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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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(再録) 沖縄戦の集団自決
Okinawa2.jpg
沖縄渡嘉敷島の集団自決の慰霊碑

今日6月23日は「沖縄慰霊の日」です。この日3カ月に及んだ、沖縄での日米の激しい戦いは、日本軍が組織的戦闘を止めたことで終結しました。

沖縄戦の集団自決に軍の強制はあったのか」は20007年12月の当ブログの記事です。 この年、文科省が沖縄の集団自決に軍の強制があったとする教科書の記述を不適切としたため、大きな論争がありました。

ブログの記事にあるように、集団自決の存在自身は、文科省の対応への賛否の如何を問わず、否定する意見はありません。沖縄の民間人は4分の1が死亡し、その中の相当数は民間人としては考えられないような集団自決によるものだったのです。

私の結論は、集団自決は軍の組織的命令によるものではないが、自決を強要する強い文化的空気があったとするものです。そしてその文化は平時であれば、むしろ社会を円滑に進めるために必要な規範精神によるものだったと思っています。戦争は、平和であれば正しく立派な道徳心を、恐ろしく残酷なものに変質させてしまうのです。
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F22は現代の戦艦大和
この記事を書いて1年半たち、中国がF22に対抗する殲-20を開発中との情報が入ってきました。事態は大きく変化しそうです。 殲-20はF22で対抗するしかないのか


f22-3.jpg
「世界最強」の戦闘機F22


表記について: F22は本来はF-22が表記として正式です。しかし、新聞など一般の記事ではF22と表記されることが多いため、このブログでもF22を使用します

最強の戦闘機

ラプター、猛禽というニックネームを持つF22は、アメリカ空軍に2005年から配備が始まり、世界最強の戦闘機と言われています。F22は現在就航している唯一の第5世代戦闘機であり、敵のレーダーで捕捉されにくい高度のステルス性を持っています。また、燃料を大量に消費するアフターバーナーなしに超音速で巡航が可能です。超高速での飛行はレーダーに捕捉される可能性をさらに低くします。

F22は現在航空自衛隊の主力戦闘機でもあるF15の後継機と位置づけられ、航空支配つまり戦闘機同士の戦いに勝ち制空権を確保することを主目的にしています。ただ、多用途の役割を担うことができ、爆撃能力を持たせることもできます。この場合、ステルス性を犠牲にすれば、燃料タンクや爆弾を外装し、遠距離の地上施設を破壊する能力を持つことも可能です。

航空自衛隊はF22をF15の次の主力戦闘機、いわゆるFXの有力な候補として検討しています。航空自衛隊は戦後一貫して、アメリカ空軍の主力戦闘機を採用してきました。F86、F104、F4、F15と続く航空自衛隊の戦闘機の歴史を考えると、F22を航空自衛隊がFXとして最適と考えるのは自然な流れと見ることはできます。

輸出禁止

F22は1980年代の冷戦中に計画され、当初750機が生産される予定でした。しかし一機あたり1億4千万ドルとあまりに高価なこともあり、183機が調達された段階で生産が中止されてしまいました。この背景には、冷戦後の世界情勢に対応したアメリカ軍の再編があると言われています。

本来であれば、日本がF22を購入すれば、生産ラインや雇用の維持のためになるのですが、1997年アメリカ議会はオベイ議員の提案(Obey Amendment)により、F22の対外輸出は禁止を決めてしまいました。アメリカは現時点でF22を日本に輸出することはできません。

F22を輸出禁止にしたのは、高度な軍事機密の移転を防ぐ目的なのですが、アメリカ軍の幹部や議会の防衛専門家たちは日本へのF22輸出を認めたいというのが本音のようです。イージス艦の秘密漏洩など、自衛隊の機密管理体制は問題があるものの、F22の生産ラインを維持することと、量産によりコストを下げることの利点は大きなものがありますし、同じ機種を使うことで、自衛隊とアメリカ軍の相互運用がより容易になることがあるからです。

ただ、F22を日本に輸出するとしても、日本でのライセンス生産を認めるか、F22の能力をどの程度切り落とすか(日本に輸出されるアメリカの先端兵器は普通アメリカ軍の使用するものと同じではありません)など、検討すべき課題は数多くあります。日本の購入価格が240億円に達すると見込まれることも、大きな問題です。

代替機

航空自衛隊がF22の導入ができない場合、いくつかの代替機が考えられます。その中でアメリカのゲーツ国防長官が推薦するF35は、もっとも有力な候補です。F35はアメリカとイギリスが中心になって多国間で開発されていて、アメリカ空軍では高価なF22を補完する役割を担います。2012年の配備開始が予定されており、価格もF22の半分以下になると見込まれています。

