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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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中国と支那の間
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支那は尊称?

東京にオリンピックを招致することに熱が入って以来、沙汰やみになっていますが、東京都の石原知事は、中国を支那と呼んで物議を醸すことが度々ありました。石原知事は中国人、朝鮮半島人などをひっくるめた三国人という言い方もしましたが、こちらの方も議論を呼びました。

どちらも現代の日本語としては死語と言ってよいほど使われません。これは侮蔑的なニュアンスを持つからで、石原知事の発言にも内外から強い抗議がありました。石原知事も発言の文脈や、日頃の言動から、少なくとも好意的な意味合いでは使ってないはずなのですが、石原知事は「支那というのは中国の尊称で、支那と言って悪いことは何もない」と言い放ちました。

支那が中国の尊称だという主張は、右派系のネットではよく見られるのですが、使っている人たちが中国に批判的な人ばかりなので、当の本人がそんなことは思っていないのは、常識的には明白です。 

確かに、清王朝が中国を支配していた江戸時代には、日本人の学者や知識人は、地理的な意味合いを示すために、肯定的、あるいは本当に尊称として支那を用いていました。しかし、言葉というのは使う側も、受け取る側も侮蔑だと思えば、侮蔑になります。支那という言葉の使用を擁護する立場から、東シナ海、南シナ海を東中国海、南中国海と呼ぶのかという人もいるのですが、屁理屈以外の何物でもないでしょう。

北朝鮮は侮蔑語

むしろ、中国に反感を持っているのなら、「あんな連中は侮蔑的に呼ぶのが当然だ」と主張した方がよほど理にかなっています。かつて日本の左翼系の人たちは、アメリカのことを米帝国主義、略して米帝を呼ぶのが常でした。「米帝のベトナム侵略を糾弾する」という風に使ったのですが、彼らは「帝国」というのは、大英帝国と呼ぶように、国家に対する尊称だなどとは言いませんでした。

現在でも、朝鮮民主主義人民共和国は、テレビや新聞でも北朝鮮と呼ばれます。普通の呼称として使っているのですが、北朝鮮という呼び方は、地域を指しても国家を指すわけではありません。つまり、朝鮮民主主義人民共和国を国家として認めていないわけですから、立派な(?)侮蔑語です。北朝鮮の側も、韓国のことは南朝鮮と普通は呼んでいます。もちろんこれは、韓国を国家として認めていないからです。昔は、ソ連、中国も韓国と呼ぶより、南朝鮮と言っていました。

「支那と呼ぶのはいけないが、北朝鮮と呼ぶのはいいのか」と言われると、反論は案外難しいものがあります。北朝鮮を日本は国家としては認めていないという理屈はあるかもしれませんが、6カ国協議や国連など、正式な場では日本政府も朝鮮民主主義人民共和国と呼んでいます。北朝鮮なんて悪い奴らだし、みんなそう呼んでいるし、特に相手も文句を言っていないみたいだし、それでいいじゃないか、といったところなのでしょうか。

支那がNGなのは漢字を使うから

支那の語源は諸説があるものの、秦の始皇帝で有名な、秦が語源になっているとするのが有力です。支那という言葉は、仏教が中国に伝来する際に、梵語で中国の地域を指す言葉として、インドから中国に逆輸入された言葉に漢字をあてたものです。支那以外でも、脂那、支英などがあてられています。

一般に世界で中国を呼ぶ時に使われるChinaも、支那と同様の語源と考えられており、この意味では、中国を支那と呼ぶことを批難されるいわれは本来ないはずです。中国を支那と言ってまずいのは、漢字では中華人民共和国という国名があるからです。

中国は、もとともとは、辛亥革命で清王朝を倒した孫文が建国した、中華民国を略したものです。その後、中華民国政府は共産党政権の中華人民共和国に台湾に追われ現在にいたりますが、どちらも「中華」を名乗っていることに変わりはありません。

しかし、中華というのは考えてみれば、相当に自己肥大的な名称です。もとはと言えば、中華思想という、自国だけに文明があり、周りはすべて野蛮国という考えがベースです。実際は「自国」などという概念すらなく、中国は世界そのもの、世界の中心で、他の民族、国家は周辺にいるという考えです。

中華という言葉の持つ尊大な印象に抵抗があったのでしょう。戦前、日本は中国という呼び方より支那と呼ぶことを好みました。支那人、支那事変、支那そば、支那服と、中国と言わず支那を中国の代わりに使うのが普通でした。

結果として、支那という言葉は侮蔑的な響きはなかったものの、中華という言葉を拒否したということで、中国から見れば失礼な呼び方ということになりました。第二次大戦後、中国政府(中華民国政府)の要請により、日本政府は公式には支那という言葉を使わないように通達を出します。

しかし、中華という言葉は尊大なものかもしれませんが、そんなことにこだわり出すと「日本」という呼称も、中国から見て太陽の出てくる方向の国という意味で、「中華」を追認しているとも言えます。日本にとっての「日の本」はハワイあたりです。だからと言って、「日本」は中国に媚を売る自虐的な国名だから捨ててしまえとは、石原知事でも言わないでしょう。

支那と中国という名称が並列して存在し、支那が侮蔑語だとなってしまうのは、日本が漢字を使っているからです。英語では中国は単にChinaですし、正式にもPeoples Republic of Chinaです。中華思想は漢字圏以外では効き目がないようです。

ペ・ヨンジュンそれとも勇俊?

漢字を使っていることで起きた問題には、韓国人、朝鮮人の名前の呼び方もあります。1960年代に軍事クーデターで大統領になった朴正煕は、日本ではボク・セイキと呼ばれていましたが、韓国式にはパク・チョンヒです。日本ではパク・チョンヒと言われてもわからない人が多いでしょう。

逆にペ・ヨンジュンは漢字表記では勇俊ですが、こんな字はどう読んでいいのか、ほとんどの日本人には見当もつきません。このように、韓国人の名前が原語に近いカタカナ読みになったのは、在日韓国人、朝鮮人が執拗に抗議を繰り返したからです。今では、韓国人の名前は漢字表記をすることも減ってきました。

これに対し、中国人は名前を日本風に発音することに抗議をしたという話は聞いたことがありませんし、メディアも胡 錦濤はコキントウでホゥー・ジンタオなどとは言いません。これにはマイナスもあって、英字新聞でHu Jintaoと書いてあっても、誰のことか皆目わからないということになってしまいます。 小平(トウショウヘイ)のDeng Xiaopingにいたっては、普通の日本人にはどう発音したらよいかもわからないでしょう。

いっそローマ字表記に?

