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ビジネスのための雑学知ったかぶり
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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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ゴミ箱を片付けてゴミを減らすという発想
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府中市の街角に置かれたゴミ箱

府中市のゴミ箱廃止

府中市は2010年2月2日から家庭ゴミ収集の有料化と戸別収集を行うことになりました。 知らない人には、「そんなの今さら当たり前じゃないか」と感じられるかもしれませんが、府中市では今(2009年末)は町中に誰でもいつでも捨てることができるゴミ箱があって、家庭ゴミはそこに捨てればよいのです。

街角にゴミ箱を設置するのは昔は普通だったのですが、今では府中市が全国でもほとんど唯一の存在です。そのため周りの自治体から大量の家庭ゴミを持ちこまれること、分別があまり守られないこと、そしてご多分に洩れず府中市も財政難が深刻であることなどから、廃止されることになりました。

確かによその自治体のゴミを大量に処理させられるというのは困りますし、ゴミ箱自身それほど美しいものではありません。ゴミ箱の周りにゴミが散乱することもあって、撤去は止むえないところでしょう。

しかし、無料でゴミを捨てられるゴミ箱を設置するのは本来は正しいことです。日本ではオウム事件以来テロの心配という名目で駅などからゴミ箱が撤去され、ちょっとしたゴミを捨てるのも不便になってしまいました。

今都心でゴミを捨てるのに一番便利なのはコンビニです。コンビニがなくなってしまうと、町中はゴミだらけになるかもしれません。コンビニが果たしている社会的役割はとても大きいのです。

ゴミ収集の有料化やゴミ箱の撤去を進めると、町中がゴミだらけになる危険があります(ゴミ有料化の行く末)。確かにゴミの収集と処分には多額の費用がかかり、ゴミを減量するために一般の理解と協力は不可欠です。しかし、ゴミを減らす方法としてゴミ箱を撤去するというのはどうなのでしょうか。

公園でゴミ箱を撤去したら「ここはゴミを捨てる場所ではないのだな」と皆が思ってゴミがなくなったという話もありますが、不心得な人間がゴミのポイ捨てを始めると「ここはゴミを捨てても良い場所なのだな」と思われてたちまちゴミだらけになることも考えられます。

「割れ窓理論」というものがあります。一枚でも窓ガラスが割れていると、皆平気でガラスを割ってしまう、逆に言えば、一枚のガラスも割らせない、ささいな犯罪も見逃さないことで、治安を保つことできるという考え方です。ニューヨークはこの発想で犯罪の発生を大幅に減らしたと言われています(本当にそれが最近のニューヨークの殺人減少の理由かは、やや議論がありますが)。

町を清潔に保つためには、ゴミを一つも落ちていない状況を作ることです。きれいな街でゴミのポイ捨てをするのは、普通の人にはなかなかできません。ゴミ箱をなくせばゴミはなくなるという考えには納得できない人が多いと思います。

派遣法改正

派遣労働は自由化が進んできたのですが、リーマンショック以来の「派遣切り」の多発もあって、全面的な改正が議論されています。厚生労働省の諮問機関、労働政策審議会の答申では、仕事があるときだけ雇用契約を結ぶ「登録型」派遣は、通訳のような専門性の高い26業務や高齢者派遣などを除き、原則禁止になり、特に製造業の派遣労働者の使用は認められなくなるようです。

こんなことをすると、日本で製造業を続けることはずっと難しくなるでしょう。答申の通り新しい法律ができれば確実に雇用は減少します。それが皆分かっているはずなのに、派遣労働を禁止すれば派遣切りがなくなるというのは、ゴミ箱をなくせばゴミがなくなるというのと同じです。

企業にとって労働力もコストであり、原材料です。需要を増やすには値段を上げるより下げる方が有効です。派遣切りはなくても、そもそも雇用自身がなくなってしまっては意味がありません。

もちろん、労働力はただの物価ではありません。人間は効率性、経済原則だけでなく、使用にあたっては色々な規制制限があるのは当然です。「雇ってしまえば、煮ようが焼こうが雇用者の勝手だ」と言うわけにはいきません。

しかし、それもこれも労働需要があっての話です。労働者の権利を守るのは厚生労働省の仕事だが、雇用の増大に結びつく経済の活性化は経済産業省の仕事だとでも言うのでしょうか(社民党などはそうなのですが)。

もしかすると、土地が狭く、資源コストの高い日本が高効率の産業を生み出したように、厳しい派遣労働の禁止が、製造業の海外移転を促進して未熟練工の労働需要がなくなることで、日本人の生産性が高まることもありえます。これは長期的には好ましい方向ですが、現在すでに労働市場にある人々はどうすればよいのでしょうか。再訓練はそれなりに有効ですが、高付加価値の労働者とは本来は医者、弁護士あるいは大学院卒レベルの技術者、MBAホールダーなどでしょう。殆どの失業している人たちには手の届かないものです。

このままでは製造業の派遣という低学歴(大学卒でも資格や専門性がないとそうなってしまいます)の人には比較的高収入の雇用がなくなり、本当に低付加価値、低賃金の働き口しかなくなってしまいます。

キヤノンやトヨタという世界的な企業が派遣切りをしたと非難されました。個々の対応には文句を付けるべきところは多々ありますが、このような企業が派遣労働者を使うことを実質的に禁止してしまえば、残っているのは法律なんかお構いなしのような雇い主の本当に低賃金の仕事ばかりになってしまいます。

派遣切りは不況の「結果」であっても、「原因」ではありえません。派遣労働を厳しくすることは短期的には雇用を減少させますし、中長期的には低付加価値の正規社員の温存で日本人の生産性を高めるにもマイナスでしょう。

貸金業法

2007年に貸金業法が改正となりました。利息制限法所定の制限利率(15%~20%)と出資法所定の上限利率(29.2%)との間の「グレーゾーン金利」が廃止になり、これにより利息の上限が実質20%に制限されることになりました。

貸金業法の改正には無法な取り立て行為を禁止するなど、当然のものもあるのですが、「合法的」な貸金業が困難で儲けの少ないものになったことは間違いありません。

ここでも「ゴミ箱をなくせばゴミが減る」という発想が生きています。高利を禁止すれば、高利貸しはなくなるかもしれませんが、お金を貸してくれるところがなくなれば困るのは借りる方です。

子供が病気をして入院費がかかる。父親は失業した。母親もパートを解雇された。どうしようもなく借金をし、返さなくて取り立てに怯えている。悲惨な状況ですが、この問題は最初から金を貸す業者がいなければ解決するたぐいの問題ではありません。

法外な高利は良いのかということはあるのですが、利息は概ね貸し倒れのリスクと見合っています。もし貸し倒れの心配がないのなら、どこの金融機関も喜んでいくらでも貸してくれるはずです。金は余っています。

借金地獄の危険を減らすのなら、ゴミ箱を片付ける、つまり利率を下げて借金を難しくするより、さわやかな美女が「ご返済は計画的に」などとほほ笑むTVCMを禁止して、かわりに恐ろしげな顔をした男に「返さない時は俺がいくから覚悟しておけよ」とでも言わした方がよほど効果的です。

雇用と同じで借金の取り立ても経済原則だけで何をやっても良いということはないでしょう。取り立て方法には規制がなくてはいけません。その上で貸出利息はもっと自由化すべきです。取り立て方法だけでなく情報提供も「余裕を持って借りてください」などという抽象的で無意味なものでなく「10日で1%は年利で36.5%です」という風に判りやすく伝えるように義務づけるべきです。金利がもっとはっきり提示されれば、カードの割賦払い(年率18%!になったりします)を気楽に利用する人はずっと減るでしょう。

闇市場を太らすな

配給制度はなかなかうまく機能しません。必要な物の値段が上がるのを防ぐために配給制度を作っても、物はすぐに闇市場に流れてしまうからです。北朝鮮のような何をしてもすぐに収容所送りになる国でも、闇市が隆盛を極めています。

ゴミ箱はコストがかかります。ゴミ箱の周りにゴミが散乱しないようにゴミ収集をきめ細かに行おうとするとなおさらです。しかし、高いコストは清潔な街を維持するためには有効な投資です。

派遣労働の不安定性さを補うためにセーフティーネットを強化するにはコストがかかります。しかし雇用自身が蒸発してしまうよりは国民経済全体として見ればずっと効率的なはずです。

貸金の金利を自由化しても普通は借りられない(命まで担保に取るようなところしか貸さない)人もいるでしょう。本来そのような人は借金をするべきではありません(そんなことを言ってもする人はするでしょうが)。

危険なのは闇市場が太ることです。不法な労働環境で人権無視で人をこき使ったり、年利1000%で金を貸して、最後は臓器まで売り払うような連中のビジネスが巨大化しないようにすることです。そんな社会は誰も望まないでしょう。

原因と結果を考えないでゴミ箱を片付けてゴミを減らそうとする。そんな政策ばかりになったら日本は本当にお終いになってしまいます。来年がそんな年にならなければ良いのですが。
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小沢vs宮内庁どっちに分がある?
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天皇の言動はすべて公的なもの

あの顔で「君は日本国憲法を読んでいるか。天皇の行為は何て書いてある。それはどういう風に書いてある、憲法に。国事行為は、内閣の助言と承認で行われるんだよ」(読売新聞12・14)と凄まれると何も言えないのも無理はないのかもしれません。羽毛田宮内庁長官が内閣からの中国の習副主席と天皇との面会要請を「天皇の政治利用につながる」とわざわざ記者会見をして述べた(「陛下の政治利用につながるのではないかとの懸念を持っているか」との記者からの質問に「大きく言えばそういうこと」と答えた)ことについて定例記者会見で聞かれた時の反応です。

入社試験の難しいことで知られるマスコミの居並ぶエリート記者には一流大学の法学部卒はいくらでもいたはずですが、「私は東大法学部卒ですが」などと答えた記者は一人もいませんでした。「マスコミは弱い者苛めしかしないのか」と言いたくなりますが、ともあれ小沢幹事長の高圧的な言い方に好感を持った人は少ないでしょう。

早速、外国要人との面会は天皇の「国事行為」にはあたらないと小沢幹事長の無知を指摘する声が相次ぎました。しかし、憲法上の定義はともかく、天皇の行為は全て公的なものであることは間違いありません。それどころか結婚、出産のような自然人として最もプライベートな事柄さえ極めて公的な意味合いを持たされています。

当の羽毛田長官も記者会見で愛子親王の天皇への訪問について、皇太子が「両陛下とお会いする機会をつくっていきたい」と述べたのに「回数は増えていない。両陛下も心配されていると思う」と報道陣に語っています(参照)。祖父母が孫にもっと会いたいと思うのは人間として当然ですが、一般にはそのようなことは家庭内の話です。しかし、羽毛田長官のの発言は公的に皇太子を非難したものと受け取られています。皇室の一員にはプライベートという概念はないようです。そもそも皇室の面倒を見るために宮内庁というれっきとした国家機関が存在すること自身が、天皇のすべては公的だということを示していると言えます。

