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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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民主党は再建できる
先の総選挙で大敗し政権を失った民主党の未来はとても暗く見えます。日経新聞の世論調査では次の参院選挙に投票したい政党で自民党が41%を獲得したのに対し、民主党はわずかに8%、維新の会の9%にさえおよばず第3位となっています。

このままいけば参院でのネジレは久々に解消され、民主党は完全な野党に転落するのは確実です。場合によっては維新の会などの第三極にも押されて社民党のような限界政党になることも考えられます。

民主党にとって厳しいのは政権獲得後マニュフェストを殆どを反故にし、しかも沖縄の基地問題での鳩山首相(当時)の「最低でも県外」発言に象徴されるような、おいしいことを言ってもまったく実行能力がないと思われていることです。これでは政権党が少々失敗しても「われわれならうまくやれる」という言葉を選挙民に信じさせるのは容易ではありません。

しかし、見方を変えると民主党の未来に何の光もないかと言うとそうでもありません。すぐに自民党政権を覆すのではなく、野党第一党としても地位を確保できれば機会はいずれ巡ってくると考えられるからです。

小選挙区制は今回の総選挙、それに民主党が政権交代を実現した前回の総選挙で明らかなように、第一党が極端に有利になるシステムです。しかし、小選挙区制度は第二党より第三党がさらに厳しくなるシステムです。

小選挙区制で有権者は普通第一党か第二党のどちらかを選択します。第三党あるいはそれ以下になると候補を立てても当選の見込みは殆どありません。これは小選挙区制が続く限り変わりません。

現在民主党に代わって第二党の座に就く可能性があるのは維新の会ですが、維新の会は民主党以上に人材の厚みに乏しい党です。民主党は曲がりなりにも15年の歴史を持ち地方自治体にも基盤があってそれなりの実績も積み重ねています。民主党の欠陥と指摘されているバラバラな理念や経験不足などは維新の会には民主党以上にあてはまります。

民主党がかろうじてであるにせよ第二党の地位の維持できれば、政権交代の機会は必ず巡ってきます。なぜなら自民党は政権を失った原因となった問題を殆ど解決できていないからです。

自民党の国会議員、特に衆議院議員は選挙区の所有者です。結果的に議席は世襲され新しい人材を受け入れる余地は小さいくなっています。必ずしも国政を担う能力のない議員が世襲により選ばれるため、政策は実施だけでなく構築するのも官僚丸投げになりがちです。頼りない若旦那を大番頭、番頭が支える構図と言い換えてもよいでしょう。

頼りにする官僚は規制により天下り先を増やそうとするため、規制緩和はなかなか進みません。長く政権にあったため業界団体とのつながりが深く、税制など政策運営は既存産業に有利になりがちです。

米軍基地、原発など「迷惑施設」の建設の地元への説得を金の力に頼ってきたため、国家として必要な場合は特定の地域に一定の迷惑をかけることを正面切って論じることも避けてきました。全体のパイが大きくならない中、ばら撒きで解決できる問題は少なくなってきています。

これらの問題は自民党の体質に深く根ざしたもので容易には解消しません。民主党政権がもっと長く続いてれば、次第に変わっていく可能性もあったのですが、民主党政権はあまりに短すぎました。自民党の時計が再び逆に回り始める可能性は高いのです。

こうして考えれば民主党が次の機会を捉えるためにどうすれば良いかも明白です。まず、規制重視、ばら撒き重視の自民党に対し、自由化と政府の関与の減少を目指す政策をとるべきです。

もともと民主党はそのような理念を掲げた政党でした。ただのばら撒きに見える高速道路の無料化も、有料化が財政規律を失わせ、道路公団を中心にした利権集団を作ったことを考えれば、意味のないことではありません(詳しくは「奇策ではない高速道路無料化論」)。子供手当も官僚の裁量余地をなくし簡素な所得再配分の仕組みを作るという意味があります。

