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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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Twitter的ブログ(地球温暖化論の研究の中間報告)
Twitterでつぶやきだして、ブログの手が少しお休みになっているような気もします。Twitterでご報告したように、地球温暖化懐疑派という、温暖化を認めない人々のことを少し調べているのですが、反原発派と違って、こちらは専門家風の人が多く、科学の初歩をわきまえないような論調はほとんど見当たりません。

ただ、懐疑派という大変穏当な名前と違って、実際には懐疑派のほとんどは「反地球温暖化論者」です。そして反地球温暖化論の根拠の多くは地球温暖化論の根拠のあいまいさとクライメートゲートとも言われるデータねつ造などを含めた地球温暖化論者側の「狂信的」行動です。

「科学的」に考えると地球温暖化論者の持ちだした地球温暖化の証拠がいい加減だろうと、地球温暖化論者に独善的、イデオロギー的行動があろうと、それで地球温暖化が否定されるわけではありません。「まだ、100%地球温暖化を信じるわけにはいかない」という結論がせいぜいのはずですが、そのような謙虚な言い方をする人はあまりいません。

地球温暖化論者も負けてはいません。「懐疑派バスターズ」なるグループを組織して、「地球温暖化懐疑論批判」という冊子まで出しています。この冊子は文部科学省科学技術振興調整費により国費で作られていて、インターネットでただで入手可能です。

これに対し懐疑派が黙っているはずもなく『地球温暖化懐疑論批判』の誤謬というHPをたちあげ、「『地球温暖化懐疑論批判』という冊子の内容は、およそ科学の名に値しないものである」として、何と冊子の内容について執筆主体の東大IR3Sに対し名誉棄損の訴訟を起こすことにしました。

訴状をざっと読むと「権力によって自然科学の論争における反対意見を封殺した上で、誹謗・中傷によって研究者の人格攻撃を行い、社会的に葬り去るという異常な事態を看過することは出来ない」と、怒っているのですが、科学的な判定がどちらに部があるかを別にすれば「口汚さ」で懐疑派が温暖化に負けているとも思えません。

科学論争でも学者同士が憎しみ合いに発展するほど論争がヒートすることは珍しくありませんが、訴訟沙汰になるのはあまり聞いたことがありません。大体名誉棄損になるかどうかは、科学論争ではまず非難されたり攻撃された内容が科学的にどこまで妥当かが大きく関係してくるはずです。

たとえば、「太陽は地球の周りをまわっていることは、太陽の動きを目で見れば明らかです」と大学で物理学の教授が講義したら、「信じられないような低能で、大学教授の資格はない」と言われても「名誉棄損だ!」とは言えないでしょう。

地球温暖化が本当に目前の脅威なのか。その原因は人間活動による温室化ガスの増加のせいなのか、そんなことを裁判所が判断できるはずもありませんし、判断させるべきではありません。腹が立つところまでは理解できますが、裁判沙汰にするのは学者としてまともな思考回路を持っているか疑いたくなります。

裁判沙汰はともかく、地球温暖化論争は経済問題であり、政治問題でもあります。地球温暖化に疑問を投げかけたのは、最初は石油業界でしたし、京都議定書批准を拒否したブッシュ政権の支持の学者がそれに続きました。

今では地球温暖化懐疑論は週刊新潮やSAPIOのような反左翼的なマスコミに多く紹介されるようになりました。かつての左翼は環境論者に、右翼は懐疑派に多く移行したようです。

確かに、地球が本当に温暖化しつつあるのか、その原因に人間が排出する二酸化炭素などの温室化ガスが主要な原因かということに色々な不確かな要素はあるようです。1週間後の天気が予報できない大気のシミュレーションモデルと基本的に同じものを使って地球温暖化の予測を行っていると聞くと疑わしさはますます募ります。

しかし、未来は不確かでも過去は大分詳しくわかるようになってきました。ヤンガードリアス期と呼ばれる最終氷河期が終わった1万3千年ほど前から約1,000年ほど寒冷期に急速に戻った時期があることが知られていいるのですが、最近の研究で地球の平均気温が10度以上低下した寒冷期へは数10年、寒冷期からの回復は数年単位の期間で移行が行われたことが分かってきました。

ヤンガードリアス期への突入と復帰に人間活動がは一切関係ないでしょうが、氷河期にも匹敵する地球の気温の変化が地質年代的な長さではなく、数年という人の一生と比べても短い期間で起こることがあるのです。

実は1970年代は氷河期が到来することが大きな脅威として気象学者の間では考えられていました。今の地球温暖化論は1980年代から温暖な気候が続いた、短期的な反動ではないかというのは当たっていなことはありません。

しかし、激しい気温の変化が突然わずかな期間で起きる危険に人類がさらされているのは事実です。バカ扱いされたと裁判を起こすのは自由ですが、本当の相手は自然だということを忘れてはいけません。

遅ればせながらTwitter始めました
色々つまらない事情があって今さらなのですが。Twitterを始めました。アカウント名はrealwavebabaです。
原発を考える(4):反原発論は間違いだらけだが原発も欠陥だらけ 
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高速増殖炉もんじゅ