天皇は内閣の意のままにさせられるのか、「助言と承認」とは天皇の自由意志を認めていなのか、という議論もありますが、かりに天皇が「太平洋戦争はルーズベルトの策謀で止むえず開戦に追い込まれたものだ」とか「朝鮮併合は不当な侵略行為だし、慰安婦は軍部が組織的に数十万の朝鮮女性を強制的に連れ去ったものだ」などと発言したら大変な事になります。天皇の言動に対する内閣の助言と承認は広く天皇の自由を制限するものと考えるべきです。

1か月ルールの妥当性

羽毛田長官は記者会見で天皇が外国賓客と面会することは1か月前に申し込みを行うこというルールがあり、「ルールはこれまでも政府内で重視され、国の大小や政治的な重要性にかかわらず尊重してやってきた」と述べています(参照)。にもかかわらず内閣から強引な申し入れがあり、最後は受けざる得なかったということを問題にしているわけです。

1か月ルールは根拠のないものではありません、天皇は前立腺癌を患っており70歳を超える高齢です。まして、天皇は極めて多忙です。国事行為を含む公務だけでなく、新嘗祭(にいなめさい)などの宮中祭祀は数多くあり、中には夜を徹して国のために祈るような相当の負担のあるものもあります。なんでもかんでも引き受けられるような状況ではありません。

それを「日中関係は非常に重要なのでお願いしたい」(平野官房長官がそのように言って要請したと伝えられている)ということで政府の都合でルールを曲げられるのは承服しがたい、公平なルールがなくなったら、国によって差別することになり、相手に対し礼を失するばかりか天皇の政治利用につながるのではないか。

確かに、このような懸念はもっともな点は多々あります。しかし、1か月ルールというものがあって、それを機械的に厳格に守るということになると、アメリカ大統領も人口十万の国の元首も完全に同等に扱うという話になります。建前はともかく、それでは公平さを褒められるより非常識さを呆れられてしまうでしょう。

どんなルールにも例外はありえます。そしてどのような時に例外として認められるかということを「最終的に」判断するとなると内閣しかありません。少なくとも宮内庁ではありえません。お気の毒ですが天皇は公的な立場しかないという意味で、常にそれに従うしかありません。

1か月ルールがいかに天皇の健康のためとは言っても、1か月ルールの対象になるのは外国賓客との面会だけです(他のルールは知りませんが)。現に、大臣の首が飛んで、新しい大臣が任命されると、夜でも天皇により認証式が執り行われます(やたら首が飛ぶような大臣を任命することは誠に不敬の極みです)。阪神淡路大震災の時は、天皇皇后両陛下は余震の危険が言われていたのにもかかわらず、3日後には現地に入って被災者を訪れています。

どんなルールでも憲法や法律に明確に違反でもしない限り、内閣総理大臣が判断すれば例外を作って悪いということはありません。だいたい偉い人は例外を認めるために存在すると言っても良いくらいです。1か月ルールを変更させるには内閣総理大臣よりもっと偉くなくてはいけないのとでも言うのでしょうか(言いたくなる気持ちはわからないでもないですが)。

羽毛田長官は解任すべきか

法律にもない1か月ルールを持ち出し(それも宮内庁が自分で作ったことは明白です)、それで内閣からの要請であっても撥ねつけてしまおうとするのは、いかにも官僚的な抵抗方法ですが、宮内庁が一政府機関であることを考えると「出過ぎたこと」と言わざるえません。記者会見までして、面会相手の来日前に相手国に不快なメッセージを与えたことだけを取り上げても、懲戒の対象にしてもおかしくないでしょう。

しかし、懲戒は表向きに直ちに行うのは難しそうです。一政府機関とは言っても、宮内庁長官は天皇の信任を受けていると考えられます。羽毛田長官もそんな自信があって、天下の権力者を相手にそこまで強気になれているはずです。そうでもなければ、単なる気骨や天皇ためを思う一心だけで、あからさまに小沢幹事長に恥をかかせるはずがありません。厚生次官を含め長年高級官僚の世界に身を置いてきた羽毛田長官がそんなにナイーブに物を言っていると考えるのはどうかしています。

羽毛田長官はその意味で、天皇の権威を使って自分の主張を通そうとしているわけです。このことを取り上げて「羽毛田長官は戦前の軍部」と同じだと言う人もいます。戦前の軍部は統帥権という三権とは別の権力を天皇から付与されているとして、政府が軍部を指導しようとすることを「統帥権の干犯(かんぱん)」と言って認めようとしませんでした。

羽毛田長官が天皇を使って一般の行政機構の秩序を超越した動きをしようとしたことを取り上げれば、戦前の軍部と似ていると言えないこともありません。しかし、羽毛田長官はあくまでも天皇の身辺の世話を行う宮内庁の長官です。できることは「天皇の公務遂行は宮内庁の同意が必要」と言う(言ってはいませんが同じことです)くらいで、戦前の軍部のようなとんでもない大被害を出すような暴走ができるわけではありません。

逆に天皇を自分の権力基盤のために利用しようとしたことで「小沢こそ戦前の軍部と同じだ」と言う人もいます。要は「戦前の軍部」が悪玉のアイコン的な表現になっているわけですが、小沢幹事長は天皇を利用しようとしたことはあるかもしれませんが、天皇の権威の下で超法規的なことをしようとしたわけではありません。

公的政治と私的政治

形式的な筋論で考えると小沢側に分のある話のように思えますが、すっきりそうとは言えないのは、今回の習副主席と天皇との面会は、直前の小沢率いる600人の大訪中団が大歓迎を受け、140人の国会議員が全員胡錦濤国家主席とツーショットの写真を撮影させてもらうという異例のもてなしをしてもらった見返りと思われるからです。

小沢幹事長が自分自身の権力基盤の強化のために、天皇との面会を利用したとするなら、これは天皇の公的政治利用というより私的政治利用です。言葉遊びのようになりますが、そうではありません。私的政治、英語でポリティカルという方がもっと意味が明快になりますが、私的な政治的な動きとは、権力争いのための策謀をめぐらせることです。内閣総理大臣ですらない一党の幹事長が私的政治に天皇を利用するのは許されません。実際には、公的政治と私的政治は明確に区別がつかない場合も多いでしょう。次期国家主席の有力候補と伝えられる習副主席と天皇の面会も、将来の国益に結びつく可能性はあります。

しかし、天皇に助言、承認を与えるのは内閣の仕事ではあっても、国民の選挙で選ばれたわけではない民主党の幹事長の権限ではありません。小沢幹事長が内閣総理大臣を実際は超える権力者である。それどころか鳩山首相は小沢幹事長のただの傀儡で、国民が信を問うことができないところで、政治権力が使われているとなると問題は別です。まして事が天皇に関係するとなると日本人一般に与える不快感は相当なものになるでしょう。羽毛田長官はそのあたりの機微をうまく捉えたと言えます。

官僚組織も私的政治に権力の運営を行って自分たちの権限を維持してきました。羽毛田長官は、公には個人的な意志をほとんど漏らすことのない天皇の思いを代弁する(愛子親王との面会はその典型です)天皇の「口」としての権力を持っています。その羽毛田長官は官僚として頂点を極めた人物です。法的な根拠はないが実権を振るう小沢幹事長(その小沢の年来のテーマは官僚組織の解体です)と天皇を挟んで私的な政治的暗闘を繰り広げている。それが今回の騒動の実態のように見えます。政治主導も官僚主導も、どちらも権力を自分の有利に使おうと言う点では往々にして十分に「私的」に政治的です。天皇の外国要人との面会一つでそんな深読みをさせられるというのも、あまり嬉しいことではないのですが。

追記;
宮内庁には石原都知事も腹にすえかねているようで、今回の一件でも「宮内庁に問題がある」と指摘しています(参照)。日頃の反中国的な言動からはやや意外ですが、知事はオリンピックの東京招致にIOC大会での皇太子出席を目論んだのに、宮内庁の強硬な反対に会ったという恨みがあるようです。宮内庁はやはりある種の権力を持っていることは間違いないようです。


The Next Wave: 多少のフォロー
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ポストインターネットを予感させる動きを2つ紹介しておきます。マイクロソフトはSensor & Location Platformと呼ぶセンサー機器の開発を標準化するための開発ツールキットを提供しています(参照:「米Microsoftはなぜ今センサを重視するのか,センサで今までのトレンドとは違うWindows7の新しい魅力を生み出す」)。プログラム開発環境のツールを提供して、土台つまりプラットフォームも押さえてしまうというのはマイクロソフトのDNAと言っても良いほどの得意な戦略ですが、指摘している問題意識はセンサーごとにばらばらな開発環境ではソフトウェアの生産性が悪いというものです。開発環境が統一されればインターフェースも統一しやすくなります。センサー機器がマイクロソフトの重要戦略となってきているようです。

もう一つはIBMが「今後5年間に都市を一変させる5つのイノベーション」として発表したものです。5つのイノベーションとは、
• より健康的な免疫機構を持つ都市
• 生命体のように感知し、反応する建物
• 燃料が不要な自動車やバス
• 都市の渇きを癒やし省エネを実現する、よりスマートなシステム
• 緊急通報が入る前に危機に対応できる都市
なのですが、その中でも「生命体のように感知し、反応する建物」と「緊急通報が入る前に危機に対応できる都市」はコンピューターの第5の波で書いたような、自律分散型コンピューターが自己組織化でシステムを作るという考え方に近いと思われます。

上記の2つはPC時代、メインフレーム時代のそれぞれの覇者のからもので、インターネット時代の覇者グーグルは依然PC、携帯電話の世界に力を注いでいるようです。やはり「革命は辺境から訪れる」のかもしれません。

インターネットの次に来るもの:目次

The Next Wave: インターネットの次に来るもの: 目次
コンピューターのパラダイムがほぼ15年おきに変わり、次の波は2010年ごろに始まるだろうというのは、実はインターネット時代が始まったばかりの1990年台後半から考えていたことです。悪いアイデアではないと自分では思っていて、何度か他の機会に発表もしてきたのですが、反応は今一つというより無視に近いものでした。次の波の中身を具体的に言わない限り無理もないことです。今回は複雑系の自己組織化や生物の細胞、カンバン方式などをモデルにしながら次代の姿を探ってみたのですが、肝心のエポックメイキングな出来事を予測できなければやはり無意味かもしれません。読者の皆さま方のご意見が頂戴できればと思います。(2009年12月20日)

The Next Wave:インターネットの次に来るもの (1) :コンピューター最初の30年

 コンピューター産業の成立(1950-1965);エポックメーキングな出来事 コンピューターUNIVAC Iの発表(1950年)

 汎用機の時代(1965-1980):エポックメーキングな出来事 システム360の発表(1964年)

The Next Wave: インターネットの次に来るもの (2) : 転換>

 PCとダウンサイジングの時代 (1980-1995):エポックメーキングな出来事 IBM PCの発表(1981年)

The Next Wave: インターネットの次に来るもの(3): 革命の始まり

 インターネットの時代 (1995-2010?):エポックメーキングな出来事 ネットスケープの上場(1995年)
  ・ブラウザー戦争
The Next Wave: インターネットの次に来るもの(4): 進化

  ・誰もインターネットを設計していない

The Next Wave: インターネットの次に来るもの(5): 自己組織化

  ・最後の勝者

The Next Wave: インターネットの次に来るもの(6): 4つの波から見えるもの

The Next Wave: インターネットの次に来るもの(7): 第5の波

 ポスト・インターネットの時代(2010-202l5?)