この際、外国人の名前や国名はローマ字表記にしたらどうでしょう。ここで言うローマ字表記とはアルファベット表記、つまり元のスペルをそのまま使うということです。この場合発音は、自国流が基本になります。

Peoples Republic of Chinaは、China人民共和国ですから、支那人民共和国と大変近い発音になります。これなら中国政府も文句を言いにくいでしょう。ところが、元のスペルをそのまま使うと大変不便なことが起きてきます。

アルファベット国どうしでは、Georgeは英語でジョージ、フランス語でジョルジュ、ドイツ語ではゲオルグと自国流に発音します。日本人は英語に合わせて、ジョージと読むのが自然だと思いますが、そうするとジョルジュ・サンドはジョージ・サンドになっていささか興ざめです。ついでに言うと、前の法王のヨハネ・パウロ2世は、英語式ではジョン・ポール2世と犬の名前みたいになってしまいますし、ショパンがチョピン、ピタゴラスがパイタゴラスでは、誰が誰だかもわからなくなってしまいます。

かと言って、アルファベットを無理やりカタカナ表記と混ぜ合わせて、Putin(プーチン)をPuhchin、Berlusuconi(ベルルスコーニ)をBerurusukohniにしてしまったら、何のためにローマ字表記にしたのかわからなくなってしまいます。つまり、ローマ字というのは、外国人がカタカナ代りに日本語を勉強する助けにはなるかもしれませんが、日本語を表記する方法としては、全く定着も成熟もしたものでもないのです。

そもそも日本語をローマ字で表記しようというのは、日本語を英語にしようとした森有礼、フランス語にしたらと言った志賀直哉と同じくらい乱暴なこと言えます。文字を換えるのは、言語そのものを換えるのに近いほど大変なことです。

中国は中国、ChinaはChina

結局、中国を支那と呼ぶのは、喧嘩を売りたいとき以外は、言語的に無理のある話です。逆に、中国自身がChinaという、もとは地理的な呼び方を受け入れているのは、そうしないとChina政府であるという立場が失われると危惧しているからかもしれません。

チベットや、ウイグルはChinaという「地域」にくくることはできても、中国政府の支配下にいることは100パーセントの人が認めていることとは言えません。そうでなくても台湾政府は、ついこの間まで、Chinaの正当な政府であると主張していました。

その理屈で言うと、中国を支那と呼ぶのは、暗黙のうちに中国政府が台湾、チベットを含む全中国地域を代表していることを認めていることになるのかもしれません。これは支那と呼びたがる人達の本意ではないでしょうが、中国政府が抗議をする限りは「悪口」「呼び捨て」の類として機能しているのは確かではあります。

ということで、東京オリンピックの招致の行方が決まるまでは、石原知事は支那という呼称は封印して、中国と言い続けるのでしょう。動機はともあれ、相手の気に障ることは言わないというのは、オリンピック精神に合致してはいるでしょう。招致に失敗した後、どうなるかはわかりませんが。
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鳩山由紀夫とフリーメイソン
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「友愛」って何?

鳩山由紀夫が民主党の代表に選ばれました。現在(2009・5・18)の世論の反応を見ると、鳩山由紀夫が次の日本国総理になる確率は、相当高いと思われます。

その鳩山由紀夫が標榜する「友愛社会の実現」という言葉に、違和感を感じる人は多いのではないでしょうか。友愛という言葉自体、それほど使われる日本語ではありませんし、一般的に何か良さそうなこと、正しそうなことを意味しているようではありますが、それだけに余計、政治家の使う言葉としては、警戒感を持たせるところもあります。

鳩山由紀夫のHP を見ると、友愛社会の実現とは、無駄をなくして官僚から政治を取り戻す、信頼できる医療・年金を作り上げる、国民の可処分所得を増やす、ということのようなのですが、それが「友愛社会」と言われると、そんなものかなという気にもなります。友愛などという言葉を持ち出さずに、似たようなことを言う政治家はいくらでもいるからです。

日本で友愛という言葉が政治に登場したのは、1912年の鈴木文治らが設立した友愛会に遡ります。鈴木文治がクリスチャンであったため、友愛会はキリスト教的な相互扶助を目的とした共済組合として発足したのですが、次第に労働組合としての色合いを強め、1919年には大日本労働総同盟友愛会に、1921年には日本労働総同盟に改称されます。

しかし、鳩山由紀夫の友愛社会は、この日本での社会主義運動の原点とも言える、団体活動に由来するのではなく、祖父で内閣総理大臣も務めた、鳩山一郎が掲げていた「友愛主義」に通じるもの、と言うよりそのまま引き継いだものです。鳩山一郎は友愛主義の実現を目的として、1955年に財団法人の友愛青年協会を設立しますが、この団体の現在の理事長は鳩山由紀夫です。

それでは、鳩山一郎はなぜ友愛などと言い出したのでしょうか。鳩山一郎は父親が弁護士で衆院議長、自身は東大帝国大学法学部を首席で卒業したと言われる秀才で、父親と同じ弁護士からキャリアを始めました。エリートであることは確かですが、立場的には政敵の吉田茂が官僚出身なのに対し、政党人の代表とみなされていました。

鳩山一郎も友愛会の設立者の鈴木文治と同じクリスチャンで、友愛という言葉を使うのも、それが基礎になっていることは確かでしょう(鳩山由紀夫は夫婦ともクリスチャンでないと明言しています)。しかし、鳩山一郎が友愛という言葉に思い入れをしたのは、それだけではありません。

鳩山一郎のフリーメイソンへの傾斜

鳩山一郎は、クーデンホーフ・カレルギーの「自由と人生」に感銘を受け、その中で友愛思想、友愛革命に触れたと述べています。鳩山一郎は、その後同書の共訳者にも名を連ねています。

