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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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喫煙文化と嫌煙文化
007smokin2.jpg

かつて喫煙をポジティブにとらえる文化がありました。「紫煙をくゆらす」というのは、大人がゆっくりとくつろいでいる様子を想像させましたし、男らしさを象徴する小道具として、007やゴルゴサーティーンにも欠かせないものでした。

昔の映画を見ると、外国映画でも日本映画でも驚くほど煙草を吸うシーンが出てきます。そのような映画で二枚目俳優が煙草を優雅に口にくわえる仕草は格好良く、男なら真似をしたくなるようなものでした。喫煙は嗜好品としてだけでなく、ファッションとしても溶け込んだ文化だったのです。

現在では喫煙文化は嫌煙文化という正反対の文化の攻撃にあっています。喫煙文化と嫌煙文化は対立する文化です。一つ場所は喫煙が許されないかの二つに一つで、中間ということはありえません。

文化とはある人間の集団が共有する認識です。文化は科学的な根拠がある場合も、ない場合もあります。ユダヤ教徒が豚を食べない、日本人が犬を食べないというのは文化です。殺人や泥棒が犯罪なのも文化です。

文化は万有引力の法則のような科学的事実ではある必要はないので、文化が違えば同じことが正しいことも悪いこともあります。そして、異なる文化同士では往々にして、鋭い対立が起きてしまいます。

喫煙を支持する、あるいは喫煙を単なる個人の趣向の問題だと思う人を喫煙文化派だとしましょう。当然ですが多くの場合喫煙文化派の人々は喫煙者です。

喫煙文化派の人は喫煙の害をそれほど深刻には考えていません。それどころか喫煙の害を極めて否定的に考える人もいます。煙草を十本続けて吸うと死んでしまうとか、煙草の煙を吹きつけられたら気絶するということはないので、喫煙は害がないという主張を維持することは不可能ではありません。

統計的には喫煙者は非喫煙者に比べ5年ほど平均寿命が短い(香港男性は何故長生き)のですが、喫煙者が一生の間に30万本から100万本くらいの煙草を吸うことを考えると、1本の煙草の害など無視してもよいかもしれません。まして、他人の煙草で間接喫煙させられたかといって、大騒ぎするのは科学的におかしいのではないかというのも必ずしも誤りではないでしょう。

喫煙の害を小さく考える、ないしは無視する喫煙文化派からみると、嫌煙文化派の人はヒステリックで独善的にも見えてしまいます。本来個人の嗜好の問題なのに、あたかも罪悪であるかのごとく言うのは、それこそ自分の嗜好を押し付ける感情論だというわけです。

しかし、嫌煙が文化であるなら、嫌煙文化派の面前で煙草を吸うのは文化に対する挑戦になります。床に落とした食べ物を食べるというのは、科学的には衛生上のリスクはほとんどありませんが、人に落とした物を食べろとは言えないのは、落ちた物を食べないという文化があるからです。

レストランでウエイターが落とした食べ物を目の前で皿にのせ直して出してきたら怒る人がほとんどでしょう。ビジネスマンの集まった立食パーティーで、落とした物を拾って平気で食べるところを見られたら、社会人としての常識を疑われます。

厳密な科学的根拠がなくても、嫌煙文化の人にとって他人の煙草の煙を吸わされるのは、落とした物を食べさせられるのと同じように文化的に極めて不愉快なことなのです。人前で煙草を吸うことが、落とした物を食べたり食べさせたりするほどには非難を浴びないのは、嫌煙文化が、まだそれほどは一般的でないからに過ぎません。

人間は食べたり、飲んだりして体内に物を入れることに本来大変神経質です。賞味期限切れの食品、アメリカ牛、中国の野菜など実際のリスクはそれほど高いとは思えませんが(中国野菜の農薬汚染は多少気になりますが)、食べないという選択肢を選ぶことができます。しかし、他人の煙草の煙を吸うのは同じ空気を共有する限り不可能です。他人に文化的に受け入れられないものを強制的に摂取させられるのは、煙草くらいしか普通はないのです。

「世の中にはゴミを捨てる人や、ガムをクチャクチャかむような行儀が悪い人がいるのと同じで、生きている限りは我慢しなくてはならないこといくらでもある」から、喫煙をいちいち気にしたり、うるさく言うなと意見もあります。

確かに世の中には行儀の悪い人、社会道徳に欠けた人が沢山いるのは事実です。しかし、嫌煙文化派の人は「ちゃんとした社会常識のある人は人に自分の煙草の煙を吸わせるな」と言っているわけです。喫煙文化派の人はゴミを路上に捨てるほどには、喫煙は悪くないと思っているはずです。

「車の排気ガスのほうが煙草よりはるかに有害だし、車に乗ることのほうが人類社会に対して負担を強いている」という理屈もあります。確かに科学的には車の排気ガスはそのまま吸うと死んでしまうほどで、毒性は煙草より強いのは確かですが、平均寿命への影響という点では、煙草のようなマイナスはありません。

