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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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ロシアと石油
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ロシアは自信を取り戻した

2007年7月、ロシアの外貨準備高は4100億ドルを超えました。これは中国の1兆3300億ドル、日本の9100億ドルに次いで世界で第3位にあたります。ロシアの外貨準備高は絶対額もさることながら、驚異的なのは増加のスピードです。年末の額で比べると、ロシアの外貨準備高は2004年に1200億ドル、2005年に1700億ドル、2006年に2900億ドルと年々50%以上のペースで増加し勢いは衰える様子はありません。

ロシアの外貨準備が急激な増加を始めたのはプチーン大統領が就任したのとほぼ同じころです。1998年8月にロシアでは対外債務の支払いを停止する、いわゆるロシア経済(財政)危機が発生します。あおりをくって、アメリカの巨大ヘッジファンドのLTCMが崩壊し、世界経済全体が危険な状態になるのですが、この頃のロシアの外貨準備高は120億ドル程度で、プーチンが大統領に就任した1999年12月でもほとんど回復はしませんでした。

ところが2000年に入るとロシアの外貨準備高は急激な増加を始めます。2000年末には280億ドルになった外貨準備高は2001年には370億ドル、2002年には480億ドル、2003年には780億ドルになりました。ロシアは破産寸前(というより事実上の破産)の状態から完全に立ち直り、再びアメリカと対立してソ連時代のスーパーパワーの地位を取り返そうとしているようです。

ロシアの経済回復にプーチンの手腕があったのは事実なのかもしれませんが、直接的には石油価格に上昇が背景にあることは疑う余地がありません。 ロシアはソ連時代は世界最大の産油国でした。石油の生産量は末期を除き一貫してサウジアラビアを上回り、日量1千万バーレル超えていたのですが、ソ連崩壊にともなう混乱から低下を続け、95年ごろには日量600万バーレルを下回るようになりました。

さらに、石油価格の下落がありました。1980年のイラン・イラク戦争に端を発した第2次石油ショックで1バーレル40ドル近くに上昇した石油価格はその後20ドル以下を低迷します。石油相場は第1次湾岸戦争でも回復せず、ロシア経済危機の発生した1998年、石油価格は年平均で12ドル以下になります。これは物価の上昇を考えると、第2次石油ショックのピークの5分の一以下の水準です。ロシアの石油産業は1998年には量、価格の両方で極めて深刻な状態に陥っていたのです。

ところが石油生産は2000年ごろから回復をはじめます。2005年には日量900万バーレルを超え2006年5月には926万バーレルを記録して、再びサウジアラビアから世界最大の産油国の地位を取り戻します。一方、石油価格も1998年を底に上向きに転じ、2006年にはバーレルあたり60ドルを超えて、その後も高値を維持しています。90年代にロシアを危機に陥れた石油は、2000年代にロシア経済を強力に後押しするようになりました。

単純に計算しても。日産600万バーレルでバーレルあたりの価格12ドルから、日産900万バーレル、価格60ドルになると、収入は7.5倍、年間で1500億ドル以上も増加します。国内で消費する分やドル価値の低下という要素は無視できませんが、ロシアは産油国としての強みを復活の原動力にすることができたのです。
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オイルショックで石油開発は推進された
第2次世界大戦後、急激な石油価格の上昇は3回あります。1回目は第四次中東戦争でイスラエルを支援するアメリカなどにアラブ産油国を中核にしたOPECが反発してイスラエル支援国への石油禁輸を行ったために起きた、1973年から1974年の第1次オイルショックです。このとき石油価格は1バーレル3ドルから12ドル以上に跳ね上がりました。

