IBM S/360は企業の情報部門にコンピューターを集中することを提案しました。それまで、会計部門、研究部門、人事部門でバラバラのメーカーのコンピューターを使って行われていた処理は、全方位を意味する360度から取ったS/360でまとめて行うことができました(ただし、これは当初の構想で、実際には科学技術計算、通信処理、機器制御などで様々なコンピューターが使われました)。
企業の情報は人、物、金に続く第4の資産として情報システム部門の持つメインフレームに集中され、情報部門が大きな力を持つようになりました。情報部門の長はCIO (Chief Information Officer)とよばれ、財務を担当するCFO (Chief Financial Officer)と並んでCEO(Chief Executive Officer)の候補とも言われました(ただし、これはコンピューターメーカーの誇張もあります)。情報処理はメインフレームの時代に集中化が徹底して追及されました。
インターネットが2000年を迎えた途端に動かなくなることはないだろうか。すでにインターネットは社会インフラ、ライフラインとして不可欠となっていて、長期に障害を起こせば致命的な事態をもたらすことも考えられました。インターネットのY2K問題に対応するため、IBMや数多くのIT会社がインターネットでY2Kによる障害が発生する可能性を検討しました。アメリカ政府はWhitehouse Internet Y2K Roundtable(大統領インターネット2000年問題審議会)を発足させ、危機管理の態勢を整えました。
マイクロソフトは反撃に出ます。ネットスケープが上場されたのと同じ年の1995年の5月16日、ビルゲーツは幹部向けに「The Internet Tidal Wave(インターネットの波)」と題したメモを送ります。その中でゲーツはネットスケープがインタネットの世界から生まれた新しい競争相手であるとして、インターネットの可能性を十分に理解していなかった失敗を認めます。そして、インターネット対応は最重要課題であり、マイクロソフトの製品ラインはインターネット環境に向け舵を取らなければならないと伝えました。