F35はF22と同様のステルス性を持っており、電子機器の能力はむしろ高いとされていますが、アフターバーナーなしで超音速に達することはできません。戦闘機としての戦闘能力はF22より劣っていると考えられていますが、多用途機として最初から開発されていて、爆撃機としては、より多くの兵器を搭載することができます。また、イギリス軍は垂直離陸(STOVL)できるモデルを使用する予定ですが、STOVLなら、近い将来海上自衛隊のヘリコプター母艦から発艦することも可能です。

ただ、F35の開発計画にこれから参加するとなると、日本の担当分を他国に輸出する必要があり、武器輸出を行わないという日本の方針に反することになります。この方針はアメリカとの共同で行われているミサイル防衛技術の開発では緩められてきていますが、障害にはなることは予測されます。

F35の他にはヨーロッパ諸国が共同開発したユーロファイターや、アメリカ海軍が2020年までは供用を続けるF18、さらに現有のF15の強化版なども挙げられています。これらはF22やF35のようなステルス性はありませんが、実戦配備についていて実績もあります。コストの点でもF22やF35と比べても安価です。ステルス性がないため、機体表面のメンテナンスという非常に費用のかかる作業は行う必要がありません。F15なら現有のF15と一体的な保守を行うことで、より経済的に運用できます。

周辺諸国の不安

F22に比べれば時代遅れ(F35は新しいが、戦闘能力は劣る)の代替機でなく、F22を必要とする理由として一番に挙げられるのは、日本の周辺諸国の戦闘機の能力が高まっていることがあります。中国はソ連、ロシアの旧式戦闘機を主力機にしていましたが、イスラエルの協力でJ10を開発し(中国のユダヤ人と新型戦闘機)ました。J10は実質的にF16の発展した第4世代の戦闘機です。

ロシアはもともとソ連時代から仕様上はアメリカの最新機と匹敵する性能の戦闘機を開発してきましたが、経済的な困難で更新が遅れていました。しかし、石油価格の高騰で息を吹き返し、装備の近代化を進めるとともに、F22に対抗する第5世代機の開発も行っています(ロシアと石油)。

周辺国の中で、日本の軍備に一番神経をとがらしているのは、むしろ韓国かもしれません。日本のF22の採用の行方について、韓国では日本以上に報道を行ってきたくらいです。その韓国は、航空自衛隊のF15Jより、新しく性能の高いF15Kを配備しています。韓国は経済規模の大きい日本が高価なF22を次期戦闘機にすると、対抗できなくなると真面目に心配しています。

日本人から見て、現在の一番の脅威は北朝鮮でしょうが、北朝鮮の航空戦力は日本とは比較にもならないようなものです。中心は旧式のMIG21で、比較的新しいMIG29などはごくわずかです。しかも、燃料の不足から練度は低く、実質的な戦闘能力はさらに低いと考えられます。

北朝鮮と本格的に事を構えるのであれば、迎撃、制空性能を重視したF22より、敵基地の攻撃のために、F35のような爆撃能力の高い航空機を多数持つ方が有効だという考えもあるでしょう。北朝鮮の側から見れば、日本を攻撃するのに、みすみす撃墜されるために戦闘機を飛ばすことはせず、ノドンミサイルで攻撃するでしょう。ノドンの撃墜にはF22もF35も役に立ちません。

F22は本当に強いのか

F22はアメリカの禁輸が解けたとしても、購入には一機240億円程度かかると見込まれています。F15は当初一機70億円程度で、現在でも100億円をくらいです。F22はF15の半分以下の機数しか購入できないことになります。日本の防衛予算は低下傾向ですから、3分の1程度になってしまうかもしれません。

プロ野球の選手は、超一流になれば1年に何億円もの収入を得ることができますが、二軍選手の収入は100分の1にもなりません。一般人から比べると、能力の差は紙一重のはずですが、プロ同士の戦いではその差が100倍以上の収入の差になります。

兵器も同じで、相手に勝てない兵器はただのがらくたです。特に空軍、海軍はハードウェアとしての兵器の差は決定的で、戦術や精神力で兵器の性能を補うことは困難です。F22も本当に他の戦闘機を圧倒する強さがあれば、高くても購入する価値はあるのかもしれません。

戦闘機の強い、弱いを判断する場合、基準となるのはまず空中戦での能力です。しかし、戦闘機は車でいえばレーシングカーのようなもので、機械の性能が高くても操縦士の腕前が悪ければ、負けてしまうということもあります。空中戦能力の判定は、同程度の技量の操縦士同士で比較する必要があります。

そのような前提での模擬空中戦で、F22はF22登場前は最強の戦闘機とされたF15に対し、100戦全勝との報告があります。F22は1機でF15を4機を同時に相手にして勝てるとも言われています。それではF15はどの程度強いのでしょうか。実際にF15が実戦で戦った例はわずかです。最初にF15が実戦で使用されたのは1990年の湾岸戦争ですが、このときF15はイラク軍のMIG29など38機を撃墜、損害はゼロでした。

