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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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癌で死ぬのはそれほど悪くない
あまり縁起の良い話ではありませんが、年末から年始にかけて知人と親戚に亡くなる人がいて、どちらも葬儀への参列から焼き場まで行くことになりました。

亡くなった知人は70前の男性。1年ほど前に癌を宣告され手術も出来ないまま抗癌剤の治療を続けましたが、昨年末から急に病状が進行して年を越すことができませんでした。

もう一人は従兄の妻で、年はまだ58。年末年始を海外で過ごそうと旅行に行った旅先での脳出血でした。最初は頭が痛いと訴え入院し、鎮痛剤で眠りについたまま1週間足らずでこん睡状態のまま亡くなりました。

どちらも平均寿命よりは大分若く、遺族の嘆きは傍目にも大変深いことが良くわかりました。しかし、たまたま身近に見た二つの死を比べると、同じ死なら癌もそれほど悪くないのかもしれないと思うようになりました。

癌が恐ろしい病気だということは誰もが思っていることです。日本人は3人に1人は癌で死ぬのですが、一部の癌を除けば完全な治療法はありません。抗癌剤や放射線治療の進歩は目覚ましいものがありますが、転移癌や進行性の癌を克服することは非常に難しいままです。

癌だと教えられることは死の宣告にも等しいとして、少し前までは癌患者に癌と伝えるのはむしろ例外的でした。山崎豊子の小説「白い巨塔」では、主人公の消化器外科の権威の大学教授が専門の胃癌になっていることを周りが知らせず、本人も死の直前まで本当の病名を知らないままでした。

今では、患者に医療行為の目的や内容を出来るだけ伝える、インフォームドコンセントの流れの中で癌の告知は当たり前になりました。癌と知らされなかったことで適切な対応ができなかったという訴訟の影響もあるでしょう(医療訴訟については「医療訴訟が医療崩壊を招く」をご参照ください)。

インフォームドコンセントであろうと何であろうと、自分が癌だと知ることは大変なショックであることは間違いありません。まして、有効な治療法もなく余命が何カ月と告げられるくらいなら騙されていた方が良いと思う人も多いのではないでしょうか。

しかし、そのような本人や家族の気持ちをひとまず横に置いて考えると、癌で死ぬことは他の死より良い点がいくつもあることに気付きます。

癌患者は比較的最後まで意識がしっかりしています。これは最後まで死と向き合わなければならないことを意味しますが、アルツハイマーのように何年にも渡って徐々に病状が進行して次第に家族の顔も名前も判らなくなるようなことはありません。「自分のままで死んでいける」と言い換えても良いでしょう。

これは財産の分配や片づけなければならないことを自分の意志で処理できることを意味しています。自分の死んだ後のことを自分の責任と判断で行うことができるということです。

癌が進行すると次第に体力は奪われていきますが、比較的最後まで自分の力で身の回りのことを行うことはできます。介助がなければトイレにも行けなくなることは、そう多くはありません。

幸い、癌に伴う痛みを抑える技術はずいぶん進歩しています。痛みで地獄の苦しみのまま死ななければならないことは稀になってきています。末期癌の患者を受け入れるホスピスも、患者の入院期間が平均2月という短さのためもあって、入院はそれほど難しくありません。

癌の新薬の認可や保険適用が遅れ、高価な治療を自費で行わなければならないこともありますが、癌治療は保険でカバーされるものが多く、高価な治療を延々と続けるようなことは(苦しい割り切りをしなければいけないとしても)必ずしも必要ありません。

癌で長患いをしたり、再発、手術を繰り返す人も多いのでこのような言い方は誤解を招きそうですが、癌の発見から1,2年程度で亡くなる患者の場合は癌があまり有効な手立てもなく、症状の緩和程度しかやることがないということが、経済的負担を随分と軽くしています。

癌は慢性病と違って比較的短い罹病期間のため経済的な負担や、看病の重荷が相対的に小さくなるだけでなく、脳出血、心筋梗塞のような血管系の突然死を引き起こすようなものと違って、家族がそれなりの覚悟をして死に臨む時間的余裕も与えてくれます。もちろん、その時間は「地獄のよう」と言う人がいるようにつらいものですが、突然死される遺族の無念さは少ないでしょう。

癌治療では死ぬか治るかの二つしかなく、体に麻痺が残って半身不随になるようなことは滅多にありません。このような言い方は非難されるかもしれませんが、「治らなければ死ぬだけ」で中間的な状態はないのです。

人間はいつか必ず死にます。残念ながら私たちが死に方を選ぶことは殆どできません。進行する認知症で人格を失いながら死んでいく、何の準備もなく事故や突然死を迎えてしまう。なすすべもなく不自由な状態で余生を過ごさなければならない。そうはなりたくないと思う人は多いはずです。

