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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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リニア路線は東京・大阪より成田・羽田で実現を
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JR東海は東京と大阪を結ぶ中央新幹線、通称リニア新幹線を建設する計画を進めています。計画通りになれば、2027年に東京と名古屋がリニアで結ばれ、さらに2045年には東京・大阪間の路線が開通します。

リニア鉄道は、従来の鉄道がレールの上を車輪を駆動させることで列車を走らせるのに対し、列車は磁気で浮揚しています。レールと車輪との間の摩擦に頼ることがないので、はるかに高速で走らせることが可能で、文字通り滑るようにと言うより飛ぶように進みます。高速で走行してもパンダグラフの必要がないリニア鉄道は騒音を抑えることも従来型鉄道より簡単です。

車輪とレールの摩擦の制限を受けないので、高速で走ることができるだけでなく、従来の鉄道では不可能な急な勾配でも上り下りをすることができ、路線の選択の自由度は高くなりますます。さらに、加減速もずっと早く行え、間隔を短くすることで列車の本数を増やすことも簡単になります。

良いことずくめのリニアは未来の鉄道として世界で期待されています。リニアの実用化は日本以外にもドイツなのトランスラピッドがありますが、JRのリニアは高速性や乗客数でずっとすぐれていて、日本の独自技術の粋のリニアを将来各国に輸出することも有望です。

しかし、夢のリニア鉄道も東京と大阪を現在の新幹線と並行して建設するとなると、いくつも疑問がわいてきます。

(1) 建設費は8兆円で収まるのか
JR東海では東京、大阪間をリニアで建設した場合の費用を8兆円程度と見込んでいます。30年以上かけて建設する予定とはいっても、これは相当巨額の投資です。しかも、超高速で走行するリニアは多くの部分をトンネル、特に都会周辺では50メートル以上の大深度に建設することが必要と考えられています。

強い反対運動が予想される中、見積もりはリニア新幹線を建設したいと考えているJR東海によるかなり楽観的なものと考えた方がよさそうです。投資金額が予定の8兆円を大きく上回るようなことになれば、JR東海の経営基盤が揺らぐだけでなく、他の交通機関を競争できる運賃設定が可能かも問題になっていきます。

(2) 時速500km超えでよいのか
リニアの開発が始まった頃、従来型の鉄道は車輪とレールの摩擦力の制限で時速300km程度が限界だろうと言われていました。しかし、2011年に開通予定の上海、北京をつなぐ京滬(けいこ)旅客専用線では最高速度350kmで営業走行が行われます。

実験的にはフランスのTGVは500kmを超える速度を記録しています。条件が違うとはいっても、500kmを越える速度領域はリニアの独壇場ではなくなってきています。まして、リニア新幹線の開業は東京・名古屋間が2027年、東京・大阪間にいたっては2045年です。2020年には相模原‐山梨間が開業の予定せれていますが、500km超の速度が未来の鉄道とは言えなくなっている可能性を考えなくてはいけません。

別にリニアだからといって、圧倒的な速度を誇る必要はないかもしれませんが、輸出で他の交通手段と競争するとなると、在来路線を全く使用できないリニアはその分不利なことは否めません。開発を始めてから30年が経ち、当初は圧倒的だった速度の優位性が小さくなっていることは問題です。

3) 本数や駅の数はそれほど増やせない
リニア鉄道はレールと車輪の間の摩擦に頼らないので、加減速はずっと素早く行えます。加減速が素早ければ、駅と駅の間隔が短くても時間のロスは小さいですし、列車を詰め込んだダイヤも安全に運航できます。

しかし、物事はそう簡単にはいきません。現在の新幹線の加速は毎秒2kmくらい、つまり200kmに達するのに100秒かかります。この加速力で500kmの速度になるのには250秒かかる計算になります。減速も同じ加速度で行うとすると、加減速している距離は合計35kmにもなります。