その後、コソボ紛争でMIG29など4機、イラク戦争でミラージュ1機を撃墜したと報告されています。これらの戦いでもF15に損害はありません。見事な戦績ですが、湾岸戦争の撃墜中6割、コソボ紛争の4機すべては空中戦ではなく、ミサイルで撃墜しています。また、イラク空軍とアメリカ空軍では練度、技量に大きな差があると思われ、空中戦での戦績ほどF15が強いかというとそうとは言い切れない面もあります。

F15の前の航空自衛隊の主力機のF4は、ベトナム戦争で当時の最新型のMIG21などと戦い、相当の被害を出しました。このとき相手の北ベトナム軍の戦闘機は、ソ連人パイロットが操縦していたことも多かったと言われ、技量はアメリカ空軍パイロットに近かったと思われます。

しかし、ベトナム戦争でF4が空中戦で苦労させられたのは、レーダーに頼って視界の外からミサイルを撃つ攻撃が禁止されていたためです。現在は敵味方の識別信号により、有視界でなくても交戦することが可能です。F15が戦果の大部分をミサイルで得ることができたのもそのお陰です。

現代では、レーダーで敵機を発見し、ミサイルを発射して後はミサイルにお任せというのが、空中戦の基本です。空対空ミサイルの射程は中射程もので70-100km程度、短射程でも20km程度です。あまり装備されませんが、長射程では200kmに達するものもあります。200kmと言うと東京と静岡、100kmでも小田原くらいです。お互い目視は不可能です。

ミサイルで戦っている限り、F22の空中戦での格闘能力はあまり意味がありません。重要なのはレーダーに発見されないステルス性能です。F22の基本的な考え方は、相手からは見えない段階で、ミサイルで撃墜してしまうというものです。最高の格闘能力を持っているのに、それを使わないで静かに敵機に近付き、ミサイルを発射して撃墜するというわけです。F35を除くと他のF22の代替候補はステルス性能はありません。

F35はまだ配備が始まっていませんし、配備されても多用途で安価な(とは言っても1機100億円はするのですが)F35は制空用のF22に 空中戦では勝てそうにありません。空中戦ではF15のほうがF35より強いとも言われています。しかし、ここで素朴な疑問が起きます。F35がステルス性能を持っているなら、かりにF22がF35と戦うとして、どうやってF35を見つけたらよいのでしょうか。見えなければ戦いようがありません。

この話は、どんな盾でも貫ける矛(ヤリ)と、どんな矛でも防げる盾と戦ったらどうなるという、矛盾の語源になった話と同じです。そもそも相手から見えないステルス性能と、遠距離から撃墜できる優秀なミサイルを持つF22に、なぜ莫大な費用をかけて高度の空中戦闘能力を持たせるのでしょう。「いざという時」には役立つかもしれませんが、「いさという時」はあるのでしょうか。

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戦艦大和

F22は現代の戦艦大和

F22の話を聞いていると、戦艦大和を思い出さずにはいられません。世界最強の戦艦だった大和は、空母が主力になった太平洋戦争では出番らしい出番もなく、最後は沖縄に向かって特攻攻撃のような自殺的出撃を行って撃沈されてしまいました。戦後日本人は大和のことをピラミッド、万里の長城と並べて「世界の三馬鹿」とまで言って揶揄しました。

大和が世界最強の戦艦だったことは間違いありません。戦艦の戦闘能力は甲板の厚さと、主砲の射程距離と破壊力で決定されます。大和は46cmの主砲と、対46cmの砲防御を施した桁外れの巨艦でした。最大排水量72,000トンは他の戦艦の2倍近くもあり、戦艦同士の戦いでは無敵が保証されたようなものでした。

大和は姉妹艦の武蔵とともに日本海軍の切り札として期待されたのですが、その前提は最大の仮想敵国アメリカの艦隊と戦艦同士の決戦を行うというものでした。これは、東郷元帥率いる連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、日露戦争の帰趨を決定した日本海海戦の再現を狙うものでした。

アメリカ海軍は太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河を航行させる必要から、大和のような巨大戦艦を作ることはないと考えられていて、大和は絶対的な優位に立てるはずでした。実際に建造されたアメリカ戦艦を見る限り、その予測は間違っていませんでした。

しかし、太平洋戦争では戦艦同士が主砲を打ち合うような海戦は一度もありませんでした。かりにあっても、日本海海戦のような戦争の行方を左右するようなものではありえなかったでしょう。太平洋戦争で決定的だったのは、航空戦力と何にもまして、いくらでも船や飛行機を生産できる工業力だったのです。

