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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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「一万年の進化爆発」そして未来
Evolution2.jpg

「現生人類は出現以来20万年不断に進化を続けてきた。特に文明が生まれてから進化の速度は100倍も速くなった。急速な進化は人種間の相違を大きくした。その結果としてアシュケナージ系ユダヤ人の知能は他の人種と比べて際立って高くなった」

このような話を聞いて眉をひそめる人は多いでしょう。進化によって人種間の優劣が決まるという考えは、白人が有色人種に対する差別を正当化するために考えだされた似非科学の代表のように考えられています。まして知能による差が人種間で存在するなど、戯言(たわごと)に過ぎないと考えるのが良識的な科学者の立場だと思われてきました。

グレゴリー・コクランとヘンリー・ハーペンディングの書いた「一万年の進化爆発」はそんな常識に真っ向から挑戦するような本です。著者たちによると人間は犬が農耕社会が始まってからチワワ、ドーベルマン、ダックスフンドのように同じ種とは思えないほど多様化したのと同様の強い進化上の選択圧を文明によって受けているというのです。

現生人類がアフリカで20年万前に生まれてから人類に根本的な進化はないというのは定説です。タイムマシンで10万年前の赤ん坊を現代に連れてきて育てれば現代人と区別がつかない人間に育つだろうと人類学者は考えています。大人だって髪をさっぱりさせて洒落たスーツを着せれば、地下鉄に乗っていても誰も振り向きもしないはずだろうというわけです。

そもそも人種というのは生物学的なものというより文化的な色彩の強いものです。朝鮮人と日本人は違いがあると言われても、秋田県人と鹿児島県人の差の方が大きいようにも思えます。人種の違いに直結する言語は非常に早く変化します。渋谷に集まる女子高生の言葉が全然わからないからといって、生物学的に親の世代と異なっているわけではありません。

人種の厳密な定義は諦めて、ナイジェリア人と日本人のように外見でかなり明確な区別ができる人種同士を比べても、遺伝的な分布は人種間より人種内の個人間の方が5倍以上大きいと考えられています。劣等民族と優秀民族とうい考えは根拠がなく弊害ばかりある危険思想だと看做されています。

それでも「一万年の進化爆発」には耳を傾けざる得ない事実が指摘されています。まず、進化の最大の原動力は環境の変化であり、人類が文明によってその人類自身の環境を全くと言っていいほど変えてしまったということです。

農業によって定住が進み人口密度が上がれば様々な伝染病のリスクは急に高くなります。進化は環境の変化にうまく適応して、より多くの子孫を残す遺伝子を増大させることで進みます。人類は伝染病と野戦いで伝染病に強い遺伝子をより沢山残してきました。つまりどのような伝染病に晒されているかで民族ごとの遺伝子プールは違ってきてしまいます。

同じようなことは日照量の差によって白人が生まれた(アフリカで生まれた人類は最初は皆黒人だったと考えられています)り、寒冷地の住民が平均的には体が大きくなる傾向があることでも示されています。確かに環境によって人種ごとに違った遺伝子セットが作られるというのは現実に即したものだと言えます。

それでは知能はどうでしょうか。著者たちはヨーロッパに住むユダヤ人、アシュケナージ系ユダヤ人は差別のために農業に従事することは難しく、金貸しや、税金の取り立てのような特殊な職しか開かられていなかったと述べます。

中世から近世に至るまで社会の大半は農民でした。現代の事務職に相当するようなこれらの職業は農民とは違う能力を要求したことは確かでしょう。それはIQで測定できるような能力だったかもしれません。そして、近代に入るまでは経済的な成功こそ沢山の子供を後世に残す最大の要因だったと著者は主張します。つまりIQの高さは生存競争と進化にとって意味のある働きがあったというのです。

このような見方を100%同意するのは難しいかもしれません。そもそもIQの高さは遺伝するのでしょうか。それ以前にIQというものは何か生物学的な実態なのでしょうか。遺伝子の研究が進歩した今でも、背を高さに関係する遺伝子はいくつか特定されていますが、微積分が得意になる遺伝子は見つかってはいません。

