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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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暴論?正論? 日韓で核共同開発
Chinanuc2.jpg
建国記念日に行進する中国の核搭載可能なミサイル


中国の核の存在や、北朝鮮の脅威があっても、日本人の核兵器に対するアレルギーは非常に強く、日本が核武装することに賛成する日本人は少数派にとどまっています。しかし、核武装していないことの問題はあります。

この世に核兵器より強力な兵器は存在せず、核武装していない国は核兵器を持つ国に脅迫されると非常に弱い立場に立たざるえません。弱い立場を補うために、非核保有国は核保有国、たとえばアメリカの「核の傘」に入ることになります。つまり核攻撃されたらアメリカが必ず仇をうってくれると期待する(あるいは相手に信じこませる)わけです。

しかし、核の傘が本当に有効かどうかは不明です。むしろアメリカが自国が核攻撃を受けることを覚悟してまで日本の核攻撃に反撃してくれるかは大いに疑問です。少なくともそんなことを明文化した条約など存在しません。

核の傘は冷戦時代の産物です。米ソは世界中で覇権を争っていて、核の傘の提供は陣営のリーダーとして不可欠のものでした。しかし、「対等の日米関係」とはお互いがギブアンドテイクで相互が補完しあう関係です。核の傘の提供は、不必要に自国を危険をさらすという意味で、もはや有効ではないと考えた方が良いでしょう。

核の傘が頼りにならないとなると、ミサイル防衛網で防御することが考えられます。しかし、ミサイル防衛網も守れる地域が限定されています。日本中の都市すべてを守ることは不可能です。もし日本中をミサイル防衛網で覆うこことを考えると費用は天文学的になります。

しかも、ミサイル防衛網で完全にミサイルを防ぎきれるかは疑問です。「弾丸を弾丸で撃ち落とす」と言われるような精度と素早さが必要になり、実践レベルで十分性能が証明されているわけではありません。おまけに、巡航ミサイルのような低高度を飛びレーダーで捕捉できないものは対抗できません。

もし、中国が日本に対し軍事的圧力をかけてきたら核武装している中国に徹底的に対抗するのは困難でしょう。頼りにするのは「核武装していなければ核攻撃されない」という信念しかありません。

世界の現状を見ると実情は反対であるように思えます。「核武装している国は核攻撃されない」あるいは「核武装している国は軍事侵略を受けない」というのが今までの歴史です。北朝鮮が何が何でも核武装をしようとしたのは、過去の歴史からそのような教訓を学んだからです。

核兵器は特別な兵器です。相手が圧倒的な軍事力を持っていても、1発でも核攻撃で反撃できれば、相手は甚大な被害をこうむります。首都を攻撃されたら、指導部が皆殺しになることも考えられます。

軍事バランスの概念は通常兵器と大きく違います。貧弱な核武装でも一定以上の威圧力があります。地球を何度も全滅させるような大量の核兵器を持つ必要は必ずしもありません。

日本国民は唯一の被爆国であるという意識が強く、核武装への抵抗感は相当なものです。しかし、中国が軍事的圧力を強めたり、アメリカの相対的優位が東アジアで大きく揺らぐようになれば、そのような意識も一夜にして変わることもありえます。

実際には、日本が核武装でしようとしても、簡単ではありません。まずNPT(核拡散防止条約)を日本は批准していて核武装を放棄しています。核武装のためには、まずこの条約を廃棄しなければなりません。そんなことをすればアメリカを含む全ての国連常任理事国から強い非難と反対を受けるでしょう。

さらに近隣諸国の反発は極めて強烈なものになると予測されます。中国、北朝鮮が反対するのは当然としても韓国の反対は大変なものになるのは間違いありません。

そのような反対を解決するのが、韓国と日本の共同の核開発です。日本や韓国にとって核開発は技術的にはさして難しくはありません。互いに極めて重要な秘密を相手に与えることなどしなくても核開発はできます。つまり共同開発を行うことは無理なことではありません。

日本と韓国は核の運搬手段ミサイルや潜水艦搭載技術の開発を分担することも可能です。ただ、核運搬技術、トライデント潜水艦の技術などはアメリカに依存することも考えられます。中核技術を提供することでアメリカが一定の影響力を行使することをあえて可能にすることができるからです。

楽観的に考えれば、アメリカは中核技術の提供で日韓の首根っこを押さえていると思うことができ、それだけ日韓の核保有に賛成しやすくなることが考えられます。もしアメリカが技術供与拒否すれば自前で開発すればよいでしょう。日韓の工業技術を結集してできない兵器はありません。