あまりに非科学的な反原発論

原発についてこの一月ほどネットや書籍を頼りに色々調べてみました。私は原発の専門家でも何でもありませんから、理解の深さには限界がありますし、僅かな時間で得た知識が間違っていることはいくらでもあり得ます。しかし、原発に賛成、反対と最初から決めつけないで、一般人がどの程度原発を考えることができるか、一つのサンプルにはなると思います。

まず最初に感じるのは、日本の反原発の人々のかなりは「反核、反放射能」教ともいうべき信念に凝り固まっているということです。それは核や放射能と名のつくものは理屈抜きで全部否定するというイデオロギーあるいは宗教(と私には見えますが)から原発を認めないという立場です。

これは「イルカは人間のような知性があるから殺すのは残酷で良くないことだ」というのと同じで反論そのものを受け付けない態度です。しかし、日本人が1年に50グラムしか食べないイルカやクジラなら、宗教的な反捕鯨、イルカ保護派の言うことを聞くというのもアリだと思いますが(「それでもクジラ食べますか」などご参照)、日本の発電量の30%を占める原発を宗教的信念だけで全廃するわけにもいきません。原発に対しては、もっと科学的、経済的なアプローチがなくてはいけないはずです。

一方の原発推進論も科学とは別の部分で動いていることは認めなければいけないでしょう。原子力発電所は1箇所で数千億円以上の巨大なプロジェクトです。公共事業につきものの利権に無縁ではありませんし、軌道修正が、一度決まったことは変えないという官僚的論理に支配されて困難になっていると想像するのは難しくありません。

温暖化ガスの削減は問題を複雑にしています。環境に対して負のイメージばかりがあった原発が突如「クリーンエネルギー」の仲間入りをしようとしているからです。原発が放射性廃棄物という環境問題を抱えているのは疑いもない事実ですから、反放射能教を反二酸化炭素教に置き換えるのでなく、環境負荷と経済性について科学的な検証を行う必要があります。

前置きが長くなりましたが、私が今得ている原発に関する理解を述べていきます。

(1) 原発の日常的な放射能排出は問題になるレベルではない


反原発派のサイトやブログを見ると、その多くが原発が大量の放射性物質をいつも外部に排出しているという話を既定の事実のように書き連ねています。これは事実の誤認以外の何物でもありません。

原発は100万kワットあたり毎分70トンの冷却水を7-8度上昇させて排出します。大量の熱を外部に出すことに問題はないか疑問は残りますが、今のところ明確な環境への悪影響はないと考えられています。

その冷却水は直接原子炉に接したものでなく、放射能に汚染されることは技術的にありません。これは設計上そうなっているというだけでなく、原発周辺で土壌や生物の採取を定期的に行うことでも確かめられています。

こんなデーターは電力会社が調べているもので信用できないと頭から否定する人も多いのですが、過去に温排水の温度上昇のデータ改竄はありましたが、放射能、放射線に関するデーターの捏造が確認されたことはありません。

原発からの排水の放射能のレベルの測定は比較的簡単ですから、豊富な資金を持つ電力会社でなくても可能なはずですが、反原発団体は原発周辺の桜の花びらの異常を発見して、放射能漏れの証拠にするようなバカバカしいことばかりしています(例えば)。

生物の異常と原発の関係を調べるなら、種類も環境(日当たり、栄養、土壌などなど)を同じ生物どうしを比較する必要があるのは当たり前ですが、紹介した例では原発の前の桜と他の場所の桜の花びらの異常をそのような前提抜きで比べています。

これでは桜といっても同一の遺伝特性をもつものか不明ですし、環境の同一性も保証されていません。調べる桜も本数が少ない(1本とか2本!)ではたまたまその木が異常だという可能性も否定できません。しかも、「異常」を判断する形質も花びらのギザギザ、重なりなど恣意的に選んでいるように見えます。これでは本当に異常なのかあるいは単なる個体の特徴なのか判断できません。

こんな科学的な手法のイロハも守らないで沢山の桜の花びらを集めて数えるボランティアの方々はご苦労様としか言いようがありませんが、桜の花びらを数える前に放射線の強さくらいは測っておくべきでしょう。そうでないと本当に科学的に原発付近の桜に異常が多いと判断されても、放射能が影響したのではないかという仮説すら成立しません。

いざ調査するとしても、こんな調子ですから、原発周辺で巨大魚が現れるとか、ガンや白血病の発症率が高いという話は、概ね伝聞のそのまた伝聞のようなものばかりでおよそ信用できません。ほとんどは単なる思い込み、でたらめ、都市伝説の類と言われても仕方ないでしょう。

日本の反原発派の人々はこんな調子が多いのですが、WWFやグリーンピースは反原発の立場に立っていても、少なくとも公式には反原発の理由に日常的に原発が放射性物質を垂れ流しているなどと言ったりはしていません。そんな事実は確認されていないのです。

(2) 放射性廃棄物

原発は下水道のないトイレと呼ばれることがあります。核分裂でエネルギーを発生する原発は不可避的に大量の放射性物質を産出しますが、廃棄物から放射能を除去することはできません。つまり、放射能を帯びた廃棄物を放射能があるままで安全に処理しなければいけません。