  ・技術予測

  ・集中から自律型分散へ

  ・新時代を開くエポックメイキングな出来事とは

The Next Wave: インターネットの次に来るもの(7): 第5の波
続き
ポスト・インターネットの時代(2010-2025?)

技術予測

ここで予測されていることは特に目新しいものではありません。技術的には今すぐにできるものがほとんどですし、実現しているものもあります。それどころか10年前でも同じようなことは考えられていました。しかし、技術的にはできても、簡単に誰でも使えるようにするには、価格が十分に安くなる必要があります。また、事業モデルの確立や制度などの社会的インフラも必要です。その意味で、本格的な実現に向けてようやく準備が整ってきたと言えるでしょう。時代は大きく転換しようとしています。

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東京スカイツリーも無用の長物に?


(1)全てのコミュニケーション・ネットワークが統合される

半導体の技術は2年で2倍という勢いで進歩しますが、通信技術もほぼ同等のスピードで改善が進んできました。インターネットが世間でやっと認知され始めた1995年ごろ、日本では個人の家庭からPCをネットワークに接続させようとすると、秒速10K ビットそこそこの電話回線を3分10円で使うしかありませんでした。

現在では100Mビットの光回線が家庭で使用でき、料金は接続時間にかかわらず一定です。単純な比較は難しいところもありますが、一千倍から一万倍の性能向上が行われたことになります。これは半導体の15年で100-200倍よりさらに1桁以上の速さで改善が進んだことになります。

過去の15年は通信の自由化が急速に進んだ時期に当たるので今後とも同じ勢いが持続することはないかもしれませんが、半導体と同じくらいの性能向上、つまり10年で30倍、20年で1000倍程度の改善は十分期待できます。予想が正しければ、10年内外のうちに家庭で個人が数Gビットの通信を手軽にしかも安価に行えるようになるのです。

ここまで通信容量が大きくなれば、インターネット以外の従来型の通信手段はほとんど全てインターネットで置き換えることができます。今でもスカイプのようなインターネット経由の電話サービスがありますが、地上波放送、衛星放送、電話、ケーブルTV、有線放送などインターネット以外の通信メディアのインフラは不要になってしまいます。

企業では数年前からネットワークコンバージェンスといって、インターネット(もっと限定的にIP技術と呼ぶべきかもしれませんが、基本的には同じことです)で、コンピューター通信も電話もひとまとめにしてしまうことは行われていました。通信容量に十分余裕ができれば大雑把な管理でも問題はなくなるので、設置も使い勝手も一般の個人向けのレベルにできるはずです。

過去15年のインターネットの普及の中で、コンピューターの世界ではネットワークはインターネットに統一されてきました。一部の例外を除いて、メーカ独自仕様の企業内に閉じたコンピューターネットワークは、インターネットに置き換えられました。これからはコンピュータ・ネットワーク以外の全てのネットワークをインターネットが包含していくでしょう。放送メディアとインターネットは融合するのではなく、インターネットに統一されていくと考えられます。

ネットワークがインターネットに統一されることで、衛星放送設備、ケーブルTVなど莫大なインフラが無用の長物になります。地上波デジタルのために建設中の東京スカイツリーも例外ではありません。東京スカイツリーは20年後はただの展望台になっているかもしれません。

(2)無線接続が基本になる
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電信柱も撤去が進む

通信速度がどんどん向上しても、英語でラスト1マイルと言われる各家庭へのアクセスは電話会社のインフラに頼っています。日本ではNTT東・西がここを押さえていて、新しい通信技術はNTTの了解なしには家庭に入り込めません。

将来の通信技術の革新やインターネットへの全面移行を考えると、ネットワークへの接続の基本は無線が中心になるでしょう。ここでいう無線はインターネット技術ベースの無線で一般の携帯電話の無線ではありません。インターネット技術による無線接続はスターバックスや公共の場でも提供されてきていますが、もっとずっと一般的になります。最終的には携帯電話もインターネットの無線接続に置き換えられていくと考えられます。

無線でインターネットに簡単に接続ができれば、住居の中の電話やテレビのための配管は必要なくなります。電信柱から通信用の電線がなくなれば、電信柱を通り除くことはずっと簡単になります。建物の中も町の景色も無線接続で大きく変わっていきます。

現在ではインターネットへの無線接続ではWi-Fi(実質的にIEEE802.11)と呼ばれる、標準が支配的です。ただ、セキュリティー、無線の到達距離の問題など、一般の電話回線経由のネットワーク接続を全て置き換えるのには乗り越えなければならない障害が色々あります。しかし、それらは技術の進歩や使い方の工夫で解決できるものがほとんどです。Wi-Fi以外の無線技術が現れることもあり得ますが、インターネットへは無線接続が主流になることは確実です。

(3)PCと携帯の区別はなくなる

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インターネットへのアクセスはPCと携帯電話のどちらが主役かという議論がありますが、この議論は無意味になるでしょう。PCと携帯の区別はなくなって、形状や機能は目的によって自由に決められるようになるからです。

PCにしろ携帯電話にしろ、現在の機能は数年も経たないうちに、小さな半導体の中に納まってしまうはずです。液晶の時計が部品として家電製品や筆記用具に組み込まれたように、ネットへの接続機能さえあれば、必要に応じて、好きな機器を使ってメールを見たり、ネットショッピングができます。

GoogleのスケジューラーをPCと携帯電話で共用する機能がありますが、スケジューラー、メールなど個人に属するものは個人のプロファイル情報を使用する機器にセットすれば、PCでも携帯電話でも、あるいはデジカメでもゲーム機でも、すぐ自分用の環境が使えるようになります。預金通帳がなくても、キャッシュカードやPCから預金の移動ができるように、物理的なPCや携帯電話の意味合いはずっと小さくなるでしょう。

(4)あらゆる機器がインターネットに接続する

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デジタル家電とか情報家電といった言葉が出てきて大分時間が経ちます。現代の家電製品はコンピューターそのものと言っていいほど、機能の多くがマイクロプロセッサーとソフトウェアでコントロールされています。自動車の中には何十個もマイクロプロセッサーが使われています。巨大な車メーカーは巨大なソフトウェア会社でもあります。

コンピューターがあらゆる機器に入り込んでいくという考え方は、ユビキタスというやや耳慣れない名前を付けられて、10年以上も前から言われてきたことです。ユビキタスコンピューティングという標語でビジネスチャンスを狙った動きも色々ありました。

しかし、多種多様な製品にコンピューターが組み込まれていても、ほとんどはインターネットを含め外部のネットワークとはつながっていません。一部の自動車は電話を使って緊急コールを自動的に行うことができますが、持ち主が自分の車に「電話をかける」ことができるわけではありません。

遠隔地から保守を行うことは、コンピューター機器では昔から広く行われてきましたし、コマツは大型ブルドーザーなどをGPSで設置場所をサービスセンターで把握できる仕組みを実用化しています。しかし、一般の家電製品では一部のオーディオ機器などを除いて、そのようなことは行われていません。

これからは、主要な自動車や家電製品はインターネットに接続され、ユーザーやメーカーが遠隔地からそれらの機器にアクセスして会話することができるようになるでしょう。ちょうど、ブラウザーとWebサイトのように統一されたインターフェースで簡単にアクセスができるようになります。

たとえば、自宅のエアコンのURLアドレスをクリックして、エアコンのスイッチを入れたり止めたりすることが考えられます。電話で自宅のエアコンのスイッチを入れるような製品は、20年以上前からありましたが、ブラウザー経由にすればメーカーごとにコントローラーを導入するような費用と手間は不要になります。

自動車のブレーキランプが切れたら運転席のパネルに警告が出るのは今では当たり前ですが、持ち主にメールを飛ばして知らせることもできます。こんなことができてどんな価値があるかは疑問に思うかもしれませんが、車の状態をリアルタイムでメーカーとユーザーが共有できれば、リコールの処理などはずっと簡単になるはずです。

テレビ番組の録画もレコーダーとテレビの接続はもう必要ありません。テレビが添付ファイルのメールをレコーダーに飛ばしてもよいですし、ストリーミングモードで転送してもよいでしょう。もっとも、CD、DVD、ブルーレイと続いてきた媒体依存の録画は、もうすぐなくなるでしょう。録画された番組はファイルとしてHDDあるいはネット上のどこかに保管されるようになり、媒体の世代交代でレコーダーやPCを買い替えるるといった馬鹿馬鹿しさはなくなるはずです。 HDDの容量が十分に大きくなれば、外部媒体などなくてもファイル保管ができますし、通信速度が速くなれば、ネット上に保存しても実用上困りません。

インターネットにアクセスする人口は次第に地球の全人口に近付きつつあります。Webサイトの数も数億に達しています。しかし、これからはその何倍もの数の機器がインターネットユーザーとして参加するようになるでしょう。インターネットのユーザー数は再び爆発的に増加し、その大部分は人間ではなく、家電製品、車、監視カメラ、火災報知機のようなセンサーになっていくでしょう。

(5)物がしゃべる

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あらゆる品物にICタグが付けられる


冷蔵庫がインターネットにつながっても、それだけではあまり価値はなさそうです。しかし、冷蔵庫が自分で在庫管理をしてくれれば意味があるでしょう。冷蔵庫の中身を外から知ることができれば、買い物のときに無駄な物を買わず、必要な物を必要なだけ好ことができます。それどころか、バターがなくなりそうだったら、バターの注文を冷蔵庫が自分ですることもできるでしょう。

要(かなめ)の技術はICタグと呼ばれる小さな電子部品です。ICの値段は回路数ではなく、概ね物理的な大きさ(面積と考えて構いません)で決まります。2年で回路数が2倍になれば、同じ機能を持つICタグの値段は半分になります。

ICタグはRFID(電波個別識別)とも呼ばれます。ICタグが電波を出して、自分が何かを検査機に教えるのです。「物がしゃべる」と言ってもよいかもしれません。しかし、ICタグでなくても、バーコードはスーパーの品物、宅配の荷物、工場の部品などあらゆるところで使われています。ICタグがバーコードよりすぐれたところはあるのでしょうか。

