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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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代理母出産-その2
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最高裁判所

去る3月23日最高裁第2小法廷は、向井亜紀、高田延彦夫妻が代理母出産でもうけた双子の男児の出生届の受理を求めた家事審判の許可抗告審に対し、東京都品川区に受理を命じた東京高裁決定を破棄する決定をしました。向井夫妻の代理母出産で生まれた子供を実子としたいという願いは否定されました。このブログでも昨年代理母出産で取り上げましたが、法的な決着は一応ついたわけです。

ただ、法的に決着がついたと言っても、最高裁と東京高裁で判決が分かれたように、法律の専門家でも意見が一致する問題ではないのは確かです。それでも、最高裁の判決は2003 年厚生科学審議会生殖補助医療部会の「代理母出産は禁止する」とした報告書に沿うもので、現時点では概ね妥当なものと言わざる得ないのかもしれません。

逆に東京高裁判決の論理に従うと、日本では代理母出産を禁止する(ただし法的拘束力はない)としたのに、「アメリカで代理母出産を行う」→「アメリカの裁判所で実子の認定を得る」→「日本で実子としての出生届を受理する」という流れを認めてしまうことになってしまいます。「それのどこが問題だ」という考えもあるでしょうが、東京高裁の判決が従来の結論と矛盾するものだったことは確かです。

とは言っても最高裁の判決に矛盾がないかというとそうでもありません。日本では実子としての認定は生物学的な親子関係の存在を重視していて、それが母親の「分娩」によるものかどうかが判断の基本になったと思われます。しかし、誰でも知っているように代理母出産で生まれた子供のDNAは代理母のものとは無縁で、受精卵を提供した男女のものです。生物学的実態を重視した判断が、生物学的な事実と矛盾してしまったわけです。

DNA鑑定は歴史は浅いものの、犯罪捜査、血縁関係の確定、死亡者の身元の確定など広範囲に利用されおり、信頼性は非常に高いとされています。今「離婚後300日以内に出産した子は前夫の実子と見なす」という民法の規定の見直しが進められていますが、背景の一つには「DNA鑑定をすればわかるのに、そんな法律は不必要」という考えがあります。

科学的にはDNAの一致で親子関係が判断できるとされていますが、代理母出産は実子とみなさないとなると、論理的にはDNA鑑定だけでは親子関係を断定してはいけないことになってしまいます。これは論理の遊びのようなもので、何か将来大きな問題を起こすことは考えにくいですが、科学と法律が一致しないというのはあまり気持ちの良いものではありません。

もっともDNAの不一致ということでは、AID(提供された精子による人工授精)では夫のDNAが受け継がれていなくても、嫡出子として夫の実子とすることが行われています。DNAを絶対視するとAIDで夫以外の精子提供を受けると実子とすることができないことになってしまいます。AIDにより生まれた子供は1万人以上いると言われていますから、いまさら実子関係の否定はできるはずもありません。

考えれば考えるほど難しい問題で、最高裁も判決の中で「立法による速やかな対応を求める」と言っています。将来どのような医療技術が発達するかの予測は困難ですから、その時々の状況に合わせた法制度を作っていくしかないのでしょう。

話が少し変わりますが、「科学的」にはDNAの継承が親子関係の判断に決定的だというのはよいとしても、DNAが何事によらず絶対的な役割を演じているというのは、」これはこれで問題のある考え方です。

アメリカの天文学者のカール・セーガン(1934-1996)は「猫のDNAを宇宙人に送れば、猫を送ったのに等しい」と言ったのですが、今ではこのような考えに同意する生物学者はほとんどいないでしょう。従来DNAに固定的に規定されていたと思われる生物の形質が、最近は次々に環境によって発現することがわかってきたからです。
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「猫のDNAを送れば猫を送ったのと同じ」とセーガンは言ったが

雌雄のように遺伝子で全て決まってしまいそうなものでも、両生類の多くの種は温度により性が決定されます。人間でも背の高さは遺伝的要因と、栄養状態のような環境の複合で決まるのは当然としても、乳幼児の時の栄養状態が悪いと中高年になってから糖尿病に罹る割合が高くなることが知られています。

環境要因の中でも受精から出産までの子宮の状態は大きな影響を与えることがわかってきました。母親が妊娠中にニンニクを良く食べると、生まれた子供もニンニクが好きになります。ニンニク好きのDNAはありませんが、ある意味ニンニク好きが「遺伝」したことになります。胎児は環境としての子宮の中で、様々な刺激や影響を受けるのです。

