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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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なぜ人は東電社員の懺悔を求めるのか
巷では「東電社員がボーナスをもらうのはけしからん」、「東電社員は福島で除染作業をしろ」果ては「社員全員で汚染水を飲み干せよ!」という声まで聞こえてきます。

巷だけではありません、福島第一原子力発電所の事故当時、菅首相は「東電の撤退はあり得ない。撤退すれば東電は100%潰れる」と東電社長を怒鳴りつけたと伝えられています。

これは無茶な話です。原発で働く労働者は厳密に被曝線量を測定され、積算被曝線量が一定レベルを超えるとそれ以上働いてはいけません。まして、原発が本当に危険な状態にあれば、死ぬのを覚悟でその場に留まることを命令することは誰にもできません。

死の危険があっても職務を実行しなければならないのは、警察官、自衛官くらいです。従業員は給料で雇われていますが、退職してしまえば会社の命令に従う必要はありません。

菅首相は東電社員も東電という企業と同じものと考えていたのは間違いありません。東電が潰れる、つまり企業として死ぬのが嫌なら、命など惜しむなと言ったのです。

「東電社員に賞与を払うなどとんでもない」というのも、それと似ています。もちろん会社の業績が悪い時には賞与は支払われませんし、本当に倒産しそうな場合は年金の削減や解雇もあり得ます。しかし、賞与を出すな、と言っている人達は必ずしもそのような経済合理性でクレームをしているわけではありません。

むしろ「このような大事故を起こして、その社員が高給をもらいボーナスまで支払われるのは道徳的に許されないと考えているようなのです。どうしてこんな意見が出てくるのでしょうか。

この理由を考える上で、参考になる記事があります。橘玲氏のブログ記事「“無責任社会”は無限責任から生まれた」です。

橘氏は、日本社会の本質は「ムラ社会」でありムラ社会では常に全員一致で物事が決定されるため誰も責任を取らされることがない、敗戦に対する一億総懺悔は責任を分散することで責任を薄めてしまったものに他ならない、と指摘します。

同時に橘氏はムラ社会的な体質は責任と権限を明確にすることを必要とする企業のガバナンス維持には向いておらず、そのため「日本の組織では、このガバナンスがおうおうにして失われてしまいます」と述べています。

しかし、無責任体制を作りだす日本のムラ社会の文化では「たまたまある特定の人物が責任を問われると、家族や関係者までもが無限責任を負わされることに」なると橘氏は主張します。

橘氏はこのことに最初に気がついたのは政治学者の丸山正男だと断った上で、丸山があげた「大正12年に起きた皇太子(後の昭和天皇)狙撃事件後に、内閣が総辞職し、警視総監から警護にあたった末端の警官までが懲戒免官となったばかりか、狙撃犯の郷里が全村をあげて「喪」に服し、彼が卒業した小学校の校長や担任の教師が辞職した例」を紹介しています。

東電の社員自身も東電という大きなムラ社会の住民だという意識があるのでしょう。その意識が事故の時の勇敢で献身的な現場社員の活動の元になったことは間違いありません。しかし、同時に事故後東電の経営の責任のたらい回し、と言うより無責任体制としか思えない対応ぶりの理由でもあるのでしょう。

東電社員も東電社員の賞与はけしからんと怒る人々も、同じムラ社会の文化を共有している。原発事故はそんな事実も見せてくれているようです。
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コンピューターが止まったら
Power blackout Brazil

今は昔の話ですが西暦2000年問題というものがありました。コンピューターのプログラムで1960年10月25日を19601025のように8桁ではなく、最初の19を省略した601025と6桁で表していたことで起きるコンピューターの誤動作による混乱を心配したものです。

8桁で表わす日付を6桁に省略しても普通は大丈夫です。ところが世紀の変わり目(正確には21世紀は2001年からですが)、1999年12月31日が2000年1月1日になる時には、991231から000101になる、つまり日付が逆転するように見えてしまいます。

日付で順番を決めていれば順番が逆転してしまいます。あるいは、退職金の計算で30年働いたはずが、-70年という意味不明の年数になってしまうようなことも起きます。こんなことになると普通はプログラムは処理を中止してしまいます。

困ったのは6桁での日付表示があまりに普及していて、どのプログラムのどこを修正したら良いか完全にはとても把握しきれないことでした。もし修正されないプログラムが一斉に誤動作を始めたら、コンピューターはあちこちで無茶苦茶な動きをして社会は大混乱に陥るのではないか。