その民主党が自民党以上の無節操なばら撒き政策に陥ったのは、長年自民党と与野党ととして、言わば同じ穴のむじなだった、社会党出身の議員と支持基盤を抱え込んだためです。悪いことに社会党は無責任に理想論を掲げるという野党の特権を与党になっても続け、民主党はそれに引きずられました。

民主党が目指すべきは国民の痛みを取り除くことでなく、必要な痛みを国民に理解させ、その痛みに耐えながら政策を実行することです。「原発はなくす。後は知らない」ではなく「原発をなくすがそれによる国富の損失は我慢しろ」を国民全部に納得させるか、「国家のために原発を稼働します」ということを地元に説得する、あるいは反対があっても押し切ることです。

経験不足は時間でしか解決できないところはありますが、世襲議員ばかりの自民党に対し官僚や政治家を志す幅広い人材の登用と訓練を積むことで自民党より優れた人材を確保できる可能性は大きいでしょう。与党ほどではありませんが、現実的な政策を掲げれば官僚と使いながら法律作成や予算獲得をする経験もできるはずです。

逆に、してはならないのは、対自民党への野党勢力結集の核になることでしょう。民主党政権が少数の議員しかいない国民新党、社民党を与党に組み込んだことで身動きが取れなくなったように、幅広い理念を集めても良い結果は得られません。民主党はあくまでも自民党のアンチテーゼとして政策理念、議員構成を作っていくべきです。

民主党は正しい方向を選べば必ず再生できます。それは日本にとって好ましいことでしょう。何によらず独占は弊害は生みます。そして「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」のです。
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マスコミは実名報道を求めるべきだ
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記者会見の日揮担当者


今回のアルジェリアのプラント建設現場をテロリストが襲った事件では、日本人を含め多数の犠牲者が出ました。日本人の死者は現時点(2013/1/23)で7名ですが、行方不明者もいて、さらに増えることも心配されています。

日本人の犠牲者は全員プラントエンジニアリングで有名は日揮の社員でした。遠い地で過酷な環境の中で仕事を続けてきた同胞が亡くなったことは、本当に残念なことです。亡くなった方々のご冥福を心からお祈りします。

さて、沢山の日本人が亡くなり、全員が日揮の社員、関係者だった、この事件で、日揮は犠牲者の実名の公表を差し控えるとしました。日揮の記者会では、日揮と犠牲者家族が相談して、家族に「実名を公表してストレスやプレッシャーを与えたくない」ということが理由とされています。

これは正しいことなのでしょうか。一般的に言って被害者や被害者家族は事件に巻き込まれたことを報道したくないと考えます。ただでさえ被害に苦しむ中に、世間から好奇の目を浴びせられ、マスコミからはしつこい取材を受けるのは耐え難い苦痛になるからです。

世の中には被害に会ったことを被害者の心がけが悪かったからと非難する人もいます。「沢山補償金が貰えるだろう」と嫌がらせを受けたりすることさえあります。猟奇的な事件の被害者になり、娘が「暴行され全裸で放置された」などと、明らかに劣情に訴える書き方の報道をされる親の気持ちは、察するに余りあります。

それでは、犯罪や事故の被害者は一切発表しないのが方が良いのかと言うとそうとも言えません。被害者が全くの匿名である場合と被害者の名前さらに顔写真が明らかにされる場合では、読者の受け止め方が大きく違うからです。

「7名が死亡」という報道は数でしかありません。ある意味「昨年の日本の自殺者は3万人を超えた」という報道と同じと言っても良いでしょう。これに対し名前と写真が報道され、さらに被害者が「生まれたばかりの子供と妻を残して」といったことも判れば読者の同情心は数字だけを知らされるのと全く違ったものになるはずです。