進化は遺伝子が沢山のコピーを残す競争によって起きるものです。かりに微分方程式を効率よく解く遺伝子があったとしても、500万年前に人類がアフリカのサバンナで果物の実を食べていたときにはどんな働きをしていたのでしょうか。

著者たちはこのような問いかけに一つの仮説を提示します。それは1万年前の農業社会の始まりの前に人間の知性に大きく影響を与える遺伝的な変異があったのではないかということです。

著者たちがその証拠の一つと考えているものに、有名なラスコーの洞窟壁画があります。フランスのモンティニャック村で発見されたラスコーの洞窟壁画は約1万5千年前にクロマニョン人に描かれたものとされていますが、確かに技術的なレベルや芸術の域に達していると言える表現力はそれ以前の人類の製作物とは大きく違います。
lascaux.jpg
ラスコーの洞窟画


ラスコーの洞窟壁画が描かれるのと相前後して同じころヨーロッパにいたネアンデルタール人は滅亡しています。ネアンデルタール人はラスコーの洞窟壁画を描くことを可能にした遺伝子の変化に滅ぼされてしまったのでしょうか。

この説は簡単には同意できないでしょう。確かにラスコーの洞窟壁画が発見されたころ中部ヨーロッパに現生人類とネアンデルタール人は共存していて、ネアンデルタール人が滅亡した時期はラスコーの洞窟壁画とほぼ一致してはいます。しかし、絵をうまく遺伝子がネアンデルタール人との戦闘でも有利な能力をもたらしたと考えるのは飛躍でしょう。

現代人でも殆どの人はラスコーの洞窟壁画ほど絵を上手には描けません。ラスコーの洞窟壁画を描けることを可能にする遺伝子があったとしても現代人全てがその遺伝子を持っているわけではなさそうですし、絵を描くのが下手な物理学者や将軍はいくらでも存在するでしょう。

しかも世界にはラスコーの洞窟壁画とは別の壁画が各地で見つかっています。それらがラスコーの洞窟壁画と共通の遺伝子で描かれたとは考えにくいことです。たとえば、オーストラリアのアボリジニも壁画を描いていますが、アボリジニは5万年から12万年前にオーストラリアに移住して以降他の人種との交流は非常に限定的だったと考えられます。

それでも人類の社会環境の変化がある特定の知能に関連した遺伝子変異に有利に働き、その遺伝子が社会の複雑化を促進することで優位性がますます高まるようなことは考えられます。人類の知能の向上が社会を通じて遺伝子変化を加速して行ったことは十分ありえます。

問題を解くカギは遺伝子の変化が平均的にはそれほどの違いを生まなくても平均から遠いレベルでは顕著な違いを生むことにあるのかもしれません。これはIQを含めた身長、体重など身体的特徴の多くがベルカーブと言われる正規分布に従うからです。

NormDsit.png


日本人の男性の平均身長は171cmなのに対しオランダの男性の平均は181cmです。人口は日本が20倍もあるので、オランダの平均181cm以上の人口は日本とオランダはほぼ同じです。ところが190cm以上の身長を持つ男性の数はオランダが日本の5倍です。身長のように正規分布するものは分布の端の方で平均の差が極端に大きな違いを生むのです(詳しくは正規分布とオリンピックメダル獲得の関係)。

IQが正規分布に従うなら僅かな平均の差を生む遺伝子の変化が天才の集団を生む可能性があります。著者たちはまさにそのようなことが人口比で異常なほど大量のノーベル賞級の科学者を生むアシュケナージ系ユダヤ人で起きたと考えます。世界人口の600分の1のアシュケナージ系のユダヤ人が科学系のノーベル賞の4分の1を受賞しているのです。

アシュケナージ系ユダヤ人の平均IQは112程度です。これは他の平均IQ100の民族とそれほど大きな違いはなさそうですが、IQが140以上、160以上と平均から大きく外れた集団の数では極端な差を生むのに十分な違いです。