1999年の大晦日はIT会社を始めとして沢山の企業や政府機関が社員をスタンバイさせて万一の事態に備えました。しかし、スタンバイしていた社員が外の夜景を見ていると次から次げと光が消えていくような破滅的な被害は何も起きませんでした。

この結果を見て、西暦2000年問題は架空の話だったとか、コンピューターがそんなに何もかも支配していると言うのはただの誇張だと言う人も出てきました。しかし、それは西暦2000年問題の対策にどれほどの努力と費用をかけたかを全く無視した意見です。

全世界で西暦2000年問題に費やされた費用は少ない見積もりで20兆円、100兆円に達したという推定もあります。準備は1990年代初頭から始り、90年代の後半は多くの企業が西暦2000年問題の処理のために新規業務のIT化が遅れる事態になりました。長い期間と莫大な費用そして多数の人々必死の努力で西暦2000年問題は解決されたのです。

それでも西暦2000年問題は問題の原因と解決方法がはっきりとわかっていました。もっと突発的に世界中のコンピューターが影響を受けるような致命的な事態は考えられないのでしょうか。例えばインターネットの崩壊です。

今や全世界のコンピューターはインターネットにつながっています。インターネットを経由しないコンピューター通信もありますが、通信回線自身がインターネット化しつつあるため、インターネットを使っていないつもりでもインターネットに依存している回線接続がほとんどです。

まして、電子メールや情報流通はインターネットなしではどうしようもありません。PCはインターネットに接続されていなければ、今では保守どころか導入すらできなくなってしまいました。

コンピューターが止まる。コンピューターが動いていてもコンピューター同士の通信ができなくなるとどのようなことが起きるでしょうか。西暦2000年問題の時は起きなかった、電気が止まって夜が真っ暗闇になることは十分と言うより、確実に起きることです。

それほど劇的には思えないかもしれませんが、コンピューター通信が止まれば、決済機能が動かなくなります。決済機能が動かなければインターネットショッピングどころか商取引全てができなくなります。

商取引ができなくなるということは輸出入もできないし、国内でも物資が動かせなくなるということです。決済のことは忘れて、取りあえず物だけ動かそうとしてもトラックの配置や荷物の管理はコンピューターが行っています。物は動かせません。

なんとかトラックを手配して物を積み込んでも信号が動きません。信号は電気がなければどちらにせよ動きませんが、電気があっても交通制御システムと無関係に信号が点滅を始めると都会では大渋滞になってしまいます。

このような状態を小規模に見せてくれるのは航空会社の運行システムの障害です。今の飛行機はハイジャック犯が爆弾だけ乗せて自分は搭乗しないといったことを防ぐために、チェックインの時に荷物を預けた乗客が搭乗しないと、その荷物を飛行機から降ろしてしまいます。運行システムが止まってしまうと、このような処理ができないので運行そのものが止まってしまいます。

決済ができず、物流が止まれば社会そのものが崩壊してしまいます。短期間なら対応できるかもしれませんが、1週間もそのような状態が続けば、世界中で大地震や津波に襲われた以上の被害がでるでしょう。大都会では多数の死者、難民が発生することになります。

もし永久にコンピューターと通信システムが回復しないとどうなるでしょうか。人類文明が崩壊する、あるいは人類そのものが絶滅するまで事態が進んでしまうことも考えられないことではありません。ある国が敵国にこのような攻撃、サーバー攻撃を仕掛けたら敵国は核攻撃を受けたのと同じくらいの深刻な被害を被ることになります。

これは決して絵空事でも何でもありません。人類のコンピューターへの依存は加速度的に進んでいて、西暦2000年問題の時より、コンピューターネットワークの崩壊の影響はずっと大きくなっています。それどころかインターネット化が進んだことで、世界中がただ一つのコンピューターネットワークつまりインターネットに全て依存するようになっています。

インターネットはあまりに複雑で、全体としてどの程度の安全性、強度があるかも完全には判らなくなっています。その意味ではうかつにサイバー攻撃を仕掛けると、敵国だけでなく自国のネットワークも崩壊して共倒れになる危険もあります。核兵器の相互確証破壊のように、それが全面的なサイバー攻撃を思い留まらせるかもしれません。

しかし、インターネットに強力で駆除が難しいコンピューターウィルスが発生すれば、鳥インフルエンザよりはるかに危険な状態に人類を追い込むでしょう。今の私たちにできることは、そのようなことは起きないと祈ることだけなのかもしてません。




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