これでは東京、大阪間に駅を10個も作れば、常に加減速が行われている状態で列車走行することになります。それでは毎秒2kmの加速を20kmというスーパースポーツカー並みにしたらどうなるでしょう。この場合は加減速を行っている距離は3.5kmですから、10個くらい駅があっても大半は全速力で走行していることになります。

しかし、毎秒20kmの加速度というとジェット機の離陸時の2倍程度の加速度です。これでは立っていることはもちろんできませんし、シートベルトをしていなければ危険でしょう。まして減速も同じ勢いでされてはとても一般用の乗物にはできません。

実用上許される加減速は毎秒5kmが限度でしょう。これは通勤電車のような駅の間隔が短い場合に実際に行われていますが、快適な加減速とは言えません。この加速度で加減速をすると500kmの速度を得るには14kmが加減速に費やされます。10駅では全体の3分の1が加減速を行っていることになりますし、列車の間隔もそれほど詰められません。

結局リニア鉄道の良さを生かそうとすると駅の数を減らすしかありません。ジェット旅客機のようなシートベルト付きの座席で加減速を行うやり方もありますが、それを1時間に10回も繰り返されては乗客は不快極まりないでしょう。

(4) 新幹線の代替ではない
リニア新刊の予定ルートで現在の新幹線と重なっているのは、東京(品川)、名古屋、大阪の3都市だけで、横浜は京都は素通りします。大部分は人口の多い地域を外れた山奥に路線は建設されます。

これはリニア新幹線は「のぞみ」と飛行機の代替だけを目的とし、「こだま」や「ひかり」の置き換えはできないということです。実際、JR東海ではリニア新幹線開業後は「のぞみ」は廃止し、「こだま」「ひかり」は存続します。

にもかかわらずリニア新幹線は付かの各県ごとに駅を建設しようとしています。これは通過県の合意を得るための政治的妥協と思われますが、加減速の問題でも述べたように、運航効率を低下させる上に、巨額の費用が駅建設に必要となります。

このように考えるとリニア鉄道という日本の虎の子の技術を世界に売り込むためには、もっと早く完成して、リニアの良さが生かせる路線で使用する方が得策だと考えられます。そのような路線として経済効果が高いと考えられるものに成田・羽田間をリニアで結ぶというアイデアがあります。

成田・羽田間のリニア鉄道敷設は森田千葉県知事も提唱しているアイデアです。これに対しては、莫大な財政負担をどうするか、成田空港と周辺の切り離しが進むなど批判が多いのですが、少なくとも効果の高い公共事業に投資するという考えに立てば極めて真っ当です。

成田・羽田間は直線距離で60km程度。東京を経由するコースでも80kmくらいです。かりに、加減速を全員着席して乗用車並みの10kmくらいの加速力を使うことができれば、加減速の区間は最高速度を時速400kmとして5km程度ですみます。これなら成田・羽田間を15分程度、東京を経由しても25分くらいで二つの空港を結ぶことができます。

建設費も8兆円で東京・大阪が結べるなら2兆円程度で建設ができそうです。これは関西空港の建設費と同じくらいですが、羽田と成田の一体化は関西空港より経済効果が高いのは明白でしょう(関西空港と同じということは破綻するということですが)。

問題は建設主体が誰になるかです。新幹線の代替を目指すJR東海は成田・羽田間のリニア路線に興味を示すことはないでしょう。考えられるのはJR東日本です。JR東日本は浜松町・羽田のモノレールを経営していますが、2空港を一体化するリニア路線を運営する能力と経営体力があります。

成田・羽田間にリニア路線を建設するからといって、東京・大阪のリニア新幹線建設をやめてしまう理由はありません。もし、リニア新幹線が経済的に割にあうものなら建設すれば良いはずです。しかし、いつ完成するかわからないリニア新幹線より、建設期間が短い成田・羽田間のリニア路線を作ることは海外へ輸出するのに有利なのは間違いありません。ビジネスはリニア以上にスピードが命なのです。

