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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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隣のミュータント
ミュータント(mutant)とは突然変異という意味ですが、SFでは突然変異により現れる新しい人類-新人類、超人類-を指すことが多いと思います。SF小説では新人類が超能力を発揮して人類と対決したり、人類を助けたりします。超能力を持つことをミュータントの定義にしている場合さえあります。

しかし、実際に現生人類から新しい人類種が生まれても、超能力を持つことは考えにくいでしょう、瞬間移動、時間遡行、などは物理学的に不可能ですし、新幹線より速く走ることもできないでしょう。新人類とは言っても所詮現生人類の隣に位置する一生物種に過ぎません。X線を視覚することができるようになり、透視ができるような種ができるとも考えにくいと思います。

むしろ新人類は新しい人類種がいつもそうであったように、それまでの人類種より高い知能を持っているだろうと考える方が自然でしょう。進化には恐竜がどんどん巨大化したり、トナカイの角が生活に不便なほど大きくなるように、一つの形質が強まっていくことがよくあります。人類種の知能の発達が現生人類で止まってしまうと考える確たる理由はありません。

それではどうして人類種は新種が出るごとに知能を向上させてきたのでしょう。チンパンジーと人類は7百年前にさかのぼれな共通の祖先を持っていました。一方の人類が7百万年の間に脳を肥大させ知能を高めていったのに、チンパンジーはほとんど変化していません。7百万年前の人類の祖先は現在のチンパンジーと非常によく似ていたと推察されます。

7百万年の間に人類がなぜ知能を発達させることができたのでしょう。考えられるのは人類はチンパンジーと枝分けれした早い段階で直立歩行をしていたということです。直立歩行は手を自由にし、道具の発達を促します。より良い道具は生存競争で有利なりますが、そのためにはより発達した脳を持つ必要があります。つまり直立歩行による「環境」の変化が人類の脳の発達を促したのです。

進化は遺伝子が突然変異を繰り返すことで起きますが、突然変異の頻度自体は一定だと考えられます。それが特定の方向への形質の変化を起こすには、形質の変化が生存競争で有利になるような環境の変化が必要です。逆に環境がその生物の生存競争を左右するほど変化しなければ、シーラカンスように何億年もほとんど変化しないこともあります。

チンパンジーの世界の環境はチンパンジーに大きな進化をさせるほど変化しなかったのに、人類は直立歩行で道具を使うようになることで自分自身の生存競争のルールを急激に変えてしまったのです。

とは言っても、発達した道具を持つことがそれほど生存競争で決定的に有利になるものでしょうか。チンパンジーと現生人類の脳は4倍もの違いがありますが、人類はその歴史の大部分で道具と呼べるものは石器だけでした。自動小銃でも作れば別でしょうが、石器の洗練度合のわずかな違いが進化で必要な生存競争の有利さにつながるかは疑問です。

一方大きな脳を維持するのは高いコストがかかります。脳は人間のエネルギーの20%を消費するほどの大飯ぐらいです。しかも大きな脳は難産をもたらします。出産の苦しみを人間の女性ほど味会う哺乳類はいません。しかも、それほどの苦しみを経て出産しても人間の赤ん坊はいわば未熟児です。脳が一人前に成長するのは長い時間がかかり、赤ん坊の面倒は大きな負担です。

それほどのコストをかけても脳を大きくするのは、道具の洗練度だけではないメリットがあります。それは大きな脳を持つほど大きな集団を持つことができるということです。イギリスの人類学者、ロビン・ダンバーは霊長類の脳の大きさと集団の規模には密接な比例関係があることを見つけ、霊長類が作ることができる集団の大きさをダンバー数と名付けました。

ダンバーはより大きな集団を作るためにはコミュニケーションの能力が向上する必要があり、それは大脳皮質の大きさによると考えたのです。集団の大きさは他の集団への競争力につながることは間違いありません。恐らく、人類は脳が大きくなり、つまり知能が向上することで、道具を進歩させただけでなく、コミュニケーション能力を高めて強力な集団を作ることでより有利な生存競争を戦うことができるようになったのでしょう。

それではこれから、さらに知能が高度に発達した人類が生まれてくる可能性はあるでしょうか。その前に進化というものはドーキンスが「利己的な遺伝子」で述べたように、遺伝子同士の戦いでより沢山の自分のコピーを遺伝子が残すことで達成されるということを思い出す必要があります。

