

多くの人が気分的に納得できないこととして、今ある借金には、需要とは無関係に本州と四国の間に3本も橋を架けてしまって作ったような、バカバカしい借金が含まれていることがあります。こんな借金を作らした連中の責任追及はしなくてよいのでしょうか。

もちろん、しなくてはいけません。しかし、バカバカしい借金の原因は3本の本四架橋だけではありません。「熊しかいない」ような田舎の片側二車線の立派な道路。水が余っているのに、自然を破壊するダムなどなど、「建設工事が欲しくて」作ってしまった、施設と借金の落とし前はどうすればよいのでしょうか。

そもそも、本四架橋にしろ何にしろ、建設工事で利益を得たのは、建設業者や政治家で、利用者ではありません。通行料を高くして無関係な人たちに借金を積み上げた責任を負わせようとするのは筋が通りません。

前回の記事でも書いたように、借金を利用者に被せようとするのは埋没コストは、もはや節約できないお金だということを忘れた発想です。高い通行料は経済的利便性を損ねますし、建設工事で得をした連中を罰する何の役にも立ちません。

ゴルフ場が会員から集めた預託金が返済できなくなっても、ゴルフのプレー代をやたらに値上げするようなことはしません。そんなことをしても、客が集まらず経営が成り立たないからです。預託金を預けた会員は損をしてしまいますが、高速道路の場合は会員は日本国民自身です。腹立たしくても、ツケはもうまわされてしまっているのです。


最後は税金で肩代わりだが・・

とは言っても、高速道路料金の収入が年間2兆円以上あることは確かですから、無料化して何の代替も必要ないというわけにはいきません。

まず、高速道路を新たに建設する費用があります。しかし、これは本来他の一般道路と一体に総合的に考えるべきことでしょう。一定の予算配分で高速道路、一般道路をどのように建設すればよいかを考えるのです。

日本では道路は建設国債という形の借金や、道路特定財源など特別な財源を割り当てられていました。実際には、それらに加えて高速道路の料金があったわけです。

現在の日本のように、かなり道路が整備された状況では、道路だけ特別扱いするのは理屈に合いません。道路というインフラ不足で経済発展が損なわれているということは、ほとんどないのです。道路予算も他の支出項目と同等に、全体としての優先順位を考えるべきです(まぁ、言うほど簡単な話ではないでしょうが)。

いずれにせよ、社会福祉、防衛、道路建設それに国債償還費、利払い費などさまざまな項目のバランスをどう取るか、税金をどのように徴収するかは政策選択の問題です。

高速道路の利用料金は、高速道路を作り続けるという前提を取り外してしまえば、道路特定財源の一部で補えるでしょうし、あるいはコンマ0.5%以下の消費税の増税でカバーできるはずです。

ただ、これはあくまでの財源論議に伴う計算上の話で、道路特定財源の一部や消費税のコンマ何パーセントかを高速道路予算に固定的に振り向けるということではありません。それでは高速道路料金と同じことになってしまいます。

高速道路の無料化に財源問題がないとは言いません。しかし、40兆円の借金をいきなりどうにかしなければいけないという問題でもありませんし、高速道路利権の維持を考えなければ、他の財源(つまり税金)への転換は、それほど大変なわけではありません。

何よりかにより、欺瞞に満ちた高速道路民営化の陰で、十分なチェックもなく政府支出全体のバランスも考えない、現在の状態を続けることがよほど問題です。財源論議の裏読みをもっとするべきでしょう。
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奇策ではない高速道路無料化論
高速道路

高速道路は公共財?

民主党はマニフェストの中で、都市部を除く高速道路の無料化を主張しています。例によって無責任な野党による、財源の裏付けのない単なるバラマキと思う人も多いのですが、他の政策は別にして、高速道路の無料化は、ただのバラマキとは違った意味合いを持っています。

防衛のように、対価を支払う支払わないに関係なく、誰もが同様な便益を得られるものを公共財と言います。公共財は自分が対価を負担しなくても提供されますが、皆が利己的に負担をしようとしなくなってしまうと、維持することができなくなってしまい、全体の利益が損なわれてしまいます。

そこで、公共財の提供には税金などの形で強制的に皆から費用を徴収することが必要になります。道路は公共財の中で、防衛と並んでもっとも一般的な例とされています。皆が道路の建設費を負担しない、あるいは自分の使う道路しか対価を支払わないと言い出すと、道路はつながらず、役に立たなくなってしまうからです(なぜ救急車はタダなのか)。