放射性廃棄物は高度に放射性を帯びた非常に危険な物質から、放射能に接した作業員の手袋のようなものまで放射能のレベルによって区分されていますが、すべてを合わせると世界中で毎年ドラム缶で100万本、重さで20万トンの放射性廃棄物が新たに生み出され続けています。

原発が再生可能エネルギーとは言えないのは、大量の放射性廃棄物が年々積み上がっていくことが一番の理由です。放射性廃棄物の中にはプルトニウムのように半減期が24,000年にもなるものもあります。24,000年でやっと放射線の放出量が半分になるだけですから、無毒化するまでには何十万年もかかります。そんなに長期間の安全な保管を保証できる場所はありません。

数十万年どころか、そもそも廃棄物を捨てる廃棄場は世界中にまだありません。ソ連は海洋投棄を行ったという話もありますが、そんなことは今では許されません。結局大部分の廃棄物は原発の立地内に保管されています。

もっとも、廃棄物は厳重に管理されていますし、ガラス状に固められたり、ドラム缶ごとコンクリート詰めにされており、外部に放射能漏れの事故は起こしていません。反原発論者にはドラム缶が錆ついて雨で放射能が漏れだすようなことを言う人もいるのですが、それはでたらめとは言わないまでもずいぶん事実を歪曲しています。

とは言っても安全確実な放射性廃棄物の処分法ができるまでは、原子力は再生可能エネルギーと同列に位置付けることはできないでしょう。核燃料という資源より捨て場所という資源が先に枯渇するかもれしれないからです。

しかし、放射性廃棄物の処理の問題は炉心溶融のようなカタストロフィーを引き起こすのではありません。やっかいではありますが、当面は(何十万年の保証はできないという意味です)一般の産業廃棄物や毒物と同じように注意して管理することが可能です。放射性物質は安全に管理などできないというような言い方は事態を正確に表しているとはいません。

**放射性廃棄物は数十年の冷却期間管理した上で、300M地下に保存(というより廃棄)する計画です。この方法は300M地下の物質が地殻変動などで地表に出るようなことが数十万年の範囲で殆ど起きないような場所を設定できる(大部分の場所がそうですが)と思われることから、技術的には妥当な方法と言えます。ただ、どんな場所でも地殻変動が数十万年の間絶対に起きないと保証できないので、技術的というより政治的な問題が残されてしまいます。今のところ地下の廃棄場所の決定は行われておらず、。技術的には可能でも政治的に不可能と言う状況が続いています。


(3) 炉心溶融(詳しくは前回の記事をご参照ください)

原発で本当に怖いのは炉心溶融(メルトダウン)だけと言っても過言ではありません。放射性廃棄物は貯めて置く所がなくなってしまうという問題を忘れてしまうと、取りあえず安全に管理されています。難しい問題ですが、時間をかけて考えることができます。

炉心溶融は原発独特の危険です。原発が核分裂で発生する莫大な熱エネルギーを冷却するシステムのどこかで異常が起きると、冷却能力を回復させるか原子炉を停止させない限り、核燃料も何もかもが熱で溶けてしまう炉心溶融になってしまいます。核分裂のエネルギーは極めて大きいため、絶対確実に核物質を閉じ込める容器は作れません。つまり、炉心溶融を完全に防ぎきれる原子炉は作れません。

しかし、チャイナシンドローム(炉心溶融で溶けた原子炉が地球の裏側の中国まで到達してしまう)という言葉に象徴されるように炉心溶融-メルトダウンの恐ろしさは誇張され過ぎているきらいはあります。通常の化学反応ではあり得ないような高熱とはいっても、溶融物は原子炉をつき抜ける程度です(もちろん重大な事態ですが)。それ以上のものではありません。

炉心溶融が核爆発につながるということもありません。原子炉内に原爆何百発分のウランやプルトニウムがあっても、何百発分の原爆が爆発するわけではありません。チェルノブイリもそうでしたが、冷却材である水が高熱の溶融物と接触して水蒸気爆発が起きるのが、炉心溶融の最悪シナリオです。

このような誤解は原発がミサイル攻撃をされたらとどうするかという心配にも現れています。原子炉は分厚いコンクリートに覆われていて通常爆弾では容易に破壊できませんが、かりにミサイルで原子炉が破壊されても、原子炉内の放射性物質が撒き散らされるだけです。

これは大変な被害であることは間違いありませんが、人的被害という点では人口密集地域に同規模の破壊力を持つミサイルを打ちこまれる方が大きいと考えられます。少なくとも原爆数百発分の核物質が誘爆を起こしてハルマゲドン的状況になるわけではありません。

炉心溶融があってもチェルノブイリのような水蒸気爆発を伴わなかったスリーマイル島の事故では、原発外で直接の死亡被害者はいませんでした。漏れ出した放射能も、致命的なものではなく原発から半径10マイル(16キロ)の範囲で事故後の有意なガン発生率増加はいません。

実際には炉心溶融にいたるまでには多くの安全装置が働きます。炉心溶融の発生確率が1原発あたり2万5千年に一回程度というのは、原発が広く商用化された1970年以降、炉心溶融の発生が2回(チェルノブイリとスリーマイル島の事故)という実績と世界で500基の原発があるという事実と比べ、多少甘いですが概ね正しいと考えて良さそうです(1970年当時は原発は500もありませんでしたが、数が増えた最近は逆に炉心溶融は起きていません)。