クーデンホーフ・カレルギーは、オーストリア・ハンガリー帝国の伯爵で外交官でした。彼は1894年に同じ外交官の父と、日本人の青山光子との間に東京で生まれ、1972年まで生きます。ちなみにゲランの香水Mitsukoは、この母親の名前に由来しています。

クーデンホーフ・カレルギーの母国のオーストリア・ハンガリー帝国は多民族国家ですし、父親は16ヶ国語をしゃべったと言われています。外交官としての職業や、自分がヨーロッパ人とアジア人の混血であったということもあったのでしょう、クーデンホーフ・カレルギーは、国境を超えた、人々の友好関係を作る必要性を強く意識します。そして、クーデンホーフ・カレルギーは、現在のEUの思想的原型となる汎ヨーロッパ主義を唱えます。

つまり、クーデンホーフ・カレルギーにとっては、友愛とは一般的に「みんな仲良くしよう」というレベルの話ではなく、二度の大戦で徹底的な破壊と数千万の犠牲者を出したヨーロッパに恒久的な平和をもたらすために、是非必要なものだったのです。そのクーデンホーフ・カレルギーは、1920年にウィーンのフリーメイソンのロッジに入会し、フリーメイソンの会員になります。そして、友愛こそフリーメイソンの土台となる信条なのです。

鳩山一郎は1955年、占領軍の後押しを得て日本で活動を開始した、フリーメイソンに入会します。鳩山一郎がクーデンホーフ・カレルギーを尊敬していたことは、大きな影響があったと想像されますが、戦後日本を占領したアメリカ軍には総司令官のマッカーサー元帥をはじめ、多数のフリーメイソンの会員がいました。鳩山一郎は、特に抵抗感もなくフリーメイソンの会員になったのでしょう。

フリーメイソン陰謀論

ところが日本でのフリーメイソンの印象は、あまり芳しいものではありません。大部分の人は「よく分からない。よく知らない」というレベルでしょうが、わからなさ自身が得体の知れない、不気味さにつながるものがあります。

さらに、日本でフリーメイソンが語られる時に典型的なものは、フリーメイソンが世界征服を企む、世界規模の大陰謀組織だというものです。フリーメイソンの世界征服の野望は、ユダヤ人の陰謀論と組み合わされることも多いのですが、これらはほとんど、ナチスドイツが、英米はユダヤ人、フリーメイソンに支配されていると主張したときの、資料に大なり小なり基づいています。

実際のフリーメイソンは、当ブログ「フリーメイソン」で書いたように、今ではロータリークラブやライオンズクラブ的な親睦団体になっています。このような認識は、イギリスやアメリカの知識人は常識として持っていることです。

ところが、ややこしいことに、フリーメイソン陰謀論や、カルト集団扱いの論調も、日本ではなくアメリカやヨーロッパに元を発しています。フリーメイソン陰謀組織論を、海外資料を多数引用しながら行うことも、簡単にできるわけです。

フリーメイソンは、本来は知的エリートや新興の資本家たちが体制派の貴族や教会に対抗して、自由や博愛といった、当時の先進思想を語るために作ったものです。組織が半ば子供じみた秘密主義を持っていたため、世間から不審感を持たれたり、特定のグループが本当に陰謀、革命の道具に使うことはあったでしょうが、本質ではありません。

今の日本ではフリーメイソンに対する見方は、鳩山一郎が会員になった時より、カルト集団的な印象はむしろ強くなっているでしょう。ネットの世界では色々憶測が流れるものの、鳩山一郎以来、有名人で公然とフリーメイソンの会になっている人はいません。もちろん鳩山由紀生もフリーメイソンの会員ではありません(こっそり会員になっているという人はでてくるかもしれませんが)。

鳩山由紀生のアキレス腱?

いくら、公式には鳩山由紀生がフリーメイソンではなくても、標榜している友愛という言葉が、フリーメイソンと密接に結び付けられている以上、政治的にフリーメイソンの悪名を、鳩山由紀生の攻撃に利用することは、今後いくらでも考えられます。これは友愛という言葉を、もともとクーデンホーフ・カレルギーやフリーメイソンが使ったのとは、ほとんど無関係な文脈で使った鳩山由紀生自身に責任の一端があるとも言えます。

もっとも、鳩山由紀生が外国人の参政権に容認の態度を取っている(これは保守派から猛烈な反発を受けていますが)のは、クーデンホーフ・カレルギーのEUにつながる汎ヨーロッパ主義の影響を受けていることはあるかもしれません。ただ、これも表立って主張することは大きな論争を引き起こすものです。

日本の保守派は櫻井良子をはじめとして(櫻井良子反中論の論理と非論理)として陰謀論の大好きな人たちがたくさんいますから、フリーメイソンとの関係は控えめに考えてもプラスに働くことはないでしょう。いずれにせよ、友愛とフリーメイソンの結びつきは鳩山由紀生のアキレス腱になる可能性は否定できません。

しかし、鳩山由紀生が総理になって、どのような政治を行うにしろ、それがフリーメイソンとの関係で、「アメリカの操り人形」とか「ユダヤ陰謀の手先」として語られるとしたら、これほどバカげたことはありません。日本人がそれほど愚かではないとは思うのですが。


世襲禁止は愚策-むしろ一票の格差是正を
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前々回のブログ、仮想座談会-世襲議員を考えるでは、世襲議員の問題は、世襲を制限するのではなく、国政を担う人材を育成するインフラを作ることの方が重要と書きました。しかし、いくら優れた人材が育っても、選挙で当選するためにはカバン(金)、ジバン(地盤)、カンバン(知名度)が重要です。そこで世襲議員が優位に立っている以上、世襲に対し制限を含む何らかのハンデを与える方が合理的ではないかという考えはあると思います。

世襲議員の増加そのものが問題だということは事実でしょう。特定の社会階層から世襲により国会議員が選ばれるようになり、しかも世襲の比率が閣僚、総理と上に行くにしたがうにつれ高くなる。なおかつ、その総理はリーダーシップや能力に疑問符がつく人ばかりになっている。世襲を制限しようというのも無理からぬことだとは思います。