日韓共同の核兵器開発は日韓関係に良い影響を与えるはずです。竹島の問題は残るでしょうが、現状を大きく変更しなければずっと友好的な話し合いができるはずです。少なくとも、日韓の協調路線が確立できれば中国や北朝鮮に対し有効な圧力となります。

もちろん、日韓の緊密化は中国、北朝鮮だけでなくロシアの警戒感も引き起こすでしょう。核武装自身も含め地域の緊張を高めることは確実です。しかし、日本単独で核開発を行うことと比べれば韓国との緊張関係がなくなるわけですから、共同開発の利点は大きいと言えます。

上手い考えではないかとも思うのですが、実現性は低いでしょう。NPTを脱退というイラン、北朝鮮並みの行動をとることは、第二次世界大戦につながった日本の国際連盟脱退を思い起こさせます。

核保有国、なかんずく米露中は既得権の確保やこれ以上の核拡散を防ぐ意味で一体となって反対するでしょう。それに日本も韓国も、そこまでして共同して行動を取るように国論をまとめ上げることは、とても簡単ではありません。

それでも「核武装しなければ相手は核攻撃も通常兵器の攻撃もせず、軍事的圧力を加えることもない」と考えるのは、あまりにナイーブというものでしょう。核武装ができないのなら、それに代わる防衛体制を確立する必要があるのは確かなのです。

日本の置かれた東アジアは、第一次世界大戦のヨーロッパに似ています。当時のヨーロッパはイギリスの力が弱まる中で、19世紀に統一を成し遂げたドイツが急速に力を増し力のバランスが崩れようとしていました。現在の日本と中国の関係をイギリスとドイツに置き換えて考えることも可能です。

核兵器は悪魔の兵器かもしれませんが、戦争を抑止する力は長い冷戦時代に証明済みです。カシミールをめぐって軍事衝突を繰り返したインドとパキスタンも核武装して以来、軍事衝突は大幅に減少し、しかも抑制的になりました。中国の軍事的伸張を見ると何らかの抑止力が必要なことは自明と思われます。

核武装を考えることは楽しい話ではありません。構造的には核保有国同士の対峙は本質的はチキンゲームで、正面を向いて相手の車に疾走する車に乗り込むのと同じです。相手がきっとブレーキを踏んでくれると期待しない限り、こんなゲームをすることは狂気の沙汰です。

しかし、「そんなの考えたくない」と言ってばかりもいられないでしょう。軍事力しか信じない連中に「私は核を持たない根っからの善人です」と言っても聞いてもらえる見込みはあまりありません。平和な正月ですが、少しは物騒なことも考えても良いのではないでしょうか。
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あまりにも愚かな中国人水資源略奪論
Forest.jpg

世の中に納得できない話などいくらでもありますが、気になっているものの一つに、日本の森林資源、水資源を買い漁る中国人への脅威論があります。中国人が日本の豊かな森林や水源に目を付けて、日本から奪おうとしていると言うのです。

これはごく一部の人が言っているのではありません。テレビなどマスコミでもそのような観点で報道されることが多くなっています。相当多数の日本人が中国人の森林や土地の買収に脅威や不安を感じていることは間違いありません。

しかし、少し常識で物事を考えれば、そのような脅威論は全くと言ってよいほど根拠のない馬鹿馬鹿しいものだということがわかります。まず、水資源について言うと、日本では1年におおよそ5千億トンの水が資源として利用可能とされています。

かりに、その1割を中国に持って行こうとすれば、5百億トン、10万トンの石油タンカー50万隻分に相当する量を輸送しなければなりません。これは日本が1年に輸入する石油の2百倍にもなります。こんな大量の水をどうやって運ぶというのでしょうか。50万隻のタンカーを用意したとしても、港までパイプラインを敷設する必要もあります。パイプラインは莫大な建設費が必要です。

水は非常に価格が安く提供される必要があり、そのために水不足の地域へ他の地域から水を運ぶのは簡単ではありません。日本国内でも水不足で渇水が起きることはよくありますが、例えば四国の渇水を北海道から水を運んで解決することはできません。そんなことをすると、ガソリンで水洗トイレを流すようなとんでもないカネがかかってしまうからです。

日本国内でも水の輸送による融通ができないのですから、世界ではもっと困難です。オイルマネーで溢れる中東も水は輸入するわけにはいかず、海水の淡水化などで自国で調達しなくてはいけません。日本の水を中国に持っていくなどあり得ない話であることは間違いありません。