マスコミが実名を報道し、被害者の顔写真を得るのに懸命になるのは、記事として読者に訴える力が圧倒的に強くなるからです。それは読者の好奇心あるいは時として劣情に媚びているだけかもしれません。しかし、好奇心に訴えるというのは報道の基本でもあります。

進行中の誘拐事件のように報道が危険な事態を招く可能性がない限り、実名などの被害者情報を報道しないことに無原則な例外を設けるべきではありません。「被害者家族にストレスやプレッシャーを与える」というのは事実でしょうが、今までの数多くの事件報道と比べ今回の事件を例外とする特別な理由はあまり見当たりません。

そもそも、犠牲者の家族が本当に報道されることを望んでいないかどうか、犠牲者の家族自身に確かめなければ確認はできません。遺族の中には危険な地で亡くなった夫あるいは父あるいは子の名前を報道という形で残したいいう人もいるかもしれません。

もし、それでは他の報道を望んでいない遺族に迷惑がかかると日揮が判断したとすると、それは余計なお世話というより、報道の自由の侵害を言っても過言ではありません。元々今回の事件はマスコミ各社は取材陣を現地に派遣することは不可能で、日揮あるいは政府の発表に頼らざるえません。交通事故で死亡事故があれば、マスコミは遺族の意向などお構いなく警察発表の通り実名を報道するはずです。

報道の自由は民主主義を守るために非常に重要な権利です。中国で報道の改竄が大きな問題になったように、権力特に独裁権力にとって自由な報道は危険物以外の何物でもありません。日本でも様々な形で権力側は報道の自由を制限しようとするものです。

アルジェリアのテロ事件は犠牲者の実名を報道しない特段の理由は目当たりません。たまたま一企業と政府が情報をコントロールできる立場にあったために、実名報道を抑えることが可能になったのです。報道の自由は好奇心、劣情が読者の根にあったとしても、民主主義を守る砦です。マスコミはもっと深刻に受け止めるべきでしょう。

誰がケーキを分けるのか -被害者支援と国民総背番号
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林真理子さん

旧聞なのですが、作家の林真理子さんがと東日本大震災直後に仙台の避難所を訪問し、7百個のロールケーキを避難所に届けたところ、そこのボランティアのスタッフに「うちの避難所は8百人だから」と突っ返された、という話がありました。

林さんはこの話を週刊文春のエッセーに書いたらしいのですが(「らしい」と書いたのは読んでいないからです)、その避難所での対応を非難したことでネットの世界でちょっとした議論がありました。(例えばこのツイッター記事のまとめ

この論争には猪瀬東京都副知事(当時)も加わって、「公平ディレンマに陥り決定力がないのだ。石巻市に弁当を東京の業者が5000食届けたら、夕飯後であり弁当の賞味期限が翌朝なので受け取りを拒否された件もあった。」といった、ボランティア側の対応に苦言を呈しました。

これに対し、「事前に人数くらい確認するべき」「避難所という限られた空間で食べ物が争うい種になるのを恐れる気持ちが判らない」とか、果ては「恵んでやるという傲慢な気持ちが不愉快」と林さんを糾弾する人まで出てきました。

いかにもネットらしいやり取りですが、少なくとも林さんは悪意ではなく好意でケーキを差し入れようとしたはずです。それを「傲慢」と言って非難するのは感心した態度とは思えません。たとえ傲慢な気持ちからでも寄付する人より、人に施すのは失礼と考えて何もしない人の方が被災者の人に役立つわけではありません。

とは言っても、ボランティアへの非難を林さんのような高名な作家が週刊誌で展開するとなるとこれはこれで波紋を広げるのは止む得ない点があるのは否定できません(重ねてお断りしますが、私自身は林さんのエッセーを呼んでいません)。

大震災などで大量の被災者が出た場合、好意のあるなし以前に、いかに数に対応するかが大きな問題になります。実際のところ、大規模な災害に対応するのは上下関係があり命令系統の確立した組織以外は困難です。