つまり、現生人類がネアンデルタール人を滅ぼしたように(ネアンデルタール人の消滅理由には諸説があり、現生人類との戦いに敗れたからだとは必ずしも断定できませんが、新しい人類がそれ以前の人類より高い競争力を持つことは一般的には事実です)新人類が現生人類を滅ぼしてしまうのでしょうか。これはあまり楽しい想像ではありません。

しかし、これは突然変異で生まれた新人類が超能力で現生人類を絶滅に追い込むといったSF的な空想です。実際には知能を決定づけるのは一個の遺伝子ではありません。背の高さを決定に関与する遺伝子だけでもいくつもあることが判っています。知能のような複雑な形質はより多くの遺伝子が関与していることは確実です。少なくともある日突然新人類が誕生すると考えるのは単純すぎます。

恐らく過去の新人類の誕生は何十万年もかけて徐々に特定のグループが形成され、遺伝的な距離が他の人類種と十分に離れれ生まれてきたと考えられます。現生人類が誕生して20万年という時間はそれほど長いものではありません。しかも知能が高いからといって、より沢山の遺伝子を残せるとは限りません。むしろ高学歴の世帯の方が子供の数が少なくなる(高学歴がより高い知能とは限りませんが)傾向すらあります。

ただ、これは突然変異と生存競争だけが進化を決定づけるという考え方に基づいています。単純な生存競争以外にも進化に作り出す方法があります。それは人間による品種改良です。例えば犬は数百年という短い間に、とても同一種とは思えないほど大きな外観のバリエーションができました。これは人間によるブリーディングの結果に他なりません。

人間による品種改良は、まさに「人間という環境」が自然界ではあり得ない速度の進化を起こすことによります。突然変異の頻度は意外なほど高いのですが、それがより多くの子孫を残すことにならなければ自然界では進化につながりません。しかし、人間は特定の形質を求めて、わずかな変化を抽出してその形質を代を追うごとに強めていきます。

同じようなことが人類に起きるでしょうか。ここでは優生学のような忌まわしい思想のことを言ってはいません。人類が自発的に高い知能をグループとして作り出すようなことをすることはないかを考えてみようということです。

グレゴリー・コクランとヘンリー・ハーペンディングは「一万年の進化爆発」という本で、中世に金貸しなどの特定の頭脳労働にユダヤ人の職業が押し込められたことにより、ユダヤ人の平均的なIQが高くなったのではないかという説を展開しました(参照)。

現代では少なくとも先進国では職業選択の自由は保障されています。しかし、夫婦間のIQの相関は非常に高く、その相関は兄弟よりさらに強いと言われています。実際、恋人や夫婦関係を維持するためにはIQ(ここでは知能はIQそのものだと仮定しています)が近い必要があるのは事実でしょう。話題や興味はIQの高低で違っているのは事実でしょう。読む本の内容、物事の理解の方法、教育方針などはIQの違いにより異なってくるのは普通です。

グループを作るのもIQが近い方が有利です。現代の科学は巨大化していて、科学的成果をあげるためには、科学者はグループリーダとしての統率力やコミュニケーション能力がなければいけないと言われています。ノーベル賞を受賞するためにはIQ140程度が最適値という説まであります。

これはグループを作るためにはIQで20以上違わない方が良いという考えに基づいています。IQが140程度であればIQ120から160という「秀才」たちを束ねることは可能ですが、IQが180もあると風変わりな天才たちのグループリーダーにしかなれないというわけです。

IQの近い者同士でグループさらに恋人、夫婦を作るということが何世代か続けば、そのグループの高い知能という形質は段々強まっていくと考えるのは無理な推定ではないでしょう。IQの中央値が120から140さらに180、200と高くなっていくかもしれません。

非常に高い知能を持つ集団は想像を超える成果を上げることができます。第2次大戦中マンハッタン計画はたった3年で原子炉さえ存在しない段階から原爆を開発し実戦で使用させたのです。マンハッタン計画は後にノーベル賞を受賞した天才物理学者が何人も参加していました。その多くは共同作業の苦手な変わり者でした。しかし、かれらは力を合わせて非常に短時間で原爆を作り出したのです。