健康な老後を過ごす中で、ある日陽だまりの中で眠るように死んでいく、そんなに都合よくいかないのなら、癌はそれほど恐ろしくも悲惨でもない病気です。もちろん、そんなことを言っているのは自分が癌だと言われていないからです。しかし、それまでは頭の中では「癌で死ぬのはそれほど悪くない」と思うことにしています。
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タッチタイピング始末記
typewriterUnderwoodKeyboard.jpg

タッチタイピング挑戦を思い立つ

タッチタイピング、ブラインドタッチと言う方が通りがよいかも知れませんが、「ブラインド」という言葉がご多分にもれず最近は差別語として引っかかって、タッチタイピングが正式な呼び名になっているようです。要はキーボードを見ずにタイプを打つことです。

キーボードだけでなく、ディスプレーも見ないのが本当のタッチタイピングなのですが(こうなると元の「ブラインド」タッチの方が意味がよく通ります)、日本語はカナ漢字変換が必要なのでこれは無理です。それでもキーボードを見ながらタイプを打つのと比べればスピードの違いは歴然としています。

私が大学を出てすぐにコンピューター会社に入社した頃、一般の日本人にとってタイプライターは限られた仕事の人が使うものでした。その限られた人々にコンピュータ業界の人間は入っていたわけですが、当時のコンピューター業界にはキーパンチャーという職種があって、コンピューター入力のためのパンチカード(葉書を少し細長くしたような紙で80文字を入れることができました)の打ち込みは主としては彼女たち(大半が若い女性でした)の仕事と考えられていました。
Punch-Hollerith_card.jpg
パンチカード(縦の列の穴の位置で英数字を表し、1枚で80文字入力できた)

コンピューター会社のエンジニアだった私は、プログラムやシステム操作のためにパンチカードを沢山打ちましたが、誰もちゃんとした打ち方を教えてなどくれませんでしたし、タイピングのための学校も秘書になるためのものがあるくらいで、一般的ではありませんでした。

そのためにいつの間にか不自由なく打てる(と言っても自分のプログラムくらいですが)ようにはなりましたが、全くの我流でした。そのうち社内で電子メールが使われるようになり、かなり大量の文章を入力する必要がでてきたのですが、会社が外資系だったため英文ばかりで、カナ漢字変換のチェックも必要なくキーボードを見ながら打つことで用が足りていました。そもそもその頃はどのコンピューターも日本語入力などできませんでした。

コンピューターで日本語入力ができるようになると、キーボードを睨みながらのタイピングはではひどくタイピングの速度は遅くなってしまったのですが、長年の癖を直すのは難しいことと、人のしゃべったことではなく、自分の考えることを打つだけであれば、そこそこ必要な速度で打てるということで、そのままでたらめなタイピングを続けてきました。何といっても、タッチタイピングを習熟するまで、ひどく低下するだろう能率が気分的な障害になりました。

そんな私が長年の悪癖を脱して、正しい指の使い方でタイプをしようと思い立ったのは、「私は2週間でブラインドタッチをマスターした」というブログを読んだからです。それが年明け早々だったこともあり、「何か一つくらい新しいことをしようか」という気分もありました。

ブログを読むと学校に行く必要もなく、それどころかタッチタイピング用のソフトさえ必須ではなさそうです。話半分としても4週間もあれば、タッチタイピングが身に付きそうだ、考えてみればこれから一生、不格好でいい加減なタイプを続けるのはどうかと思う、ということでタッチタイピングに挑戦することにやや悲壮な(?)決意を固めました。

まずはスタート

世の中にはタッチタイピングの練習のやり方を扱ったサイトやソフトはそれこそ山のようにあります。その中で決心のきっかけになったブログの指示にしたがってみることにしました。

「タッチタイピングを覚えるのは、歩くことや自転車に乗るのを覚えるのと同じです。自転車のように転んでも痛くないので、もっと簡単です」
自転車が乗れるようになるのにどれくらいかかったっけ。でも痛くないのは本当だな。頑張れるかもしれない。いやきっと頑張れるさ。

「キーボードにはホームポジションがあり、左指を小指から順に、薬指、中指、人差し指をA、S、D、Fのキーに、右指は人差し指から、J、K、L、;のキーに置きます」
フムフム、こんなことも知らなかった。

「右手と左手の人差し指がのる、J、Fは指で触ってわかるように印がついています」
これも知らなかった。しかし、キーに付いている印はあまりはっきりしないな。どうせならもっとはっきりしたものを付けてくれればいいのに・・