ところが、日本では高速道路に世界でも類を見ないほど高額の通行料が求められます。なぜ、これほど高額なのかという理由は、高速道路の建設のために要する多額の費用を捻出するためと、高速道路という便益を享受する受益者負担が必要と説明されています。

高速道路が受益者の負担を求め、それにより建設、維持されるのなら、もはや公共財とは言えなくなります。しかし、高速道路の公共的な性格は明らかです。高速道路は物流の要ですし、自動車が広く普及している日本では、特権階級のために存在しているわけではありません。

にもかかわらず高速道路に高額な通行料を支払わせるのは、税収の乏しかった日本で高速道路建設を行うために、平均的日本人よりはるかに金持ちだった自動車の持ち主から、税金の代わりに受益者負担の名目で第二の税金として高速道路料金を徴収しようとしたからです。

当初は第二の税金の高速道路料金は、高速道路は公共財だという原則により、建設費に要する費用が回収された後、無料化される予定でした。ところが、道路建設を持続的に続けることが政治基盤維持の道具になった自民党と、高速道路を天下り先確保のために使う官僚とが、第二の税金の高速道路料金をなかば恒久化してしまったのです。


第二の税金は財政規律を失わせた

高速道路を税金で建設すると、採算性を無視して建設を推進する。つまり、財政規律を失わせるという意見があります。無視できない心配ですが、少なくとも高速道路を第二の税金である高速道路料金で建設するという方法は、結果的には財政規律を失わせました。

税金で高速道路の建設を行うと、そのための予算は他の省庁との奪い合いになります。あまり感心した状況とも言えないのですが、税金の奪い合いはある種の相互牽制が働きます。

ところが、高速道路料金のような第二の税金は、使途が最初から決まっているため、国会のチェックも、他の省庁の相互牽制も働きません。結果は、道路需要とは無関係に、もくもくと組織の生存目的と、票の獲得のために高速道路を造り続ける結果になってしまいました。

財政の規律が失われたのと同様に、高速道路が高速道路公団により、独立した事業のような体裁で建設、維持された結果、膨大な公団ファミリー企業が誕生してしまいました。

これらの多くはサービスエリアのレストランなど、独占的な商売を行うことで、ほとんど不当と言ってよい利益を上げてきました。もちろん、公団ファミリーの企業は国交省、公団職員の格好の天下り先でした。

過去の借金は埋没コスト

高速道路建設は主として借入金で行われ、その残高は40兆円に達しています。高速道路の無料化で問題になるのは、この借金返済をどうするかということです。

借金は何らかの形で返済しなくてはいけないのですが、その原資を税金にするか、第二の税金である高速道路料金にするかは、単なる選択の問題です。

ここから先は民主党の説明が詳しいのですが、高速道路が無料化されれば、インターチェンジの建設や料金所の維持にかかる費用が削減され、利便性を大幅に高めることができます。

高額な高速道路料金が問題なのは、ただでさえ利用者の少ない地方の高速道路の利用者がますます少なくなってしまうことです。完成した高速道路の建設費は借金であろうとなんであろうと、もう使ってしまったお金です。

すでに支払ってしまった費用は埋没コストとよばれます。埋没コストは節約も削減もできません。経済的にはできもしない節約ではなく、埋没コストで得た資源を有効に使うことが必要です。ところが、人間は心理的に埋没コストにこだわって、このような当り前の判断ができない傾向があります。

高速道路の借金は埋没コストです。建設費の借金の返済方法を考えなければ、使えば使うほど資源としての有効利用が行われることになります。高額な料金のために、高速道路の使用は抑制されて、資源の有効利用が妨げられているのです。

高速道路を無料化しても交通量が増えるだけ?

高速道路無料化への反論として、高速道路が無料化されても交通量が増えて渋滞が起き、無料化の効果が減殺されてしまうというものがあります。

これは交通量の多い、たとえば首都圏ではその通りかもしれませんが、交通量の少ない地方では正しくありません。どう転んでも渋滞が起きるほどの交通量はないのです。

交通量が増えて、渋滞が発生すると予想されるところはどうすればよいのでしょうか。高速道路の利便性を確保したいのなら、料金を徴収すればよいでしょう。これは無料化政策と矛盾するものではありません。

ニューヨークやロンドンは車での乗り入れに対し料金を徴収します(高速道路ではなく橋などの通過時に料金を課しています)。渋滞が社会的損失を招くと判断すれば、料金を徴収して需要を抑制するのは正しいことでしょう。