兵器として考えると、大和は世界最高水準の技術を集めた非常に優れた戦艦です。大和が期待された成果を上げることもなく沈められたのは、兵器としての大和の責任ではなく、戦争の兵器体系が航空機中心に変化したことと、国の資源の全てを投入する総力戦で日本がアメリカに力負けしてしまったことです。

大鑑巨砲主義と大和を馬鹿にする人は多いのですが、アメリカも戦争初期は戦艦を主力と考える艦隊運用をしていました。日米の違いは航空機が主力とわかった後、空母や飛行機、訓練されたパイロットをどれだけ供給できるかの差だけだと言ってよいでしょう(「失敗の本質」という本では、日本軍の戦術、戦略が敗戦の重要な要因だったとしていますが、瑣末な話です)。

F22も戦艦大和が戦艦同士の戦いでは最強だったのと同じで、戦闘機同士の戦いでは最強です。しかし、最強の戦闘機が必要だというのは、日本を爆撃編隊が襲い、その爆撃編隊を護衛する戦闘機を要撃するという事態を想定しているとしか思えません。そんな事態は太平洋戦争で日本海海戦が再現されなかったのと同様、あり得ないと断じて構わないでしょう。

航空自衛隊は日本の領空近くに不審機が侵入してきたとき、スクランブルといって、戦闘機が緊急発進を行います。冷戦時代はソ連の飛行機が四六時中日本付近に飛来しましたが、今でも年間200回程度のスクランブルが実施されています。最近では半分程度が中国機に対してのものです。

スクランブルは普通F15のような航空自衛隊の主力機が行います。F22も配備されればスクランブルに従事するでしょう。F15やF22を訓練を十分積んだ自衛隊パイロットが操縦すれば、どんな飛行機も日本の領空を侵犯することはできません。

ただ、スクランブルをそれほど強力でない戦闘機が行っても、役に立たないということはあまりないはずです。日本の領空に近付く不審機は、偵察目的や、単に近いづいてしまった戦闘能力をあまり持たない飛行機です。何も世界最強の戦闘機でなければスクランブルができないということはありません。

F22がステルス性能、強力なエンジンがあるから強いというのは、戦艦大和の46cm砲とか分厚い装甲と同じで、兵器を全体の文脈の中で考えず、兵器の性能だけに注目した話です。あるいはプロのスポーツ選手が用具にこだわるように、軍人があくまでも最強の兵器を持ちたいという、軍人の世界の判断を行っているだけです。勝てない兵器も無意味かもしれませんが、使う可能性のない兵器はもっと無意味です。

軍備は常識で考えよう

今、日本がF22を持つことを一番気にしているのは、前述のように韓国でしょう。韓国は日本がF15を持っているという理由で、F15を購入しました。韓国のことを馬鹿にすることはできません。韓国が日本より強力な兵器を持つと聞くと、落ち着かない気持ちになる日本人は少なくないはずです。

韓国とは竹島の領有権の問題を抱えていますし(竹島)、この世にあり得ないことはないという立場に立てば、韓国の軍事能力を気にするのは全く間違っているとまでは言いません。しかし、日本と韓国がお互いにファイトを燃やして高価な兵器を買い続けても喜ぶのは、アメリカの軍事産業だけです。

北朝鮮は日本にとっての脅威以外の何物でもありませんが、F22を持ったからといって、ノドンやテポドンが防げるわけではありません。その点、高価な戦闘機は持てないので、核兵器とミサイルが国家の防衛に役に立つと考える北朝鮮の戦略は、まだしも合理性があります(ただし、もっと大きな国家戦略のレベルでは信じられないほど愚劣ですが)。

ロシアや中国は強大な軍事力を持っているのですから、それに対抗する必要はないでしょうか。F22があれば当分は、中国やロシアの戦闘機が日本領空を制圧することはできないでしょう。しかし、ロシアや中国のように核兵器やミサイルを大量に持っている国々と「真面目に」戦争する気であれば、一点豪華主義のF22を導入しても大して役に立たないでしょう。それは戦艦大和が最後は航空機になぶり殺しにされたのと同じです。

防衛は国家の究極の義務とも言えるものですし、日本が一定の軍備を持つことは地域の平和のためにはむしろ役に立つのは確かでしょう。軍事的な空白地帯というのは、かえって危険です。同時に、軍事力のバランスが大きく崩れるような兵器は、それ自身危険があります。どんなに堤防を高くしても台風の雨量が増えることはありませんが、新兵器は容易に軍拡競争を招きます。

F22の導入のような問題は本来は軍事論議ではなく、政治的な判断に属するものです。日本は比較的最近までは、非武装中立かアメリカとの連携(実質的なアメリカの核の傘に入るということ)かという政治論議だけで軍備を論議してきました。非武装中立の主張は今となっては、明確なソ連側への利敵行為だったのですが(社会党はソ連から資金を受けてきたという有力な証拠があります)、自衛隊という軍事の専門家は、公の発言は抑制して黙々と兵力増強につとめてきました。