「その他のキーはどの指で打つか決まっています。キーと指との関係を描いてある図(これはどこにもあります)を机の前に貼って置いてください」
机の前に貼るのは格好悪いな。画面を開いておいて、忘れたら(まだ覚えてもいないのに!)見ることにしよう。

「最初は無理に覚えなくても構いません。わからない時は貼ってある紙を見て確認しましょう。でもキーボードは見ないように気を付けてください」
はいはいわかりました。キーボードは見てはいけないんですね。わからなくなったら画面を開いて確認することにします。

「Windowsのメモ帳を開いて、aaaaaaaaaaと打ってみましょう。打つ時には声を出して五感を駆使するようにしましょう」
声を出すのはちょっとなぁー。

「声を出すのができない時は、頭の中で読み上げるのでも構いません」
良かった。では言われた通りにします。

「では次にiその次はuとaiueoを続けて10回ずつ打って、そのままwa、wo、nnまで50音を打ちます」
はいはい。でもQとかLと50音にない文字はどうするんだろう。まぁこれは後から別に練習すればいいか。取りあえずは日本語を早く正確に打てるようになることが大切だな。

「最初は30分くらいかかるかもしれません」
そんなにかかるのか。

「慣れれば10分くらいでできるようになります」
努力します。

「これを毎日最低1回は続けます」
やります!

「普通のタイピングは無理をせず、今まで通りで構いません。あまり無理をすると、トレーニング自体が続かなくなる場合があるからです」
助かった。でも二つのやり方を併行してできるほど器用なのかな。とにかくやってみるか。

「3日もすればキーボードの配列を覚えてしまうので、そうしたらキーボードの表ははがしてください。この時期になると練習用のソフトを使うことをお勧めします」
そこまで頑張ります。

練習を続ける

最初は謙虚に言われた通りにしようと思っていたのですが、50音を毎日打つという練習は翌日にはもう飽きてしまいました。大体面白い練習ではありませんし、日本語で使う文字ばかりというのも、やや気になりました。それなら、QとかVとかを打つ練習を追加すればすむ話なのですが、結局繰り返しがいやになったというのが本当のところです。

とは言っても一度決心をしたわけですから、このまま三日坊主でさえない段階で止めるわけにもいきません。それに少しちゃんと決まった指で決まったキーを打ってみると、今までのでたらめな指の使い方が気になるようになってきます。今さら元に戻るわけにもいかない、という気持ちにはなってきました。

それにしても、正しい指の使い方をすると、やたらと小指を使わなければなりません。小指だけでなく、薬指や中指も使うのは結構面倒です。考えてみると今までは小指なぞ使うことはまずなかったし、薬指や中指も人差し指の補助のように使っていたようです。「ようです」と書いたのは、どのキーをどの指で打つかちゃんと意識なぞしないで適当にうっていたからです。これではミスタッチが多くなるのも無理もありません。

そこで少し趣向を変えて、練習用のソフトを使ってみることにしてみました。これも世の中には山ほどあって、どれが良いのかもわからないので、有料ソフトはこの際ですから(どの際?)使わないでいこうと考えて、いくつかのソフトをダウンロードしてみました。

生意気なことを言うようですが(タイピング能力を考えると生意気どころか、ただの傲慢かもしれませんが)、どれもそう変わりはないですね。結局ひたすら指先にキーボードの位置をたたき込むという反復練習が基本です。システマチックに一つのソフトにこだわってもよいかもしれませんが、色々なソフトを使ってもとにかく指先を動かすことが大切なようです。

その中で使ったソフトの一つで、小指、薬指と一つずつ、指とキーボードの関連を練習指させるものがありました。指ごとにテストが付いていて、合格すると次に進めるのですが、順調に進んできて、総合テストになり、複数の指を組み合わせてする問題になりました。

これがまぁ難しい。何度やっても合格できないので、先に進めません。いつまでも義理だてしていてもしょうがないと、キーボードをみながら絶対間違わないように打ったのですが、それでも合格にならない。どうも累積点を記憶しているようで、最初ひどい点を取ったのがいけなかったらしくて、どうしても抜けてくれません。とうとうブチ切れて(本なら引き千切っているところですが)モジュールごと消してしまいました。

そんなことはあったのですが、キーボードの配列はなんとか覚えたので、この際練習はやめてしまって一気に実戦で使おうと決心しました(「決心」などと大げさに聞こえるかもしれませんが、今までと全然違う打ち方になるわけですから、もしかすると何も打てなくなるのではという不安はあるんですね。泳ぎを覚えたばかりなのに、いきなり遠泳に出る心境と言えば良いのでしょうか)。

実践で使ってみる

練習用ソフトでこつこつ練習するのに飽きてしまったので、実際に使ってみようと決心したまではよかったのですが、キーボードを見ないで打つというのはもの凄い抵抗がありました。心理的な抵抗感ではなく、そもそも全然打てません。