OPECは欧米の石油企業に資源を牛耳られていることに不満を持った産油国、サウジアラビア、クウェート、イラン、イラク、ベネゼイラの5カ国が1960年結成しました。その後OPECは1971年までに6カ国が参加し石油生産で大きな位置を占めるようになったのですが、石油価格は1バーレル3ドル程度で長い間変わりませんでした。物価上昇を考えると実質的に石油価格はずっと下がり続けていました。 安い石油は安い石油に依存する経済を生みます。第1次オイルショックの直前には、石油が安く、いくらでも供給されることを前提に世界経済は動いていました。

第1次オイルショックは日本ではトイレットペーパーが店頭から消えてしまうようなパニックを引き起こします。 パニックは消費者だけではなく、産業界の衝撃はさらに強いものでした。安い石油を前提にした産業構造は大転換を迫られます。大型タンカーの造り続けていた日本の造船産業は長い低迷期に入ります。大量の電力を必要とするアルミ精錬業は、事実上日本での生産を止めてしまいました。

第1石油ショックに世界は二つの反応をしました。一つは消費国の産業転換を含む省エネルギーの推進、もう一つは非OPEC産油国の増産です。1970年代にイギリスとノールウェーは北海油田の開発で石油輸出国に転じます。しかし、そのような努力があったものの、産業構造の転換や非OPEC諸国の増産はすぐには効果があがりませんでした。逆にイラン革命などにより、70年代後半にはOPECの産油量はピーク時の半分程度になってしまいます。

石油の需給ギャップは1980年に起きたイラン、イラク戦争で決定的になります。石油減産自身と将来に対する不安から石油価格は再び急激に上昇します。第2次オイルショックです。第1次オイルショック後小康状態にあった石油価格は1バーレル40ドル近くになりました。これは物価上昇を考えると現在の70ドル近い水準になります。

しかし、本質的には長年の安い石油価格に依存したために生じた需給ギャップが引き起こした石油価格の高騰は、需給バランスの回復により急速に終焉に向かいます。80年代初めには非OPEC産油国の増産がOPECの減産をほぼ埋め合わせます。省エネも一定の成果を上げ、石油価格は低明期に入ります。ロシア経済危機の起こった1998年には、インフレーションを考えると石油の価格は第1次オイルショックの直前とほぼ同等の戦後最低の水準になります。

石油に関して歴史は繰り返しました。非OPEC諸国、OPEC諸国の生産量がともに頭打ちになるなかで、省エネの意欲は急速に衰えます。原子力発電所も危険性から新規の建設が先進国でほとんど行われなくなりました。石油価格がボトムをつけた1998年、ドイツは2023年までに原子力発電所を廃止することを社会民主党政府が決定します。

そのような中、中国、インドを中心としたアジア諸国の石油消費量は90年代後半から急増を始めます。いったん、需給バランスが崩れたことに世界が気づくと石油価格は戦後3回目の急激な上昇を始めます。2006-7年にかけて石油価格の水準は名目ではもちろん実質価格でも第2次オイルショックにほぼ匹敵する戦後最高の水準になっています。

この後、石油価格はどうなるのでしょうか。このことを考える前に、ロシアに話を戻しましょう。ロシアは戦後3回目の石油価格の高騰で息を吹き返しました。自信をとりもどしたロシアはヨーロッパのミサイル防衛網構築に反対するなど、軍事的にもアメリカと対立を深めています。70年代の石油価格の高騰時にはどうだったのでしょうか。

第1次オイルショックから第2次オイルショックにかけては、アメリカを含め西側諸国は散々な状態でした。アメリカはベトナム戦争で敗北し、自信と経済力を失っていました。西側諸国はインフレと不況が同時に起きるスタグフレーションに苦しみ、資本主義自体がダメなのではないかとさえ言われました。

一方ソビエト・ロシアも実態は良いものではありませんでした。官僚主義の非能率に冒され、さらに西側との技術ギャップは広がっていました。しかし、それでも石油価格の上昇はソ連に自信と力を与えていたのでしょう。第2次オイルショックの前年の1979年ソ連はアフガニスタンに侵攻します。デタントと呼ばれたアメリカとソ連の関係改善は中断し、世界は再び緊張を高めます。