著者たちの主張が正しいとして、今後進化によって「新人類」とも呼ぶべき隔絶した知能を持つ集団ができあがるのでしょうか。これには大きな疑問があります。生産量の増加に必ず人口増が追い付く、いわばマルサス的世界であった近代以前は、経済的成功、社会的成功はより沢山の子孫を残すという結果につながりました。

確かに近代以前は知能を高くする遺伝子があり、それが金貸しや学者になることで経済的成功を得ることにつながれば、その遺伝子のコピーは増加する、つまりより沢山の子供をもうけることに結びつきました。

環境の変化が選択的に特定の形質を作りだす遺伝子がコピーを作ることに有利に働き、その遺伝子のコピーが増えることで種が変化していく。進化論の中で有利に働く形質とは、生存競争に勝つことと異性を引き付けることでした。

しかし、現代はマルサス的世界から脱出できたように思えます。経済的成功をおさめなくても子供を育てることはできますし、金持ちほど沢山子供を作るという傾向もあまりありません。遺伝子の立場から見れば経済的成功を可能にする能力がその遺伝子のコピーを増やすことには直接関係なくなってきているのです。

現代の人間社会では本当の意味の生死を左右するような生存競争は、少なくとも先進国の中ではもはやありません。異性を引き付ける能力でさえ遺伝子のコピーをより多く作り出すことに貢献するとも言えません。

アシュケナージ系ユダヤ人が中世のヨーロッパで差別され閉鎖的な遺伝子プールを作ることで実際にIQの平均値を高めたとしても、これからも閉鎖社会が続くとは考えにくいでしょう。

グローバル化した世界で知能を向上させるような選択圧が働いたとしても、それがある遺伝子の大きな成功(つまりコピーを増やすということ)に結びつくことはあまりないし、ましてそれが特定の集団の中で支配的な遺伝子になるようなことはほとんどなさそうです。

人類文明はこれからもますます新しい環境に人類を晒すことになるでしょう。しかし、それが文字通りの生存競争を通じて生物学的な進化をもたらすことはないでしょう。人類は種の多様化に向かうより均一化をゆっくり進めていくのでしょう。人類は長い歴史を通じて生存競争に勝ち抜くことが遺伝子コピーを増やすという進化論とは別の世界を作り出すできました。これこそ一番大きな進化ではなかったでしょうか。

参照:
正規分布とオリンピックメダル獲得の関係
未来の人類
ブッシュ大統領の知能指数
ネオテニーの日本人
ダンバー数
イケメン進化論
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凄腕営業本部長小沢一郎
Ozawa2.jpg

民主党の小沢氏が幹事長を解任されました。小沢氏は今まで役職を辞任したり党を飛び出したりしたことはありますが、今回は形式はともかく事実上の解任です。菅政権は国民から不人気な小沢氏が解任されたことで高い支持率でスタートすることができました。

逆に小沢氏の内心はとても穏やかなものではないでしょう。夏の参議院選挙を自民党政権打倒の最終戦争と位置づけていた小沢氏にとって、先頭に立って選挙戦に臨むことは少なくとも公式にはできなくなったわけですから、小沢氏にとっては不本意以外の何物でもないはずです。

ただ、小沢氏の解任で小沢氏の念願だった自民党潰しはいよいよ仕上げに入ることができるようです。鳩山政権の最後の頃は政党支持率で自民党に逆転されるまで追い込まれてしまっていたわけですから、皮肉なことに小沢氏は辞めさせられることで目的を達する可能性を得ることができました。

当ブログでは小沢氏に対しかなり批判的でした。有罪無罪は別として3億円の札束を動かすというマネーロンダリング的な動きは、それだけで公人として失格のはずですし(政治家にはマネーロンダリングさえ必要ないのか)、議員を投票機械として考えないのは民主主義の目的と手段の倒錯以外の何物でもありません(小沢一郎氏のマキャベリズム)。