しかし、炉心溶融はゼロでない確率で起き、そのうち何回に1回かは水蒸気爆発で大量の放射性物質を撒き散らす可能性があります。炉心溶融の確率を最小限に抑え、たとえ炉心溶融が起きても爆発が起きないようにすることは原発の安全性の肝です。炉心溶融に結びつかない限り、原発で火災が起きようが地震で倒壊物が出ようと大して気にすることはありません。

反原発派やマスコミは、原発の中で起きた事故は何でもかんでも原発の安全に致命的欠陥がある証拠のように言いがちです。原発をすぐに全廃するなら別ですが(反原発派の人はそう思っていますが)、これからも当分使い続けるなら、炉心溶融に結びつく可能性のある事故とそうでないものをきちんと分けて考えるべきです。

一方、電力会社や原発の推進派の人々は原発に炉心溶融という危険が内在されているという現実をタブー視しているように思えます。それは反原発派がどんな事故も原発の致命的危険性を証明しているということの単なる裏返しです。原発と付き合うなら炉心溶融の話を避けて通ることはできません。

(4) 原発の経済性

原子力発電の商用化目指し始めたころ、核分裂のエネルギーが莫大であることから、「将来電力メーターで課金する必要はなくなる」とまで考えられていました。もちろんそんな楽観論は実現していません。

原発と化石燃料を燃やす火力発電所を比較すると、原発は建設に多大なコストはかかるが燃料費は安く、火力発電は逆になります。つまり原発のコストは原発の稼働率と何年使い続けるかで大きく違ってきますし、火力発電のコストは石油や石炭の価格動向で変わってきます。

さらに原発は射性破棄物の処分(実際は保管)と原発の廃炉処理に多くの資金を要します。原発が最終的にどの程度の資金を必要とするのか、電気1ワット当たり他のエネルギーと比較して高いのか安いのかは、条件の取り方で随分違ってきますが、「原発は経済性では絶対負けない」とは言えなくても、火力発電より明らかに不利でもありません。総合的に見れば、概ね同程度というのがほぼ妥当なところと思われます。

ただ単純にエネルギーのコストだけを比較すると、再生可能エネルギーとされている太陽光、地熱、風力などによる発電は化石燃料や原子力よりずっと高価です。経済性は重要ですがすべてではありません。

経済性とは少し違った見方で二酸化炭素の発生量の比較があります。原発はウランの採掘、建設費、廃棄物管理などで二酸化炭素を発生します。これも原発のライフの取り方でずいぶん違ってきますが、化石燃料の数十分の一の水準です。原発は「温暖化ガス発生に対してはクリーンエネルギー」と言ってよいでしょう。原発は他のクリーンエネルギーと比べても現在は風力や太陽光よりは若干優位があり、水力発でよりは発生量が多いと見積もられています。

反原発論の中には原発のライフサイクル全部を考えると原発は大量の二酸化炭素を発生し、地球温暖化防止に貢献しないというものもあるのですが、これは根拠がほとんどない話です。原発がクリーンかどうかは別にして、二酸化炭素の発生量を火力発電よりずっと削減できるというのは事実です。

5) プルトニウム、兵器転用のリスク


原発をめぐる論議では危険性が誇張されることが多いのですが、プルトニウムの毒性もその一つです。プルトニウムは自然界にほとんど存在しませんが、それは放出する放射線量が半分になる半減期が2万4千年とウランの数億年―数10億年と比べてずっと短いからです。半減期が短いということは、その分放射線の強さが大きいため、体内ではプルトニウムは量でも強い発ガン性を持っています。

そのため、プルトニウムが角砂糖5個分もあれば日本人を全滅することができると言われることもあるのですが、そうするためには角砂糖5個分のプルトニウムを微細なチリのような形状にして、呼吸などを通じて日本人全員に吸い込ませることが必要です。これはどう考えても簡単な話ではありません。

体内に侵入させなければプルトニウムの出すアルファー粒子の放射線は薄い衣服でも防ぐことができます。プルトニウムの保管、輸送は盗難の危険を除けば格別難しいものではありません。

プルトニウムが危険だと言われる理由に、プルトニウム自身が持つ放射能の毒性だけでなく、核兵器への転用があります。核兵器の製造にはウランより核分裂を起こしやすいプルトニウムが使われることが多いのですが、原子炉でウランを燃焼させるとプルトニウムができます。このプルトニウムは核兵器に転用するには品位が低いのですが、あと一息で核兵器というところまで、原子炉はプルトニウムを製造することで近づけることができます。

核兵器が拡散することの危険は言うまでもありません。アメリカやロシアが核兵器の削減の方向(もっとも削減はしても廃絶はしないでしょうが)に向かっている中、核兵器の保有国は増えてきています。核兵器を持とうとする国は必ず第一のステップとして「平和利用」の名目で原発を持とうとします。

原発が核兵器の製造工場にならないように、IAEAは厳重な査察を要求します。しかし、国家主権がある以上、IAEAの査察を拒否することは可能です。あるいはIAEAの査察の外側で核兵器の製造を企てる国もあります。