ところが、最近は軍事論議はむしろ自衛隊出身者によって語られるようになり(田母神論文を考える)、しかも日本独自の強力な軍事力を持つべきものだというものが目立ちます。軍事の専門家の意見は尊重すべきですが、どうしても兵器それ自身に関心が偏ってしまいます。どのような兵器体系、軍事力を持つかというのは、もっと大きな視点で考える必要があります。

結論を言えば、F22は対北朝鮮には必要もないし使いようもありません。他の周辺諸国にはせいぜい無意味な軍拡競争を招くだけの危険しかありません。アメリカがF22の生産中止を決めたのも、新しい時代の軍事戦略には無用の長物と考えたからに他なりません。それでも戦艦大和のようなF22を欲しがるのはなぜなのでしょうか。これも何かの国民性なのでしょうか。

拉致問題解決に向けて: 元家族会事務局長の提言
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蓮池透


2年近く前になりますが「逆説的北朝鮮論 (1): 拉致問題は解決できる」という記事で、北朝鮮の拉致被害者家族会が拉致家族の奪還を目的としているというより、反北朝鮮団体になってしまっている不思議を書きました。このことで、弟の蓮池薫が北朝鮮に拉致され帰国した、元拉致被害者家族会事務局長の蓮池透が、右寄りの立場で北朝鮮への制裁を叫ぶだけでは拉致は解決しないとした著作を書いています。「拉致-左右の垣根を超えた闘いへ」という題名のその本は、たった100ページで千円、出版元もかもがわ出版と大手ではありませんが、5月の出版以来1月で3版を重ねています。

蓮池は著作の中で、日本は朝鮮植民地時代の清算をきちんと具体的な形で行うべきだとも言っていて、家族会や「救う会」の強硬な反北朝鮮論(救う会は慰安婦問題などでは反韓国でもあるのですが)とは思想的には正反対と言えます。しかし蓮池の主張は、左右のイデオロギーの問題ではなく、拉致を解決するには、拉致を解決するための戦略を作り、その戦略にしたがった行動を行うべきだということです。その意味で、蓮池は内閣官房の中にある拉致問題対策本部が、拉致問題の啓蒙活動ばかりで、拉致問題解決への具体的な戦略策定や手段の実行をしていないことに批判的です。

しかも、蓮池が著作の中で指摘しているように「拉致問題の解決」とは何であるか明確な定義はないのです。可能性のある行方不明者全員の帰還と言うと、実は拉致ではなくただの行方不明という場合もあって、実現は多分ありえないでしょう。また、北朝鮮の定義では拉致問題はすでに解決済みです。現実的な拉致問題解決の定義を行い、そこに向け戦略的に行動する必要があるのです。いずれにせよ、家族会から批判されることを恐れてか、ひたすら強硬な北朝鮮制裁行い、それが拉致問題解決に近付くことだと政府が主張するのは、欺瞞以外の何物でもないでしょう。

北朝鮮は、蓮池の著作の出版後、核実験を強行し、国際社会と決定的に対立することになりました。その中で拉致の問題など日本以外で本気で気にする国はなく、解決など不可能になったようにも見えます。しかし、こんな時だからこそ、うまく立ち回れば拉致は解決できる可能性があるとも言えます。たとえば、拉致問題解決と引き換えに、日本の対北朝鮮制裁を緩和するということも考えられます。まわりが厳しいだけ、解決のコストは下がっているかもしれません(その分国際世論とどう調整するかという問題は残りますが)。

最後に蓮池透が弟の生活の自立について遠慮がちに書いていることに触れておきます。帰国した拉致被害者は基本的に自立することが求められています。それは当然のことかもしれませんし、まわりのサポートもそれなりにはあるでしょう。しかし、40過ぎて帰国した蓮池薫は多分将来年金をもらうのも難しいはずです。拉致は国家の犯罪で、放置していたのは日本国政府の責任だとするなら、あんまりではないかとも思うのですが。

1Q84のネタばれに怒る
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1Q84は村上春樹の久々の長編小説で、5月29日の発売以来、たった10日で100万部を突破する大ヒットを記録しました。1Q84が話題になった原因の一つに、発売まで登場人物の概要やストーリー展開が一切明かされなかったことがあります。帯にさえ上巻に「「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ」としか書いていないのです。

ちなみに私は、それだけの情報で1Q84を読んだのですが、今週になって週刊誌が一斉に1Q84を取り上げた記事を読んで驚きました。作品の登場人物の紹介や、ストーリーの構成がかなり細かく書かれているのです。