しかし幹事長というポジションが「影の党首」として総理を操ることより、選挙の最高責任者、企業で言えば営業本部長のようなものだと考えると、小沢氏の選挙戦術を何でもかんでも悪いと決めつけるべきでもないでしょう。小沢氏大悪人論で小沢氏の選挙戦術そのものも民主主義に反しているかのような報道もありますが、小沢氏の選挙戦術を営業推進的な観点で見直してみましょう。

営業部隊に楽をさせるな: 複数人区に複数候補

今度の参議院選挙で民主党内部で論議をよんだ方針です。参議院選挙では全国を1つの区とする比例区と選挙区の二つの選挙を同時に行い、比例で48名、選挙区で73名が選ばれます。このうち選挙区では1人区が29、2人区が12、3人区5人区がそれぞれ5、1となっています。

1人区は当選者が1名ですから通常は大きな政党同士つまり民主党と自民党の一騎打ちになります。これは衆議院の小選挙区制と同じで、その時の政治情勢で大きく結果が違ってきます。「風」をつかんだ政党が地滑り的大勝利を得る半面、大敗してしまう可能性もあります。

ところが2人区は民主党、自民党が1名づつ候補を立てれば、よほどのことがない限りどちらも当選します。逆に一方が2人候補を立てても、1対2以上の得票差がない限り結局1名しか当選させることはできません。1対2以上の得票差は議席数ではそれくらいの差があった、55年体制の自民党、社会党でも実現は難しく、2人区の大部分は自民党、社会党で分け合っていました。

県連レベルで2人区に1人しか候補を立てたくない理由は次のようなものが考えられます。
(1) 2人候補を立ててもどうせ1人しか当選しない。下手をすると共倒れの危険もある
(2) 2人候補を立てて競争すると県連内部で競争することになり、組織の中に軋轢が生じる
(3) 1人より2人の方が選挙の費用、手間がずっと大きくなる
これらは共倒れの危険を除けば全て県連内部の問題です。選挙費用が多くかかるのは確かですが、これは民主党本部がそれなりの資金を提供すれば済むはずです。

民間企業の営業でも大手顧客の競争相手の取り分を取りに行こうとすると、反撃を招いて自分の取り分も失ってしまう危険があります。せっかく自分の取り分の増やしても翌年には増えた取り分に応じてノルマも増え余計に努力を強いられます。

このようなぬるま湯的な営業を許していては会社の真の発展は望めません。顧客(選挙民)からみると全ての取り分(議席)を一方にしてしまうという選択肢を奪っていることにもなります。

辣腕の営業本部長はこのような末端の「楽をしたい」という言い分にやすやすと従ったりしません。売れるだけ売って、翌年はそれをベースにさらに売り上げを増やそうとします。小沢氏の複数候補擁立作戦は、県連の甘えを許さないで、売上(議席)を伸ばそうとするものです。これは営業本部長として当然の施策です。

地べた営業に徹しろ: 辻説法5万回

小沢氏は新人候補は1日50回の街頭演説つまり辻説法を3年間、合計5万回やれと言います。政策論議も何もなくとにかく顔を売って売りまくれというわけです。

これを知恵のない体育会営業と言うのは簡単ですが、オフィスに閉じこもっていても普通の営業は何も売れません。まして選挙は自分自身が商品です。商品見本を見せるというのは売るためには基本中の基本です。

選挙では一度声を交わしたり、握手をした相手に親近感を感じて投票するのは人情です。そうでなくても、投票所で初めて候補者の顔と名前を見る人が多いのです。政策の話は個々の候補者が何を言っているかということもさることながら、政党の政策の方が投票行動に与える影響は大きいでしょう。

民主党の新人候補は、新人セールスマンと同じで何をしてよいかわからない人が多いはずです。ほっておけば、勝手に支持者と称する人を集めて話をするだけで選挙活動と思ってしまう可能性もあります。まずは駅前でティッシュペーパーを配ったり、セールスの電話を掛けまくるような所から始めさせないと営業教育は難しいでしょう。