参考:
中央リニア新幹線の行方
中央リニア新幹線 番外編
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医療訴訟が医療崩壊を招く
過激なタイトルですが、誇張とは思いません。現在の日本の医療訴訟は、医療現場を混乱させ、医師を不安に陥れ、診療科目による医師の偏在といった数々の問題を引き起こしています。しかも医療訴訟の増加は全体として見れば患者側の利益にもなっていません。医療訴訟のあり方は早急に見直しが必要です。

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写真と本文は関係ありません


日本は世界で最も長い平均寿命を誇り(男女の平均)、GDPに占める医療費の割合は先進諸国で最低の部類です。数字を見れば日本の医療制度は世界で最も成功していると言えます。しかし、そう思える日本人は次第に少なくなってきています。

医療費の負担は年々増加し、健康保険組合はどこも赤字で苦しんでいます。後期高齢者医療制度は批判が相次ぎ、いったんは廃止が決まったものの代替案もなく存続が決まるような有様です。

医療現場では田舎では医者そのものがいなくなり、病院が診療科目を減らしたり、病院自体が閉鎖される事も珍しくありません。たとえ医者がいてもどの病院の経営も苦しいのです。

都会でも救急車は救急病院の受け入れ先がなくたらい回しは日常的です。産婦人科にいたっては救急でなくても出産を引き受ける病院がどんどん少なくなっています。

先進医療は今まで不治と思われていた病気の治療を次々に可能にしていますが、新しい治療法や薬は多くの場合保険の適用外で、有効と判っている治療を費用のために諦めなければならない人は増える一方です。

そんな中で医者は40時間連続勤務などという非人間的な状況で医療行為を行わされています。日本の世界的には安価な医療費は医師の犠牲に支えられている面が多々あります。

このような問題の解決はどれも簡単ではありません。医者を増やすのも、救急病棟を増やすのも、先進医療を手の届くものにするのも、全て費用が必要です。先進国の中で低い方とは言っても、今でも負担を軽いと思っている人は少ないでしょう。

その中で医療費負担の増額とは必ずしも関係のない問題があります。診療科目の違いによる希望者の偏在です。医者が総数でも不足気味なのは確かなのでしょうが、診療科目によっては極端な不足があります。

今、診療科目で人気のないものはあまりにも多忙であるか、医療訴訟のリスクの高いものです。前者の代表は小児科、救急医療。後者は産婦人科や脳外科医です。小児科は親の気持ちとして死亡した場合は医師を許せないという気持ちが強くなることもあり、多忙と訴訟リスクの両方の問題を抱えています。

産婦人科も妊娠は病気とは看做されていないことからわかるように、何か起きると医師の責任が問われがちです。しかも分娩は昼夜を問わずという性質上、時間的にも制約の多い診療科目です。

逆に、精神科などは医療過誤の訴訟リスクが低く、最近では人気科目です。耳鼻咽喉科や眼科も緊急手術や命にかかわる手術が少ないこともあり、希望者は増加傾向です。

精神科や耳鼻咽喉科の医師になることが悪いわけではありませんが、緊急性を要し、命にかかわることの多い、脳外科医や心臓外科医が絶滅危惧種だと言われているのは深刻な問題です。脳内出血などは手術までの僅かな時間の差が生死を分けるのです。

医療訴訟は10年で二倍程度の割合で増加していて、もはや珍しいものではないありません。しかし、全体の医療行為の中ではごくごく例外的です。その例外的な医療訴訟が医師の職業的リスクを高め、極端な医師不足を起こす診療科目を作り出しているのです。

実は医療訴訟が本当に医療過誤と正しく対応しているかは疑問があります。1984年にハーヴァード大学が行った研究HARVARD MEDICAL PRACTICE STUDY(HMPS)では、医療過誤による事故のほとんどは医療訴訟にならない半面、医療訴訟になったケースでは大部分が医学的には過誤とは言えないと結論付けられています。