「あまりない。むしろ欠点の方が多い」というのがの現在の答えでしょう。値段が高い、熱や湿気など環境に敏感、取り付けが面倒など欠点は山ほどあります。唯一バーコードにはできない、「離れた場所から情報を得られる」という長所も「確実性が今一つ」という大きな問題を抱えています。PASMOやETCカードのような安定した状況では使えるのですが、コンテナ一杯の中身を外から瞬時に把握するなどというのは夢物語に過ぎません。

元NHKワシントン支局長の手嶋龍一の書いた「ウルトラダラー」という小説では、北朝鮮の作る偽100ドル札に対抗するため、本物の100ドル札にICタグを埋め込むという話が出てきます。本当にできれば相当有効な方法ですが、紙幣の製造は高熱の圧着工程があるので、今の技術ではできません。

世界最大の小売り業者であるウォルマートは全ての納入品をICタグで管理しようとして、2003年から6年間奮闘しましたが、サプライヤーの評判も悪く(相手がウォルマートで表立っては言えなかったようですが)、効果も期待されたものは得られないと言うことで2009年に一区切りという名の打ち切り(少なくとも全面採用は諦めた)になったようです(参照)。

まだ未熟な技術の一つと言えるでしょうが、可能性は大きなものがあります。価格は半導体の価格性能比と連動しているので急速に安くできますし、大きさがさらに小さくなれば、品物の中に埋め込むのはずっと簡単になります。気が付いたら全ての商品にバーコードが付いたように、何もかもICタグが埋め込まれる日が来るのは確実です。

全ての品物にICタグが付けば、品物の製造から廃棄まで完全に管理できますし、自分の持ち物は下着でも、CD(まだ存在していればですが)でも、ティッシュペーパーでも何でもどこにどんなものがあるかわかります。偽のブランド品を身につけても、すぐにばれてしまうかもしれません。本当にこんなことがバラ色の未来かどうかは疑問に思う人も多いでしょうが、携帯電話と同じで便利な物はいつか必ず普及してしまいます。

集中から自律型分散へ

過去に繰り返されたコンピューターの進歩の波は分散と集中を繰り返してきました。そして、インターネット時代の15年は集中化の歴史でした。その前の15年のダウンサイジングの時代にメインフレームからPCに移行していった情報処理は再びサーバーへ移行して行きました。Googleなどが無料で提供することも多いWebメールへOutlookから移行する人が増えました。ExcelやWordからも無料のGoogle版オフィス(処理自身はPCですがネットで配布され、ネットでの利用が前提です)に移行する人が加速度的に増えるでしょう。PC時代の覇者、マイクロソフトの黄金時代は終わりつつあります。

情報はそれ以上に集中化が進みました。インターネットで情報がどこにあっても取り出せるのですから、自分で抱え込む必要はありません。通信速度がさらに向上して、ネットファイルの使い勝手がもっとよくなれば、自分のPCにファイルをしまい込んでおくのは、大量の現金を自宅に置いておくように非常識なことになるでしょう。

インターネットの進歩が続けば何もかも全て集中してしまうのでしょうか。そうもいきません。情報を貯めたり処理したりするのはネット上のどこかのサーバー(クラウドと言っても構いません)でするにしても、情報を「使う」のはユーザーです。情報はユーザーの見えるところに「配達」され、ユーザーの使いやすいように「加工」されることが必要です。自宅で映像を見たいと人が思う限り、テレビはなくなりません。

次に情報を「収集」するためには情報の発生源に情報処理の能力-インテリジェンス(知能)-が必要です。PCや携帯電話ではこの場合インテリジェンスは人間自身です(PCや携帯電話ではありません!)。情報を収集し使用することを集中できないのなら、最初から情報収集と情報使用を分散させ、情報を集中するのをやめてしまったらどうでしょうか。

トヨタ自動車の有名なカンバン方式は、コンピューターを介在させないで在庫を最小化する方法です。カンバン方式では生産のために部品を使用すると、カンバンと呼ばれるカードが部品を供給している部門に送られます。部品を供給している部門はカンバンを受け取らない限り部品の製造をすることができません。生産ラインがカンバンだけを頼りに動いている限り、生産ラインの各部門に部品が積み上がってしまうことはありません。カンバンという情報が生産のコントロールをしているのです。

カンバン方式の威力を理解するために、中央で生産ラインの各部門の部品生産量を決めていることを考えてみます。中央では車の予測した生産台数に合わせて、生産ラインにいつどのくらいの量の部品を製造すればよいかを命令します。すべてが予想通りであれば、これで問題はありません。ところが実際は、ちょっとした機械の故障、納品業者の遅れで、予定通りの生産ができない場合が多発します。そんな場合生産ラインが止まってしまわないように、予め余裕を持って各部門の生産量を割り当てておくことが必要です。そのような余分の生産は、生産ラインの中で在庫として積み上がってしまいます。

逆に、思ったより注文が多くても、計画された生産量を急に増やすことはできません。需要の増加に合わせて、改めて中央の計画部門で生産ラインの各部門ごとの生産量を決める必要があります。しかし、カンバン方式が完全に機能すれば、注文の増加は注文の増加に合わせてカンバンの枚数を増やすことで、自動的に生産ラインの各部門に伝えられます。カンバンという物を代表するものが情報となって生産のコントロールを行うのです。カンバン方式では「部品を使った」という情報は中央を経由しないで、直接に部品を供給する部門への生産命令として使われていることになります。

ICタグが全ての品物につけられ、品物を保管したり使用したりする機器に「インテリジェンス」が組み込まれると、情報を中央に伝達し蓄積して処理する必要はなくなります。自動車の混雑状況を知るには、車載のコンピューターから現在の位置と移動速度を知ればよいはずです。世の中の全ての品物の状態が判るのなら、中央で計画し管理をしなくても全ての物は滞りなく流れてくれるはずです。

こんな世の中が楽しいのかどうかはひとまず置いておきましょう。30年前に、全ての人が携帯電話を持っていてどこにいても呼び出さすことができる社会を望むかと聞かれて、無条件に「素晴らしい」という人はあまりいなかったはずです。現在の携帯電話が人間を本当に便利にしているのか不自由にしているのか答えることはできなくても、携帯電話なしでは待ち合わせ一つできなくなっています。

このようなことを実現には、全ての機器をインターネットに接続させ全ての品物を管理するためのブラウザーとWebサーバーのような標準的なインターフェースが普及する必要があります。半導体技術が進歩することで、全ての機器に同じインターフェースを持たせることはコスト的には可能になるでしょう。

難関は膨大な数のコンピューター(そのほとんどは人間が直接には操作しない)が自律的に稼働を続けるようにすることです。コンピューターたちは自分で障害を修復または報告し、環境に合わせた稼働状態を維持しなくてはいけません。ウィルスの攻撃に対抗することも必要です。

このようなコンピューターは生物の細胞とよく似ています。細胞はエネルギーを取得して活動し、ウィルスなどの攻撃から身を守り、互いに協調して機能を果たします。これは単に「似ている」というレベルではなく、自律し分散したコンピューターがインターネットを通じて協調的に仕事を行うようにするには、コンピューターは生物の細胞と同じような働きをする必要があります。

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自律分散型コンピューターは生物の細胞と良く似ている


グリッドコンピューターという考え方があります。 考え方というより、実際に稼働もしているのですが、莫大な数のPCが協調的に仕事を行うことです。SETI@homeというプロジェクトでは300万台のPCが連携して、地球外生命体からの電波を探し出すための計算を行いました。グリッドコンピューターは、ほとんどが使われていないPCの空き時間を有効に活用することで、巨大なスーパーコンピューターを作り、タンパク質の構造解析や財務モデリングなど、莫大な計算が必要な問題を解決しようというものです。

多細胞生物のように互いに協調する自律分散型のコンピューターは、複雑系でいう自己組織化を行っていることになります。高速道路の渋滞の原因の多くは、前の車がブレーキを踏んだ時に後続の車の原則が一瞬遅れるため遅れが積み重なって引き起こされるのですが、車間距離を協調的に保てれば渋滞が大幅に減ることが分かっています。そのようなことを車に積んでいるコンピューター同士が会話をしながら行うのを空から眺めると、まるで車の列が一つの生き物のように動いているように見えるでしょう。

グリッドコンピューターに参加するのは基本的にPCのユーザーの自発的な協力です。人間がいなくてはグリッドは作れません。自律型コンピューターが集まってグリッドを作ることができるでしょうか。地球上に生命が現れて40億年以上経ちますが、DNAを持つ有核相棒が現れたのは20億年前、多細胞生物が現れるのはさらに10億年がかかりました。自律分散型のコンピューターの目的は単細胞生物ではなく多細胞生物を創ることです。技術はコンピューターが自律的に多細胞生物を作り出す一歩手前のところまで来ています。

新時代を開くエポックメイキングな出来事とは

今までのコンピューターの4つの波は最初にエポックメイキングな出来事がありました。今度の新しい波は何かエポックメイキングな出来事とともにやってくるのでしょうか。新しい波の中心は:
(1) コンピューター、家電、車、建物など全ての機器がインターネットで結合される。インターネット以外の電話、放送などのネットワークは順次統合される
(2) 全ての品物がICタグで管理できるようになる。
(3) 全ての機器はインテリジェンス(知能)を持ち、ICタグの情報を活用する
(4) コンピューターを自律的に制御し互いに連携させる技術が普及して、多くのコンピューターが自己組織化されて機能を行う
といいうものになるはずです。このようなことを実現するには標準化を行うための強力なリーダーシップを持つ企業や製品、あるいはコンソーシアムが必要です。また、それは目に見える形である必要があります。後から考えて「今にして思えばあれが革命の始まりだったんだ」というのではなく、世の中がある種の熱気に包まれるような動きでなくてはいけません。

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グーグルのIPOに臨む創業者たち

候補は色々ありますが、技術はあってもビジネスにするには乗り越えなければいけない障害は少なくありません。携帯電話は機能的にはどんなインテリジェンスを積み込むこともできますが、PCと同様にインテリジェンスの本体は人間そのもので、自律型コンピューターというのにはあたりません。車載コンピューターも価格が少々高くても高性能の機器を組み込むことは可能ですが、メーカーの壁が合って標準化はなかなか進みません。家電製品も冷蔵庫から卵を1個取り出したら、コンビニが納入業者に卵の注文をするというのは道具立てが結構大変で簡単にはできそうもありません。ICタグが本当に普及する(全ての品物にICタグが付く)にはまだ時間がかかるでしょう。

再び歴史に学ぶのなら、過去のエポックメイキングな出来事は、小さなベンチャー的な会社が先陣を走り、既存の大企業が決定打を出すというパターンを描いています。PC時代のアップルとIBM、インターネットブラウザーのネットスケープとマイクロソフトがそうでした。グーグルもヤフーがもう少し賢明であれば、検索エンジンの部品メーカーで終わっていたかもしれません。