気取っていては営業はできません。名刺を何枚集めろ、電話を何本かけろというのと同じで、辻説法5万回という具体的な行動指針、目標を与えるのは営業のイロハを知らない新人営業の営業ガイドとして効果が確実に期待できます。

ブランドにただ乗りさせるな: タレント候補の擁立

とかく批判の多いタレント候補擁立ですが、タレント候補が企業が宣伝で使うイメージキャラクターのような役割をしていくれることはあまり期待できないでしょう。むしろ、「選挙民をバカにしている」というマイナス効果の方が大きいかもしれません。

しかし、タレント候補には別の目的があります。参院の比例全国区は、候補者個人の名前か政党名を書くことができます。投票所で初めて候補者の顔を見るような選挙民も政党名は知っているので、適当な候補者がいなければ政党名を書きます。

比例区の当選者数は政党名の得票と各個人の得票数を合わせて、個人として得票が多い候補者の順番に当選します。比例区は組織団体からの候補者が多いので、そこそこ大きい組織は政党名の得票をあてにして、組織挙げて必死に選挙活動をしなくなる可能性があります。

ところが有名タレントは名前が良く知られているので、投票所で知らない候補者よりはということでタレント候補の名前を書く人が沢山出ることが予想されます。そうすると組織票を持っていても、うっかりするとタレント候補より得票数が少なくなって当選できなくなってしまうことも考えられます。

タレント候補が何人かいることで組織票を持った候補者は組織票を取りこぼしなく獲得できるように必死に努力する必要が出てきます。民主党というブランドにただ乗りするわけにはいかなくなるのです。

タレント候補が民主党のイメージにプラス効果ばかりではないことは小沢氏も知っているでしょう。小沢氏は組織からの候補者と応援組織が楽ができないようにしているのです。

会社の取引先はフルに活用する: 利益誘導型選挙

腕の良い営業本部長なら、取引を有利に進めるために自分の会社が購入している製品の取引先のコネを営業活動に利用することに躊躇はないでしょう。

小沢氏は補助金、優遇政策と引き換えに数多くの組織票の取り込みを狙っています。バーター取引は民間企業でも独占禁止法その他問題はあるのですが、そんなことばかり言っていては営業(選挙)は勝てません。

取引関係の利用は末端の営業でもしますが、会社全体の取引先をフルに活用するとなると上層部に権限情報が集中していた方が良いのは間違いありません。小沢氏が陳情を全て幹事長経由に一元化したのは、まさにそのようなねらいがあったからでしょう。

******

小沢氏が幹事長を退いても選挙を営業活動と考えれば小沢氏の選挙戦術は有効に活かしていくべきでしょう。複数人選挙区への複数候補擁立などは県連との力関係で、新しい民主党執行部がどこまで頑張りとおせるか判りませんが、営業本部長の能力を評価するなら県連に押し切られるようでは落第です。

小沢氏は選挙を営業に例えれば実に有能な営業本部長です。凄腕営業本部長は製品開発ができるかというとそうとも限らないでしょうし、社長に相応しいかというと異論も多いでしょう。しかし、究極的には選挙に勝てない政党は存在意義がないとも言えます。少なくとも小沢氏の年来の主張である二大政党政治の中ではそうでしょう。小沢氏が凄腕営業部長だったということだけは間違いありません。



原発論議をTwitterでしてみました
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Twitterは議論のためには作られていない

前回のブログ記事東海地震と浜岡原発もその一部なのですが、Twitterを使ってどの程度議論というものができるか試したい気持ちもあって、原発の論議を色々な人を相手にしてみました。

Twitterでは1回のツイート(つぶやき)は140文字という制限があります。つまり英語圏ではNow in Akasaka. Going to have Italian dinner程度のことを言うように作られています。この文章は44文字なのですが、日本語で「赤坂ナウ*。イタリア料理店に行く」なら17文字で済んでしまいます。
(*この「ナウ」というやや座りの悪い日本語はTwitter用語で「今どこそこにいます」という意味です)