1980年にアメリカ大統領になったレーガンはソ連を「悪の帝国」と呼び、宇宙戦争を想定した壮大なStar Wars計画を始めたとした軍備拡張を行います。ところが、ソ連の頼みの石油価格は80年代に入り急激に低下します。しかも、悪いことにソ連の石油生産も低下を始めます。古い技術に依存し、新しい油田の開発が十分でなかったためです。ソ連はアメリカの軍拡に対応する力は最早なく、経済的な困窮に追い込まれました。

価格と量の下落が同時に起こったため、ソ連は東側の閉鎖経済を維持することができなくなり1990年を前後し、最初は東欧社会主義国家、次いでソ連自身が崩壊します。ソ連の崩壊は根本的には体制の非能率さが原因ですが、石油が豊富に供給されたことで延命ができ、石油の収入が得られなくなることで終焉を早めました。

2000年に入ってから石油収入が急速に増大し、ロシアは大国主義に回帰しようとしています。石油価格が当分維持される限り、プーチン政権は安泰でしょうし、ソ連時代の超大国の栄光を取り戻そうとする動きは続くでしょう。アフガニスタンにソ連が侵攻したときと時代背景を比べると、ベトナム戦後自信を失った当時のアメリカと、イラクの泥沼化に苦しむ今のアメリカは妙に符合します。 イギリスで平然と暗殺事件を起こす最近のロシアを見ていると、軍事的にも無視できない危険があるように思えます。

一方、石油の需給関係はどうでしょうか。第1次とそれに続く第2次のオイルショックを解消したのは、主として非OPEC諸国の増産と、省エネ的な産業構造の変換でした。今度は新しい産油国の出現はほとんど期待できません。需要の側は、第1次石油ショックが安い石油に慣れた先進諸国の産業構造を転換することが可能でしたが、現在の需要は中国、インドのようなもともと消費が少なかった国が大量消費国に変わる過程で需要が増えているため、簡単には消費量を減らすことはできません。

考えられる可能性は、供給側は原子力の見直しを含めた代替エネルギー転換が進むことと、二酸化炭素削減のために省エネが推進されることです。 ところがアメリカはブッシュ政権になってから、脱石油どころか石油消費の増大に邁進しています。まず、二酸化炭素削減を義務付ける京都議定書への参加をブッシュ政権は拒否しました。電気自動車への補助金も打ち切られ、GMは先進的な電気自動車の開発をあきらめました。

石油の安定供給を目指した中東への軍事介入は政治的な反発だけでなく、イラクの石油生産の減少を招いています。要するに2000年のからのロシアの復活はプーチンの手柄というより、2000年に大統領に選ばれたブッシュの貢献の方が大きいと言ってもいいくらいです。 プーチンは心の底ではブッシュに感謝しているのかもしれません。
BushPutin_022405.jpg
本当はお友達?

第1次、第2次のオイルショックの経験では、ほぼ10年で非OPEC諸国による供給増と、産業構造の変換で石油価格の値上がりは収束しました。今回も同じことが起これば、2000年に始まった石油価格の上昇はそろそろピークをうち、2010年過ぎには1バーレル20ドル程に落ち着くことになります。ただ今回は代替エネルギーの開発と省エネに依存する部分はより大きくなるでしょう。

技術的には代替エネルギーの開発も省エネも可能でしょう。石油価格の値上がりが続けば、未知の技術も採算に合うようになります。むしろ、石油の需給より問題なのは人類のエネルギー使用が環境に与える負荷が耐え切れないほどになっていることです。OPECのように環境を独占する組織はありませんが、環境の代替供給源もありません。それでも石油が安くなれば無駄遣いをし、上がれば産油国が軍拡を行う。この繰り返しでは、今度ソ連の代わりに崩壊するのは、人類文明そのものかもしれません。人類が今度こそ本当に反省するか、まだ結論は出ていません。

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