例えばIQの中央値が200(実際のIQはこんな高いレベルの知能を正しく測定はできませんし、知能の明確な定義もありません。ここでは高い知能を表すために便宜的にIQという言葉を使っています)を超えるような集団は、とてつもない成果を上げる一方で、一般人とは隔絶したコミュニケーションを行うことは容易に想像できます。一般の人たちはとても「付いていけない」のです。

このような天才集団を支援するツールが現れました。それはインターネットでありSNSです。インターネットはそれ以前とは比較にならないほど大量で高密度の情報交換を可能にします。地理的な制約もありません。世界中の高知能の持ち主たちをグループとしてまとめていくことも可能なのです。

インターネットの基本技術を生んだのはアメリカの軍の研究機関DARPA(当初インターネットはDARPAネットと呼ばれた)ですが、ブラウザーを作り、インターネットによる世界連携(というより知識連携)を生み出したのはヨーロッパにある国際研究機関CERNです。

今、インターネットの中で無数のコミュニケーショングループが生まれています。その中には超高度な知能集団もあるでしょう。かれらは普通の人には理解困難なハイレベルな会話を日々交わしているかもしれません。そしてそれがリアルな恋人関係、夫婦関係につながっていけば、新人類誕生の苗床になっても不思議はありません。

新人類は「かなり頭が良い」という特徴はあっても、一般人と大きな違いはありません。狼と犬が種が実際は交配が可能なように、DNAセットが子を作れないほど違うということはないでしょう。しかし、そのグループが独自の哲学、価値観そして独自の発明品で一般人とは異なる社会を作っていくこともあり得ないことではありません。

それはバラ色の未来なのでしょうか、それとも一般人類が抑圧されていくという暗黒の世界なのでしょうか。私もそのような高知能の集団が何を考えるかは想像ができません。何しろ「新人類」なのですから。
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靖国参拝を考える
昨年末、12月26日に安倍首相が靖国神社を参拝したことは、大きな波紋を生みました。中国、韓国がいつものように日本に対し強い非難の意を表したのはいつも通りですが、今回はアメリカ政府も「失望」-disappoint –したと伝えてきたのです。

その後、参拝への批判はEU諸国にも広がりました。同じ枢軸側として日本と戦ったドイツのメルケル首相のスポークスマンは「この件にはコメントしない」と断りながら「一般論として、全ての国は20世紀に起きた惨事に真摯に向きあうべきだ」と暗に靖国参拝が日本が過去の責任を正しく認識していない、と受け取れるメッセージを出しました(参照)。

これに対し、日本では必ずしも強い非難は安倍首相に向けられることはありませんでした。「歴史認識」を巡って中韓が日本非難を繰り返すのはいつものことですし、安倍首相の言うように「戦争で祖国のために戦い命を失った方に尊崇の念を表す」のは当然と考える人も多かったからです。そのためもあってか、明けて新年の初詣に靖国神社を訪れた人は記録的な数に達しました。

大半の日本人は、今日本が軍国主義にまっしぐらに進んでいて、靖国参拝を国民を戦争に駆り出そうという安倍首相の思惑が形になったものだ、とは考えないでしょう。少なくとも第2次大戦前、中国で戦線を拡大し、石油の確保を巡ってアメリカと乾坤一擲の戦いを挑もうという状況とはまったくかけ離れていると思っているはずです。

靖国参拝は祖先の霊に祈りを捧げるという点で、広島や長崎の原爆記念日の慰霊と基本は同じ、と多くの日本人は感じているし、それを「軍国主義を推進」「歴史認識を欠く」と言われては反省より腹立たしさが先に立つのはやむ得ないことです。

しかし、アメリカが「東アジアの緊張を高める」と言った裏に、中韓と共通の「A級戦犯を祀っている」靖国神社に日本の首相が赴くことへの不満があることは見逃せません。アメリカは尖閣列島への中国の軍事力を背景にした圧力にははっきりとした非難の姿勢を取っていますし、韓国の慰安婦問題の解決に日本が取り組まないことを政府レベルで不満を漏らしたりはしていません。つまり、靖国参拝が東アジアに緊張もたらす理由が、A級戦犯を合祀している靖国神社を参拝したこと自身が問題なのです。