あきれたのは6月11日放送のフジテレビの「とくダネ!」では、村上春樹の大ファンというレポーターが登場人物の人間関係や背景を「読まなくても話題に参加できる」と称して、かなり詳細に解説していたことです。

1Q84の評価は村上春樹作品の好き嫌いもあり、人それぞれでしょうが、少なくとも村上春樹が1Q84の中で、計算しつくしたテクニックで薄皮を剥ぐように、登場人物の背景、役割を次第に明らかにしていることは多くの人が認めるところでしょう。

人物の相関関係を最初から明かされては、薄皮を剥ぐ楽しみを最初から奪われてしまうことになります。だからこそ村上春樹も、自身の新しい長編が大きな話題になるのを承知の上で、そのような情報を遮断していたのでしょう。

「ネタばれ」というのはミステリーで種明かしをしてしまうことをさしますが、1Q84のような小説で中身をさわりの部分でも紹介してしまえば、事実上立派なネタばれになってしまいます。

村上春樹ほどの小説家なら「自分の作品は、内容をチェックしないで買ってくれる読者が沢山いる」と考えても傲慢とは言えないでしょう。その上で何も前提情報を出さないことで、薄皮を剥ぐ楽しみを読者に提供しているのに、話題だというだけでマスコミはこんなことをしても良いのでしょうか。

脳科学なんてありません
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脳科学者? 茂木健一郎

脳ブーム

脳がブームです。脳を鍛える脳トレゲームが売れ、書店には脳を題名に付けた本が並んでいますし、テレビでは木村拓也が天才的脳科学者として難事件を解決する、「Mr. Brain」というドラマが放映されています。このドラマは木村拓也が「僕脳科学者なんです」というフレーズを流す、莫大な番組宣伝を行って「脳科学」という言葉を、ますますなじみ深い物にしました。

しかし、脳科学、脳科学者という言葉を定着させた最大の功労者(?)は、脳科学者と紹介される茂木健一郎でしょう。茂木は脳について何十冊もの一般書を書いています。また、テレビなどマスコミへの露出も多く、脳科学者という立場で、熟練職人の技能の分析から人生論まで、ほとんど何でもかんでも語っています。

確かに、無意識なものも含め、人間のすべての行動は脳の指令によるものです。呼吸でさえ脳の機能が停止すると止まってしまいます。脳の働きを完全に理解するということは、人間を完全に理解することと同じと言ってもよいでしょう。だったら脳科学者たるもの、あらゆる人間活動に発言することは、むしろ当然なのかもしれません。

それでは脳科学は脳をどの程度解明したのでしょうか。脳科学という切り口で人間活動を何でもかんでもコメントできるほど、進歩しているのでしょうか。何でもかんでもが言い過ぎなら、どのようなことが脳科学で、よりよく理解できるようになってきたのでしょうか。

脳は複雑系

脳のことを考える前に、筋肉について考えてみましょう。筋肉は筋線維と呼ばれる筋肉細胞が束ねられたものです。筋肉が生み出す力や仕事量の大きさは、ワットや馬力のような物理量として厳密に定義することができ、ガソリンエンジンや電気モーターと比較することもできます。

筋肉が生み出す力は、一般的には筋線維の束の断面積に比例しますが、断面積を増やすには、運動とタンパク質が必要です。筋肉を増強するためのトレーニングは、目的に応じて的確に必要な筋肉を鍛えることができますし、筋肉の成長を加速させるために、ステロイドなどをホルモン剤を摂取する方法もあります。筋肉量が増大すれば力が強くなり、スポーツ競技では有利になります。

脳はどうでしょうか。脳は筋肉が筋線維でできているように、ニューロンつまり神経細胞が集まってできています。ニューロン同士はニューロンから枝のように何本も伸びているシナプスと呼ばれる接合部を通じて、他のニューロンと結びつけられています。このシナプスでの接合はわずかな隙間があり、その間を化学物質のやり取りをすることでニューロン同士はコミュニケーションを行います。

ニューロンは、もともと外界の刺激を感じ取り、それに反応するためにできたものです。たとえば、かなり原始的な動物でも、熱源を近づけるとそれを避けるように反応しますが、これには、(1)熱を感じ取る(2)熱が危険だと判断する(3)熱源から逃げるような動作を行う、という入力、処理、出力の3つのステップが必要です。

非常に単純な動きのように思えるかもしれませんが、この程度の動きをする機械を作ろうとすると案外大変です。外界の刺激を感じ取るセンサー、刺激の性質、強さを判断する処理装置、刺激に対応した動作を行わせる装置の開発が必要ですが、小型で性能の良いセンサーや処理装置は半導体技術が発達するまで、なかなか作ることができませんでした。

