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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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「もらう」政治なのか「稼ぐ」政治なのか
TPP反対


今の日本では、原発、TPP、消費税の三つはセットになって反対、賛成と分かれているように思えます。もちろん、人の意見は様々ですから、消費税には賛成しても、原発には反対するとか、TPPだけは認められない、と言う人もいるでしょう。しかし、社民党、共産党が三ついずれにも反対しているように、特に反対論者ではセットになっている現象が顕著なようです。

なぜなのでしょうか。この三つをまとめても、かつての自社対立のような米ソ二大勢力のどちらを選ぶかといった明確な背景があるようには思えません。政党を分ける政策軸として考えれば、三つがセットになる必然性はなそそうです。

しかし、「国の政策は経済が繁栄する環境を作ることが重要」と考える人と、「国の政策は人の暮らしを豊かにすることが重要」と考える人に分けて考えると、この三つの政策の共通点が見えてきます。

消費税について言えば、今税を上げなければならないかどうか、ということをひとまず置くと、広く浅く(とも必ずしも言えませんが)税を取るか、儲かっている企業や豊かな個人からより多くの税を取るかという選択肢になります。

この場合消費税に賛成するのは、企業や富裕層です。法人税を上げたり、所得税を上げると「稼ぎ手がやる気を失ったり、海外に出て行ってしまう」というのが主たる反対の理由です。

実際に、法人税や所得税を下げてどの程度「稼ぎ手」がやる気を出すかは、明確ではないのですが、「もっと稼いで結果として税収を上げた方が良いだろう」という理屈はあるわけです。

TPPや原発も、産業や経済を重視してもっと稼がなくては、と考える人たちが支持しています。TPPは貿易や国際間の取引を活性化すると期待されていますし、原発は色々心配な点はあっても、安く安定した電力供給がなければ、製造業が海外に出て行ってしまうという可能性があります。

これに対し反対派は「稼ぐ」より「もらう」ことを重視します。消費税はもちろんですし、原発も危険という負担を避けたいという思いが反対の最大の理由です。TPPの反対は農業や医療など強い保護の対象になっているものです。TPPによりそのような保護が得られなくなることは深刻な問題です。

ここでお断りしておきますが、「もらう」と「稼ぐ」と色分けした時に「稼ぐ」方が「もらう」より正しい政策を導くとは限りません。「稼ぐ」ために空気や水を汚染したり、消費者に危険なものを売ることは認められないし、国民全体のためにはなりません。

「もらう」が文字通り「もらう」だけとも言えません。医療保険が失われたり、国が所得配分の役目を放棄して貧富の格差が際限なく広がることは国の安定のためにはなりません。そんな国では「稼ぐ」ことも難しいでしょう。

それに「もらう」派は「奪われる」派であったことも事実です。戦争ともなればカネどころか命さえ提供する、言葉を変えれば「奪われる」のが国民です。「奪われる」ことに抵抗し、「もらう」ことに固執するのは当然とも言えます。

さらに付け加えると「稼ぐ」派、「奪う」派と色分けしても国民のほとんどは両方に属しています。企業が稼いでくれなければ、そもそも「もらう」原資がありませんし、「もらう」人達が健康で教育程度の高い優秀な働き手でなければ「稼ぐ」ことは覚束きません。

その上で、ここでは「もらう」派の問題を指摘しておきたいと思います。それは結果的にどうなるかは別として「稼ぐ」派は経済全体を考えるいわば全体最適を目指すのに対し、「もらう」派は個人という部分の最適を目指すということです。

個人が個人の幸せを最重要視することは当然で道徳的にも非難されるいわれはないのですが、個人と公共の利益が衝突することは稀ではありません。近くにゴミ焼却場ができることは嬉しいことではありませんが、ゴミ焼却場は必要です。

公共財は道路でも消防車でも皆の負担で利益が皆に行き渡らなくてはいけないのですが、負担を避けて利益だけ得ることも往々にして可能です。しかし、国民全員が自分の負担を拒否して利益だけ求めれば公共財というものは成立しません。(「なぜ救急車はただなのか」参照)

これには単に利害だけでなく思想信条の問題も関係します。米軍基地の負担はそれが必要な物なら国民全体で負担しなければならないはずですが、米軍基地が必要かどうかで意見は分かれるでしょう。

とは言っても、反対する人は負担をしなくて良いのか。戦争に反対すれば戦争に行かなくて良いのか、道路建設に反対なら道路の建設費用の分だけ税金は払わなくても良いのか。そうではないでしょう。

そのようなことを認めていたら、個々の政策の是非以前に国家が存在できなくなってしまいます。消防車どころか警察も法律もない世界。何をしても公的に罰せられるということはなく、秩序は力の強い者の勝手に全て委ねられる。これはユートピアより地獄にずっと近い状態です。

皆が自分の利益だけ追求する結果、全体最適も個人の利益さえ失われる状態を「囚人のジレンマ」(「少子化という囚人のジレンマ」参照)と呼びます。「もらう」派は本質的に囚人のジレンマを抱えているのです。

と、ここまで書いて、「もらう」派、「稼ぐ」派の色分けの他にもう一つの派があることに気がつきました。それは「払わない」派です。極端な「払わない」派は生活保護、医療保険など釈迦保障の全てを否定して、自助努力で何でも解決すべきと考えます。

「払わない」派はアメリカが本場で、アメリカには消防は損害保険会社、警察は警備会社が行えば良いとする向きまであります。日本には極端な「払わない」派はあまりいませんが、生活保護などについては「働ける」のに、あるいは「親兄弟が扶養能力がある」のに受給を受けている、といった非難をします。そんな人たちのために税金が使われるなら「払わない」というのです。

しかし、「払わない」派は全体最適を考えない、という点、あるいは容易に囚人のジレンマに陥ってしまうという点で、「もらう」派の双子の兄弟と言うことができます。生活保護派受給が正しく行われているかという運用上の問題を別にすれば、「可哀そうだから」カネを支給するというより、収入のない人達を放置することで社会の安定が削がれることを防ぐ意味合いがあります。

つまり国民の優良な健康、生活の安定、高い教育水準は個人の利益であると同時に社会が発展するための公共財と考えることができます。その意味では外国人に対する生活保護の給付もあながち無駄遣いと決めつけることはできません。

「もらう」派とその双子の兄弟の「払わない」派は、全体最適を無視する、少なくとも個人の利益を常にそれより重要視することで、公共財ひいては公共の利益そのものを失うことで自分自身の利益も失ってしまう「囚人のジレンマ」の危険があります。そしてこれこそが大衆迎合、ポピュリズムの最大の問題です。部分は全体なしではあり得ない。やはりこれは現実なのです。
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