日本語は漢字が使えるので、同じ文字数でも英語の2-3倍の内容は楽に伝えることができます。日本語ならTwitterでミニブログのようなものは簡単にできますし、議論をある程度行うことも可能です。しかし、Twitterは多分そんなことは想定していないので、議論するための機能はとても貧弱です。

Twitterを利用さされている方はご存じのように、Twitterは第三者が議論の様子を見るのにあまり便利ではありません。Twitterには「フォロー」という機能があって、私のTwitterでの名前realwavebabaをフォローしていると私のツイートは見られるのですが、私が議論している相手もフォローしていないとわざわざ覗きにいかない限り相手の言い分は判りません。私が自分のツイートの中に相手のツイートを添付していけばよいのですが、Twitterの1ツイート当り140文字という制限にすぐ引っかかってしまうのでそうもいきません。

それでもTwitterの世界では多数の人が様々な意見を「つぶやいて」います。原発のような複雑で難解であっても日常生活に深く関係するような問題を幅広い観点から考えるのには、情報の宝庫だと言えます。

原発論議を仕掛けてみました

ということでTwitterの中で原発論議をしている方たちに、意見を勝手にどんどん送りつけてみました。Twitterでは原発議論をしていることはすぐに判るので、議論をしている人を見つけたら、その相手のツイートを見る形で様々な意見を発信している人達を広範囲にみることができますし、自分の考えを直接伝えることができます。

たとえば、

原発の事故は水蒸気爆発を伴う炉心溶融以外は他の工場爆発、環境汚染と比べ大きな危険ではありません。放射能汚染をダイオキシン、アスベストなどと比べて特に危険視するのはバランスを欠くと思います。

というツイートを、原発の危険を論じている人達に送り、これに対し反論があったりなかったりするわけですが、すぐに問題が出てきました。

こちらかツイートを送りつけられた方が答えを返してくれる場合、色々な人にツイートを送ると何に応えてもらったのか判らなくなってしまうのです。その結果、

先日私は貴方の疑問にお答えしました。それは十分でなかったかもしれません。しかし「ありがとう」の一言もない方に私は貴方の技術的根拠のない妄想に想像を膨らませ、これでその妄想は払拭できますかと回答する気にはなれません

と怒り出す人が出てきました。

ちなみにここで「妄想」と言われているのは原発所内で保守作業に従事する労働者が年間被曝線量(1年に浴びることを許されている放射線の量)の制限を超えているのではないかという問題です。

この件は沢山の告発が行われ、海外でドキュメンタリーにまでなているのですが、保守作業などの末端の作業に従事する労働者集めを電力会社は下請け任せにしているらしく、実態の把握も十分にできていないようです。

実態把握という点では、原発からの排気、排水の放射能レベルは電力会社は厳しくチェックし、データーの公開もしています。とかく原発について隠蔽体質があると非難される電力会社ですが、外部に排出される放射能の測定データーを捏造したという話はいまだかつてありません。

これに対し労働者の被曝は、同じ人物を偽名で繰り返し雇っても電力会社が直接関与していなければチェックできないことになります。年間いくらまでと決められた被曝線量の制限が有名無実になるだけでなく、保安上も好ましくない状態ですが、原発支持派の人達(私がたまた意見を交換した人だけですが)は頑なにチェックシステムの問題を認めようとしませんでした。最後はとうとう、

繰り返しになるかもしれませんが、私は科学的な根拠に立脚しない批判は、発言の自由の範疇を超えている、場合によっては犯罪行為(名誉毀損)と考えます。
これで終わりにしましょう。お互い正しいと思うことが違うのだから不毛です。