現在の高速道路には「埋没コスト」としてETCの料金徴収システムが完備しています。ETCを活用すれば、時間帯に合わせて、きめ細かく料金を変えることができます。昼間の料金を高く、夜間を安く設定して、高速道路の利用率を平準化できれば、渋滞に合わせて高速道路に過大な投資を行うことも避けられます。

地方では狭い一般道が混み合って、高速道路がガラガラという光景もよく見られます。一般道の渋滞を解消するために新たな道路建設を行うより、高速道路の利用率を上げた方が経済的なのは明らかでしょう。

もし、それでは高速道路が混みすぎそうなら、ETCで渋滞時に料金を徴収すればよいでしょう。要は、高速道路、一般道路全体で地域経済に最適な通行量の制御を行うことが大切で、無料か有料だけに焦点をあてて議論することは、あまり意味はありません。

無料化は二酸化炭素を増加させるか

高速道路を無料化すると、輸送方法が環境負荷の低い鉄道から、トラックや自家用車にシフトするという懸念もあります。

しかし、二酸化炭素は高速道路を走る時だけでなく、一般道を走行しても排出されます。また、自動車だけでなく、様々な生産活動、消費活動でも二酸化炭素は排出されます。

二酸化炭素の排出量の削減を高速道路の料金に依存するというのは、目的に対し正当でもないし、多分有効でもありません。距離当たりの燃料消費は渋滞のある一般道の方が、高速道路より大きいのです。

鉄道からトラック、自家用車への移行で二酸化炭素が増えるのを気にするのなら、高速道路料金という形ではなく、もっと直接的に環境税、炭素税という形で徴収すべきでしょう。

環境のことを考えなくても、高速道路を無料化すればその分、何かで補う必要はあります。一つは単純に道路建設を減らすこと、もう一つは税金を投入することです。環境税をそれに利用するのもよいかもしれません(ただし、道路特定財源のような目的税化は絶対にいけません。予算の執行は必ずチェックが働く、一般財源にすべきです)。

奇策はむしろ高速道路の民営化

資源の有効利用を妨げてまで、高速道路が有料化されてるのは、高速道路は公共財という現実を無視して、テーマパークと同じような収益獲得の手段だという建前があるからです。高速道路の民営化は、その建前で行われました。

高速道路はイギリス、ドイツなどヨーロッパ諸国やアメリカでは民営化どころか、ほぼ無料です。ただ、1999年にイタリアの高速道路が民営化されたほか、スペインの高速道路も民営化されました。また、フランスでも民営化は議論になっています。

実はドイツも高速道路の有料化はトラックに対し最近行われるようになりました。アメリカでも有料部分の増加が行われています。

これらは、財政のひっ迫で、これ以上の税金を徴収するのが政治的に困難という理由が大きいと思われます。 また、ドイツはトラック輸送を減らしたいという環境上の配慮があります。

しかし、高速道路の民営化は高速道路は公共財という前提に立てば、無理があります。公共財は誰でも利用できますが、多くの場合独占的に供給され、競争状態にはありません。防衛に金を払えと言われたら、いくら払えばよいのでしょうか(実際は命も含めて何もかもになることも多いのですが)。

高速道路も鉄道や航空機と競合している部分もありますが、複数の高速道路が競争しているわけではありません。独占的な立場の企業が、完全に民間企業の論理で運営されれば、内部的な企業努力より、値上げで利益を確保しようとするでしょう。現にイタリアでは民営化以来高速道路料金の値上げが続いています。

結論を言えば、高速道路の民営化こそ奇策です。日本では民営化によって効率化され、高速道路料金が安くなるという理屈ありましたが、もともと競争のないところで民営化しても効率化へのインセンティブは働きません。

民主党の高速道路無料化政策に対し、自民党でも高速道路の大幅引き下げが議論になってきました。選挙前の数あるバラマキの一つなのかもしれませんが、民営化で効率化するなどという幻想を振り撒くより、ずっとましです。バラマキも時には世の中を良くすることがありそうです。

続く

追記:
高速道路の無料化論については山崎 養世氏の論文から多くの情報を得ました(高速道路の借金爆弾を処理せよなどをご参照ください)。


理論物理学と金融危機
小林益川
ノーベル物理学賞を受賞した小林、益川両氏

科学の中の科学

2008年度のノーベル物理学賞は3人の日本人、南部陽一、小林誠、益川敏英の三氏に与えられました。さらにノーベル化学賞を下村脩氏受賞し、同じ年に4名の日本人がノーベル賞を受賞することになりました。