自衛隊や警察、消防はもちろんですが、東日本大震災では救援物資の仕分け、輸送はヤマト運輸、佐川急便のような大手の宅配業者が中心となりました。阪神大震災ではダイエーが中内会長の陣頭指揮で大活躍しましたし、神戸では治安維持も含め山口組が大きな貢献をしました。

8百人も被災者が集まっていれば、8百人分のケーキがあったとしても公平に漏れなく行き渡らせるのはそれほど簡単ではありません。ケーキ(ロールケーキだったらしですが)は生ものですから、保管も困難な避難所で余りがでればゴミの始末だけでもとても一人、二人では無理でしょう。林さんはそのあたりの想像力が欠けていたのは確かです。

その上で、もう少し何とかならなかったのかという疑問は残ります。「ロールケーキなら切り方で7百人分が8百人分にできるだろう」という考えかもあるでしょう(7百人分の生ものの食品をどうやってと切るかという問題は残りますが)。

ケーキを切らなくても、ケーキ引換券を8百枚作り全員に配布し(被災者が全て登録されているPCが必要です)、そのうち7百名が当選するくじを行う。ケーキが必要ない人がいれば、その分を落選者に渡す。7百名あれば、食べない人もいるでしょうからほぼ全員が満足し喜ぶことは間違いありません。

これは予め準備していない限り、命令系統のある組織でなければてきぱきと処理するのは難しいでしょう。どのように配分するか議論するだけで丸一日かかってしまうかもしれません。恐らくこれは急いで駆け付けたボランティアにはとても難し話だったのです。

似たような話なのですが、東日本大震災の被災への義捐金の分配を決めるのに何カ月もかかるというのことがありました。あるラジオ番組では永六輔さんが「とにかく、さっさと配ればいいんだ」という意見を述べていました。確かに、困っている人よそに分配方法を何カ月もかけて決めるというのは、あまりにもスローモーで被災者のことをろくに考えていないと非難されるの止む得ません。

しかし、何億円も義捐金が集まった時、どのように配ったらよいのでしょうか。10億円が集まったとして被災者が20万人いれば、一人5千円づつ配ればよいのでしょうか。これではあまりありがたみもわかないでしょう。

仮に、公平に5千円づつ配るとしてもどのように被災者とそうでない人分けるのでしょうか、二重取りする人、配布に漏れてしまう人は出ないでしょうか。ことはお金です。10億円のお金が誰も不正を働かずに本当に被災者に届くのをどのように確認すればよいのでしょうか。

考え出すと、次から次へと問題が出てきます。そもそも何十万人も相手がいるサービスはコンピューターの助けがなくては不可能です。それでは義捐金配布システムの開発はどうすれば良いのでしょうか。誰がシステム開発費を出すのでしょうか。

こうやって考えると、取りあえず目についた避難所に取りあえず7百個のケーキを届けようとしことを、傲慢とか無知とかいうのは、やはりあんまりだという気がします。好意を届けるのにITシステムの開発まではとてもできません。

一方、林さんの好意を断ったボランティアの人も気が利かないという点はあるにしても、非難はできないでしょう。8百人というのは目の前にすれば恐ろしさを感じさせるのに十分な数です。手一杯の状況でシステムも組織もないボランティアの人が断らざる得なかった気持ちも理解できます。

飛躍するようですが、解決策はこのような事態に対応できるような共通システムをクラウドのような共通利用できる形で準備しておくことでしょう。この時、本当は国民各自にID、つまり悪名高い国民総背番号がついていれば、運用はずっと簡単になるでしょう。

もちろん、国民総背番号制は議論の多い問題です。しかし、大規模な災害が起きた時、効率的に援助の手が差し伸べられたり、行方不明者の数をできるだけ正しく把握するのに国民各自がIDを持っていることはとても有用です。林さんのような好意を無にしないためにも、もっと考えても良いのはないかと思います。

参照: IT屋の見る国民総背番号制度