|
バブルよもう一度 |

経済学者にバブル経済は理解できない
だが、自分は理解できるぞ、などと言うつもりは毛頭ないのですが、バブル経済をまともな経済学者があまり取り上げようとしないのは事実です。 経済学では、物の価格が安くなれば、需要が増えて、供給が減る、高くなれば、逆に需要は減って、供給は増える、結局、ある価格で需要と価格が釣り合うというのは基本中の基本です。ところが、バブル経済では価格が上がるほど、どんどん需要も供給も膨らんでいきます。こんな現象を経済学者は、呆れて見ているしかないようです。
バブル経済というのはバブルがはじけた後になって、「あー、あれはバブルだったんだ」と皆思うのですが、バブル経済の真最中は、今がバブル経済なのかどうかもはっきりしません。今がバブルかどうかも、ろくに判らないのですから、なぜバブルが発生して、発生したらどうすればよいかという処方箋を書くというのは、できない相談なのかもしれません。
そこで原点に戻って、なぜ値段が上がれば供給が増え、値段が下がれば需要が増えるかという理由を考えてみます。人が物に対価を支払うのは、買ったものを使う価値が、買う値段より高いと考えるからです。価値は、利便性や快感のようなものもありますし、それを使ってもっと金を稼ぐことができることかもしれません。いずれにせよ、物の値段がどんどん上がっていくと、その値段に見合った価値を見つけることができる人は、だんだん少なくなります。逆に値段が下がれば、より沢山の人が買値より大きな価値を物から得ることができます。つまり、物に対する需要は、値段が上がれば減り、下がれば増えることになります。
物を売る側からみると、物を売るのは物を作るコストより、高い値段で売れるからです。コストが売値を下回ると、在庫処分でもない限り、新たに物を作ってまで売ろうとする人はいなくなります。物を生産するコストは生産者によって違いますが、売値が下がってくればコストに見合って生産できる人は減ってきます。物の値段が下がれば供給は少なくなり、値段が上がれば供給は増えていきます。
わかりきった話なのですが、もう少し考えてみましょう。金は1グラム3千円くらいで売買されています。 金にどの程度の価値があると考えるかは、人によって色々でしょうが、金を生産するには金鉱山から金鉱石を掘り出し、精製するために相当なコストがかかります。それは金を1グラムあたり、概ね1千円から1千5百円くらいです。金の値段が暴落して1千円以下になってしまったら、誰も金鉱山を掘って金を取りだそうとはしなくなってしまいます。金の値段は、金を採掘、精製するコストで下支えされていると考えられます。
最近、携帯電話のような電子製品に、タンタル、インジウムといったあまり耳慣れないレアメタルと呼ばれる材料が使われています。このレアメタルの生産が中国など一部に限られていて、需要が増えるとともに価格が高くなっていて、各国が確保に躍起になっていると言われています。
値段が高くなっていくのは、あまり嬉しい事態でないのは間違いないのですが、携帯電話を作る材料がどんどん高くなれば、携帯電話の値段も高くなって、そのうち携帯電話を買える人はほとんどいなくなってしまいます。そうすれば携帯電話の材料の需要も減って値段も下がってきます。レアメタルの値段が天井知らずに高騰することを心配する人は、携帯電話に天井知らずの値段を払うつもりなのでしょうか。そうでなければ、金の価格が金の生産コストで下支えされているのと逆に、レアメタルの価格は、レアメタルを材料にする製品の使用価値を上回るほど高くはなれないことになります。
転売するためなら価格は関係ない
ここまでは単純な話ですし、経済学の教科書はこんなことばかり書いています。しかし、使用するのではなく、転売するとなると物の値段の意味はまったく違ってきます。買った値段より、もっと高い値段で売れるのなら、買値は高くても関係ありません。それどころか、高い方が値打のある証拠で価値が高いと考えるかもしれません。そしてバブル経済の主役は、物の使用価値ではなく、転売期待で売買される商品です。
今から考えると想像もできないのですが、80年代の日本経済のバブルの真っ盛りには何千万円もするゴルフの会員権を何口も普通のサラリーマンが買っていました。ゴルフの会員権はもともとはゴルフがプレーできるという価値しかないはずですが、その頃はゴルフがプレーできるというは、航空会社株の株主優待券くらいの意味しかなく、値上がりしたゴルフ員権を売って儲けることが、ゴルフ会員権の価値の源でした。
物の値段の決め方が、転売してどれだけ儲かるかということになると、値段による需要と供給の関係は、使用価値や生産コストとは無関係になってしまいます。これでは経済学者がバブル経済を嫌いになるのは無理もないかもしれません。