ではA級戦犯とは何なのでしょうか。戦犯にはA級の他にB級、C級があります。B級、C級戦犯として処刑された日本人は千名を超えるとされています。これに対しA級戦犯として処刑されたのは7名。南京事件の時の首相だった広田弘毅を除けば、東条英機を始めとした軍人です。どちらも戦争犯罪を問われていますが、A級は指導層、B、C級より下級の兵に対してのものになります。

戦犯を裁いた裁判所は日本国内だけでなく、シンガポール、上海など各地で行われましたが、極東裁判とか東京裁判と一般的に言われるように、A級戦犯はすべて東京の極東軍事裁判所で裁判が行われています。

俗に極東裁判史観と非難する人たちがいるように、戦犯は戦勝国側が敗戦国側を裁いたものです。戦勝国側に捕虜の虐殺のような犯罪行為が皆無であるはずはないでしょうし、戦争の原因が一方的に日本側にあることはありえません。

しかし、戦後の世界の秩序は悪の枢軸国を善の連合国側は打ち破って世界に恒久的な平和がもたらせられたという建前にたって作られました。連合国の組織を基にした国連(英語ではどちらもUninted Nationsです)は世界の平和を守る元はと言えば軍事組織です。その中枢の安全保障理事会で認めた戦争以外、加盟国は勝手に戦争ができません。

安全保障理事会では5つの常任理事国には拒否権を与えられていますが、これは国連が5大国の意向に反した軍事行動はできないということです。日本のGDPはかつてアメリカの7割、世界の15%を占めたこともありましたが、常任理事国になりたいと願いは叶いませんでした。敗戦国側であるというのは依然軽いことではないということでしょう。

戦後の大部分が冷戦の時代であったことでもわかるように、安全保障理事会の常任理事国同士でいつも利害が一致するわけではありません。現在は、米中が世界の二大国として対立しているのもご承知の通りです。しかし、戦後一貫して戦勝国が第2次世界大戦は正義の戦いで善が悪を打ち破ったという建前を否定したことはありませんし、これからもないでしょう。

それを考えると日本の首相がA級戦犯を合祀してある靖国神社を参拝したことを戦勝国側が認めるわけにはいきません。非難がなかったとしても、それは単に黙認しているだけと感がるべきです。その秩序に従うことを「反省」の証にしているドイツが日本を参拝の件で弁護してくれることもありません。

こう言うと、戦後もう70年もたった、小泉首相の参拝にアメリカは反対しなかった、死者は生前の罪は関係なく弔うのが日本文化だ、戦勝国が勝手に裁いた極東裁判は無効だ、といった反論が出てきます。もっと感情的に中韓に日本の中の話にとやかく言われる筋合いはない、と思う人も多いでしょう。

しかし、小泉首相の時代はブッシュ政権との結びつきが強く、中国がアジア全体への脅威もずっと小さいものでした。確かに、欧米から見れば靖国参拝自体は大きな問題でありません。それでも問題が表面化してくれば「戦犯を正当化することなど許されない。東アジアの安定を損なってもわざわざするようなことなのか。」という建前が前面に出てきます。

問題とされているのが、A級戦犯へ参拝していることなのですから、「祖国のために亡くなった方への尊崇の念」と言うと、A級戦犯に敬意を表している、さらに戦後の秩序を認めていない、ということに解釈されるのはある意味仕方ありません。

自国のために尽くした人に敬意を表するのは当たり前で、まして他国からとやかく言われることはない、という理屈もあるでしょう。しかし、70年前でも裁判結果を受け入れたというのは、言ってみれば国際公約、あるいは日本の形を決めたものです。敗者にとっては、それしか道がなかったとしても、国際的にはまだ生きている約束事で「終わったことで今はどうでもよい」というのは日本国内だけに通用する論理です。

日本の首相が靖国参拝をするのは、このような戦勝国に戦犯というより戦争の責任は自国にあるという建前を覆そうということです。「それこそが必要なのだ」と考える人も多いでしょう。しかし、それは戦勝国へのあからさまな挑戦になるということは正しく認識すべきでしょう。

これは決して卑屈になることでも、まして自虐史観でもありません、現在の世界の枠組みが戦勝国側が正義だったという建前の上に成り立っているという事実を認め、そこに出発点を持たなければいけないということです。そして、それが出発点である以上、日本という国がどこに行こうとしているかを改めて示す必要があるということです。