もちろん、医師側に問題がないわけではありません。長く続いた特権意識の下で、患者が医師を訴えるなどとんでもないと考え、医療訴訟に専門家として協力する医師を見つけるのが難しいかった時代もあります。

医療過誤の多くが見過ごされているとは言え、明らかに怠慢、無知、不注意による「殺したも同然」と言えるような医療過誤もあります。しかし、そのような医師が極めて稀なのは間違いありません。大部分の医師は献身的に職業人として良質な医療を提供するように努力しています。

医療が製造業と比べて品質改善の余地が大きいのは確かでしょう。薬品の種類や分量を間違えるという基本的な医療過誤でも、ビンの形状などでエラーを防止する対策がとられるようになったのは比較的最近のことです。

しかし、医療訴訟の多発が医療過誤の防止に役立っているかというとそうとも言えません。医療にまつわるトラブルの多くは内密に示談処理をされることが多く、エラー情報の共有が十分に行われていないのです。この点では医療訴訟自身が情報共有の妨げになっているとさえ言えます。

医療過誤による事故の大部分が訴訟にならないということも考えれば、全体として見れば医療訴訟が医療過誤の被害を受けた患者の救済にもなっていないというのも事実です。現在の医療訴訟の多発は、医療の品質向上の効果も小さく、診療科目による医師の偏在という大きな問題を引き起こしています。

何より問題は若く、社会的にも経験の浅い医師たちが、訴訟という大きな不安の下で医療行為をしなければいけないということです。日本は医師が医療過誤により刑事罰で逮捕されてしまうという珍しい国です。これでは訴訟や逮捕までの危険のある診療科目を希望しないことを利己主義と責めるのは酷というものでしょう。

もちろん、診療科目による医師の偏在はアメリカのように、科目ごとの専門医認定制度を医師団体自らが行うことで相当解消できます。医療訴訟なんか無くしてしまえと言う前に、まずはその努力をしなければいけないのかもしれません。

それでも、現在の日本のように医療訴訟の増加が医師側の負担を増やし、医師のいない診療科目を作るという現状は変える必要があります。医療は人間の肉体を扱う性質上、常に人命の危険を伴います。だからこそ、医師は慎重なうえにも慎重であるべきです。

しかし、医療行為に一般の業務上過失致死のような刑を、そのまま適用することは正当ではないでしょう。脳の手術などは1ミリの何分の一かの違いで患者を殺してしまうこともあり得ます。ミスが製品の不良になるだけの製造業とは違います。

きちんと正常な治療を行っていれば、全ての誤りが業務上過失に問われることはないという考えもあるでしょう。しかし、ミスで逮捕されるかもしれないという恐怖は大変なものです。医療訴訟は例外的かもしれませんが、手術中、治療中の死亡は医療では日常茶飯事です。

他の先進諸国では医療過誤は医師の責任を問うことなくスウェーデンのように患者の補償を行う患者保障法のような制度を持つところや、フランスのように第三者による仲裁手続き機関を作ることで、医師が訴訟により多大の精神的苦痛と負担を被らないように配慮が行われているところが多いのです。まして刑事罰での逮捕など、意図的な殺人でもない限り、極めて例外的な事情しか認めるべきではありません。

日本の場合具体的にどのような制度、手段が適当かは十分に検討が必要でしょう。しかし、肉親を失ったり、自分が大きな障害を負った、やり切れなさを医師が全て引き受けるような現状は正常とは思えません。反対する人は多いでしょう。しかし、医療過誤で医師個人を訴えること、特に刑事罰を与えることに制限を加えることは日本の医療の健全化のためには必要だということはもっと認識されるべきです。

残念ですが、政府、厚労省は医療訴訟が医師に過大な負担を強いているという問題に大きな関心を持っているように思えません。恐らく、厚労省の最大関心事である医療費抑制と医療訴訟は直接関係ないと考えているからでしょう。しかし、医療費が高騰するより、お金を払っても治してくれる医者がいない方がよほど深刻なのではないでしょうか。