何とかホームポジジョンを探して打ち始めましたが、ウー遅い!天井から雨漏りがしているようにポツポツとしか文字が現れません。しかも、やたら間違える。ホームポジションの段にあるキーはまだよいのですが、上の段、下の段のキーになると途端にどのキーがどこにあるるのか全然わからなくなってしまいます。

しかも、タイプばかりに気が取られて、文章を考える能率まで低下する始末。いや、能率が低下するくらいなら、まだ「想定内」なのですが、無意識の中でホームポジション近くの文字で文章を作ろうとするようで、PとかXを避けて文章を書こうとして文章を考える速度自身が遅くなってしまいます。

たとえば、「心配する」ではPが入るので「気になる」にするとか、「デューディリジェンス」などはXを2度も打たなくてはならないので「中身を精査する」に変えようとしてしまいます。本当にこんなことでタッチタイピングが身に付くのでしょうか。それともやはり挫折してしまうのでしょうか。

一年後

ここまでの文は一年前に書いたのですが、その後何とか挫折を避けることはできました。しかし、進歩は予想以上に遅くキーの位置が急に思い出せなくなり、キーボードに目をやったり、自転車を覚えた時と比べれば簡単には習熟はしてくれませんでした。やはり「2週間で身に付く」はいささか誇大広告だったようです。

今でもとても「嵐のように」タイプすることはできません。周りの人も私のタイプを見て「速い」と思うより「ぎごちないな」と思うはずです。

それでも真っ暗闇でキーボードを見ないでタイプすることができるようになったのは大きな収穫でした。夜中や早朝のような変な時間にブログを書いたりすることが多い私には、妻に文句を言われずに寝室でタイプできるようになったのは精神安定上とても良いことでした。

結局タッチタイピングも「出来ない」と「出来る」の二つではなく、ヘボから名人に至る段階があることがわかりました。依然としてタッチタイピング4級くらいの実力しかない私ですが、でたらめな指使いでキーボード見ながらタイプするという格好の悪さからは脱却できたのではないかと思います。

ところがiPadを買ったら

時流に逆らえず(大袈裟?)iPadを買ったら、せっかく覚えたはずのタッチタイピングが殆ど役立たないことが判り愕然。ソフトバンクのショップで「私も始めて売りました」と言われながら、キーボードドックというiPad用のキーボードまで買ったのですが、これも結構使いにくい。そもそもiPadのようなどこでも持ち運び自由というコンセプトにも反しています。

周りはとっくにiPhoneのユーザーで、その人たちから見ればiPadの入力はかなりやりやすいとのこと。「またしても時代に取り残されたのか」と思わないのでもないですが、今のところキーボードでタッチタイピングするより速い入力方は見当たらず、もしかしたら今世紀一杯(そんなに生きていませんが)はタッチタイピングは文字入力のエースでい続けるかもしれません。

ということでいまだにタッチタイピングでタイプしていない人達(特に中高年)はタッチタイピングにチャレンジすることをお勧めします。老化は足から、ボケは指からと言いますからね。あ、後の方は私の創作ですが。

殲20はF22で対抗するしかないのか
china2-j20_1殲-20
外見もF22と酷似した殲20

一昨年、「F22は現代の戦艦大和」というブログ記事を書きました。その時は、F22に対抗できる戦闘機は事実上なく、相手もいないのに高価で高性能のF22を導入しても、周辺国に緊張を強いるだけで効果はないという思いがありました。

ところが、中国は最近になりF22と外見も酷似したステルス戦闘機「殲20」を開発中で10年後には配備が始まるという情報が飛び込んできました。この情報の通り事が運び、かつ殲-20が外見同様F22と同等の戦闘能力を持つとなると事態は大分深刻です。

F22は現在の自衛隊の主力戦闘機のF15に対しシミュレーションの空中戦で100戦全勝とも言われています。殲20がF22と同等の性能があれば自衛隊のF15はバッタのように撃ち落とされることになります。東アジアの空の力関係は大幅に変わってしまうでしょう。

それに自衛隊がF22を保持したとしてもステルス性を持つ戦闘機をレーダーで捕捉することは困難です。戦闘と言ってもお互い見ることもできず100kmも離れてミサイルを抱えて睨みあう(見えないのですが)ということになりそうです。どんな形の戦闘になるかもよくわかりません。

ともあれF22を配備するとするとⅠ機200億円程度と大変な費用がかかります。それにF22の輸出にアメリカ議会は消極的で、オバマ政権下ではF22の製造自身を中止してしまいました。

しかし、今回の殲20写真は日米の防衛専門家に相当の危機意識を持たせるものでしょう。事態は今後大きく変わっていくと予想されます。