PCの時代をIBMが、インターネット時代をマイクロソフト開いたように、一つ前の時代の覇者という意味では、グーグルには時代を変えるだけの力があるでしょう。グーグルは携帯端末用のAndroid OSの普及を進めていますが、現在はOpen Handset Allianceという業界団体がその役を行っています。ただ、グーグルの興味はPC、携帯電話どまりのようで家電やセンサーまではカバーしていないようです。グーグルは最後まで検索エンジンのメーカーなのかもしれません。日本の家電メーカーは技術的なベースとしてはかなりのものがあるのですが、小さくまとまって製品に閉じた多機能追及に走る傾向が強いので、自律分散型のコンピューターを協調して動かすようなことはあまり期待できません。

どうも現時点(2009年末)にはエポックメイキングな出来事の影はまだ見えないようです。もちろん、コンピューター発達の15年周期説などは私だけが言っている話で、ノストラダムスの予言のようなものかもしれません。しかし、15年というのは技術が成熟し、次の時代に移るのにちょうど良い時間というのはまんざら見当はずれでもないでしょう。何かはっきりしたものが見えてきたら、再びこの話題に戻ってみましょう。それまでは、エポックメイキングな出来事に期待して世の動きを見ているのも悪くはないでしょう。

インターネットの次に来るもの:目次
権威を押し付け中身を見ない科学者たちの傲慢: 生き返ったスパコン開発
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スパコン開発中止は正しい判断」で書いたように、せっかく時代錯誤の「箱物」科学技術行政にストップがかかったと思ったら、結局スパコン開発予算は40億円の削減でとどめ、しかも他の文科省の予算を50億削って実現するようです(今日現在2009・12・17の情報)。スパコンセンターの巨大建造物のために、貴重な文化予算が減らされてしまうのでしょうか。

日本のスパコン開発は世界の潮流から外れた、ただの古ぼけて見当外れの産業育成策です。蓮舫議員の「1位じゃなきゃだめなんですか?」という質問も「1位の地位持続はせいぜい2-3年」という現実を見ると、実は痛いところを突いていたのに「物を知らない傲慢な態度」と思われたようです。

科学者たちが予算減額に危機感を持つのは理解できますが、スパコン開発の中身に「科学的」にコメントしたものではなく、感情的に反発しただけです(中身を理解すれば、違う反応をしたはずです)。ノーベル賞受賞者と言っても、スパコンは専門外です。 ノーベル物理学賞の受賞者が「年金の仕組みはおかしい」と言うのと本質は何も変わりません。

ノーベル賞などという権威に騙されるのはどうかと思いますし、それを利用した人も利用された学者たちも責任は重大です。かれらこそ「歴史という法廷」にいつか立って欲しいものです。
インターミッション (休憩時間): 本のご紹介 「日本はなぜ貧しい人が多いのか」
コンピューター関係の話は、今ひとつ読者の皆様の関心が低いようでチト残念ですが、シリーズの「インターネットの次に来るもの」は今まで6回続き、次回7回目で完結の予定(多分)です。そこで一休みのインターミッションとして、本のご紹介をしたいと思います。
日本人はなぜ

原田泰著「日本はなぜ貧しい人が多いのか」はエコノミストが実証的なデーターに基づいて、様々の俗論と「都合のよい真実」に切り込む目からウロコの好著です。原田は著書の中で、日本の年金は今の半額にしても世界の最高水準、赤字解消に今消費税を上げても将来の収入を食いつぶすだけ、などおよそ「常識」に反することを、次々にきっちりと論証していきます。なぜこのようなデーターによらず、直観や思い込みに寄り添った議論しか政治家もマスコミもしないのか改めて腹立たしくなります。一読お勧めです。

ついでに、こちらもご参照:
借金なんか怖くない
高福祉それとも低負担
社会福祉は最大の景気刺激策
また公共投資ですか
日本は大企業病
食糧自給率の愚



The Next Wave: インターネットの次に来るもの(6): 4つの波から見えるもの
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最初の商用コンピューターが出現してから現在までのコンピューターの歴史、60年を15年づつの4つの波に分けて振り返ってみました。60年の間にコンピューターの性能は10億倍も向上し、利用のされ方も全くと言っていいほど変わってしまいました。「インターネット時代」を「コンピューター」の時代の波とくくってしまうことにも異論はあるでしょう。

しかし、インターネットも技術の中心がコンピューターであることには変わりません。コンピューターの性能が劇的に向上したことで、個人が自宅で膨大な情報のアクセスが可能になったのです。「インターネットの次」の波を予想するために、4つの波から見えてくるものをまとめてみましょう。

(1) エポックメイキングな出来事が波の始めにある

どの波も最初にエポックメイキングな出来事がありました。 UNIVAC Iの発表(1950年:第1の波)、IBM S/360の発表(1964年:第2の波)、IBM PCの発表(1981年:第3の波)、ネットスケープの上場(1995年:第4の波)、これらは単に象徴的な出来事にとどまらず、社会的にも高い注目を浴びて、それぞれの波が大きなうねりになるきっかけになりました。

4つの出来事の中で、4番目のネットスケープの上場だけはメーカーの製品発表ではありません。インターネット自身は「製品」ではありませんし、ブラウザーやWebサーバーも最初は製品として作られてはいませんでした。検索エンジンもまだ存在していませんでした。インターネットを動かしたのは、「第2の産業革命」が起きると信じた無数のベンチャー企業でした。ネットスケープに時価総額で100億ドル近い初値を付けた株式市場の熱狂は、2000年のドットコムバブル(ITバブル)の崩壊まで続きます。

(2) 技術はすでに存在していた

全く新しい技術が突然登場して、一度に世の中が変わってしまうということはまずありません。どんな技術も社会に広く受け入れられるためには、ちゃんとした「製品」になっている必要があります。

UNIVAC Iは商用の名の通りコンピューターを製品化しましたが、コンピューター自身はすでにいくつも作られていました。UNIVAC Iは最初の「買える」コンピューターでした。IBM S/360で本当の意味で新しかったのは、ファミリーというコンセプトで製品系列すべてのモデルで同じプログラムが動くということだけと言っても良いでしょう。その意味で、第3の波であるPC時代は、1981年のIBM PC発表ではなく、1977年のApple II発表から始まったと考えても良いかもしれません。それまではPCを使うのは、コンピューターマニアの知識と忍耐力が必要でした。ただIBMというビジネスコンピューターの巨人がPCを発表したことで、ビジネス界でのPC利用が一挙に加速したことは間違いありません。

コンピューター-ネットワークとしてのインターネットは1969年のARPANETにまで遡ります。インターネットを世界を覆う情報ネットワークに変えたのは1990年最初に稼働したワールドワイドウェッブとブラウザーですが、それまでにインターネットは大学や研究所を結んで張り巡らされていました。しかし、インターネットが一般家庭から買い物ができるような便利な道具になるためには、ネットスケープのブラウザーのような手軽に利用できるツールが必要でした。

革新的な技術を浸透させるには、技術を製品の形で包み込むことが必要です。また、そのような製品を簡単に使えるような、パッケージやサービスもなければいけません。さらに、価格や信頼性などが多くの顧客に受け入れられるレベルになっていることも大切です。そのような環境が整うには技術が生まれてから何年もかかることが普通です。逆にいえば、新しい波を起こす技術は、もう存在しているのです。

(3) 統合によって多くの技術が淘汰される

新しい波は、技術的には何年か前から準備されていますが、それが波として現れる結果、従来からあった技術、方式あるいは製品は淘汰されてしまいます。インターネットの出現の普及の以前は、コンピューターネットワークの主力だったのはIBMや富士通などのそれぞれのコンピューターメーカの独自仕様のネットワークでした。メーカーが違えばネットワークを接続することは簡単ではありませんでしたし、同じメーカー同士のネットワークをつなげることもメーカーの支援がなくては困難でした。

LANの世界でも様々な方式があり、メーカーごとに独自の世界を作っていました。インターネットが現れて、ネットワークはTC/IP、イーサネットに統一されました。メーカー独自の仕様のネットワークはまだ残っていますが、全てのコンピューターネットワークがインターネットに遅かれ早かれ統一されていくのは確実です。

PCの場合はWindowsとインテルが覇権を確立しました。最近はまた回復しつつありますが、アップルのマックのシェアは3%程度にまでに落ち込んでしまいました。同じことはメインフレームの時代にもありました。IBM S/360(後にS/370になる)は互換機まで含めれば9割を超えるシェアを持っていました。

技術がまだ広く受け入れられていない段階では、どの技術も対等です。性能や価格は開発者の努力や、技術自身の特性によって決まりますが、いずれにせよ大きな発展の余地があります。ところがある技術が一定以上の力を持つと、開発投資、ユーザーの慣れ、周辺産業の発展などで、技術の優位性がスパイラルに高くなり、ついには他の技術を圧して淘汰するまでになります。いったん、このようなことが起きると容易に優位性を覆すことは困難になります。

このような現象を特定の技術に「ロックインされた」と言うこともあります。コンピューター以外でもかつてのVHSの勝利に終わったビデオテープのベータ、VHS間の競争や、最近のブルーレイとHD-DVDで争われた新DVD規格などでもこのようなことが見られます。

コンピューターは複雑怪奇な代物です。稼働にはソフトウェアがなければいけませんし、ソフトウェアは稼働環境が変わると動かなくなってしまいます。接続機器の種類も多いので、特定の環境以外は動作保証をしないというのも普通です。コンピューターはもともとロックインの起きやすい業界と言えます。特に新しい波とも言うべき変革があると、特定の製品、仕様が突出して技術進歩のスピードを速めて他の技術を押しのけてしまう可能性が高くなります。

(4)集中と分散が繰り返される

第二次世界大戦が終わり、コンピューターが最初に現れた頃、世界にコンピューターは3台しか必要ないと言われました。アメリカ、ヨーロッパ、ソ連に1台づつあれば十分だと言うわけです。1台で何百人、何千人分の計算量をこなすのですから、それ以上あっても計算の需要がないだろうと考えられたのです。

UNIVAC Iが最初の商用コンピューターとして販売されるようになって、多くの企業や研究機関はこぞってコンピューターの導入を行いました。ソフトウェアの重要性など考えもしなかった初期のユーザーはハードウェアの性能を最大限発揮できるようにすることが一番重要な課題でした。このため設計思想や方式の異なる数多くのコンピューターが現れました。もちろん、ソフトウェアに互換性などありませでした。コンピューターの本格的普及が始まったのは巨大なコンピューターの力を民間企業が広く利用できるようにする分散化の時代でもありました。