アジアの主役の座をとっくに中国に明け渡した観のある日本ですが、中国のノーベル賞受賞者は台湾と合わせても、まだ4人です。1960年以降の受賞者はおらず、基礎科学の実力は日本に一日の長があると言ってもよさそうです。

ノーベル賞を取るというのは、もちろん容易なことではなく、科学者にとっては大変名誉なことです。しかし、その中でもノーベル物理学賞、なかでも今回のように理論物理学に対して与えられるものは、格別な意味があります。

現代のような巨大科学の時代には、大博士が地下の実験室に独りこもって大きな研究成果をあげるということは稀にしかありません。研究はチームプレーで行われるのが普通ですし、実験には多額の費用がかかります。

大規模な実験施設を造るには、成果を分かりやすく伝えるコミュニケーション能力や、ある種の政治性も必要になってきます。また、実験を指揮するには多くの科学者を動かすリーダシップがなければいけません。単にひらめきやIQの高さだけで、結果が出せるようなものではないのです。

それに比べれば、理論物理学は個人の頭の中で研究を進めることができます。研究者の間で活発な議論や情報交換はありますが、巨額の予算を獲得するための営業活動、政治活動の類の必要性はずっと小さくてすみます。

最初に日本でノーベル賞を受賞した湯川秀樹も、次に受賞した朝永振一郎も理論物理学者でした。「日本は金がないので紙と鉛筆で研究のできる理論物理学でしかノーベル賞は受賞できない」とやや自嘲気味に言う人も多かったのですが、紙と鉛筆でできるというのは、より純粋な「頭の良さ」が要求されると言えます。

物理学は「科学の中の科学」と言われます。物理学からみると、他の科学は曖昧で、「法則」と言っても「例外も一緒にしての法則」と言ったほうが良いくらいです。簡潔な方程式ですべてを語りつくす物理学は、科学の理想像です。

その中で理論物理学は、ニュートン、アインシュタインと続く物理学の本流です。理論物理学は「科学の中の科学」である物理学の中で、さらに「物理学の中の物理学」と呼ばれるのにふさわしいものです。

世界の科学者の世界では理論物学者を頂点として、実験物理学者、理論化学者と続く、ある種の階層が存在します。初対面の科学者同士はさりげなく、相手の専門を聞き、自分との位置関係を確かめ合うほどです。

理論物理学者はそんなに沢山必要?

科学者の世界で最高位に座る理論物理学者なのですが、そのうちどれだけが世の中に役にたっているかとなるといささか心もとないものがあります。理論物理学は世の中の根本を考えることが仕事ですが、基本理論の進歩などそうあるものではありません。

理論物理学はこの20年ほど超ヒモ理論という、世の中の物質も力も微細なヒモの振動によって生まれるという考えが主流なのですが、どうも間違っているのではないかという意見も根強くあります。少なくとも超ヒモ理論が正しいという確たる証拠も、それどころか超ヒモ理論を証明してくれるような実験(可能かどうかは別にして)も今のところ存在しないのです。

これでは、そのうちニュートン、アインシュタインのような大天才が現れて、超ヒモ理論を覆す、画期的な理論を考え出し、それがあっさりと証明されてしまうこともないとは言えません。

つまり現在超ヒモ理論を教義にしている理論物理学者(ということは現役バリバリの理論物理学者の大部分ということですが)がお払い箱になってしまうということも、十分あり得るということです。

こんなことは他の分野の科学では考えられません。科学は非常に細かく細分化、専門化していますし、主流の科学者の大部分が一つの船に乗っていて、沈んだらお終いなどということはないからです。

余計なお世話かもしれませんが、理論物理学者はそんなに沢山必要なのでしょうか。理論にはいくつもの枝別れや可能性があるので、あまりに少数であれば、すべての可能性をしらみつぶしに検討することはできなくなってしまうでしょうが、世の中でIQのもっとも高い人たちを理論物理学に縛り付けておくことは資源の無駄遣いと言えないことはありません。

ニュートンもアインシュタインも理論を突き詰めたのは自分ひとりの脳みその中でした。ある時代、たまたま同時期に同じような結論に達するということはあるでしょうが、理論物理学の世界では「三人寄れば文殊の知恵」とはなかなかならないのです。

金融商品の多くは理論物理学者が作った

理論物理学者のほとんどは、みな子供の時は神童扱いされていたはずです。しかし、純粋な頭の良さが求められる理論物理学では、努力しても越えられない相手が、必ずでてきます。100メートル競走でほとんど全てのランナーにどうしても勝てない相手が出てくるのと同じで、資質の違いが決定的に結果を左右してしまうのです。