おまけに、水資源を効率よく確保しようとすると、ダムや湖から取水する必要があります。ダムも湖も外国人に売ってしまった例はありません。つまり、水はほとんどが公的な機関が管理、所有しています。これではカネがいくらあっても勝手に持ち出すことはできません。

ダムや湖は公的機関が持っていても、水資源の供給を行う森林資源は買えるのではないかという人もいるでしょう。しかし、森は買えても、森に降り注いだ雨や地面にしみ込んだ地下水を独占するわけにはいけません。 それでは、資源としての森そのものはどうでしょうか。豊かな日本の緑は赤茶けた土地に覆われた中国人にとって奪い取る価値のある魅力的なものなのではないでしょうか。

しかし、これも少し算数ができればおかしな話だということがわかります。日本の森林を中国人が買えるのは売る日本人がいるからです。では、なぜ森が売られるかというと林業が日本では成り立たないからです。

日本は素晴らしい緑の自然に恵まれていますが、大部分の森林は山つまり傾斜地にあります。傾斜地の森林伐採は技術的に難しく、効率は低くならざるえません。まして、日本のような高い労働コストの国では、伐採された木もとても採算の合うような価格では売れないのです。

日本人がやって採算性の合わない林業を中国人がやれば儲かるようにできるというのは考えにくいことです。中国人は木材資源としての森林ではなく、豊かな自然そのものが魅力的だと思ったから森林を買うのです(算数のできない中国人は除きます)。

木材や水資源を採算の合う値段では持ち出せないとしたら、中国人が日本の土地を買うことが日本人にとって何か問題になるようなことがあるのでしょうか。かりに、日本と中国が戦争になっても日本の土地を中国に運び出すことはできません。中国人所有の土地は敵性資産として接収の憂き目にあう可能性大です。

自衛隊や米軍基地周辺の土地は防衛上問題ではないのでしょうか。もし、中国人が自衛隊基地の隣接地に大砲の設置でもすればそのような心配があるかもしれませんが、そんなことは日本の法律でできません。中国人所有の土地といっても日本領土であることには変わりなく、日本の司法権は有効です。

大砲は持ち込めないが望遠鏡で基地の中を覗くようなスパイ活動は可能だと考える人もいるかもしれません。しかし、日本は中国のような軍事施設の近くで写真撮影をするとあっさり逮捕されるような国ではありません。わざわざ土地など買わなくても、道路から撮影したり、近くのビルの一室を借りれば十分でしょう。

中国人の買った土地に日本の司法権がおよぶとしても、領事館の土地は治外法権です。心配はないのでしょうか。現に新潟では小学校の跡地約5千坪を安く中国に払い下げ領事館を建設しようという計画が強い反対で頓挫してしましました。

反対した人は広い治外法権の場所が町の真ん中にできるなどとんでもないと考えたのでしょう。しかし、そんなことを言いだせば大使館、領事館は建設できないことになってしまいます。

もともと大使館、領事館はスパイの本拠地のようなものです。中国だけでなく、アメリカもロシアも多数の諜報部員、工作員が大使館を拠点に活動しています。むしろ懸念されるのはラオスなど中国の周辺国で治外法権の広大な土地に多数の中国人を住みわがもの顔で活動していることが日本でも再現されることでしょう。

このようなことはあり得ないことではありません。戦前は列強が上海など中国の主要都市に租界を作り、中国は自国にして自国でない状況を認めざるえませんでした。ただ、租界は列強に土地を買い占められたからできたのではなく、軍事力、経済力で中国が他国に圧倒されてしまったからできたのです。

もし、日本がラオスやカンボジア並みの国力に転落し、中国が経済成長を続ければ日本人は租界でなくても、別荘を持ったり、旅行に来る中国人に召使のようのサービスするしかなくなるでしょう。長い間日本人は東南アジアでそのように振舞ってきたのです。

結局、中国人が土地を買うことに恐怖を覚えるのは、日本の国力が衰退する一方で、中国の影響力が巨大になっていくことへの屈折した反応なのかもしれません。そうでもなければ、中国人が日本中の水をペットボトルに詰めて中国に持って行ってしまうといった妄想に取りつかれることはないでしょう。

しかし、中国の脅威は水資源の買い占めなどではなく、軍事的には核兵器や近い将来建設される空母、そして何よりも膨れ続ける国防費です。また、経済的には巨大な市場を背景に急成長と競争向上を実現している企業です。