日本の反原発運動は核物質や放射能に対する素朴な恐怖心に感情的に訴え核兵器と原発をイメージの上で単純に結びつけたものです。日本の原発が日本の核武装のためだというのは、単なる言いがかりでしょうが、技術的に核兵器と原発が隣同士であることは確かです。

日本ではロシアと並んで高速増殖炉の開発を真剣に取り組んでいる数少ない国です。高速増殖炉は核兵器製造に適した高品位のプルトニウムを製造します。高速増殖炉の開発を日本の核兵器製造と結び付けるのは、前述用に言いがかりに過ぎないでしょうが、高速増殖炉の技術を将来広く輸出することは考えにくいでしょう。世界に目を向ければ、原発と核兵器がコインの裏表の関係にあることは間違いありません。

原発の未来はバラ色ではない

原発に対しては二つの極端な見方があります。一つは反原発派の主張するような危険で環境破壊を起こす滅ぼすべき技術、もう一つは原発が登場した頃に言われた無限のエネルギーを生み出す夢の技術です。

原発が普及するにつれ、夢の技術のとする見方は次第にしぼんでいきました。反原発派が言うほどではないにしろ、少なくとも経済性では化石燃料と同程度のコストはかかります。燃料費は安価でも安全や廃棄物処理のために莫大な経費がかかるからです。

おまけに原発は負荷調整が苦手です。原子炉で核分裂の反応速度を変えるのは難しいだけでなく、危険も伴います。フランスでは負荷調整もするようですが、日本では原発は負荷調整をしないで稼働することが基本です。原発は水力、火力と組み合わせなければ、ひどく不経済な発電方法ということになります。

コスト面で優位性がないとなると、本質的な危険性と放射性廃棄物の処理の問題のある原発は従来型の火力発電と比べて何も良いところはないことになります。ドイツやスウェーデンなどヨーロッパ諸国が脱原発に向かい、100以上も原発のあるアメリカでは過去30年原発の建設がなかったのは、反原発運動のせいばかりではありません。

アメリカを含め世界中で原発に対する雲行きが変わってきたのは、原発が地球温暖化の原因とされる二酸化炭素の発生が少ない(前述の通りライフサイクル全体では「皆無」ではありません)「クリーンエネルギー」だ見なおされるようになってきたからです。

また、地球温暖化以外にも化石燃料、分けても石油はアラブ諸国への依存が大きく、供給や価格の安定性の面で不安があるという問題があります。ウランは産出国がオーストラリアやカナダのような政治的に安定した国で主に採掘されますし、原発のコストに占める燃料費の割合は大きくないので、少々価格が上昇しても影響をあまり受けないメリットがあります。

炉心溶融の危険や放射能漏れも、チェルノブイリ以来目立った事故、少なくとも原発外部が被曝するような大事故がなかったことで、原発は完全に安全ではなくても、付き合いきれないような代物ではなさそうに思えてきたということもあるでしょう。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というきらいはありますが、原子炉1基当たりの炉心溶融発生確率は数万年に一回だという主張はそれほど間違っていないように思えます。

とは言っても、放射性廃棄物処分の有効な解決策が見つかったわけではありませんし、炉心溶融の危険が一掃されたわけでもありません。原発はエネルギーとしての人類の未来を全面的に託する技術とは言えないと考えるべきでしょう。

結局、原発の優位性は化石燃料の価格や地球温暖化という原発以外の要素で決まってきているのが現実です。原発が独自に優位性を高めるためには、根本的に安全性を高めることが必要です。また、もっと小型で負荷調整も柔軟にできるような技術の開発も必要でしょう。

原発を稼働させることに伴う放射性廃棄物の「放射能を除去する」ような方法は今のところ見つかっていないため(中性子線を照射して放射線を出さなくするようなことは可能ですが、実験室レベルの域を出ません)、将来に渡って問題は拡大を続けます。

放射性廃棄物を人里離れた近くの地盤の安定したところに、ガラスやコンクリートで固めて捨ててしまえば問題はないと考える人は多いのですが(私もそう思っています)、反対が強く現実には放射性物質の廃棄場は実現していません。技術的にも政治的にも放射性廃棄物の処理の問題は将来に渡って解決の見込みはありません。

結論として、今の原発は再生可能エネルギーが十分に成熟するまでの「つなぎ」の技術と考えるしかありません。現在は再生可能エネルギーと原発のコストの差は圧倒的ですし、再生可能エネルギーは原発以上に負荷調整が難しく立地の制限もあるので、原発の必要性は当分続くでしょう。しかし、原発は将来「電力メーターが不要になる」ほどのコスト競争力を回復しない限り、「我慢して使っている」技術にとどまるでしょう。

中期的は新興国ではエネルギー需要が増大するのに伴って原発建設が多数行われるでしょうし、アメリカも30年も原発建設を凍結していれば反動として新しい原発を多数建設しようとしています。

この他、ビル・ゲーツが出資していることで有名なテラパワーが目指している放射性原発の廃棄物の一つ、劣化ウランを使用して小型で燃料交換なしで数百年も華道を続ける原子炉が実現すれば、再生可能エネルギーとの優位性のバランスが原発に傾くこともあるかもしれません。ただ、これは実用化された技術どころか実験炉もまだできていません。