では、バブル経済の原因が、もっと高い値段で転売できるだろうと多くの人が考えるからだとすると、どのような物がバブル発生の対象になるのでしょうか。まず、転売できるためには、転売できる市場がなくてはいけません。手軽に買え、手軽に売ることができるということが、バブルが大きくなるためには必要です。そしてバブルが一国あるいは世界を揺るがすほどのものになるためには、市場は十分に大きくなくてはいけません。
マニア同士が、門外漢には不可解なほど高い値段で趣味的な品物の売買を行うことはありますし、その中には転売で儲けようと考える人もいるかもしれません。しかし、売買がマニアの間で小規模におこなわれている限り、バブル経済を引き起こすことなどありません。
転売で儲けられる可能性があっても、保管に多大なコストがかかったり、時間とともに価値が減っていくようなものは、大規模なバブルを作り出すことはできません。たとえば、保管すれば品質が劣化していく食料品はバブルを引き起こすには不適です。食料品が原因のバブルの発生は今後ともないでしょう。
次に、バブルを作る物は価格が上昇しても供給が増えない、増やすにしても非常に困難でなければいけません。原油を含め、ほとんど天然資源はこの点でバブルを発生させるには向いていません。原油は数百年単位で考えれば、使えばなくなってしまうものですが、価格の上昇は従来コストに見合わなかった、油田の開発を可能にします。ある程度以上の価格になれば、代替エネルギーも採算に合うようになります。価格の増大が経済学の教科書通り供給の増大を促進するような物はバブル経済を作り出すことはできません。
簡単に転売ができ、時間ともに目減りせず、供給が限られている、このような条件を並べると、バブル経済を作ることができるのは、土地と株などの金融資産にだけになってきます。土地は本当は供給が限れてなどいないのですが、同じ土地は二つはないので、何かもっともらしい理屈をつければ供給が限られているこような錯覚は起こります。
過去のバブル経済の歴史を振り返ると、土地と通貨を含めた金融資産以外で大規模なバブルを発生させたのは、17世紀にオランダで起きたチューリップの球根をめぐるものだけです。球根はどう見てもそれほど長期間保管はできませんが、球根を栽培してチューリップを育てると、また球根ができるということで、事実上無限に保管できると思われたのでしょう。
バブルを作るには
土地や株がバブル経済の発生源になるとしても、バブルが膨らみ始めるには、バブルを生み出す環境ときっかけが必要です。バブル発生の環境で重要なのは金余りです。80年代の日本のバブルは、急激な円高を防ごうと、政府がドルの買い支えで膨大な円の供給を行ったことでした。余った金は、設備投資や、国内消費ではなく。土地の購入に向かいました。90年代のアメリカのIT株のバブルは、冷戦後軍事費が大幅に減り、政府が黒字化して国債の購入に向かっていた資金が、株式市場に流れこなだために起こりました。そしてリーマンショックを引き起こしたバブルは、サブプライムと呼ばれる信用度の低い債券を分割して、信用度の高い金融商品に化けさせたことで、大量の資金が集まったことで起きました。
一度バブルができると、転売価値が実体的な価値を持つようになります。つまり、転売価値で金を借りることができ、対象資産の値上がりでさらに金が借りられます。価格の上昇が通常の需要と供給の関係のように、値上がりが需要の減退を招くのではなく、需要を生み出す信用と資金の拡大で、ますます需要が増大するという、ポジティブフィードバックが働くことになります。バブルはとめどもなく成長を始めます。
それでは、余剰資金というバブルの環境が整ったとき、バブルは必ず発生するのでしょうか。爆弾は信管がないと爆発しないように、バブルが膨らみ始めるのには、何かのきっかけがなくてはいけません。一つには、今までよりずっと高い値段を正当化する理屈やメカニズムが必要です。
80年代の日本の不動産バブルは、地上げというテクニックで、小さな家が集まった付加価値の小さな土地をまとめて、大きなオフィスビルを建てることが普及したことです。しかも、地上げはあまりまともでない連中を不動産会社や銀行が使ったために、乱暴な土地の買い漁りが起きました。
人の金でチャンスを求めて無責任に買い続けるような人種は、バブル発生の起爆剤としては強力な力を発揮します。リーマンショックにつながる、今世紀初頭のバブル経済は、人の金を集めて投資をするファンドの存在が原動力になったことは間違いありません。
恐らく、バブル経済作り出すには、もっともらしい理屈より無鉄砲に高値を追い求める人の存在の方が、大きな役割を果たすのではないか思われます。ITバブルでインターネットに少しでも関係がある会社の株が、利益どころか売り上げも上げないうちに高値を付けたり、サブプライムでどう考えても支払い余力のない人々が、不動産が無限に値上がりするという前提で、金を貸してもらえたというのは、理屈とか理論があったとしても、まっとうなものではなかったはずです。