IBM S/360は企業の情報部門にコンピューターを集中することを提案しました。それまで、会計部門、研究部門、人事部門でバラバラのメーカーのコンピューターを使って行われていた処理は、全方位を意味する360度から取ったS/360でまとめて行うことができました(ただし、これは当初の構想で、実際には科学技術計算、通信処理、機器制御などで様々なコンピューターが使われました)。

企業の情報は人、物、金に続く第4の資産として情報システム部門の持つメインフレームに集中され、情報部門が大きな力を持つようになりました。情報部門の長はCIO (Chief Information Officer)とよばれ、財務を担当するCFO (Chief Financial Officer)と並んでCEO(Chief Executive Officer)の候補とも言われました(ただし、これはコンピューターメーカーの誇張もあります)。情報処理はメインフレームの時代に集中化が徹底して追及されました。

集中された情報を取り戻し、必要なシステムを素早く作りたいという願いが、PCによって実現しました。ダウンサイジングによる分散化がPC時代の合言葉でした。ダウンサイジングはPCとLANを組み合わせ、さらにクライアントサーバー方式という小型コンピューターで小規模な情報集中を行うことで推進されました。今や部門ごとにシステムが構築され、情報部門の権威と力は失われました。

インターネットは時計を逆回転させたわけではありません。しかし、インターネットは分散化から集中化に流れを変えるものでした。まず、高機能化の一途をたどっていたPCの情報をインターネットが再び集める道筋が見えてきました。PC時代のクライアントサーバー型処理ではデーターはサーバーにあっても、処理はPCで行っていたのが、ウェブサーバーなどのサーバーが行うようになり、情報はインターネット上のサーバーやネットワーク全体で共同し蓄えられるようになってきました。分散化という名のPCの肥大化にはストップがかかったのです。

最近「クラウド」という言葉をよく聞きます。クライドに明確な定義はありませんが、コンピューター処理が目の前のPCではなく、「雲」のような得たいが知れないどこかで行われるという意味でしょう。コンピューター処理が電気、ガス、水道といったインフラのようになり、コンセントをつなげば電気が来るように、コンピューターが使われるようになるということです。

もともとインターネット自身がクラウドだと考えることができます。検索エンジンを使って、世界中どこにあるかはわからなくても情報へのアクセスという処理を行うことができるのです。インターネットはこの世にただ一つしかありません。インターネットがただ一つのクラウドになった時、インターネットへの集中化は完了したと言えるのかもしれません。

(5) 原動力は半導体技術の進歩

4つの波を動かしている力は半導体技術の進歩です。半導体技術はムーアの法則と言って2年ごとに回路密度が2倍になるという経験則に支配されています。半導体を作るコストは密度が高くなってもあまり変わりません。回路数が2倍になるということは価格が半分になるのと同じことです。さらに半導体の処理速度を向上させるのは、サイズを小さくして信号の伝達時間を短縮する方法と、複数の処理を同時併行的に行う方法があります。回路密度が高くなれば、同じ処理をする半導体の大きさが小さくなり信号が速く伝わるのと同時に、より沢山の処理を一度に行うえることもできます。ムーアの法則は2年ごとに処理速度が2倍になると読み替えることもできます。

2年で2倍の性能向上は10年で30倍、1つの波のサイクルを15年とすると、半導体の性能は180倍以上になります。半導体の性能向上が100倍以上にもなると、製品の位置付けや市場が大きく変わります。目に見えない需要が顕在化したり、高価で一部の顧客にしか手の届かなかったものも一般化されます。

それぞれの波を特色づける統合化、標準化も価格と性能の向上によって可能になります。価格が高ければ、コストを削減するために目的に合わせて仕様を特殊化する必要がありますが、安くなれば標準化して同じものを使った方が安くなります。工業製品の中で半導体ほど急速に、しかも持続的に価格と性能の両面で向上が続いたものはありません。そして半導体技術の進歩は後15年くらいは今の勢いで続きそうです。波は4つでは終わりません。

続く

インターネットの次に来るもの:目次

The Next Wave: インターネットの次に来るもの(5): 自己組織化
続き
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インターネット株相場は過熱した

最後の勝者

2000年問題を無事乗り切ったばかりの1月19日、ヤフージャパンの株価は店頭市場で1億円の大台を突破します。その後も株価は徐々に値を切り上げ2月22日には1億6790万円を付けました。1億円を突破した時のヤフージャパンの株数は27,900株。2月22日の最高値で計算すると時価総額は4兆5千憶円になります。ヤフージャパンの売り上げは急速に増加していましたが、それでも前年の1999年最後の4半期の売上はまだ16億円でした。

後にも先にも日本の株式市場で1億円を突破した株はありません。ヤフージャパンの株価1億円突破のニュースは、ドットコムバブルと呼ばれるインターネット関連株式のブームを象徴する出来事として世界中で話題になります。

ヤフージャパンの親会社(ヤフージャパンはソフトバンクと米ヤフーとの合弁)のヤフーも絶好調でした。2000年1月3日の終値は118.75ドル(分割修正済み。分割前価格で475ドル)と史上最高値を付けました。時価総額は1,500億ドルを超えました。

ヤフーの提供するものは、要するにインターネットの電話帳です。インターネットには膨大な数のウェッブサイトがあり、日々増加を続けていました。ウェッブサイトを見つけることができなければ、いくらインターネットが世界中のどこでもアクセスできるようにしたと言っても意味がありません。ウェッブサイトとブラウザーを結び付ける仕組みが必要でした。ヤフーはカテゴリー別にウェッブサイトをまとめて、ユーザーが目指すウェッブサイトに簡単にアクセスできるようにしたのです。

ヤフーはただのネットの電話帳ではありません。インターネットのユーザーはウェッブサイトのアドレスを知らない限り、ヤフーを通じて必要なサイトを探すことになります。ヤフーのサイトはインターネットへの玄関口-ポータルとしての地位を確立します。インターネットに入ってくるユーザーの求める情報と関連する広告を選んで表示れば、高い宣伝効果も期待できます。インターネットの電話帳を持つヤフーは、インターネットを使った広告媒体として独占的と言っても良いほどの存在となります。

ドットコムバブルの中でも、ネット関連企業のビジネスモデルが本当にまともに収入を得られるものかは疑問を感じている人は沢山いました。利益を生むどころか、売上さえないままで上場して高値を付ける企業が多かったのです。その中で明確で強力なビジネスモデルを持つヤフーは輝いていました。ヤフーは本当の意味でインターネットが生み出した新しい企業でした。誰にも、ヤフーこそPC時代のマイクロソフトのように、インターネット時代の最大の勝者になるように思えました。

インターネット関連株のバブルはあっけなくはじけます。2000年3月10日にハイテク市場のNASDAは5042ポイントの高値を付けますが、3月15日には4580ポイントで終わります。その後もNASDAQは急速に値を下げ、その年が終わるころには3000ポイント、2003年を迎えるころは1000ポイントそこそこまで下落します。NASDAQの中心的存在だったドットコム企業は次々に姿を消してしまいます。いくら夢のようなことを言っても、収入がないのでは株に高値は付かないという当たり前の姿に戻ったわけです。

その中で、ヤフーはアマゾンなどとともに生き残ります。インターネットが依然急速な普及を続けている限り、インターネットの要を押さえたヤフーのビジネスモデルは盤石と思われました。しかし、ヤフーには弱点がありました。カテゴリーを頼らずに、キーワードでインターネットを検索する検索エンジンは、IBM PCがOSとマイクロプロセッサーをマイクロソフトとインテルからそれぞれ供給を受けていたのと同じように、グーグルという小さな会社から提供されていたのです。

情報検索はコンピューターの得意分野です。キーワードを使った文献検索は図書館や科学技術の論文で広く実用化されていました。しかし、インターネットで従来の文献検索技術をそのまま使うことは大きな問題がありました。インターネットの情報はあまりにも巨大で、検索技術で目指す情報を見つけることはほとんど不可能だったからです。たとえば「自動車」「量子力学」と入力して何百万個の文献をリストアップされても使いようがありません。
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グーグルを創立したラリー・ペイジ(左)とセルゲイ・ブリン

それまでの文献検索技術では、一般に文書は特定の単語を何回使用しているかでランク付けされていました。しかし、それでは意図的に同じ言葉繰り返すと中身とは無関係に上位に選ばれてしまいます。インターネットの世界では検索はたまたまレストランの名前を知っていたときのように、「知らないこと」ではなく「知っていること」を調べることしかできないと考えられていたました。

1996年、コンピューター科学者の父と母を持つラリー・ページとロシア人移民のセルゲイ・ブリンは、インターネットの文書がどれだけ多くの他の文書からリンクされているかを調べることで、文書やサイトの重要性をランク付けできるのではないかと考え、そのアイデアの検証を始めます。結果は満足のいくものでした。自信を持った二人は1998年グーグル社を設立します。時代が若い彼らに味方しました。多くのドットコム企業と同様、アイデアだけで何の収入も得ていないグーグルはベンチャーキャピタルから110万ドルの資金を調達することに成功します。

グーグルが取り入れたアイデアはリンクの数で文書の重要度を測るだけではありません。検索エンジンを使う時、人々は関心のある言葉をキーワードとして入れるはずです。「ハワイ、スキューバーダイビング」と入力する人に、ハワイのホテル、旅行保険、スキューバダイビングの道具の広告をすれば効果的なのは確実です。グーグルは文字通り「言葉」に値段を付けて売るビジネスモデルを作り出しました。

インターネットのユーザーはすぐに必要な情報を探すのにはヤフーのカテゴリー中心の方法より、グーグルのキーワード検索の方が便利なことに気が付きます。1994年4月にグーグルが上場した時、時価総額は300億ドル以上とピーク時から350億ドルにまで下落していたヤフーとほとんど変わりませんでした。そして2004年の終わりに、グーグルの株価は2倍近くに上昇し、かつてのインターネット株の王者、ヤフーの時価総額を追い抜きます。

グーグルの成功はウェブサイトや文書のランク付けをヤフーのような人為的なサイト評価ではなく、リンクの数というウェブ自身が内包している性質を使ったことです。複雑系では外部の働きによるのではなく、自分自身で構造を作り出すことを自己組織化と言います。グーグルは文書同士のリンクの結びつきがインターネット*の中で自己組織化を行っていることを利用したのです。

リンク同士の結びつきの数が情報の重要性を示すというのは、脳細胞(ニューロン)が互いにシナプスで連結されているのとよく似ています。一つのニューロンは数千のシナプスを出し、特定の刺激に対し反応して他のニューロンに情報を伝えます。ニューロンから伸びているシナプスが別のニューロンのシナプスに情報を伝達することを「発火」と言います。刺激が重要なもの、記憶すべきものであれば、発火は高い確率で起き、そうでない場合確率は低くなります。物事に習熟したり、トラウマのような恐怖を感じるのは、シナプスの発火が特定のパターンを作り出していると考えられます。