理論物理学は極論すれば金メダル以外は意味のない世界です。理論物理学者の多くは挫折して、人に物理学を教えるだけになるか、他の分野に転向することになります。理論物理学は天才、秀才の墓場かもしれませんが、本当に死んでしまうわけにはいきません。

ということで、大量の理論物理学者が金融界に転じて、金融商品の開発をすることになりました。1990年のソ連の崩壊では、優秀な頭脳が非常に安く獲得できるということで、ロシアからアメリカへの飛行機がソ連時代の科学者だらけになったこともあったと言われています。

なぜ、それほど優秀な頭脳が金融商品の開発に必要なのでしょうか。それは、現代の金融商品は、金融工学の名の通り、複雑な数学の塊のようなものだからです。

1997年のノーベル経済学賞はマートンとショールズにブラック・ショールズ方程式の数学的に厳密な証明を行ったことに対して与えられました。ブラック・ショールズ方程式というのは金融オプションの値段を理論的に導くものです。

金融で言うオプション取引とは株や債券を現物ではなく、将来売ったり、買ったりする権利を売り買いすることです。将来の話ですから、値段は値動きの激しさや、権利行使までの時間に影響されます。ブラック・ショールズ方程式は値動きの激しさ、オプション決済までの時間と、オプションの理論価格の関係を示します。

ブラック・ショールズ方程式の中身はともかく、オプションの「現在」の値段が決まるとすると、「将来」オプションを売ったり買ったりする「オプションのオプション」も考えられます。さらにオプションを組み合わせる、組み合わせたもののオプションを考えるという具合にいくらでも商品が作れます。これらは金融商品から派生してできた商品という意味金融デリバティブ、あるいは金融派生商品と呼ばれます。

デリバティブを作るには二つのものが必要となります。ひとつは複雑な組み合わせ商品の値段を計算するコンピューター、それに商品の枠組みを考える高度な数学的能力です。金融業界で働く、多くの元理論物理学者は、その数学的能力を提供したのです。

金融業界は理論物理学者、数理学者などかつては自然現象や工学を相手にしていた、最優秀の頭脳の持ち主を金にものを言わせて大量に採用しました。彼らはウォール街ではクオンツ(量子力学:Quantum Mechanicsから作った造語)と、やや軽蔑的なニュアンスで呼ばれました。泥臭い商売とは無縁に、理論と数学の世界で仕事をするからということでしょうか。

サブプライム商品からCDSそして金融危機

しかし、そんな理論家の作った商品はネズミ算的に増えていきます。もともと難解なオプション理論を組み合わせて、「オプションのオプションのそのまたオプションのそのまた・・」という具合に商品を開発していったのです。もはや誰も何がどうなっているか全貌はわからなくなっていました。

そんな中、上がり続けるアメリカの住宅価格を前提に、本来なら住宅融資など受けられないはずの低所得者向け、住宅ローンが登場します。サブプライムローンです。住宅価格が上がり続ける限り、支払いが滞っても、貸主は損はしない。日本のバブル期の土地神話と同様な住宅神話に金を貸し続けたのです。

サブプライムローンで貸し手を強気にさせる、もう一つの要素がありました。サブプライムローンの貸主たちは、債権を細切れにして商品として売り出したのです。こうすれば、貸主は貸付のリスクから解放されて、新たな貸し出しを行うことができます。

これらの商品は単純に債権を細切れにしただけではありません。他の金融商品やオプションと組み合わせて、複雑怪奇な商品として流通することになりました。そのため、サブプライムローンが住宅神話の崩壊で、債権としての劣化が進んだとき、いったい誰がいくら損をしているのか、容易に算定することが困難なことになってしまいました。

サブプライムの問題は2007年ごろから表面化しました。住宅価格が弱含みになり、それとともに延滞率も上昇していったのです。当初、低所得者向けの住宅市場に限定された問題と楽観的に構えていた、金融界や政府も次第に影響が大きくなるにつれ問題の深刻さを認めざる得なくなりました。

ベアスターンズを皮切りに、リーマンブラザーズなど有力な金融機関が破綻を始め、次から次へと倒産をしたり、政府の管理下に置かれることになります。そしてついに、2008年の10月に入り、株式市場が全世界的にパニック的な下落局面に突入しました。