日本の80年代の不動産バブルの時は、皇居の面積でカリフォルニア州が買い占められると言われてました。このようなことがバカバカしいことを不思議だと思わなくなるというのは、一部のイカレタ連中の狂気が、皆に伝染したとしか考えられません。
人間がなぜそこまで愚かになれるかと不思議としか言いようがないのですが、人間は本能的に多数の意見にしたがう傾向があることはわかっています。実験で、非常に薄い砂糖水を10人に飲まして9人(全員サクラ)がしょっぱいと言うと、残りの1人(本当の実験の対象者)はかなりの確率で、砂糖水をしょっぱいと答えることが知られています。
砂糖水をしょっぱいと感じるくらいですから、一度皆が高値を追って転売期待で買い始めると、皆が買うという理由で、無茶苦茶な値段でも妥当だと信じてしまうのです。この力は非常に強力で、バブルの最中は、皆「今の値段が正しいのでは」と信じるために、バブルの真っ盛りにバブルということが認識できなくなってしまうのです。
バブルは悪いことなのか
それにしても、バブルは悪いことなのでしょうか。誰かが「王様は裸だ」などと叫ばなければ、転売期待が本当に実現されて、信用がどんどん膨らんでいく、つまり経済が際限なく大きくなって皆な幸せになれるのではないでしょうか。
本当にそうかもしれません。しかし、使用価値とも、生産コストとも無関係に値段が上がり続けると、いつかは真実に人が気がつく時が来ます。砂糖水を飲み続ければ、そのうち「やはりこれは塩水ではなくて砂糖水だ」と気付く時が来てしまいます。大部分の人が妄想に取りつかれていても、ごく少数の人が目が覚めて「王様は裸だ」と叫ぶことで、バブルは文字通り破裂してしまいます。
バブルが破裂すると、膨れ上がった信用は突然梯子を外されて、銀行は不良債権を大量に抱えることになります。貸し倒れリスクが大きくなる銀行は金を貸したくても貸せなくなります。 企業も目減りした資産が重くのしかかって、積極的な設備投資は控えるようになります。個人も財産が減って、浮かれた気持ちが失せてしまったり、財産がなくても解雇されることもあります。バブルで膨れあがった信用が大きければ大きいほど、破裂した時の打撃は深刻になります。
つまり、バブルは必ず破裂する運命にあるし、破裂すれば重大な影響があるのだから、バブルは発生しないに越したことはないというわけです。1920年代のアメリカの株高のバブルは、世界大恐慌を引き起こし、ついには第二次世界大戦につながってしまったのですから、バブルの発生を未然に防ぐような努力は不断に続けなければならないというのは一つのコンセンサスと言えるでしょう。
金利を機敏に上げたり、銀行が過大なリスクを背負わないように監視したり、無責任に他人の金で大儲けを企むことがないように、金融機関のボーナスを制限しようとするのは、バブルの発生を抑える施策の数々です。
そのような政策は一定程度は必要でしょうが、過度な締め付けは健全な市場機能も弱めてしまう危険もあります。それにどのような政策、制度を導入してもバブルを完全に防ぐことはできないでしょう。物を転売できるというのは、資本主義の基本的な機能ですから、潜在的に常にバブルの可能性はあるのです。
それに、バブル経済が破裂した後は、金融機関だけでなく、一般の企業、産業も大きな変質を余儀なくされます。日本では土地バブルがはじけた後、簿価よりずっと高い土地を含み益として抱えて、本業で赤字続きなのに企業が生き延びるという「含み経営」が、ほとんど一掃されました。
言って見れば、バブル経済の破裂は巨大隕石の衝突のようなものです。6,500万年前に恐竜は隕石の衝突で滅亡してしまいました。しかし、恐竜の全滅がなければ哺乳類の隆盛はなかったでしょうし、多分人類も生まれてこなかったでしょう。
巨大隕石は環境を激変させることで、生物界の秩序をひっくり返してしまいます。バブルの破裂がなければ、日本は今でも3つの長期信用銀行、12の都市銀行が護送船団として生き残っていたかもしれません。これは今よりましな状況とは思えません。
国際社会でジリ貧となっている日本の現状は、バブル経済が生まれて破裂してしまったというより、、バブルの破裂だけでは、遅れた部分を完全には変革できなかったからではないでしょうか。そう思えば、もう一度元気を取り戻すために、再びバブルを起こしてみるのも悪くはないのかもしれません。
80年代のバブル経済の時代には、結構良い目を見た人も多いはずですし、少なくとも戦争のように人が沢山死ぬようなこともありませんでした。袋小路で悩んでいるより、次のバブルネタを考えてみたらどうでしょうか。
スポンサーサイト
|
|