もちろんDNAは生物の形質の決定に重要な役割を果たします。猫の子が猫になり、朝顔の種から朝顔ができるのはDNAがあるからです。しかし、DNAだけではパズルのピースが全て揃うわけではなく、DNAがもたらす遺伝的な要素と環境は融合して生物のありようが決まります。DNAと環境の影響を分離することは多くの場合困難ないし無意味です。

最近DNA鑑定や遺伝子治療など発展で、一般にはDNAの絶対視が強まっているようなところもあります。けれどもどのような子ができるかという点に関して言えば、子宮を提供し分娩を行う女性の影響は非常に大きいことは間違いありません。その意味で分娩をもって実子関係を認定するとした最高裁の判決は、科学的に全くナンセンスとまでは言い切れないものがあります。

なぜ人は自分の遺伝子を残すことにこだわるのでしょうか。「利己的な遺伝子」を書いたイギリスの生物学者のリチャード・ドーキンスは、自分の遺伝子をより沢山残す生物が、自然淘汰勝つ、逆に言うと遺伝子を残すことに生物は最適化して進化する。遺伝子にとって個体は乗り物のようなものだと言っています。
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「利己的な遺伝子」を著したリチャード・ドーキンス

ドーキンスの理論から、自分の遺伝子を残したいというのは、生物としての人間が自然淘汰を通じて獲得したもっとも本源的な欲求であり、自分のDNAを継承させることは本能そのものと考える人もいるかもしれません。

しかし、代理母出産という手段で自分たちのDNAを残そうというのは、受精卵やDNAといった科学的知識が間に介在した、観念的あるいは文化的なものです。人間も生物である以上「利己的な遺伝子」の支配を免れないところはありますが、それは性欲の存在や、男女の異性に対する態度の違い(一般に男性は多数の女性と関係したがるが、女性は特定の男性に限定する傾向がある)には影響しているでしょうが、それらはDNAの理解とは違います。

代理母による出産を実子と認定すべきかどうかということは、科学的な側面と同時に文化的な側面を無視して考えることはできないでしょう。DNAの存在というものが一般常識として深く浸透しつつある現在、DNA鑑定で実子と判定されるものを、法的に実子とできないというのは科学的というより、文化的に違和感を感じられ始めてきているのです。

今回の最高裁の判決は法的な枠組みがない以上、やむ得ないのかもしれませんが、「これは赤ですか白ですか」という質問に「いいえ、三角です」と答えているようなところがあります。DNAという問題の切り方をしているのに、分娩という切り口で判断しているからです。

AIDによりDNAを継承しない実子の親子関係がすでに多数存在していることや、代理母出産という手段が実用化していることを考えると実子、養子という二種類の親子関係しか存在しない今の法律の枠組みが破綻をきたしてきているのは明らなように感じられます。

ヨーロッパの多くの国やアメリカの一部州では同性同士の婚姻関係を認めています。親子関係や婚姻は生物としての人間の特性から出発していますが、社会的な仕組みと言う意味では極めて文化的な色合いの強いものです。どのようなものが親子であるか、夫婦であるか、親子、夫婦間にどのような権利、義務があるかということは、社会情勢の変化によって変わりうるものなのです。

現在は代理母出産については日本では抵抗感が強く、不道徳だとか自然の摂理に反すると考える人が多いようです。しかし、代理母出産は人を殺して臓器移植を行うような明白な悪ではありません。善悪の判断は人により、時代により違ってきます。自然の摂理に反するというなら、江戸時代は盲腸炎も致命的な病気でした。できることは何をやってもよいということはまったくないのですが、「自然」という概念も極めて曖昧で、変わりうるものだというのも事実です。

それにしても、日本の法律、裁判所は親子や夫婦という概念に対して、極めて保守的な態度を取るようです。同じように臓器移植についても、一般的には他の先進国より保守的です。理由は良くわかりませんが、これもまた文化なのでしょうか。
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この記事に対するコメント
RE: 代理母出産判決意義あり!
アメリカに在住しています。
代理母出産について身近でも望んで費用をためるのに頑張っている人がいます。
私自身、独身ですが将来的なこと、そして自らの病気のことがあり、卵子凍結を考え、いざとなったときに代理母出産を希望する予定です。
この記事を見させていただいて、日本の代理母に対する意識改革が国として求められているのではないかと思います。全てを明らかにして表にたってきた向井さんご夫妻の努力全てが何年後かに結果として評価されるのは遅すぎます。子供はそこで育っているのでいるのですから是非、結果を与えてほしい。
日本という国がいいところで保守的な国でも構わない、しかしその保守的なスタイルを今もう一度原点に戻って変化をもたらすことが不可欠だと思います。
考えさせられている今日この頃です。
【2007/04/02 10:35】 URL | Yuko #- [ 編集]


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