それでも、外部の刺激が熱のように単純なものであればよいのですが、光で外界を認識して反応するのは飛躍的に難しい処理になります。光で感知されるものは、捕食しようとする敵かもしれませんし、逆に餌かもしれません。あるいは配偶者である可能性もあります。行うべき行動は、それぞれ違っています。

相手により、違った反応をするためには、光で得られた情報を適切に処理し、目的に応じた行動を行うように出力信号を出さなければいけません。このように外的刺激に対し、様々な反応をするために、ニューロン同士は内部でシナプスを通じ協調して、複雑な処理を行う必要があります。その中には外的な刺激だけでなく、蓄えられた過去の記憶を情報として利用することも含まれます。脳は進化の過程で、外界だけでなく、脳内部の情報のやりとりをますます増やしていったと考えられます。

そのような脳内部の情報処理は、次第に意識、思考と呼ばれるものに近づいていきます。そして、その極限が人間の脳です。人間は、外的な刺激に対し、行動を起こすだけでなく、内省的に思考をめぐらし、過去の記憶と同じレベルで未来の予測を情報源としながら、種々の行動を起こします。この脳の情報処理の性能は、筋肉の能力を測るような単純な物理量で表すことはできません。

脳の性能を表す適切な指標がないのですから、脳の力を増大させるトレーニングを、フィットネスのプログラムを組むように決めることはできません。少なくとも、筋線維を増やすようにニューロンの量を増やす方法はありませんし、かりにあってもそれで脳の能力が高まるかはわかりません。シナプス間の情報伝達はグルタミン酸が大きな役割を行っていることがわかっていますが、グルタミン酸によって頭の回転が速くなるというものではありません。

それどころか、グルタミン酸を含む化学調味料を大量に摂取すると、めまいや難聴など神経障害を引き起こすことがあります。「頭をよくする薬」はステロイドが筋肉増強に効くようなレベルでは、今のところ存在しません。ただ、アルコールのように脳の働きを鈍くする物質はあります。また、男性ホルモンのテストロゲンは、一時的に計算能力や空間把握力を高める効果があることはわかっています。

筋肉と比べて、脳の簡単な能力増強法が見つからない(筋肉の増強も必ずしも簡単とは言えませんが)のは、筋肉が筋線維の集まりと考えて分析することができるのに対し、脳を単純にニューロンの集合体と考えても脳の全貌を理解することができないからです。

全体が部分の集合とは全く異なる性質を示すものを複雑系と呼びます。脳は典型的な複雑系です。脳を理解するためにニューロン、シナプスの働きや構造を理解することは必要です。しかし、それだけでは脳全体の働きを理解することはできないのです。

心それともクオリア?

全体が部分と全く違ったものになる複雑系の例として水があります。水は水素原子2個、酸素原子1個で構成される水分子からできていますが、水分子が集まった水は温度により、気体、液体、固体と全く違った物理的特性を持ちます。

同じように経済社会は個別の人間の単純な集まりと考えても分析することはできない複雑系です。経済を動かすのは根本的には人間の欲望や意思ですが、それだけでは経済の好況不況がなぜおこるかわかりませんし、景気対策をどのくらいの規模で行えばよいかを決めることもできません。

脳が途方もなく複雑で、部分に分解して理解するという典型的な科学的な方法が簡単には使えないため、心や意識は科学より哲学の領域として長い間扱われてきました。しかし、脳に損傷を受けて性格が極端に変わったり、前頭葉を切除するロボトミー手術で人格が喪失するなど、脳に目に見える障害があるケースを分析することで、脳の各部の機能と知能や感情との関係が、おぼろげながら理解できるようになってきました。

脳は哲学ではなく物質として科学的にすべてを解明することができる対象だ、という確信が深まる中、安楽椅子で長々と会話を続けていた精神障害の治療が、抗鬱剤などの投薬により、大きな効果を上げることわかり、治療法の大きな変化が起きました。心の病も通常の医療と同じように扱えるようになってきたのです。

さらに、核磁気共鳴を利用したfMRI装置を使うことで、脳の血流の動きをそのままの状態で観察することができるようになりました。fMRIを使えば被験者に色々な刺激を与え、脳の各部がどのように活性化されているかを知ることができます。障害者の死後の解剖に脳機能の分析を頼っていたことと比べると、これは革命的な進歩です。

それでも、脳の中で意識、認識というものがどのような物理的実体を持っているかは、確たる結論からははるかに遠い状態です。たとえば、青いものを見たとき、自分の青と、他人の青は同じものなのでしょうか。他人が「赤い」と感じるのと同じ感じを、自分は「青い」と感じているのではないでしょうか。同じものを見て、二人とも「青い」と言ったとしても、それは一方の「赤い」という感じを、自分は「青い」と呼んでいるだけではないのでしょうか。