高速増殖炉の計画は放棄すべき

日本はロシアを除き唯一(中国は実証炉を計画中ですが)高速増殖炉の研究を続けている国です。高速増殖炉は使用するプルトニウムよりたくさんのプルトニウムを作りだすという夢のような原子炉です。

原理的には高速増殖炉は魔術使っているわけではもちろんありません。原発ではウラン(一部プルトニウムを使うものもある)の核分裂でエネルギーを発生しますが、このときウランの大部分を占めるウラン238は核分裂をせず、一部は中性子を吸収してプルトニウムになります。

高速増殖炉ではプルトニウムを効率的に作り出すことで、核反応で次々にプルトニウムを作りだし、事実上半永久的に燃料補給をせずに核反応を続けることができます。話としてこれほどうまい話は他にないと思えるくらいですが、問題があります。プルトニウムの生成では核兵器に使用可能な高品位なプルトニウムを大量に作り出してしまうのです。高速増殖炉の稼働は核兵器の大量製造を可能にしてしまいます。

反原発派は高速増殖炉とプルトニウムの結びつきに特に敏感で、高速増殖炉がプルトニウムの大量生産を行うだけでなく、事故の際に従来型原発より多量のプルトニウムを拡散させる危険を指摘しています。

例によって揚げ足取り的で放射能やプルトニウムに過敏な反原発派の主張のようにも聞こえますが、高速増殖炉と従来型は根本的な違いがあります。高速増殖炉は開発当事者さえ2050年ごろ実用化されるとしている未完成の技術なのに対し、既存の原発は数十年の実績があるということです。

高速増殖炉は従来の原発と何もかも違います。冷却材に水ではなく金属ナトリウムを使い、熱中性子ではなく高速中性子を使って核分裂を起こします。根本的な原理が核分裂である点は共通でも、工学的には全く別物です。

何度も繰り返しているように原発の最大の問題は危険性それも炉心溶融の可能性です。原発の歴史の中で炉心溶融の危険は何度もありましたが、安全装置のECCS(緊急炉心冷却装置)の作動など、安全策が功を奏して多くの大事故が防がれてきました。

高速増殖炉にはECCSがありません。高圧の一次冷却水を使わないので必要ないということなのですが、このことからも今までとまったく違う技術体系、安全体系に基づいて高速増殖炉が作られていることがわかります。

高速増殖炉は今までの原発の安全性、経済性の積み重ねではなく、まったく別の技術を作り上げようとしているものです。にもかかわらず、高速増殖炉の利点はプルトニウムを作りだすことで燃料の安定供給が得られるというだけです。

しかし、燃料の安定供給はウランを使用する原発の数少ない利点の一つでもあります。資源の枯渇が100年でなく5千年になったとしても、少なくとも21世紀中はそれほどありがた味のある話とは思えません。

経済性に関しては、すでに高速増殖炉の実証炉である「もんじゅ」には二兆円近い開発費が投じられています。これから数十年も研究開発を続けるとなると、いくら金を使うか見当もつかず、採算度外視で資源確保の名目で開発を続けているのが現状です。

高速増殖炉は巨大科学を官僚主義の惰性とそこから利益を得る人が無理矢理理屈をつけて続けているばかげた公共事業の一つです。こんなものに貴重な税金を注ぎ込むのなら、別のエネルギー源に使った方が役に立つでしょう。

高速増殖炉がたとえ実用化される日が来るとしても、その時まで未体験のさまざまな問題、そして大小の事故が起きるでしょう。もんじゅは1995年に高速増殖炉で一番恐れられていた冷却材の金属ナトリウムの漏洩事故を起こしています。このような事故は実験段階の技術では当たり前、というよりそのために実験を続けるわけですが、もんじゅの大きさ(28万kワット)を考えると、実験の失敗が大惨事になる危険は十分あります。

スペースシャトルは、ほぼ100回に1回の割合で墜落事故を起こしています。スペースシャトルが墜落しても「覚悟の」宇宙飛行士が死ぬだけですが、もんじゅではそうはいかないでしょう。すでに原発が実用化されているのに、これ以上少なからぬ資金を高速増殖炉開発に使うのは大局的に愚かしいことだと断じてかまわないと思います。

脱原発のシナリオはあるか

グリーンピースアは原発もだめ、化石燃料もだめと主張しています。反対するのは勝手ですが、現実的な再生エネルギーへの移行シナリオを描くことができなければ無責任な理想主義と言われても仕方ありません。

原発が今のままでは未来がないとしても、すぐに全廃することは不可能です。一時的には新興国や国土の大きいアメリカやロシアで原発は増加するでしょう。

しかし、日本やヨーロッパ諸国のような国土が小さく人口が密集して住民の安全性への要求が高い国々では原発が大幅に増加することは将来ともないでしょう。脱原発は脱化石燃料と同時並行的に進めていくことになります。

これは一見不可能に思えますが、エネルギー需要が増えない、あるいはむしろ減少するような環境であれば、年に1-2%のペースで再生可能エネルギーへの置き換えと省エネを50年以上続ければ不可能ではなさそうです。もちろんこれはいくつもの未知の技術革新を前提にしています。既存技術だけで「乾いたタオルを絞」っても限度があります。

