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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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ミラーニューロン
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高いところで綱渡りをしている人や高層ビルの窓拭き作業を見て、足の裏がむずがゆくなるような思いをしたことは、誰にでもあるでしょう。高いところの作業だけでなく、人が殴られようとする瞬間に思わず目をつぶってしまったり、くすぐられるところを見ると自分もくすぐられているように感じるのは普通の反応です。

自分自身の肉体には何の関係もないのに、どうしてそのようなことが起きるのでしょうか。人間は自分ではない他の人間だけでなく、犬や猫のような動物にも危害が加えられるのを見るのを通常好みませんが、これは動物愛護の精神と必ずしも関係ありません。あまり趣味の良い話ではありませんが、誰かが猫の首を刃物で切り落とそうとするのを見て自分の首をすくめてしまうようなことをするのは、高尚な動物愛護精神以前の生体反応に近いものです。

他人(動物も含め)に起きていることを自分のことのように感じるのは、人間は他人の行動を自分が行っているように頭の中でシミュレーションする能力を持っているからだと考えられています。サルの脳にはミラーニューロンと呼ばれる部位があって、他のサル(人間を含む)が行っている行動と同じ行動をするとき活動することが知られています。サルのミラーニューロンは行動を真似するときだけでなく、単に見るだけでも活動します。ミラーニューロンを使ったシミュレーションは実際の行動を伴わないで、頭の中だけでも行うことができるのです。

ミラーニューロンはサルの話なのですが、人間ではミラーニューロンに相当する場所には運動と言語をつかさどるブローカ野と呼ばれる部位があります。言葉は「サル真似」の発達したものだと考えるとそういう気もしてきますが、それはそれとして人間にもサルのミラーニューロンのように、他人の行動を脳の中でシミュレーションする働きがあって、それが綱渡りをする人見た時に足の裏をむずがゆくしていることは間違いありません。

人はサルよりはるかに高度な精神行動をするので、他人のシミュレーションは行動だけでなく心の動きがもっと大切になります。心の動きのシミュレーションを調べる一つの実験があります。お菓子の箱を小さな子供に見せて、中に何が入っているかを言わせます。子供は「お菓子」と答えますが、中をあけると鉛筆が入っています。箱のふたを閉じて、「家に帰ってこの箱の中に何がはいっているかママに聞いたらなんて答えるかな」と尋ねます。箱のふたは閉まっているのですから、答えはもちろん「お菓子」なのですが、子供の精神の発達が進んでいないと「鉛筆」という答えが返ってきます。

精神が発育していないと、子供は自分の経験したことと、他人が経験したことの区別ができません。他人の経験を類推するためには、他人の心をシミュレーションする必要があるのです。人の心を当人に代わってシミュレーションする能力は生まれつきではなく、時間をかけて学んでいくものなのです。

人の心をシミュレーションする能力の発達が不十分だと、他人の気持ちがわからないため社会的にトラブルを生じさせることが多くなります。自閉症は他人の能力をシミュレーションする能力が極めて低いため起きる精神疾患だと考えられています。 逆に人の心の動きをシミュレーションする能力が非常に高いと、読心術を見につけているのに近いようなことになります。EQというのも他人の共感力というより、他人の心のシミュレーション能力が高いということでしょう。

人間には他人の行動も心もシミュレーションする能力があるわけですから、他人の痛みや悲しみを理解して、擬似的に同じ感情を共有することができます。映画やドラマで観客に涙を流させたり、怒りをかき立てさせたりするのに、陳腐なありふれた手法でも十分役に立つのは、人間のシミュレーション能力に訴えかけることで、感情移入させることが可能だからです。

これに対し、「笑い」は感情移入では得られません。他人がバナナの皮で滑るのを見て笑うのは感情移入とは逆で、自分以外の人に起きていることに安心しているからです。「笑い」は「悲しみ」「怒り」「喜び」とは違うのです。むしろ笑いは「笑いものにする」という言葉があるように、他人を自分と違ったものだと思うことから出発します。ある種の笑いの持つ毒性やいじめられている相手を見て、いじめる側が笑っているというのは、笑いが感情移入を伴わないということからくるものです。

人間には他人の感情をシミュレーションすることで、他人に危害を加えなかったり、もっと積極的に他人を助けようとする感情を持っています。慈善活動を虚栄心や優越感のためだというような見方をする人もいますが、そのような要素はあるにしても、基本には他人の痛みを自分のものと感じることができるシミュレーション能力があるはずです。しかし、動物の痛みさえ自分のものと感じてしまうような心優しい人間がなぜ人殺しや、戦争を行うことができるのでしょうか。

どうも、人間の頭の中には他人の感情をシミュレーションする働きをオフにして、他人を他人として、もっと言うと人間ではない単なるものとして扱うことができ能力があるようです。これは多分進化の上でも必要な能力です。もしシミュレーションをオフすることができなければ、動物を殺して蛋白源にすることもできません。また、他人を平気で殺せる能力は、部族同士の生存競争では有利に働いたはずです。

しかし、シミュレーションをオフする能力は、戦争で敵を大量に殺したことを国をあげて喜ぶようなことにつながります。戦争だけでなく、人から物を盗んだり、いじめたりするのは少なくとも相手に感情移入していてはできないはずです。また、シミュレーション能力は結構都合よくできていて、詐欺を働くようなとき、相手の感情の動きを正確に類推しながら、騙される側の悲しみを全く気にしないということもできるようです。

死刑に対して反対か賛成か意見が真二つに分かれるのも、死刑囚に感情移入しているか、死刑囚の心をシミュレートしているか、逆に死刑囚を秩序を破壊する社会の不純物と思うかの違い根本にあるでしょう。もちろん、死刑に賛成する人が他人の心のシミュレーションをオフしっぱなしということはありません、死刑に賛成する人が災害で苦しむ人に義援金を出すことはいくらでもあります。シミュレーションのスイッチはその時々で、オンになったりオフになったりするのです。

オンとオフが簡単に行われるのは、人間が時々恐ろしいほど残酷だったり、凶暴だったりすることがある理由でしょう。ナチスのユダヤ人のホロコーストや、カンボジアのポルポトの大虐殺はとても人間のやったこととは信じられないようなものですが、虐殺を実行した人々はみな、虐殺される人の感情をシミュレーションする回路をオフにしていたに違いありません。 そして回路をオフにすることはほとんどの人にとってそれほど難しくないようなのです。

他人の心をシミュレーションする回路のオン、オフを簡単にできるのは必要なことなのでしょう。かりに、シミュレーション回路がいつもオンのままでいると、人の痛みが気になって自分のことが何もできなくなってしまいます。それどころか、魚釣りで針を飲み込んだ魚の苦痛を感じて、魚を食べるどころではなくなってしまうことさえ考えられます。

しかし、他人の感情をシミュレーションしない限り、どんなに沢山の人が死んでもそれは数字の問題でしかなくなってしまいます。テレビのワイドショーで災害の被害者にしつこくインタビューするのは、見ていてあまりきもちのよいものではありませんが、それでも被害者の気持ちをシミュレーションする役にたってはいます。もちろん、ワイドショーで報道しないからといって、そこに大きな被害がないということにはならないわけですが。

こちらもご参照ください

EQ - 鏡の中の自分 (1)
EQ - 鏡の中の自分 (2)
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