そのような本当の脅威に目をつむって、中国人の土地購入に反対するのは無意味というより危険です。少なくとも中国人の土地の購入は日本経済に貢献しますし、持ち出せない土地と言う資産を人質に取ることもできるからです。

あまりにも愚かな中国人水資源略奪論のような話がまかり通るというのは、日本が本当に衰退しつつあるからでしょう。残念ですが、それが現実のようです。

盲信するなノーベル平和賞
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2010年のノーベル平和賞は中国の 劉暁波に与えられました。 劉暁波は中国の人権活動家で民主化運動で拘束され現在懲役刑に服しています。ノーベル平和賞は本国で政治犯とされている人物に与えられることも多く、 劉暁波も例外ではありません。中国政府が劉暁波の受賞に対しノーベル平和賞委員会に抗議したのも当然かもしれません。

しかし、中国政府は単に抗議を行っただけでなく、ノーベル賞の授与式に各国が代表を送らないように圧力をかけたことで一層大きな話題を呼びました。圧力を受けた国には日本も含まれます。

中国の圧力は力を増す大国の傲慢さの表れとも受け取られ、中国は国際社会での評判を大きく傷つけることになりました。しかし、中国の態度が言語道断であるとしても、ノーベル平和賞というものが問題の多い賞であることは知っておくべきでしょう。

例えば、クジラの保護を訴えて過激な行動を繰り返すシーシェパードや太地町のイルカ漁を描いた「ザ・コーヴ」の映画監督、ルイ・シホヨス氏が「失われつつあるクジラ資源の保護に英雄的な貢献をした」という理由でノーベル平和賞を貰ったらどうなるでしょう。

日本政府が授賞式に欠席するように圧力をかけるとも思えませんが(また圧力が有効とも思えませんが)、多くの日本人が中国政府の感じたのと同じ不満「暴力的、犯罪的で一方的な思想に凝り固まった人間をノーベル平和賞の委員会は表彰するのか」を持つのではないでしょうか。

荒唐無稽な話のように思うかもしれませんが、そうとばかりも言えません。ノーベル平和賞は「国際平和、軍備縮減、平和交渉、保健衛生、慈善事業、環境保全、などの分野に多大な貢献または影響がある発言を行った人物や団体に対して授与される」(ウィキペディアより)ものですから、クジラやイルカの保護は環境保全という意味では表彰対象です。

いくらクジラ保護が環境保全と言ってもシーシェパードのように過激で暴力的な反対活動が許されるわけはない、と思うかもしれませんが、民主化活動、人権活動はデモや座り込みなどかなり強硬な手段も取ります。「乱暴な行動」は見方を変えれば「勇敢な行動」と言えなくもありません。

日本のクジラやイルカの漁は資源に悪影響を与えているわけではなくノーベル平和賞の委員会がそんな科学的にいい加減な言説に惑わされるわけはない、と考える人もいるでしょうが、それほどノーベル平和賞委員会が慎重とは限りません。

2007年にIPCCとアル・ゴアは地球温暖化の防止活動に対しノーベル平和賞与えられましたが、地球温暖化はその原因が人間活動によるものかどうかを含め、まだ科学的には明確な結論の出ていないものです。少なくとも自然科学や経済学に与えられるノーベル賞は学問的評価が十分に定まるまで受賞が見合わせるのに比べれば見切りもいいところです。

まして、アル・ゴアの作った映画「不都合な真実」は現代の科学版ホラー映画とも言った方が良いくらい、大袈裟で事実に反するものも多数含まれています。アル・ゴアは政治家としてメッセージを送ったのでしょうが、事実に基づかない政治的プロパガンダにノーベル平和賞が与えられるとすれば、賞の値打ちは随分下がってしまうはずです。

科学に関連しない受賞者を見ると、さらに異論を引き起こしそうな人物のオンパレードです。韓国の金大中大統領は金正日との南北首脳会談を実現させたことで2000年にノーベル平和賞を受賞されましたが、今では会談実現のために多額の資金を裏金として北に送金したことが知られています。

1994年にイスラエルのペレス首相とともに受賞したPLOのアラファト議長に対しては「テロリストにノーベル平和賞を与えるのか」という批判が強くありました。

日本人でただ一人の受賞者である佐藤栄作の1974年の受賞理由は「沖縄の平和的返還の実現」ですが、今日の沖縄の基地問題の根深さを見ると複雑な思いを持つ人は多いでしょう。