楽観的過ぎると思われるかもしれませんが、2050年ごろの実用化を目指した高速増殖炉への投資を考えれば、再生エネルギーへの移行は可能と考えるのは過剰な期待ではないでしょう。

太陽光。風力など再生可能エネルギーの出力調整が難しいことも、電池、蓄電設備の発達でかなり補えるはずです。この面では最近著しい技術革新が続いています。原発のような巨大な電力を効率的に蓄電するのは揚水発電(夜間にダムに水を戻す蓄電方法)のようなものでないと難しいですが、小規模な発電設備に効率的な蓄電方法を開発することは、それほど難しくないはずです。

21世紀に末までの二酸化炭素削減計画を作るのに原発に大きく依存する必要はないでしょう。中期的に原発への依存度が世界全体では増えることはあっても、日本が今の2倍も3倍も原発の発電能力を増やすというのは、正しい方策とは思えません。

反原発派は科学的なアプローチという点で大きな問題がありますし、原発推進派は現在の原発推進路線を継続しようとする愚かしさがあります。反原発派はもっと電力会社などの「推進派側」の放射能測定データーを素直に受け入れて、不足しているデーターを出させるようにする方が現実的で効率的です。休みの日に子供を連れて桜の花びらの検証などをするようなことは。子供の休みを奪うだけでなく、子供に科学的方法論を学ばせるためによくありません。

反原発派も原発推進派も。原発の真の危険は炉心溶融だけだということを踏まえて、炉心溶融の最小化に努めるべきです。地震で原発の建物が少々壊れたり小規模な火災が起きたのを「安全神話の崩壊」と責めたてたり、こそこそ隠ぺいしようとするのは健全ではありません。

原発は戦後が現れた、コンピュータ―、ジェット旅客機のような技術と比べると半ば失敗した技術と言えます。それでも当分。人類は原発を使わざるをえません。どうせ使うならもっと賢く使うのが利口というものでしょう。

東海地震と浜岡原発
原発を考える(1):原発に巨大魚という都市伝説
原発を考える(2): WWFが原発に反対するわけ
原発を考える(3): 原発はどこまで危険か
原発を考える(4):反原発論は間違いだらけだが原発も欠陥だらけ
原発を考える(3): 原発はどこまで危険か
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炉心溶融と大爆発を起こしたチェルノブイリ原発

チャイナシンドローム

チャイナシンドロームは、もともとは1979年に公開された原発の事故を描いたアメリカ映画の題名ですが、原発で起きる最悪の事故である炉心溶融、いわゆるメルトダウンを表す言葉として使われるようになりました。

原発は原子炉の中でウラニウムやプルトニウムの核分裂を起こし、それで生じる莫大な熱を使って電力を発生させます。原子炉の熱エネルギーを取り出すことで電気を起こすわけですが、もし熱エネルギーが十分に取り出せなくなると、炉心はどんどん熱くなってしまいます。

それでも原子炉が停止せず核分裂が進むと、燃料のウラニウムも、燃焼を制御するための制御棒も、ついには炉そのものまで融けてしまいます。チャイナシンドロームとは炉心が溶融して、アメリカから見て地球の反対側の中国まで溶融物が突き抜けてしまうとういジョークからでた言葉です。

もちろん、原子炉の熱がどんなに高くてなっても、地球の中心まで溶融物が進んでしまえばそこでお終いで、それ以上先に進むことはありえません。しかし、いったん原子炉が制御不能で暴走を始めた時の凄まじさを表現するたとえとして、チャイナロームは広く使われるようになりました。

チャイナシンドロームはジョークですが、知られている範囲で過去に原発は世界で4回の炉心溶融事故を起こしています。その中でも1979年のアメリカのスリーマイル島と1986年のソ連のチェルノブイリ原発の二つの事故は大きな衝撃を与えました。

中でもチェルノブイリの事故では10トン以上という大量の放射性物質が外部に放出され、北半球全域で事故が原因と思われる放射性物質の落下が観測されました。放射性物質の量は広島に落ちた原爆の500倍におよんだと推定されています。

チェルノブイリ原発は日本を含めた西欧諸国の原発とは形式が異なるため、同じようなシナリオで同じような事故が起きることはないとされていますが、原発が炉心で核分裂でエネルギーを得ている以上、実際に大事故が起きたらどのような事態になるかという意味では世論が原発の恐怖を思い知らされたのは当然のことでした。

原子炉冷却材喪失事故

原子炉は100万kワットあたり毎分70トンの水を7-8度上昇させながら冷却することが必要なほど大量の熱を出します。原子炉をいきなり海や湖の水で冷やすことはできませんし、第一それでは発電ができません。日本の原発は沸騰水型(BWR)と加圧水型(PWR)の二種が主流ですが、どちらも原子炉の熱で高圧、高温の蒸気でタービンを回して、その蒸気を外部の大量の水で冷却します。

もし、原子炉から外部の冷却材にいたるシステムのどこかで水などの冷却材が漏れたら、原子炉をうまく停止させない限り、炉心溶融になってしまいます。これはLOCA(Loss Of Coolant Accident原子炉冷却材喪失事故)といって原発にとってはもっとも危険な状態です。