ただ、世襲議員が今になって問題視されるようになったのは、世襲議員そのものの顕著な増加が、比較的最近ののことだからです。それ以前は、世襲ではなく官僚出身者が自民党では主流を占めていました。世襲議員の多くは二世で、小泉元首相のように三代以上にわたって、世襲を続けてきたというのは、むしろ例外です。また、二世議員の親の多くは官僚出身です。

二世議員を活発に製造するようになったのは、田中角栄の発案だと言われています。自身はたたき上げだった田中角栄は、手っ取り早く自民党、引いては自分の勢力拡大を行うため、二世議員を利用するようになったのです。

田中角栄の手法は、公共事業で国の金を地方にばらまき、建設業者を中心とした、利権集団を議員のカバン、ジバンとして確立することでした(カンバンの方は二世議員は、名前が浸透していることで十分なものがありました)。逆に二世議員でもなんでもなければ「落下傘候補」と呼ばれて、地元では反感さえ受けました。

典型的な自民党議員の選挙は、公共事業に依存した建設業者がコアチームとなり、コメの政府買い上げと、農政事業に依存した農民が票を提供し、さらに、これも世襲の特定郵便局長が実動部隊として働くというものでした。

ところが、小泉改革によって、これらの伝統的な自民党議員の基盤はほとんど破壊されてしまいました。自民党の世襲議員の強さの源泉は、もはや失われてきてしまっているのです。

しかも、田中角栄がほとんど芸術的なレベルで完成させた利権構造による選挙が有効なのは、地方、それも農村部で、都市部では、ほとんど威力を発揮しません。現に東京では小選挙区で当選した衆議院議員で親も国会議員だったのは、石原慎太郎の長男、8区の石原伸晃ただ一人です。その伸晃も選挙区自体を受け継いだわけではありません。

地方でも、利益誘導型の自民党政治はもはや機能しなくなっています。都市化が進んで農村部と考えられたところも都市型の投票行動の傾向が強まる、いわゆる県庁所在地のある都市部に似てきたという意味で、一区化現象というものが起きています。利益誘導で選挙に勝とうとした、反郵政改革派は、小泉郵政選挙で大変な苦戦を強いられました。それまでダブルスコアで当選してきた。平沼赳夫や野田聖子でさえ、落選しそうになったのです。

今後、民主党と自民党が政権交代を繰り返すようになれば、かつての保守王国で、固い地盤に支えられた、領主のような世襲の国会議員は次第にいなくなってしまうでしょう。そうなれば世襲議員は一過性の問題だったということになります。

気を付けなければならないのは、問題の原因を十分考えずに、制度で問題と思える現象を押さえ込もうとすることです。国会議員は普通の「職業」ではありませんし、憲法で言う職業選択の自由が適用されるものではありませんが、被選挙権も立派な憲法上の権利です。むやみに禁止してよいものでもないでしょう。

むしろ改めるべきは、官僚制度に代わる国政を担う人材育成インフラの確立とならんで、都市部に不利になっている一票の重みの格差是正でしょう。都市部が人口に応じた議員数を割り当られれば、世襲議員の生存領域はずっと小さくなります。一票の格差の是正は制度をいじることではなく、最高裁にも指摘された違憲状態の解消なのです。

しかし、それにしても自民党の世襲議員の総理たちはなぜ、あのように無能をさらけ出すのでしょうか。本人ばかりではありません、「お友達」と揶揄される、閣僚、側近の世襲議員(必ずしも世襲議員に限りませんが)の醜態は、人事システムの不全を示しています。それを放置して「優秀なら世襲でもよい」と世襲の総理が言うのは、確かにマンガそのものかもしれません。

イケメン進化論
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小栗旬

二枚目からイケメンに

「イケメン」という言葉が市民権を得て大分たちます。要は「顔が良い男」という意味なのでしょうが、イケメンの普及とともに、二枚目、ハンサムという言葉はすっかり古ぼけてしまい、使われることも少なくなってしまいました。「二枚目」などは、もはや死語に近いかもしれません。

言葉が違うように、どんな顔が異性に好まれるかというのは時代によって随分違いますし、国や民族によっても、変わってきます。一昔前の「二枚目」と現在の「イケメン」は、どう違うのでしょうか。

イケメン、あるいは二枚目の評価には個人的な好みに大きく左右されますが、時代の影響は無視できません。冒頭の写真は現代日本の代表的「イケメン」の小栗旬、下の写真は往年の二枚目スターの長谷川一夫です。大きく、はっきりした目鼻立ちという共通点がありますが、顔のタイプは確かに異なります。
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長谷川一夫


男性ではなく、女性はどうでしょう。下はかつて「日本一の美女」という代名詞があった山本富士子と現代の美女、米倉涼子です。小栗旬、長谷川一夫と同様に、はっきりした目鼻立ちという特徴は共通していますが、山本富士子と長谷川一夫の顔が、小栗旬、米倉涼子と別のグループに属しているという印象はあると思います。
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山本富士子

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米倉涼子

この程度のサンプル数、それも特別な美男美女を集めて、断定的なことを言うのは、危険が伴いますが、あえて傾向を見つけようとすると、長谷川一夫、山本富士子の方が、顔が幅広く、目鼻立ちと比べると、顔全体が大きいことがわかります。

全身の写真を示していないので、わかりにくいのですが、二人とも、小栗旬、米倉涼子と比べて、プロポーションに占める顔の割合がずっと高くなっています。つまり、現代の美男美女はより小顔になっているわけです。

日本人の「平均の顔」

特別な美男美女ではなく、日本人の「平均の顔」はどうなのでしょうか。「平均の顔」などと言われても、困ってしまうかもしれませんが、東京大学で顔研究をしている原島教授は長年、日本人の顔の写真を合成して、それぞれの時代、職業などで「平均の顔」をコンピュータの上で作り出しています(例えば未来の日本人の顔参照)。