二酸化炭素や資源の浪費という点では、車に限らず人類の活動の多くを考え直さなければならない状況になってきているのですが、大型のSUV車を乗り回すことは「文化」としては非難の対象にはまだなっていません(これからはわかりませんが)。

結局世の中で喫煙文化を認める力と、嫌煙文化を求める力のどちらが強いかということが問題の根っ子です。流れからいうと嫌煙文化の力は時とともに強まっています。もっと嫌煙文化が強くなれば、煙草を吸う場所が公共の場所から消えてしまうだけでなく、煙草を吸うことが落ちたものを平気で食べるような無神経で行儀の悪い行為とみなされるようになる可能性もあります。

ネットの世界を覗くと、喫煙文化派、嫌煙文化派は熱く議論を戦わせています。文化の違いを理屈で説明しようとしても本来無理があるので、議論自体の収束は難しいでしょう。また、喫煙文化と嫌煙文化はイスラム教とキリスト教より共存が困難です。

ディズニーは先月映画で喫煙のシーンをなくすことを発表しました。これはこれで、それこそファシズム的なやり方のような気もしますが、いまや「格好良く」煙草を吸う場面はハリウッド映画からも消えつつあります。喫煙をポジティブにとらえるという意味での喫煙文化は確実に世の中から消え去ろうとしています。

(文化論ではなく行動経済学で喫煙を考えることもできます。・・「喫煙と行動経済学」)
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この記事に対するコメント

嗜む物としてのタバコは、構造的に欠陥を抱えていることも嫌煙派、喫煙派の争いの火種になっていると思います。
一つに喫煙者が嗜んでいる間は確実に、火をともなっていること。人は自分で制御できない火を本質的に恐れる生き物ですから、喫煙者はこの時点で嫌煙家のみならず一般人にも危険を与えているわけです。
次に本文でも書かれていますが、燃焼に伴う煙の発生を防ぐことが難しく周囲に影響を与えなければいけない嗜好品であるため、個人単体で嗜む物として完結していないことです。
これらの欠点を見過ごせない文化になってきたと言う事なのでしょうね。
【2007/09/18 17:49】 URL | エスト #K.8lH0lM [ 編集]

文化のベース
記事の論調は非常にわかりやすく、ある一面としては正しいと思います。割引率の主張もすごく納得いきます。
一般的な愛煙家は嫌煙家が「煙の匂いが嫌い」ということを理解しているのでなるべく迷惑をかけないように思っていると思いますが、blog主の仰るように私にも「これぐらい」という気持ちはあるでしょう。

しかし、論争が絶えないのは「嫌い」であることを全面主張するのではなく、科学的に煙草は害だという主張を受動喫煙に持ってくるから到底受け入れがたいのです。嫌いであれば徹底的に分煙すればいいのだが、喫煙を排除しようとするヒステリックな政治活動は多々見られます。

受動喫煙のリスクと言うのは受動喫煙のハザード(害)×暴露量で定義できると思います。受動喫煙から逃れられない家族や職場ならまだしも、紫煙が嫌いと公言している人に受動喫煙リスクが存在しているとは思えません。そのように存在しないものを根拠に挙げることで説得性がゼロとなるため誰も喫煙者が納得しないように見受けられます。

尚、喫煙リスクが無いとか、モラルが悪い人が存在するとかは一切否定しません。
また喫煙による医療費増大論は多分正しいのでしょうがいまいちよく分かりません。なぜなら寿命が長くても病院で死ぬことには変わりないからです。
【2008/06/11 14:08】 URL | wood #- [ 編集]

よくわかる事とよくわからない事
今頃になって、たまたまこちらに辿り着きました。

> 科学的には衛生上のリスクはほとんどありませんが、人に落とした物を食べろとは言えない

これはわかりやすいですね。今後私も参考にさせていただきます。
ただし、長年かけて病気になる、命を縮めるというだけでなく、気管支喘息や化学物質過敏症の発作のように、受動喫煙には速効性?の害もあることも忘れてはいけないと思いますが。

一方で、コメントされた方の
『しかし、論争が絶えないのは「嫌い」であることを全面主張するのではなく、科学的に煙草は害だという主張を受動喫煙に持ってくるから到底受け入れがたいのです。嫌いであれば徹底的に分煙すればいいのだが、喫煙を排除しようとするヒステリックな政治活動は多々見られます。』

にそっくりな言い回しを多々見たことがあるのですが、曖昧模糊としていて、少なくとも私には意味不明です。科学的根拠に基づいて主張することが何故受け入れがたいのか、「排除」とはどういうことを指すのか、徹底的に分煙することとの違いは何だと見ているのか、何がヒステリックなのか…
【2009/03/07 13:52】 URL | るばーと #C7v0DtMs [ 編集]