事態を決定的に悪化させた原因に、CDS(Credit Default Swap)という、貸し倒れの保証を行う商品があります。CDSは債権の持ち主が、一定のリスクプレミアムつまりお金を払うことで、別の第三者に貸し倒れの際の保証を求めることができるものです。

サブプライムローンが形を変えて、様々な商品に化けても、商品を販売する側の信用は問題になります。CDSがあれば、そのようなリスクすら解消することができるようになったのです。リスクを誰も認識しないまま、サブプライムローンの毒は金融全体を蝕んでいったのです。

石油タンクと火薬庫が並んで建っている

CDSは貸し倒れのリスクを補填する保険の一種と考えられます。実際、アメリカ政府の管理下に置かれることになった、大量のCDSを持っているAIGはもともとは保険会社です。しかし、普通の保険とCDSは大きな違いがあります。

一般に保険は損害が発生する個々の事象は独立、つまりお互いに無関係と考えます。生命保険なら、誰かが死んだからといって、他の人が死ぬ確率が高くなることはありません。自動車保険も同様です。自動車事故が連鎖的に起きることはありません。

CDSは違います。全ての市場は連動しており、さらにデリバティブで複雑な組み合わせ商品が出てきてから、市場の連動性は一層高くなっています。CDSは火薬庫と石油タンクが立錐の余地もなく立ち並んでいるようなところに、丸ごと損害保険を提供するようなものなのです。

全世界のCDSの発行額は50兆ドルにも達します。これはアメリカのGDPの3倍です。想像もつかないほど巨額の債権がCDSの保証を受けていることになります。もし、貸し倒れが発生して、CDSがきちんと履行されなかったら。つまり、貸し倒れが保証されなかったら、たちまち貸し倒れは連鎖反応を引き起こすでしょう。火薬庫も石油タンクも全てが一度に大爆発を起こす可能性があるのです。

これは悪夢というより、人類的な危機と言っていいでしょう。そして、この危機はほとんどの人にとっては突然でした。今年7月に開かれた主要国サミットの最大の議題は地球温暖化の解決に取り組むための各国の協調でした。それから3か月で人類の危機は、将来の地球温暖化ではなく、目の前の経済の崩壊になってしまったのです。
toyako.jpg
たった3か月前は地球温暖化が最大の課題

核兵器から金融商品へ

本当に経済が大崩落を起こせば、人類全体が危機に陥る可能性がないとは言えません。現在の人類社会は複雑な物資の流通で支えられています。物資の流通は経済的な信用システムがあって初めて機能します。信用システムがなくなってしまったら、資源も食料も動かしようがなくなってしまいます。

なぜこんなばかげた状態になってしまったのでしょうか。高度な数学で支えられた理論と、その理論を動かすことのできるコンピュータシステムが全体を見えないものにしてしまっています。技術が人類の能力を超えて人類を危機に招いているというのは、まるで核兵器と同じです。

実際、CDSはたびたび核兵器に例えられます。世界経済が崩壊したときの被害の大きさは核戦争とあまり変わらないかもしれません。そして、CDSを作ったのも、核兵器と同様に高度な知能を持つ、理論物理学者や数学者たちでした。

核兵器を作ったのは、政治家や軍人なのでしょうか。それとも科学者たちなのでしょうか。CDSやオプション商品を作ったのは、株屋や投資会社なのでしょうか。あるいはクオンツたちなのでしょうか。市場は人間の欲望が渦巻く場所ですが、複雑怪奇な仕組みは理論家のクオンツたちがいなければ存在しなかったことは事実です。

最初の原爆実験がアメリカのニューメキシコ州で行われる前、原爆の想像を絶するエネルギーが大気に火をつけ、地球全体が破滅するのではないかという危惧が出されました。

今考えると馬鹿げた妄想にも思えますが、結局この疑問にはマンハッタン計画(原爆開発計画)のメンバーのひとりで、後にノーベル物理学賞を受賞した優秀な物理学者のハンス・ベーテが計算の結果「あり得ない」という結論を出しました。しかし、ベーテが計算するまでは、確信を持って「そんなことは起きない」と言える人はいなかったのです。

CDSを作ったとき、CDSが破綻したら世界経済全体が崩壊してしまうと心配した人はどのくらいいたでしょうか。心配した人がいたかどうかは知りません。しかしいずれにせよ、CDSが破綻しても世界経済が崩壊しないと計算で証明した人はいないのです。人類は最高の頭脳の持ち主たちの生み出した怪物に、また苦しめられることになってしまいました。





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