このような問題を検証しようとして、赤い紙、青い紙を用意して、色を答えさせても意味がありません。たとえ他人の「赤い」という感じを「青い」ものに感じても、同じ青い紙なら、言葉はどっちらも「青い」になって、どのような感じを「本当には」持っているかを確かめることはできません。

こんなことは言葉の遊びで科学として取り扱うのは不適当だという考えもあります。一方、脳の中で感じるものが実体として存在する。つまり、「青い」という感じ、「赤い」という感じは物理的な意味づけを与えることができるという考えもあります。このような考える人は、脳の中の「感じ」をクオリアと呼びます。

いずれにせよクオリア論議に決着がつくのは、まだ長い時間がかかるでしょう。性的興奮があった時に、脳のどの部分が活発に活動できるかはfMRIでわかるでしょうし、性的興奮を高めるような、薬剤も作れるでしょう。それでも、愛だの美などが脳の中でどのような「実体」として感じられているかを、取り出して分析することは当分できそうにありません。

脳科学の専門家はいない

脳科学という単語は日本語のウィキペディアにはありますが、英語のウィキペディアには見当たりません(2009・6・2現在)。日本語版ウィキペディアにあって、英語版にない学術用語は珍しいのですが、それだけ日本では脳科学が確固とした学問領域として存在していると思われているのでしょう。

脳科学をテーマにした研究所は確かに存在します。日本では理化学研究所が脳科学総合研究センターを設置していますし。アメリカでもブラウン大学がBrown Institute for Brain Science(BIBS)を持っています。どちらも怪しげな研究を許すような機関ではありません。

ただ実際には、ブライン大学のBIBSが「人間の最大の謎に迫るためのユニークな学際的プログラム」と言っているように、どちらも神経科学、認識科学、心理学、解剖学など多様な専門家を集めて、「複雑系」である脳の研究をしようというものです。


現代ではどんな科学分野も細分化、専門化されています。しかし、脳科学に関しては細分化ではなく、「とにかく関連分野の優秀な研究者を集めて、何か新しいものをつくりだそう」というものです。企業に例えれば、通常の学問分野が事業部、部、課と組織が分割されているのに対し、関連企業が集まり、コラボで新しいサービスを作りだそうとしているようなものです。脳科学は、まだ独自な領域を定義する以前の段階にとどまっていますし、その意味で脳科学の専門家は存在していないと言ってよいのです。

今は血液型性格判断のレベル

脳科学に対しハウツー的に期待されているものは、人間の性格や行動の理解、さらに人生の生き方の指針といったものでしょう。しかし、そのような期待に理路整然と答えるほどには、脳の理解は進んでいません。

今の脳ブームのように、心理学や精神分析がブームになったことがあります。精神分析にかぶれた人たちは、「X君のあのような行動は、幼児期の欲求が十分満たされなかったからだ」などと言ったりしたのですが、遊びとしてはともかく行き過ぎると問題です。

だいたいある人を精神分析して論評を加えようとするとき、人はおうおうにして分析対象を見下す傾向があります。優秀な研究成果を上げた研究者に「あの頑張りは、強いコンプレックスが潜在的にあるからだ」と言うと、その研究者の知性の高さや、勤勉さ、着眼点のよさを認めない響きがあります。同様の言い方でお返しすると、心理学にやたら凝る人間は、心理学で相手を支配しようとする歪んだコンプレックスがある、と言えるかもしれません。

そうでなくても、性格や知能というのは分析が非常に難しいというより、定義が極めてあいまいなものです。世の中には血液型性格分析というものがあって、A型は几帳面、B型はマイペースなどと言うのですが、几帳面もマイペースも厳密な定義があるわけではありません。

血液型性格判断が、まともな科学としては無視されているのに、かなり幅広く信じられていて、なおかつ多くの人が「当たらずといえども遠からずではないだろうか」と考えるのは、前向きとか、自己中心的とかいった、科学的に十分練られていない言葉を使っているからです。

成功の秘訣のような話題を語る時、脳科学のできることは血液型性格判断と、科学的でないというレベルで大差はありません。ここでいう科学的とは、論理的に物事を解析し、他人がその説の正しさの検証ができるということです。そのような科学的な論証は、やたらと前提や用語の定義があって、適用範囲も多くの場合非常に限定的です。「ビジネスで競争に勝つひらめきをどう得るか」という話には、まず役に立たないと思ってよいでしょう。

脳は複雑怪奇で、今の脳科学は遺伝学で言えば、DNAが発見される以前どころかメンデルの法則も発見されていない段階でしょう。それでも「子は親に似る」程度のことは言えるでしょうし、「血友病は女の子供では発病しない」といった個別にわかることも色々あるでしょう。しかし、意識、認識の根本的な原理が、遺伝学がDNAを理解しているようにわからないうちは、多くは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」だと思っているべきです。「脳科学」なんてないのです。




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