原島教授によると、日本人の顔は、大陸から渡来した弥生人と、それ以前から居住していた縄文人の顔が合成され、さらに次第に顎が小さく(つまり全体として小造り)になってきたと結論付けます。この過去の傾向を未来に向け外挿すると、下の図のように未来の日本人は、顎が極端に細くなったものになると予測しています。
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原島教授の予測する未来人の顔は、ひどく奇妙な印象を与えますが、同時に劇画などに登場する主人公の顔に近いようにも見えます。物凄く顎を細く描くのは、劇画だけでなく、女性マンガに出てくるヒロインの相手役の二枚目(イケメンでもよいですが)でも同様です。

代表的な美男美女も、より顔幅が狭く、小顔になる傾向があるわけですが、自由に顔を描けるマンガの世界は、もっと潜在的な「美しいと思える顔」で未来の顔を具現化しているのかもしれません。

小顔になる理由

日本人の顔が小顔になるのは、食物の影響で顎が小さくなったことが、大きいと考えられます。現代の日本人はハンバーグや加工食品を多く摂取しています。これに対し、昔、一般の日本人は干物、玄米など、今と比べて随分固い物を食べていました。固い物を食べれば、顎が発達して、顔幅は広くなります。

顎が小さくなると、歯を収めるスペースが小さくなります。人間は上下14本づつ、合計28本の歯があるのですが、歯もだんだん小さくなってきていますが、それだけでは足りなくて、親知らずが最後まで生えてこない人が増えてきています。

顎が小さくなるのは、食品の影響だとしても、美男美女の定義そのものと言ってもよい、代表的なスターたちの顔にまで、なぜ日本人は小顔を以前より好むようになってきているのでしょうか。

実は日本人が顎が小さい顔を好むのは今に始まったことではありません。江戸時代、白米や十分に調理された柔らかい物を食べることができたのは、上流階級の人々だけでした。顎が小さいというのは、貴族的な顔、いわゆる「殿様顔」の典型です。

さらに、顎が細いというのは、殿様顔というだけでなく、浮世絵をみてもわかるように、美女の典型でもあります。大奥物で描かれる将軍家はもとより、大名、殿様たちは美女の側室を持つことが普通でした。その美女は、その時代の貴族性を当の上流階級以上に具現化した細面の顔をしていたと考えられます。
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典型的な「殿様顔」-徳川慶喜

殿様たちは食物の影響で、環境的に殿様顔になるだけでなく、遺伝的にも細長い顔を持つようになっていったと思われます。しかし、江戸時代の殿様たちが未来先取り的な、顎の小さな顔になったとしても、それだけでは顔がどんどん細長くなるだけです。細長いだけでない小顔になるのは、理由があるのでしょうか。

小顔になるには、二つの方法があります。一つは本当に顔が小さくなること、もう一つは背が高くなって、相対的に顔の割合が小さくなることです。顎が小さくなれば、細長くなるだけでなく、小顔にもなります。さらに、背が高くなれば、モデル的プロポーションに近づきます。

実際に、ファッションモデルやTVスターたちに会うと、想像より顔がはるかに小さい、つまり本当に小顔であることに驚かされることがよくあります。現代の美男美女の多くは、目鼻立ちを相対的に大きく見せ、なおかつプロポーションのよさを強調するするために、顔が小さいのです。

足の長いプロポーションは、昔の日本人のように、乳製品や動物性蛋白質を多く摂取しない民族にとっては極めて例外的なものでした。ところが、食生活の変化で、日本人の背は高く、足は長くなってきました。日本人のプロポーションは「外人」に近づいてきたのです。

おそらく、ある時代の美男美女は、憧れの対象であるとともに、ある程度身近な現実性が必要なのでしょう。今では170センチ以上の女性は珍しくも何ともありませんが、1964年の東京オリンピックの頃は、女子バレーボールチームでも平均身長は160センチなかばでした。「六尺豊かな大男」という言葉ありますが、メートル法で言えば180センチ超です。今風に言えば、「2メートルを超える大男」になるのでしょうか。イケメンであれ、なんであれ、あまりに自分たちとかけ離れたものには、新近感も憧れも感じにくいようです。大衆的人気を獲得するには、時代を代表する要素が必要なのだと考えられます。

性選択から考えると

小顔の傾向とは別に、美男美女の要素とは何なのでしょうか。先にあげた4人の男女は、はっきりした目鼻立ちが共通していますが、これは必ずしも古今東西普遍的なものではありません。少なくとも昔の絵を見る限り、日本人は目鼻の小さな顔を好んだようです。

二重の瞼や、大きな鼻が美の要素になったのは、ハリウッド映画などがもたらした欧米の美的基準が影響していると考えられます。プロポーションを重視する小顔の偏重も、その影響の一つなのでしょう。

かなり普遍的な美男美女の基準と考えられているのは、左右の対称性が高いということです。人間の顔は、左右完全な対称などではないのですが、健康上の障害が顔の非対称という形で現れるということは、確かにあるでしょう。
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左右を別々に対称的に顔を作ると随分違って見える

つまり、左右対称の顔を美しいと感じられるのは、より健康である。つまり、配偶者となって自分の遺伝子を将来に残す上で、より有利な条件を与えてくれるというわけです。
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ほぼ完璧な対称な顔を持つと言われる香椎由宇

子孫を残すのにより好都合だということで、異性を選ぶのは、性選択と言われます。性選択というのは、ダーウィンが進化論の中で言いだしたことですが、性選択で競争力が高ければ、異性から選ばれることが多く、自分の遺伝子を残す可能性を大きくすることができます。

性選択に勝ち抜くためには、犠牲を伴うこともあります。孔雀のオスは見事な羽で雌を魅了するのですが、美しく大きな羽は、捕食者に発見されやすく、作り出すのにコストがかかるので、自分の生存のためには不利なはずです。しかし、雌から見れば美しい羽は、健康で強い身体を持っている、つまりよりすぐれた遺伝子を残す確率を高める証拠のように見なされます。

自分が生き残っても、配偶者が得られなければ、遺伝子を残すことはできません。たとえ、個体には不合理、不経済でも、異性に好かれるために、一種のマーケティングコストをかける必要があるのです。そして、異性に好まれる形質は、性選択によって拡大再生産されていきます。マンモスの牙や、トナカイの角は、性選択によって巨大化していったと考えられます。