と言われてしまい、議論は打ち切られました。

話は被曝線量という物理学的な話ですが、こちらの問題にしているのは法を守っていると言えるようなチェックシステムがあるかどうかです。チェックシステムがあるかないかという話なのに、「被曝労働者がいるという証拠がないじゃないか」と言われるのは少々心外だったので、

これは電力会社に対する警告ですが、労働者被曝は将来大きな問題になる可能性があります。問題にしたがっている人は沢山いるからです。早い段階で芽を摘むべきでしょう。

といささかきつい口調になってしまいました。

少しわき道にそれますが、レントゲンの発明後のX線技師の被曝から始まって、原子炉開発、原爆爆発直後の戦闘訓練などで、沢山の被曝被害が出て、後年高い発ガン率など多くの障害が確認されました。日本の原発保守で被曝被害が出ていないかは将来に渡る問題を抱えています。

しかし、Twitterの中で「聞く耳持たない」のは圧倒的に反原発論者の方でした。反原発論者の展開する原発の問題で、原発外部への放射能漏れの事実は確認されていませんし、その他大量の温排水(一級河川の流量に優に匹敵する量が排出されています)などを含め、環境に何らかの悪影響が確認されたことは事実上皆無です。原発の周りを嗅ぎまわって放射能の影響を調査しても科学的に意味のある結果は得られていません。

それでも反原発派の人は原発に関する素朴な恐怖心で原発の「事故の可能性」を「必ず事故は起きる」あるいは「人権侵害に相当する危険状態」と断定してしまいます。このような反原発派と原発推進派が議論しても当然平行線になりますが双方に向けて、

議論が平行線なのは原発事故を定量的に考えるか定性的に考えるかの違いです。定性的には事故はありえます。定量的には2万年に1回以下です。 定性的には隕石落下で明日にも地球は滅亡します。今すぐ全廃するかも現実的な課題です。

というツイートを出しましたが、当然のように返事はありません。なお、2万年に1回というのは原発の中で本当に危険と思われる事故、炉心溶融(メルトダウン)をPSAという分析手法で予測した数字です。PSAの数字ではこれより2ケタも事故確率が小さなものもありますが、過去世界中で4回炉心溶融があったという事実からは2万年に1回という数字の方が近いと言えます。

PSAで算出される確率は幅がありますし原発ごとに分析するのが基本なのですが、原発が危険かどうかを論じるときには本来は出発点であるべきです。ところが、反原発派、原発支持派双方ともPSAをあまり持ち出しません。

原発の事故発生確率を予測するPSA (PRA)手法は人気がない。反原発派からは確率がひどく低く計算されるのが気に入らないし、原発推進派は事故が起こる前提で物を考えるのが面白くないし事故の起きるシナリオをあまり言いたくない。PSA抜きで原発の良し悪しを論ずるのは無意味だと思うけど。

ということのようなのですが、海外の議論ではPSAを持ち出す人は、概ね原発に肯定的です。PSAを計算すれば原発の隣に住むことくらいは平気なはずなのですが、どうも日本の原発支持派は「2万年(あるいは2千万年)に1回くらいの事故だから気にしなくていいじゃないか」と言いたくはないようです。ま、反原発派も「そうですね」とはとても言いそうもないので仕方ないかもしれません。

地震は原発には恐ろしい脅威ではないはずなのですが、原発と地震を組み合わせると、恐怖の二乗のようなことになって、「気にするな」と言っても納得はしてもらえません。

常識で考えてみて下さい。東海地震でも近代的なビルは殆ど崩壊しないでしょう。原発は最も頑丈な建造物の一つです。配管などの被害は処理できます。原発は地震には強いのです。危険はもっと違う所にあります。

と言ってみたのですが、

「『東海地震で近代的なビルは崩壊しない』というの も 疑問です。原発の問題・危険は地震以外にも多くあり、このまま稼働し続けてこの先ハッピーな未来が見えますか?答えは、NOです。でっ、去年の地震でボルトが吹っ飛ぶような浜岡は止めるべきでしょう