火力発電所は原発以上に高温、高圧の蒸気を使用するのですが、蒸気が漏れたからといって、燃焼炉が溶けだすようなことはありえません。しかし、原発は基本的にチャイナシンドロームになる危険を内在したシステムです。

もちろん、原発は炉心溶融が起きないように安全装置を組み込んでいます。その中でもっとも重要なのはECCS(Emergency Core Cooling System 非常用炉心冷却装置)です。ここでECCSは原子炉の「冷却」はしても「停止」はしないことに注意してください。原子炉の停止は制御棒を挿入することで行われますが、「停止」はしても放射性物質の崩壊により発熱が続きます。ただし崩壊熱は速やかに減衰します。

日本では美浜原発1991年に蒸気発生器の伝熱管が破損してLOCAとなりECCSが作動した事故がありました。しかし、海外の事例も含めECCSが作動した事故では炉心溶融は防がれています。スリーマイル島とチェルノブイリの炉心溶融では人為的にECCSが止められていました(これはミスオペです)。

今の原発は時速100キロで走行中にいきなり勝手にアクセルが踏みこまれて急加速をする可能性のある自動車のようなものです。それも普通のブレーキでは停車できず、緊急ブレーキでかろうじて停止できる仕組みがあるような自動車です。

原発はまかり間違えば炉心溶融、下手をすると冷却材の水の蒸気爆発で放射性物質を大量に撒き散らしてしまうような大事故を起こす可能性がある代物です。安全性を高めることはできますが、危険をゼロにはできません。ECCSも何千回に1回かはうまく働かないことも考えられます。大事故を完全になくすことはできません。

原発の危険とどう向き合うか

それでは何もかもうまくいかなくなってチェルノブイリの二の舞あるいはもっとひどいこことになる確率はどれくらいあるのでしょうか。これにはPRA(probabilistic risk analysis)あるいはPSA(probabilistic safety analysis)といった手法があり、原子炉1つあたり炉心溶融が起きるのは2万年に一回程度、炉心溶融5回のうち1回くらい1,000人以上の死者が出ると見積もられています(前回の記事でご紹介した数千万年に1度というのは1970年代にドイツ行った一つPRAの数字です。前提によってPSAの値は大きく変わります)。

PRAは各原発ごとに実施すべきですし、原発が商用化されて60年の間に4件の炉心溶融があり、そのうちの一つのチェルノブイリ事故ではおそらく後遺症も含めて1,000人以上の死者が出ただろうと考えるとこの数字は楽観的すぎるかもしれません。

原発の数は現在世界で450ほどです。そして地球温暖化を追い風にして原発の数は2030年までに2倍の1,000程度になる勢いです。このPRAの結果を概ね妥当と考えても、かなりの新しい原発が人材的に不安がある新興国に建設されることを考えると、10年に一回くらい炉心溶融事故が起きて、2-30年に一回くらいチェルノブイリクラスの大事故が起きることもありえます。立地に無神経で人口密集地の近くに原発が建設されると死者は1,000人どころか数10万人になるかもしれません。

これを見ると原発は推進すべきテクノロジーかということに疑問を持つ人は多いでしょう。とは言っても、飛行機も原発の炉心溶融と同じで墜落すればほとんど助からないという本質的な技術的問題を抱えています。本質的に危険があるからといっても確率的には許容範囲かもしれません。死者の規模も数10万人というとスマトラ沖大地震の津波の死者と同じレベルです。「人類の歴史の中ではそういうこともあるよ」と割り切る考え方もあるでしょう。

ただ、人間の危険許容度は新たな危険が追加されるときと、従来からの危険が取り除かれるときでは大きな差があります。「あなたの隣の原発は2万年に1回大爆発を起こしますが、その危険を取り除くのにいくら支払いますか」という答えと、「あなたの隣に2万年に1回大爆発を起こす原発の建設をいくらもらえば我慢できますか」という質問の答えでは金額が何ケタも違うのが普通です(もらうのと払うのでは違うということもありますが)。

この違いは普通の経済学の合理性に反するので行動経済学と呼ばれる範疇に入ります。つまり原発を新たに作るのは行動経済学的にとても困難なだということがわかります。また、原発の立地が特定の地域に集中するのは行動経済学的には自然なことだということが言えます。新たな危険は受け入れるのに大きな代償を要求されるからです。

同じように行動経済学からは「原発を廃止してエネルギー価格が高くなるとしたら、どの程度の上昇を受け入れますか」という質問には「大して払いたくない」という答えが返ってくるはずです。

原発の危険性をどう考えるかは人によってずいぶん違うでしょう。飛行機を怖がって乗らない人もいますし、気にしないで1年に何十回と乗る人もいます。ただ、飛行機を怖がって乗らない人もタクシーは利用します。本当は確率的にはタクシーの方がずっと危険です。原発も危険で廃止すべきだという人も、木造の安アパートに平気で住んでいたりします。地震や火事を考えると、原発が近くに立地される危険の比ではありません。主観的な危険の確率と実際の確率は一致しないことが多いのです。

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原発を考える(2): WWFが原発に反対するわけ
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