しかし、美男美女の要素を性選択によって理由づけるのは、注意が必要です。たとえば、金髪は女性ホルモンであるエストロゲンが活発な証拠で、年をとると輝きが失われていきます。金髪美女はエストロゲンの分泌が活発、つまり妊娠可能性が高い証拠とも言えるのですが、だから金髪美女を男が好むと言われると首をかしげたくなります。黒髪や赤毛の方が好きな男はいくらでもいるからです。

妊娠可能性を云々するのなら、体型の方が重要でしょう。これについては、女性のスリーサイズは、10対7対10であることが、民族を超えた黄金比率とも言われています。BWHが90-63-90というわけで、グラビアアイドルの公表値に近いのですが、これも日本人の男性が、こんなに胸の大きな女性を好むようになったのは、むしろ最近です。
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熊田曜子はBWHの比率が10:7:10

人類の女の胸が大きいのは性選択上の説明があります。人類は直立するので、チンパンジーのように発情したとき、赤く変色した生殖器を見せて、妊娠可能であることを知らせることが困難です。そこで、直立して正面から見える乳房を発達させて、性選択上の優位に立てるように進化してきたというのです。

正しい説のようにも思えますが、残念ながら化石から人類の乳房が、どのように発達していったかを知ることはほとんど不可能です。ともかく、今は男性の多くがグラビアアイドルに性的な魅力を感じるという事実と、それは必ずしも伝統的な日本文化の中では女性にとって有利な条件ではなかったいうことがわかっているだけです。

そもそも、人類は一夫一婦制が基本で、ゴリラやアザラシのような、競争の勝者がすべての雌を獲得するような結婚形態を持っていません(ハーレムは例外ですが)。勝者総取り的な文化を持っていないのは、洋の東西を問いませんし、未開人種を見ても同様です。

つまり、性的な好みは個々人が持っていても、それが直ちに遺伝的な強い圧力となって、種の形態を変化させるとは必ずしも言えないのです。イケメンはモテルことは間違いないでしょうが、子供を何十人も持つということはあまり考えられません。これはイケメンではない大部分の男性にとっては、幸いなことだと言えます。

ついでに言うと、性選択の中で、容姿が占める割合は、女性にとっては男性ほど高くありません。女性が、自分より財力、地位、知力で勝れたものを男性に求める傾向は、時代や国、それに女性自身の学歴、職業を越えて、かなり根強いものがあります。 いずれにせよ、イケメンはそれほど性選択で絶対的な強みを発揮はしないのです。

イケメンの未来

イケメンにしろ、美女にしろ、その時代の傾向、平均像をベースにしながら、ある種の憧れの要素を具現化したものだということは間違いありません。その意味で、未来の顔がマンガの主人公のようなら、将来のイケメンもその顔に近づいていくことが考えられます。
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興味深いのは、このような日本発イケメンの像が、日本人がハリウッド映画の美男美女の基準に自分たちの美男美女の基準を合わせたように、他の国の美男美女像に影響を与えるだろうかということです。

マンガのイケメンの顔は、日本人より白人(コーカソイド)に近いようにも思えますが、顎の小ささはそうとも言えません。少なくとも、ハリウッド的な二枚目が、より男性を強く意識させる顔であるの対し、女性と言われても通るような顔です。
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スパーマンの顎は張っている

格闘マンガを見ると、典型的な主人公は、女の顔にゴリラの体をつけたように描かれています。このあたりが将来のイケメン像になるのでしょうか。もちろんだからと言って、いまさらどうなるものでもないのですが。
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参照:
地球という丸木舟 
ネオテニーの日本人
未来の人類
仮想座談会-世襲議員を考える
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麻生内閣は世襲議員が過半数

司会「最近世襲議員の問題が大きく取り上げられています。民主党は次の選挙のマニュフェストで3親等以内の同一選挙区での連続立候補を認めない、という方針を明らかにしました。これに対し自民党は、菅選挙対策副委員長から、同様の制限をしようという動きが出てきました。自民党内には、これに賛同する意見がある一方、いわゆる二世議員から、強い反発が出ています。

本日はこの問題を、戦後の政治史がご専門で、政治評論家としてもご活躍のAさんと、自由民主党の2世衆議院議員で、中堅のホープであるBさんにお越しいただき、本音ベースで率直な議論をお願いしと思っております。ではAさんに国会議員の世襲問題について、簡単にまとめていただきたいと思います。」

評論家「国会議員の世襲問題というのは、政権党である自民党の問題と言ってよいと思います。自民党の国会議員の約3-4割、このあたりはどこまでを世襲と考えるかで数字が違ってきますが、世襲です。この割合は権力の中枢部に近づくに従って高くなり、麻生内閣では17名の閣僚中11名が、世襲議員です。さらに首相に至っては、小泉、安部、福田、麻生と連続4代が世襲議員です。

それどころか宮沢内閣以降は、90年代一度政権を失って、奇策ともいえる当時の社会党委員長の村山富市首班での政権復帰を果たして以来、橋本、小渕が二世議員。その次の森を除けば、自民党の総理総裁はすべて世襲議員です。

このような状況は先進的な民主主義国家では他に例がありませんし、独裁国家や、あまり民主主義が十分に機能していない国にもほとんど見られない現象です。国権の最高機関である国会で、事実上特定の社会階層からしか、議員、大臣さらに総理になれないとなると、日本は純然たる民主主義国家ではなく、大げさに言うと親藩の大名しか幕府の要職につけなかった、徳川幕府の時代に戻ろうとしているのではないかとさえ思えます。

世論の批判も高まっているのですが、ご本人が世襲議員である麻生首相は、この問題に熱心ではありません。驚くのは二世議員の中に「世襲の禁止は憲法で保障された職業選択の自由に反する」というようなことを主張する人がいることです。国会議員は一般の職業とは違い、国家権力を代表する制度そのものです。それをあえて「職業」と言ってしまうところに、問題の根深さが象徴されているかもしれません。」