実際に受賞した人物だけでなく候補者にまで目を広げれば1939年の平和受賞候補にはヒットラーがいます。もっともヒットラーが危険人物だというのは当時も認識されていて、ヒットラーを候補者としたスェーデンの国会議員のエリック・ブラントは、ヒットラーを候補にすることで、イギリスのチェンバレンが受賞することを防ぐ狙いだったと言われています。

この他、スターリンやムッソリーニも候補になったことが知られています。もし第二次世界大戦で枢軸側が勝利を収めたり、戦後の冷戦がなければ両者の受賞は実現していたかもしれません。しかし、チャーチルやトルーマンはなぜ受賞しなかったのでしょうか(チャーチルは大戦回顧録でノーベル文学賞を受賞)。実は現職のアメリカ大統領の受賞は2009年のオバマ大統領が始めてです。「元」に範囲を広げても2004年のジミー・カーターが唯一の受賞者です。

どうもノーベル平和賞は、本当に世界平和実現に力のある大国首脳には与えないという不文律があるようです。例外はオバマ大統領以外ではソ連最後の書記長のミハエル・ゴルバチョフが1990年に受賞したくらいです。

1945年に国際連合の設立への貢献に対してノーベル平和賞を受賞したコーデル・ハルは、第二次世界大戦を通じてのアメリカの国務長官ですが、日本では日本を戦争に追い込んだ事実上のアメリカの日本に対する最後通牒であるハル・ノートの作成者として記憶されることが多いでしょう。

ハルがいかに大物国務長官とはいっても、国際連合設立決定はアメリカ大統領を始め現在の常任理事国、特に米英ソの首脳が中心になったことは疑いありません。そのような本当の大物にノーベル賞平和委員会は賞を与えないようなのです。

大物と言えば、ダライ・ラマ14世は1989年に受賞していますが、同じ宗教者のローマ法王は受賞していません。先代のローマ法王、ヨハネ・パウロ三世の熱心な平和活動は高く評価されていましたし、影響力という点では非常に大きなものがあったことは間違いありませんが、ノーベル平和賞は与えられていません。

ノーベル平和賞の委員会は「賞を与えられる」人々と「賞を与えるには偉すぎる」人々を分けているようです。しかし、平和はやはり大きな力を持つ大国の首脳のリーダシップがなくては実現しません。キューバ危機を核戦争にしなかったのはケネディーとフルシチョフの決断力で他の全ての登場人物は脇役に過ぎません。

科学分野のノーベル賞に例えるとノーベル平和賞は理論を構築した人に与えるのではなく、理論を確かめる実験の準備を一生懸命した人物に与えるようなところがあります。これでは明治維新の功労者を西郷隆盛や桂小五郎ではなく、坂本竜馬にするようなものです。話としては面白くても歴史的な真実とは言えないでしょう。

しかも、テロリストと英雄の区別などは、その時その時の立場や見方によって違うように、受賞者の平和への貢献の基準は極めて曖昧です。明治維新で伊藤博文は最初は人切り伊蔵のような仕事をしていたらしいのですが、維新が成功したため殺し屋ではなく初代総理になりました。

平和が歴史の中でどう実現するかは長い目で見なければ判らないし、環境活動のように行動と成果の結びつきが科学的に十分解明されていないものは対象から外して、シュバイツアーやマリア・テレサのように「頑張って弱い人を救ったとっても立派な人」だけにノーベル平和賞を与えることにしたらどうでしょう。これなら話はずっとすっきりします。それでも異論は多々出るでしょうが、 劉暁波の受賞騒動のようなことはなくなるはずです。

確かに 劉暁波やアウンサンスーチーなど民主化、人権運動家にノーベル平和賞を与えることは運動に大きな力を与えます。しかし、それはノーベル平和賞委員会自身が民主化運動の推進者となり政治運動を行っていることと同じです。

もしそれでいいじゃないか思うなら、シーシェパードがノーベル平和賞を受賞したと想像してみてください。日本人にはノーベル平和賞委員会が日本のクジラ漁の停止に圧力をかけている傲慢な態度の反捕鯨団体になったように感じられるでしょう。

ノーベル平和賞の委員会はヒットラーを受賞させるほど愚かではありませんでしたが、それほど先見の明があるわけではありません。そして平和を求めると称する人にありがちな傲慢さを持った組織です。また、本物の偉いさんには賞の授与などというおこがましいことをしない、傲慢とは裏腹の一種の卑屈さも持っています。こんな賞は中国政府でなくても少し斜めから見るのも時には必要ではないでしょうか。



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