脳とインターネットは全く違うものです。しかし、ニューロンを情報、シナプスをリンクと置き換えると、その構造はほとんど相似形と言ってもよいほどです。グーグルは文書解析のための自然言語の研究者だけでなく、脳神経の専門家も数多く採用しています。グーグルが脳をモデルにして、検索エンジンの改良を行っているのは間違いないでしょう。

インターネットは当初のブラウザーが最重要製品だと考えられた時代から10年を経て、自己組織化を利用した検索エンジンが主役になる段階になりました。複雑系では自己組織化は個別の構成要素とは全く違う性質を示す創発を起こす主要なプロセスです。水の分子は創発により、液体にも固体にも気体にもあり異なった物理的性質を示します。脳の中で創発は最終的に意識と呼ばれるものを作り出します。

もちろん、インターネットが自己組織化を行っていても、その構造が脳のニューロンやシナプスと相似形をなしていても、それだけではただの「例え話」に過ぎません。グーグルの検索エンジンが「意識」めいたものを作ろうとしているというのは妄想と言われても 仕方がないでしょう。しかし、インターネットの中で張り巡らされているリンクが、インターネットという複雑系の自己組織化を行っていることは間違いありませんし、自己組織化が創発を引き起こすことが多いのも確かです。

今、インターネットの中では検索エンジンがリンクを調べるためにロボットと呼ばれるソフトウェアを四六時中稼働させています。ロボットたちはインターネットを徘徊してリンクと情報の中身を調べ続けます。インターネットのアクセスの中でロボットの占める割合は大きく、サイトの訪問者の数からロボットの訪問数を取り除かなければ正確なアクセス数の評価ができないほどになっています。脳に話を戻せば、脳は外界につながった神経系から来る情報より、内部のニューロン同士の情報交換がずっと大きな割合を占めています。夢の中で外界からの刺激を全く受けず、空中を飛んだり、化け物に襲われる恐怖を感じたりすることができるのはそのためです。

インターネットの自己組織化が進んだ先には何が待っているのでしょうか。インターネットは最後に意識を持つことができるようになるのでしょうか。まだ全ては空想の中の話に過ぎません。コンピューターが現れた時、コンピューターが「人工知能」になり、最後は人を支配するようになると多くの人が心配しました。その時コンピューター学者は「そうなったらコンセントを引き抜けばいい」と答えました。しかし、インターネットのコンセントを引く抜くことはできません。人類は兎にも角にもインターネットと生きていくしか道はありません。(続く
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* 正しくはワールドワードウェブ(WWW)と呼ぶべきでしょう。インターネットはネットワークそのもの、WWWはリンクで結びつけられたインターネット上の情報集積です。ここではあえて区別しないで使っています。

インターネットと「意識」については「スポンサーから一言」にも書きました

インターネットの次に来るもの:目次
The Next Wave: インターネットの次に来るもの(4): 進化
続き

誰もインターネットを設計していない

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ボブ・メトカーフ


ボブ・メトカーフはコンピューター・コミュニケーション技術の巨人ともいえる存在です。メトカーフはLANネットワークの業界標準になっているイーサネットの発明者であり、ネットワーク機器の大手の3Com社の創立者でもあります。「ネットワークの価値は接続ユーザー数の二乗に比例して増加する」という、メトカーフの法則の提唱者としても知られています。

そのメトカーフはInfoWorldの1995年12月4日号のコラムで「来年中(1996年)にインターネットは増加するユーザーを支えきれずにネットワーク全体が崩壊するだろう」との予想を行います。メトカーフは同じ月のWWW国際会議のスピーチで「もし私の予想がはずれたら、InfoWorldに書いた自分のコラム記事を食べてやる」と見得まで切りました。

しかし、メトカーフの予想はあたりませんでした。メトカーフがコラム記事を本当に食べたかどうかは不明ですが(5年後のWWW国際会議でメトカーフは「もうコラム記事を食べたくないので、予想に賭けるようなことはしない」と言っています)、インターネット全体が崩壊するようなことはなかったのです。

メトカーフは根拠のないことを言ったわけではありません。1995年からインターネットを流れるデーター量は爆発的に増加を始めます。その流れはマイクロソフトのあるシアトル地区を始め、いくつかの箇所に集中していました。コンピューターネットワークだけでなく、道路でも電力網でもネットワークの形状をもっているシステムで、これは好ましくない状態です。拠点のいくつかが増加するデーター量に対応できず立ち往生すると、ネットワーク全体が機能不全になることは十分にあり得ることでした。

メトカーフの予想を覆したのは、インターネットの将来に対する期待から出た膨大な投資です。電話会社やインターネットプロバイダーがインターネットユーザーの増加を見込んで容量の大増設を行ったのです。期待に応えるように、インターネットのユーザー数の増加は驚異的でした。1995年末にはすでに1,600万人のインターネットユーザーがいると見積もられていましたが、その数は1998年には1億を突破します。インターネットユーザー数の増加の勢いは過去のラジオ、電話、テレビなどと比べられましたが、スピードはずっと早く、早晩世界中の人々がインターネットにアクセスするようになると考えられました。インターネットは人と物の流れを大きく変えたの19世紀の鉄道ブームとも比較されました。鉄道ブームが産業革命を支えたように、インターネットは第2の産業革命を引き起こすと言われました。

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インターネットを使えば、どんな小さな会社や個人でも、世界中を相手にしてオンラインで商取引が行えます。インターネット以前は、強力なコンピューターネットワークを持つこと自身が企業の競争力の一つと考えられていました。インターネットを使って、新しいビジネスモデルを構築するという「ドットコム」企業が次々に現れ、インターネットを使うというだけで先進企業として株式市場で人気を呼びました。ピザの注文をインターネットで行って届けるだけの商売が、「新しいビジネスモデルを創造した」ともてはやされました。

初期のインターネットを使ったビジネスで話題を集めたものに、ジーンズメーカーのリーバイ・ストラウスのネットでのジーンズ販売があります。リーバイスは一度来店した顧客を採寸して、その後はインターネットでジーンズを注文できるようにしたのです。これで顧客は来店することなく自分にぴったりのジーンズをいつでも注文できますし、店側は在庫を持つリスクなしでジーンズを販売できます。

良いことずくめのようですが、問題がありました。注文に応じでジーンズを裁縫する製造システムができていなかったのです。問題点は明らかでした。いくらインターネットを使って受発注を合理化しても、製造、調達などの内部プロセスがそれに合わせて合理化できなければ、インターネットの効果は限定的だということです。

しかし、新興のネット企業と既存企業のどちらが勝つか「クリックかブリック(煉瓦:既存企業の象徴)という議論は、本格的にインターネットの活用を行うアマゾンドットコムのような企業が現れることではっきりしました。アマゾンドットコムは巨大な倉庫と物流システムをネット発注を組み合わせることで既存の書店を打ちのめしてしまったのです。インターネットをうまく活用できれば、全く新しいビジネスモデルを作ることができるのです。

PCメーカーのデルもインターネットを全面活用することで、販売チャネル維持の負担を減らしながらシェアの拡大を行いました。ネットで顧客は好みに応じてPCの仕様を決め、デルは素早く注文に応じた製品を製造し顧客に直接届けましたが、それには需要予測、部品の調達、物流基地での製品組み立てなど多くのプロセス実行のイノベーションによって始めて可能なものでした。

インターネットがますます社会に深く浸透する中で、メトカーフの予言の悪夢が再び頭をもたげてきました。コンピューターの2000年問題です。英語でY2K(2000年Year 2000(2K))と呼ばれた、この問題の原因は単純なものです。 コンピューターのプログラムでは1995年10月15日を951015のように西暦の最初の2ケタを略することは一般的でした。このような表記は普通問題になることはありませんが、1999年から2000年の境目ではトラブルを起こす可能性があります。コンピューター処理で見掛け上時間の流れが逆転することで、ローンの返済、到着順の優先順位などを行う種々のプログラムが影響を受けます。コンピューターはあらゆることろで使用されているので、電力供給システムがストップしたり、果ては防衛システムのエラーで核戦争の起きることまで懸念されました。

結果的には人類は西暦2000年を無事迎えることができました。しかし、それは決してY2Kが空騒ぎだったからではありません。Y2Kの解決のためのプログラム修正に世界中で多分数兆円と言う巨額の投資が行われ、何とか事なきを得たのです。

インターネットが2000年を迎えた途端に動かなくなることはないだろうか。すでにインターネットは社会インフラ、ライフラインとして不可欠となっていて、長期に障害を起こせば致命的な事態をもたらすことも考えられました。インターネットのY2K問題に対応するため、IBMや数多くのIT会社がインターネットでY2Kによる障害が発生する可能性を検討しました。アメリカ政府はWhitehouse Internet Y2K Roundtable(大統領インターネット2000年問題審議会)を発足させ、危機管理の態勢を整えました。

インターネットについてのメトカーフの予想も、Y2K問題への危惧も根は一つです。誰もインターネットを本当の意味で設計したことはないし、管理の責任を持ってもいないということです。インターネットは、普通システムがそうであるように、特定のデザイン目標に向けて設計され構築されたものではありません。インターネットに接続されている機器やシステムがどこまで基本的なルールに忠実に作られているかもわかりません。インターネットのパフォーマスや信頼性に何の約束もないことは、既存企業がインターネットを介してビジネスをすることをためらわせました。

それでも野心的な人々は様々な制約の中でインターネットを活用した事業を起こしました。インターネットは電話と違って、接続相手の距離と料金は関係ありません。そもそも全体が管理されていない以上、そんなことは元々不可能です。それを利用して、インターネットを使った電話、IP電話は、世界のどことも均一料金で通話ができます。しかし、初期(と言っても2000年ごろですが)の標準的回線速度では通話の品質は、相当問題がありました。株式投資の通話が途切れたと言って訴訟を受けたりしながらも、IP電話は次第に安定したビジネスを確立していきます。商取引も急速にインターネットが利用されるようになり、銀行取引もインターネットを介して行われようになります。PCがホビーの世界からビジネスの世界へと溶け込んでいったように、インターネットの利用範囲は広がっていきました。

インターネットの西暦2000年は静かに迎えることができました。ネットワークのシステムは年号に依存した処理はほとんど皆無で、インターネットにY2Kの問題は起きないだろうという予測は幸いに当たりました。21世紀に入るころには、インターネットのインフラ部分についての不安は概ね解消されました。回線速度も飛躍的に向上し、悪名高かったIP電話も音声だけでなく映像で会話を行えるようにまでなりました。

しかし、インターネットが予め設計されてできたわけではないことに変わりはありません。将来インターネットがどのようなものになっていくかも、誰かが決めているわけではありません。インターネットの変遷はその時々の都合で行きあたりばったりに変化していったという意味で、技術的な製品というより生物の進化に似ています。世の中でインターネットに一番似ているものを探すと、それは脳かもしれません。少なくとも複雑性という点でインターネットに比較できるのは脳だけと言っても良いでしょう。そして脳は驚異的な機能を持っていますが、それは何億年と言う生物の進化の歴史でつぎはぎだらけでできあがったものです。