議員「私も先生のおっしゃる通りだと思います。もっともそう言ってしまうと、この場が成り立ちませんから(笑)、多少私のバックグランドも含めてお話ししたいと思います。

私の父は通産省の役人だったのですが、地元の九州で無所属から立候補しました。当時は中選挙区制で、公認がなくても派閥のボスに押されて無所属で出馬し、当選したら追加公認するということがよくありました。親父もそのケースで、当選後自民党の公認を受けました。

私は二人兄弟の弟なのですが、親父は成績のよかった兄貴の方を期待していたと思います。ところが、兄貴は最初から政治家は嫌だと言って、東大の医学部を出て、遺伝子工学の研究者になってしまいました。

私は政治が好きとか嫌いとかいう意識もあまりなく、大学を出た後、MBAを取りにアメリカに留学しました。その大学はワシントンに比較的近かったので、親父の知り合いの上院議員の家に遊びに行ったりすることがあって、その縁でMBA取得後一年ほどその上院議員のスタッフにインターン、日本語言うと研修生ということになるんでしょうか、としてアルバイトをすることになりました。

日本で政治研修生というと、クリントン大統領と関係を持ったというモニカ・ルインスキーとか、選挙の学生アルバイトのようなものを想像してしまうかもしれませんが、アメリカのインターンは専門を生かして、法案のドラフトを書く人もいるくらいです。私は、当時激化していた日米貿易摩擦問題で日本の事情に精通しているということで雇われました。ま、精通というのは、向こうの買いかぶりだったわけですが(笑)。

その経験が土台になっているのですが、日本に帰って、アメリカ製品をもっと輸入するぞという意気込みで、総合商社に入りました。もっとも、当時の日本ではアメリカの大学院でMBAを取ったと言っても、ある種の中途入社扱いで、親父のコネも使わせてもらって、拾われたというのが本当のところだと思います。

その商社で10年ほど働いて、商社マンとして一生過ごそう思っていたころ、親父が急死してしまいました。その後釜に学者の兄貴よりは多少政治家向きだろうということで、急きょ立候補させられました。このあたりは、志を持って政治家への道を努力して歩んでこられた方より、ずいぶん楽をしたと思います」

司会「B議員にとって政治家は家業のようなものだったわけですか?」

議員「家業というのは確かに当たっているところはあるンですね。というか、自民党の衆議院議員というのは中小企業の経営者のようなものなンです。自分は事業を継続したいと思わなくても、従業員、と言っては大変失礼な物言いになるかもしれませんが、支持者や関係者の方が、後継ぎに事業を続けてもらいたいと思う。この場合、後継ぎが政治家として資質があるかどうかということより、有権者が安心して投票してくれるか、どうか、自分たちとの関係を継続してくれるかどうか、ということが一番大切なわけです。 立候補するというのは、もちろん自分のためではあるのですが、事業を継続するためにも必要なわけです」

司会「議員になると、BMWを持てるとか、二千万円を6年間保障されるとか言う人もいるわけですが」

評論家「杉村大蔵と横峯良郎ですね(笑)」

議員「ま、そういう考え方もあるかもしれませんが、純粋に経済的利益を追求するなら、国会議員というのは、それほど旨みがあるわけではありません。少なくとも、そこそこの事業で成功する方が、経済的に得るものはずっと大きいと思います。もちろん、国会議員になれるから、事業で成功できるというわけではないのですが、落選するというリスクまで考えると、楽して金を儲けるために政治家になるという選択肢は、今の日本では成り立たないと思います」

評論家「政治家が儲かる商売かどうかは別として、二世議員が増加してきたことと並行して、自民党の中での人材選抜の仕組みがうまく機能しなくなってきていることがあると思います。安部、福田と二代続けての唐突な総理の辞任を見ると、本質的にリーダーとしての資質に欠ける人をトップに選ぶようになってしまった。

麻生首相の漢字が読めないということも、それがあれほど支持率の急落につながったのは、国民がリーダーとして間違った人を選んだのではないかという、不信感を持っていたということが背景にあったのだと思います。そもそもなぜ、そんな人を自民の議員が、圧倒的多数で総裁に選んでしまうのか」

議員「安部さん、福田さんの辞任の仕方に問題があったことは確かにその通りですね。これは率直に国民にお詫びしなければいけない。しかし、先生のご指摘の自民党の人材選抜のメカニズムということで言うと、総理・総裁を選ぶ話と、議員が大臣、党役員に選ばれていく過程と分けて考える必要があると思います。

総理・総裁を選ぶ、もしかするとその中で総理が取れて、総裁だけになるかもしれませんが(笑)、小選挙区制の中では、これはもう自分が選挙で勝てる顔かどうかということがものすごく重要になってしまっています。政治家にとって、落選するというのは、企業経営者が不渡りを出して倒産してしまうというのと同じことですから、これは絶対に避けようとします。

この点で日本の議院内閣制の総理大臣が、アメリカ大統領的なものになってきているということも言えるでしょう。ただ、アメリカ大統領は予備選挙を含めた1年以上の選挙戦で、徹底的に政治信条、耐ストレス能力、個人的な性癖、しまいには配偶者の服の趣味まで含めて、チェックするということがあるわけです」

評論家「それでもブッシュ大統領のような、史上最低と言われる人を二期も続けて大統領にすることもある(笑)」

議員「ま、よその国をかまっている暇はないわけですが(笑)、小選挙区制以前の派閥中心の総裁選びでは、何年も派閥を率いていくということが、リーダシップのテストにもなっていたわけです。

ただ、これは派閥を維持するための金集めが大変で、金権選挙というような批判も浴びました。そこで現在のように、小選挙区制にして、同じ自民党から複数の候補が派閥代表で立候補することをやめさせ、政党助成金で金の流れも派閥経由でなく党経由にして、派閥を機能させなくさせたわけです。」

司会「昔の派閥中心の方が良かった?」

議員「派閥が自民党のリーダー選出に果たした役割は認めなければいけないと思います。ただ、派閥政治は冷戦時代に自民党以外、現実的な外交防衛政策を野党が持っていないため、事実上政権交代ができない時代の産物だと思います。金権政治という問題や、派閥内の選抜過程の透明性がないということを考えると、今更、昔に戻せという話は通らないでしょう」

