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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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どうせ、あのブドウはすっぱいさ
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ご存知のイソップ物語「キツネとブドウ」のキツネの捨て台詞です。森の中でキツネはうまそうなブドウがなっているのを見つけます。何とかして取ろうとするのですが、高くてどうしても取れません。あきらめて、キツネは「どうせ、あのブドウはすっぱいさ」とつぶやきます。

負け惜しみで、心にもないことを言ってしまうキツネをからかった寓話なのですが、ここではキツネは他のイソップ物語のように狡猾で他の誰かを騙そうとしているのではありません。騙そうとしているのは自分自身です。

欲しいものが得られないとき、人間はどのような反応をするでしょうか。他人には欲しくないようなふりをしても、実際にはますます欲しくなるということはあるでしょう。キツネも本当はブドウなんてもともと大して好きではなかったのに、それ以後ひどくブドウが好きになってしまうかもしれません。

しかし、欲しいものがどうしても得られないとき、たとえば視力を永久に失ってしまう、歩行ができなくなり車椅子の生活になる、そういった非常に不幸と思えるようなな事態になったとき、人は失ったものをずっと欲しがり続けるようなことはしないで、その状態を次第に受け入れるようになります。別に「どうせ、あのブドウはすっぱいさ」と無理に自分に言い聞かせなくてもです。

逆に、自分が現に持っているものに対しては一般に人は高い評価をする傾向があります。たとえば、株や競馬の予想をするとき、その株や馬券を所有してしまうと、株が値上がりしたり、馬券が的中したりする確率を高く見積もるようになることが知られています。

「親の欲目」というのは親が自分の子供を世間が思う以上に高く評価することですが、無能な息子を後継者にしようとするような社長は息子に対する愛情だけでなく、本気で自分の息子が他の部下より優秀に見えていることが多いのです。

もちろん自分の持ちものの中には自分自身も入ります。人事考課は本人は不当に低く評価されていると思うことが多いのですが、これも自分の株が値上がりしそうだと思うのと原理は同じです。

このように、自分の持っているものを高く評価し、持っていないものを低く評価するのは、視野が狭まくて色々な軋轢を生じやすい困ったことだと思われがちです。現にイソップ物語は決してキツネの態度を肯定的には描いていません。しかし、このような性癖がなければ人間社会はそれこそ大変困ったことになってしまいます。

人間が持っているものに満足できず、ないものばかりを欲しがるようになり、それが得られない限り幸せになれなくなってしまったら、おそらく世の中の大部分の人は極めて不幸な状態になってしまうでしょう。幸いなことに、人は自分の現在の状態を所有してないものは高く、所有していないものは低く評価することで、比較的安定的な精神状態を維持しているのです。

この話と少し矛盾しているようですが、人は自分の状態に過剰に幸福感を持ち続けるということもありません。たとえば、受験に合格した、宝くじで1等が当たった、というとき人は至福の状態になりますが、それが永続するということもありません。

宝くじで1等を当たった人が1年後にどのような精神状態になっているかというと、普通はまったく平常な状態に戻ってしまいます。むしろ、1年の間に当たった金を無駄に使ってしまったという後悔にさいなまれていたり、金を失うのではないかという恐怖に悩まされたり、当選前より多少不幸になっている場合もあります。もし、幸福になるために宝くじを買うのだとすると、無意味と言ってもいいくらいです。

過剰な幸福感も、不幸感も長続きせず、次第に平常な状態に落ち着いていくというのは、人間の感情における一種の免疫反応だと考えてもいいでしょう。特に不幸に対しては、ひどく打ちひしがれてしまうと、本当に免疫力が低下して、感染症や癌に冒されやすくなったりしますし、人間の場合は他の動物と違って自殺のようなことまでしてしまうので、進化論的な生存競争で考えても、不幸な状態に対し抵抗力を持つというのは意味があります。

ただ社会全体を考えると、現状に満足する傾向があまりに強いと、社会の進歩はなくなってしまいます。革命は「こんな世の中では不幸だ」と考える人たちによって起こされますし、発明は「こんな不便は我慢できない」と思う人によって成し遂げられます。逆に言えば、誰でも革命家や発明家になれないのは、人間が正常な感情の免疫機能を持っている以上当たり前だということになります。

世の中が革命家や発明家だらけだと社会が落ち着かなくなってしまうかもしれませんが、みんなが「今持っているものより、こっち方がいい」または「持っていないけど、欲しい」と思ってくれないと、ビジネスは成り立ちません。

普通の人は自分の現在の状態に満足しやすいわけですから、必死になって宣伝したり、営業攻勢をかけないと、ほとんどの人の購買意欲はかきたてられませんし、そうすると資本主義の社会自身が成立しなくなってしまいます。

もともとの動物としての人間の欲求は空腹になれば食物が欲しくなり、喉が渇けば水が欲しくなるというレベルで十分なはずです。ライオンなら獲物を取って満腹になると、そばをシマウマが通っても襲おうとしません。必要ないからです。

ところが人間は使いきれないほど(そもそも何に使うかが問題ですが)金があっても、もっと金を欲しがるというのはむしろ普通ですし、趣味で何かを集め始めると必要性とは無関係に集めようとします。

収集家は切手であろうと、昆虫であろうと集めることで幸福になっているはずですから、満足できないというのは必ずしも悪いことではないかもしれませんが、通常は満足できない状態は不幸なはずです。しかし、人類が文明を作り上げるには、大きい前頭葉だけでは不十分で、どれほど所有しても満足できないで、無限に欲望を持続できるという特質が不可欠だったはずです。

個々の生物としての人間の健康状態を考えると、所有していないものに対し欲望を持続させない、つまり欲求不満で不幸な状態になって、免疫力を低下させないほうが有利なはずです。ところが、社会の進歩(これ自身本当に良いかどうかは別の話ですが)を考えると、革命家、発明家のような不満発見型の人間がいたり、無限に欲望を拡大させる性質があったほうが望ましいということになります。

人間が進化の過程のどこで、無限の欲望を持てるようになったかは定かではありませんし、無限の欲望を持てる人間がどのようにして、免疫力の低下という代償を払っても、生存競争で相対的に有利になったかはわかりませんが、無限の欲望を持つことは、個々人を考えると不幸を増大させる原因になってしまうでしょう。

社会の進歩も大切でしょうが、ひとりひとりは「どうせ、あのブドウはすっぱいさ」と本気で思えたほうが、長生きはできそうです。みんながそう思うと困るので、イソップはこんな寓話を作ったのでしょうか。

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