とばっさりです。もちろん地震で原発は大丈夫だろうという判断は100%確かなものではありませんし、私自身原発を恒久的な未来を託する技術とは思っていません。

しかし、私は原発の廃止は50-100年という期間が必要だろうと思っています。

私は原発は将来の明るい技術ではないとも思います。ただ、即時全廃は非現実的でしょう。50年くらいかければ全廃ないし相当減らすことは可能です。地震危険地域は安全性のアセスをオープンに行った方が良いでしょう。」

このような足して二で割る式の意見は世の中で、特にネットの世界では強力な支持を受けることはなかなかできません。支持されないというより「そんな当たり前のことを聞きたいわけじゃない。もっと気の効いたことを書いたらどうだ」ことかもしれません。

Twitterで議論してみて

Twitterで原発をテーマに議論してみた経験を書いてみました。書きながら改めて感じたのはTwitterとはその瞬間瞬間の「つぶやく」ためのツールだということです。

Twitterで書いたこと、相手に送ったメッセージ、相手から返答の有無とその内容の整理をしようと思ったのですが、とても簡単にはできません。Twitterにはハッシュタグといってツイートに#付きのアルファベットの言葉を付けると、そのキーワードのついたツイートを一覧できる機能があるのですが、ハッシュワードも文字数に入れられるので、140文字という制限ではハッシュワードの文字数が惜しくなります。

しかも、ハッシュワードを付けたツイートが全て確実に一覧できるかというとどうもそうでもないようです。理由はわかりませんが、「#hashwordに一致するツイートはありませんでした」と言われて検索がうまくいかないこともあるのです。

それに相手がちゃんとハッシュワードを付けて返答してくれるというものでもありません。何かの仲間内の連絡にTwitterを使っている限りはルールを皆守るでしょうが、適当な相手を見つけて「乱入」するようにツイートを送りつけても、返事が帰ってくれば上等で無視が普通です。

メーリングリストのような同報機能が弱いのも欠点です。相手先のアドレスをツイートの中にどんどん書いていけば複数の人にツイートを送れますが、やはり140文字の制限の中にアドレスの文字数が含まれるので、本文に使える文字数が減ってしまいます。

そういうわけでTwitterは色々な人が参加していて、意見、情報を得るにはなかなか良いツールだが、議論を本格的に行って、何かまとまった結果を出すとには結構不便が多いと言えます。

一方、2チャンネルなどですぐに議論がヒートして相手を口汚く罵ることはTwitterではずっと少ないようです(この点少し私自身反省すべき点はありましたが)。これはTwitterが匿名を基本にしていない(匿名にすることは難しくありませんが)ということと、2チャンネルのように一つのテーマに勝手に参加するのではなく、あくまでも自分のアドレスという「ホーム」から発信するシステムなっているということが理由かもしれません。

いずれにせよ、最後は罵詈雑言をぶつけ合ってお終いのようなことがあまりなく、せいぜい「黙殺」で終わるというのは大分文化的を言えるでしょう。

今後Twitterがどのように発展するか(あるいは衰退するか)はわかりませんが、現在の機能では議論の場を提供するには色々不便が多いということは確かです。何万もフォロワーつまり読者を抱える有名人なら、広報宣伝あるいは情報提供に役立つでしょうが、何万ものフォロワーからツイートがどんどん飛び込んできてどのように処理しているか不思議です。

何しろオバマ大統領などは4百万以上のフォロワーを抱えています。フォロワー以外でもツイートを送りつけることはできるので、どのようにさばいているか他人事ながら気になります。これで政策決定の新しいプロセスの一部なんかになれるのでしょうか。

140文字の制限は日本語を使っていても、あるいは日本語だからこそ、欲求不満の残る文字数です。図や写真を送れないのも不便と言えば不便です。結局Twitterは本格的に何かを伝えるというより、ブログその他のサイトや情報を知らせるという本来の目的で使うのが良いのだろうというのが私の結論です。Twitterでつぶやいてばかりいないで、ブログもちゃんと書けよということなのかもしれません。