司会「総理予備軍になる、党の幹部への選抜過程はいかがなのでしょうか」

議員「自民党の中で、大臣、役員になるためには、当選回数を重ねていることが非常に重視されます。これは年功序列的な考え方ですから、それ自身批判を受けるかもしれませんが、実際問題として国会議員になって、ある程度の年数を経ないと、政策の形成過程を理解して、党、議会、それと官僚を動かすことは、なかなかできません。

官僚出身者は、そう言う点で新人であっても、国政を動かすという経験を積んだ方が多いのですが、今や官僚支配というのは過去の話です。昔は官僚出身議員に対して、官僚経験のない議員を党人派と言ったりしたのですが、党人派という言葉自身が死語になりました。何と言っても、官僚経験者でない総理総裁が20年近く続いているわけです。二世議員ではない森さんも、党人であったことは同じですね。

ところが当選回数を5回6回と重ねようとすると、10年以上かかります。最近は「若い」ということも重要視されていますから、たとえば15年議員を続けて40代などという条件を付けると、世襲議員が圧倒的に有利になってしまいます」

評論家「官僚でもない、世襲議員でもないということになると、後はタレント議員くらいですか(笑)」

議員「タレント議員だから悪いということはないと思います。東京都知事の石原さんも、参議院議長をつとめた扇千景さんも、最初に当選したときはタレント議員と呼ばれていました。

ただ有権者はタレント候補に、テレビを通じて知っているということで投票するわけですが、やはり人材選抜のメカニズムとしては十分ではないですよね。当選後に初めて政治家としての能力を試される、あるいは勉強をするということですから」

評論家「タレント議員というものも、先進民主国ではあまり例がありませんね。カリフォルニア州知事のシュワルツネッガーのような例はありますが」

議員「やはり、従来党人派としてくくった、党独自の人材選抜、育成の仕組みで国政を担う層を作るというのがあるべき姿なのだとは思います。議員の秘書だったり、地方議会の議員だったりと色々な道筋はあるのですが、先ほど言ったようにいかんせん、50前後でやっと初当選、当選回数を重ねて大臣候補になるころには、とっくに60を超えているというのでは、どうしても総裁候補としては難しくなります」

評論家「アメリカでは、B議員も経験されたインターン制度とか、ブルッキング研究所のような政策立案を行うシンクタンクがあって、国政レベルの人材育成を行うインフラができあがってますよね」

議員「日本では、伝統的に官僚機構がそれを行っていたわけです。国レベルの政治というのは、政策の実行は法律を作ることと、予算の配分を決定することに尽きるのですが、これは技術的に官僚の助けなしでは作業ができなかった。アメリカは弁護士とビジネスマンの国ですから、もともとそのような作業を行う層が分厚い上に、人材の流動性が高くて、民間、官界、政界さらに学界を自由に動き回るのが普通ですよね。

日本の場合は官界から民間という流れはあるのですが、他の流れは非常に乏しい。これも天下りということで今や非難を受けているわけです」

評論家「現代の日本は官僚支配が崩れつつあるという意味で、明治維新以来の権力構造の変化にさらされつつあるとも言えます。あるいは、藩閥政治の弊害と批判が高まったことにあわせて、大久保利通が東京帝国大学で官僚を広く国民から選抜育成するという仕組みに変えようとして以来の変化と考えられます。

日本は藩閥政治の下で、日清、日露戦争に勝ちましたが、官僚支配、軍部支配のもとで第二次世界大戦を戦って、徹底的に破れてしまいました。権力構造に変化がある時は、国が非常に不安定になる危険があります。世襲議員ばかりが国会議員、総理大臣になるとか、財政の裏付けのない支出が増大し、国債残高がGDPの2倍に近づくというのも、その表れだと思われます」

議員「官僚支配の弊害は、外郭団体が膨れ上がることでわかるように、政策決定が官僚組織のためになる危険があるということでも明らかでしょう。残念ながら日本の官僚組織は、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対腐敗する」という原則の例外ではなかったわけです。

その一方で、官僚組織の果たしてきた、政策立案、法案作成のような国政実行能力を持った人材の育成を作っていく必要があります。本来そのような議論抜きで、官僚批判、天下り批判を行っても、実効性のある問題解決にはつながらない」

評論家「議員自身はおっしゃりにくいかもしれませので、あえて代弁させていただくと、世襲議員の弊害があるからと言って、制度をいじくって世襲議員を禁止してしまうというのは感心しません。

政治資金規正法が数限りなく改正を続けても、政治と金の問題がなかなかなくならないのと同じで、人材育成と選抜の仕組みの構築を抜きにして、世襲議員が増加することだけを抑制しても、国政のレベルアップにはつながらないとは思います。

もちろん、世襲議員の増加を放置することは最初にお話ししたように、国政を特定の社会階層が独占することにつながりますから、解決の必要はあります。ただ、それは被選挙権の制限という憲法の理念にも反するような制度変更ではなく、世襲議員よりもすぐれた候補者が選挙で当選していくという形が本来ではあるでしょう」

議員「どうもありがとうございます(笑)。世襲議員の話は別としても、日本は政治資金規正法改正に始まって、議員定数の削減、小選挙区制から中選挙区制の復帰など、制度をいじくる話が多いですね。

制度の変更は、とりあえず金はかからなそうですし(笑)、世論の非難が高まった時に、何かしているという姿勢を見せる上では効果があるように思えます。しかし、制度の変更だけで解決する問題というのは、多くの場合限定的です。特に先生のご指摘のように、国家の権力構造が変化しつつあるような時は、門閥に依存しない官僚機構のために東京帝国大学を作ったような、国政を担う人材育成のインフラを作ることを改めて考えるべきだと思います」

評論家「世襲議員の増加は問題の原因ではなく、結果だというわけですね。ただ、問題であることには間違いない」

議員「それは十分に解っております(笑)」

司会「今日はどうもありがとうございました」
(続き:世襲禁止は愚策-むしろ一票の格差是正を

参照:
天下りを考える
わかっていても
日本は大企業病