沢山の要素が集まって全体として全く違ったものを生みだすものを複雑系と言い、複雑系が新しいものを生み出すことを創発と言います。脳は1,000億個のニューロンと500兆個のシナプスでできていますが、脳の作りだす、思考や意識は個々のニューロンやシナプスとは全く別次元のものです。意識は脳が創発で生み出したものなのです。だとすれば、インターネットが個々のサーバーやネットワークを超えて全く新しいものを作りだす、創発を行うことはあるのでしょうか。あるとすればそれはどのようなものなのでしょうか。(続く

インターネットの次に来るもの:目次
The Next Wave: インターネットの次に来るもの(3): 革命の始まり
続き

インターネットの時代 (1995-2010?)エポックメーキングな出来事:ネットスケープの上場(1995年)
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世界最初のWebサーバーとブラウザーが稼働したCERNのNeXTコンピューター


ブラウザー戦争

スイス、ジュネーブの郊外、スイスとフランスの国境をまたいで、ヨーロッパ諸国の共同事業として設立されたCERN(欧州原子核研究機構)の巨大な施設群があります。CERNには周囲27キロにおよぶ巨大な量子加速器を始め、数多くの素粒子物理学の実験装置が備えられています。2008年の南部・小林・益川3氏のノーベル賞受賞には、1999年にCERNで行われた「CP対称性の破れ」の検証実験が大きな力になりました。

CERNでは2,600名の常勤職員を始め、各国から集まった約8千人の科学技術者が働いています。CERNはアカデミックな国際組織のため、企業の研究所のような機密保持にそれほど神経を使わずに、電子メールで情報交換が他の研究所や大学と頻繁に行われています。CERNの電子メールや文書検索システムは、信頼性の点でもビジネスに直結する企業システムのように高いものは、それほど要求はされません。そのようなCERNの環境は動き始めたばかりのインターネットに最適なものでした。ほどなくCERNは生まれたばかりのインターネットの最大の拠点の一つとなっていきます。

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WWWを提案したティム・バーナーズ-リー

1989年になり、CERNに勤務していたティム・バーナーズ-リーというイギリス人のコンピューター技術者がインターネットの新しい活用法を提案します。ハイパーテキスト言語という文章作成用の特別なプログラミング言語を改良して、文章同士がインターネットを通じてコミュニケーションをするシステムを作ろうというのです。

1990年になりバーナーズ-リーは同じくCERNに勤めていたスイス人のロベルト・ケーヨと「World Wide Web: Proposal for HyperText Project」という短い、今から考えるとノイマン型コンピュータを記述したノイマンの論文を上回るほど大きな影響を与えた、提案書を書きます。WWW、ワールドワイドウェッブの可能性が提示されたのです。

提案では後にHTMLと呼ばれることになるハイパーテキスト言語を使って、CERNの膨大な文書を他のインターネットで接続されたシステムの下にある文章と結びつければ、コンピューター同士の接続の煩わしやトラブルなしに、文章から文章へとインターネットの中を「飛び回る」ことができると主張されていました。

この仕組みにはハイパーテキスト言語の両輪をなす、もう一つの道具が提案されていました。文章を見る-Browseするためのインターフェース、ブラウザーです。サーバーに格納されているハイパーテキスト言語で記述された情報を、ブラウザーを通じてユーザーは簡単にアクセスできるはずでした。

バーナーズ-リーたちの提案は採用されました。1991年になりバーナーズ-リーは、その頃アップルを放逐されていたスティーブ・ジョブズが設立したNeXTコンピューター社のワークステーションを使って、世界最初のWWWサイトとウェブブラウザーの稼働に成功します。

CERNで生まれたワールドワイドウェッブとブラウザーはインターネットの使い勝手を飛躍的に向上させました。文章をクリックすれば世界中どこに情報があっても関係なく簡単にアクセスができるようになったのです。

ブラウザーの製品化は事業として魅力的に見えました。ブラウザーを通じてユーザーはインターネットの膨大な情報にアクセスします。「ブラウザーは全てのワークステーションやPCを巨大なデーターベースの情報端末に変える魔法の杖になる」、そう考えた一人にシリコン・グラフィック社を設立して事業家として成功していたジム・クラークがいました。クラークはイリノイ大学を出たばかりの優秀で意欲に溢れた、マーク・アンドリーセンという23歳の若者を見つけ出します。1994年、二人はブラウザーの製品化のためにモザイク・コミュニケーション社を設立し、ほどなく会社の名前をネットスケープと改めます。


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(右から)ジム・クラーク、マーク・アンドリーセン、ジム・バークスデイル(ネットスケープCEO)

ネットスケープのブラウザー、Navigatorはたちまち市場で競争に勝ち抜き、ブラウザーの事実上の標準の位置を占めることになります。NavigatorはUnixワークステーションだけでなく、PCそれもWindows機だけでなく、アップルのMac上でも稼働しました。ブラウザーは単にWWWの情報をアクセスするだけでなく、画像や音声を含めた、あらゆる種類の情報の操作ができます。ブラウザーが普及すれば、WindowsもMacも関係なくPCが利用できる。いや全ての情報がインターネットから取り出せるのなら、ソフトウェアもインターネットのサーバーに置けば、PCすら必要なくなるかもしれない。Windowsに代わる新しいコンピューティングのOSとしてNavigatorへの期待は高まりました。

1995年の8月、ネットスケープはナスダックに上場を果たします。売上のほとんどない、ネットスケープの時価総額は上場初日に100億ドル近くになりました。誰もがネットスケープを明日のマイクロソフトと信じているようでした。ジム・クラークはビル・ゲーツがマイクロソフト設立から12年かかった10億ドル長者の道を、ネットスケープでわずか18カ月で達成しました。

マイクロソフトは反撃に出ます。ネットスケープが上場されたのと同じ年の1995年の5月16日、ビルゲーツは幹部向けに「The Internet Tidal Wave(インターネットの波)」と題したメモを送ります。その中でゲーツはネットスケープがインタネットの世界から生まれた新しい競争相手であるとして、インターネットの可能性を十分に理解していなかった失敗を認めます。そして、インターネット対応は最重要課題であり、マイクロソフトの製品ラインはインターネット環境に向け舵を取らなければならないと伝えました。

しかし、ゲーツ以外のマイクロソフトの幹部はインターネットの重要性をゲーツほどには認識していなかったのかもしれません。メモが出されて半年ほどたち、シアトルで行われることになったインターネットの祭典-インターネットサミットを控えた12月6日、マイクロソフトのインターネット戦略の発表のリハーサルの席上でビル・ゲーツはマイクロソフトの幹部たちに苛立ちを含んだ強い口調で、「われわれはインターネットに真剣だ(hard-core)だということを皆に判らせなければならない」と命令します。マイクロソフトはついに巨大な経営資源のインターネットへの注入を開始します。

成果は素早く上がってきました。Navigatorに対抗したInternetExplore(IE)をマイクロソフトは圧倒的なシェアを持つWindows95に無料で組み込みます。多くのソフトウェアメーカーを追い払い叩き潰してきた手法でしたが、今度も有効に働きます。IEはたちまち、ExcelやWORDのようにWindowsユーザーの中で大半を占めるようになります。

ネットスケープはその後、製品開発のトラブルなどで迷走し、1998年にAOLに買収されます。そのAOLもタイムワーナーとの華々しい合併の後は事業の低迷が続き、2009年12月に独立企業として体よく切り離されることになります。

1995年をインターネット時代の始めと考えるのは妥当でしょう。1991年たった1個しかなかったウェッブサイトは、1992年の暮れに26個に、1993年には200個を超えるほどになります。そしてネットスケープがナスダックに上場した1995年の8月には18,000に増加していました。アメリカのP&Gなど大手企業の多くはホームページの開設を始めたのもその頃です。インターネットの調査会社のNetcraft社によれば、2009年11月現在のウェッブサイトの数は全世界で2億4千万に達しています。

ブラウザーを巡るネットスケープとマイクロソフトの戦いは、PCの時代のアップルとIBMの競争と似ています。どちらもベンチャー企業が急成長して既存勢力の牙城を揺り動かしそうになったのを見て、既存勢力が反撃に出て勝利を収めました。

ただその後の結果はずいぶんと違っています。IBMはIBM PCでPCの業界標準を確立し、PCのトップに躍り出ますが、互換機に苦しめられ、付加価値の大半をただの下請け部品メーカーと思っていたインテルとマイクロソフトに奪われてしまいます。結局IBMはPCの主導権を失い、PC事業から撤退します。

これに対し、マイクロソフトはWindowsという強固な基盤を利用することでブラウザーの覇権を得た後も順調に成長を続けます。1995年という年はマイクロソフトがWindows95を発表した年でもあります。Windows95でマイクロソフトはIBMのPC用の自社製OS、OS2に決定的な打撃を加え、業界標準としての地位を完全に確立しました。

しかし、ブラザー市場での勝利自体はマイクロソフトに格別の利益をもたらしませんでした。マイクロソフトはIEを無償でWindows95に含めてしまったため、ブラ―ザー自身の売り上げはなかったのです。

多分マイクロソフトはExcelやWORDがそうだったように、競争相手を打ちのめしてしまえば、改めてブラウザーに値段を付けることはできるだろうと考えたのでしょう。しかし、オープンの世界から生まれたブラウザーの開発はそれほど難しいものではなく、IEに値段を付けたくても無償ブラウザーが次々現れるのでマイクロソフトはIEで儲けることは困難でした。

むしろマイクロソフトがインターネットから利益を得たのは、皮肉なことにマイクロソフトの製品が不完全だったからだと言えます。WindowsやOffice製品の欠陥を狙ってウィルスが常に生み出される状態では、ユーザーは保守の行われないPC OSを付く気にはなれません。もし、ウィルスの心配がなければ今よりずっと多くのユーザーが相変わらずWindows95を使っていたでしょう。ウィルスのためにユーザーは必要がなくてもWindowsの更新が必要です。そしてウィルスはユーザーがインターネットにPCを接続させなければ、外出を全くしなければインフルエンザにかかることがないように、無関係でいられるはずのものです。インターネットからマイクロソフトは大きな利益を得てきたのです。

インターネットの出現は、ネットスケープが上場でいきなり桁外れの値段を付けたように、誰もが何かとてつもないことが起きると予感させるものでした。それは予感以上の確信と言えました。しかし、インターネットがどのように世界を変えるか、そしてインターネットからどのように利益を得るのか、明確な道筋は明らかではありませんでした。誰もが新しい可能性を現実のビジネスにつなげようと必死でした。21世紀はもう目前に迫っていました。(続く

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