
ポピュリズムは良い響きを持つ言葉ではありません。普通は「大衆迎合」と訳されるように、大局的、長期的損得を考えず、その時点で多数の人に受け入れられる政策を掲げる。目的は大衆的人気を得て権力を獲得すること。国民のことより自分のことしか結局は考えていない。ポピュリストと政治家を呼ぶのは、強い非難をこめているのは間違いありません。
最近、橋下大阪市長に対しポピュリストという批判が出ています。人目を引くテーマでスタンドプレーを繰り返すが人気取り以上のものではない、というのが批判の理由です。耳目を集めることの多い橋下氏ですが、読売新聞主筆渡辺恒男氏は最近の著書、その名も「反ポピュリズム論」で橋下氏をポピュリストの典型と位置付けています。
ところが当の橋下氏はポピュリズムにそれほど否定的なイメージを持っていないようです。橋下氏はツイッターの中で次のように言っています。
しかし政治行政の本質は多数の意見で進めることだ。ポピュリズムと軽蔑されようがなんであろうが、民主制とはそういうものだ。それが嫌なら、民意を軽蔑する、賢人政治にするしかない。そんな政治はまっぴらごめんだ。賢人などいるわけがない。民主制は完ぺきではないがそれに替わる政体はない。https://twitter.com/t_ishin/status/231963221827932161
実はポピュリズムを「大衆迎合」と訳すのは、政治学的な意味では正しくはありません。学問的にはポピュリズムは特定のエリート、権力者が国民を率いていく「エリート主義」と対比されて「大衆主義」「人民主義」とするのが普通です。
橋下氏はまさにその「反エリート主義」としてポピュリズムという言葉を受け止めているようです。橋下氏は同じくツイーターの中で、「インテリ」と呼ばれる人達に鋭い批判を浴びせます。例えば、橋下氏は文楽への補助を大阪市が減額することを検討していることに対し、「橋下市長は伝統芸能を理解していない」と言われたことに反発して次のように述べています。
文楽について素朴な疑問をぶつけると、いわゆる自称インテリ層が、文楽のことを分かっていない!!伝統芸能を分かっていない!!と来る。首長や行政マン、そして自称インテリ層は文化音痴という批判、この言葉が一番嫌なんだね。だから文化は大切だ、文楽は重要だとしか言わなくなる。https://twitter.com/t_ishin/status/231962620364718080
橋下氏は「インテリ」が様々な形で観念論で政策の批判をすることを激しく攻撃します。橋下氏の中にあるのは、政治は一部の知識人、マスコミが無知な一般大衆を「善導」することで行われるべきではなく、現実的な実務を広く国民一般の目線で行うべきだ、という強い信念のようです。
結局新聞などに寄せられる自称インテリ層の意見は、国民総数からするとほんの少しの意見なのに、新聞紙面には多くを占める。いわゆるデモと似ている。新聞の自称インテリ層の意見が、国民大多数の意見だと見誤るとえらい目に遭う。もちろん、数だけが全てではないことは分かっている。https://twitter.com/t_ishin/status/229362941231775744
橋下氏の矛先は評論家的な「インテリ」層だけではありません。地方に対する中央政府に対して、道州制による地方への大幅な権限移譲を求めています。これは、中央の政治家、官僚という日本のエリート層に対峙する本来の意味のポピュリズム的主張と言うことができます。
橋下氏にとって、ポピュリズムこそ民主主義の本質です。政治は一部のエリートのものではない。当り前のこの考えを「インテリ」は知的な傲慢さで、内心では否定している。否定しているからこそ伝統芸能、文楽への補助金の廃止という政策決定プロセスを「文化を理解していない」と切って捨てようとする。橋下氏はこう考えているようです。
これは日本の政治の中でかなりユニークな考えという気がします。同じような体制側に対する挑戦でも、暗に「意識の高さ」を誇る多くの市民運動家や、「支配される側」の立場を取る伝統的な社会運動家とは正反対と言っても良いかもしれません。
しかし、反エリート主義を掲げても、それだけで現実の政治ができるわけではありません。橋下氏自身も次のように指摘しています。
政治家が行政実務をできるわけない。ただし裏を返せば、官僚組織は、今までのやり方を大きく変えることはできない、利害関係者・既得権者を振り切ることはできない、議論が膠着したときに決定できない、正解が分からない場合には今までやってきたことを踏襲する、となる。 https://twitter.com/t_ishin/status/229584208568414208
橋下氏の言うように、政治家は方向性を示し、官僚機構が実行する。これは簡単なことではありません。なぜなら、政治は政策を法律にすることと、実行のための予算配分がなければ機能しません。その能力なしで政治主導と言っても、それは単なる掛け声だけでしかないのです。そしてその能力を独占することで官僚機構は日本の政治を実質的に動かしてきたのです。
橋下氏の反エリート主義が本当の意味の政治主導を実現していくことができるか。橋下氏の下に集まった「維新の会」が、怪しげな人物の多い言わば烏合の衆だった、過去の新政党と本当に違うのか。しばらく見守っていく必要がありそうです。
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