煙草の常用は、自分の発する匂いなどにほぼ完全に鈍感になる。

もう、これにつきますね。

喫煙は文化であってもなくてもどっちでもいいです
ただ少なくとも嫌煙は文化ではないし、喫煙と相対するなにか、等価なものではありません。
副流煙の存在によって、まわりの無関係なただの人が(喫煙文化とやらに)巻き込まれて苦しんでいるだけです。
嫌煙はそうやって無関係(煙草を拒んでいるわけでも、吸わないことを「選択」しているわけでもなくただ自分の人生を生きているだけ)の人々に便宜上ふった記号でしかありません。
【2009/04/12 17:41】 URL | おこげ #- [ 編集]

とても参考になりました。
 わたしが喫煙者であることが判って、ミクシィでのマイミクシィに絶縁されてしまいました。彼は大学のクラスメートで、当時はわたしが喫煙をしていなかったので、非喫煙者だと思われていた次第です。「喫煙者とはお付き合いしないポリシーなので」とのことでしたが、始めはいったい何が起こったのか理解できませんでした。
 わたしは、喫煙はひとつの文化だと思っていたので、また彼は異文化に基本的に寛容な人物であったので、喫煙に対するアレルギーの強さが理解できなかったのです。そこでこの強烈な反応の背景を探っているうちに、このブログへたどり着きました。とても客観的な内容で、とても参考になりました。
 因みに彼は「喫煙は文化ではないし、マナーも存在しない。喫煙自体がマナー違反である。」と書いていました。
 これだけ確かな知識を持ち、客観的な論評を付与できる人物は少ないと考えますので、今後ほかの記事も拝見させて頂きます。
【2009/04/15 12:52】 URL | 桃栗 #6BZoi3no [ 編集]

グローバリズムは喫煙を許さない
 その後の考察で、最も合理的な捉え方を見出したので、記載します。日記形式を採っているので、やや読み難いかも知れませんが、この方がわたしの思考の流れがご理解いただけると存じます。

 本日の毎日新聞に、村上龍著「無趣味のすすめ」の紹介記事が掲載された。この本は、月刊誌「ゲーテ」に連載中の文章をまとめたもの。毎回、編集部がテーマを設定し、それについて村上さんが書く趣向。話題は多岐にわたるが、村上さんの態度は一貫しているそう。それは、その問題から、実は本質に触れていない精神論的な修飾を剥ぎ取り、その問題をめぐる現実の構造をあらわにし、わかりやすく伝えようとしているのだそうだ。
 納得がいったもの 「リーダーの条件」 村上さんはリーダーの「資質」などどうでもいいと断言している。どこに問題があり、何をすればいいのかわかっている人物。そして、そのための優先順位を考えられる人物であることが必要。
 違和感を感じたもの 「グローバリズム」 グローバリズムは思想ではない。大きな潮流のようなものだ。だから、付和雷同したり、称賛したり、立ち向かったり、毛嫌いしても仕方がない。適応するしかない。鎖国でもしない限り、グローバリズムの波は避けようがない。適応するのが、最も合理的。
 今回は、村上さんの意見に反論することが目的ではない。今後、わたしが感じた違和感について随時記載する予定。

 本日、帰宅の車中にて人生の転機を見出した可能性が高いのだが、ここはこらえて予定どうりの内容を記す。
 わたしはグローバリズムを、経済システムをアメリカ化し、世界中の国家を同じ土俵に上げるアメリカの世界戦略と捉えていた。そうして、この枠内に於いて日本が抗う道はない・むしろ年功序列に代表される日本型システムが通用しなくなる過程での変革を望んでさえいた。
 しかし村上さんの書き方からすると、これは経済的な話だけでなく、文化的レベル・国民としての個人の在り方にも踏み込んでいるのではないかと感じた。
 最初に浮かんだのが捕鯨。歴史的には日本の捕鯨は食用として、しかも隅々まで食する、一種の食文化であるというのがわたしの認識である。一方、例えばアメリカでは脂肪分のみを工業利用するための捕鯨であり、脂肪分以外は廃棄されていた。国際捕鯨委員会も、当初は世界中の捕鯨を行う国で、協調的に有効な捕鯨を行う趣旨で発足した。ところが現在では捕鯨を慣習としない国ばかりか、海に面していない国まで会員となり、反捕鯨の立場をとっている。グリーンピースに代表される反捕鯨団体は、日本の調査捕鯨の妨害を行い、その映像を餌に資金を得ている。一方国内でも捕鯨の必然性を認めない割合が80%に及び、国益を考えれば、反捕鯨に回った方が圧倒的に有利な状況になっている。
 白人の皆さんは、ニュースで流される、血を流すミンククジラを可哀そう、日本人は残酷と言いながら食事をしている。さて彼らが家畜だからと割り切っている、牛の屠殺風景を見ながら平気で食事が出来るのだろうか? 多分、出来まい。これは非常に不公平な状況と言わざるを得ない。
 しかしこれがグローバリズムであると言われてしまえば納得出来る。そこには歴史も・科学も・知識も・寛容も存在しない、単にムーヴメントであるからだ。

 わたしが喫煙することで、全人格を否定されるがごとき扱いを受けたことに、始めは面食らった。但し彼は喫煙者であるということを知った瞬間にこうした行動に出たわけではない。
 普通の発想で原因を考え、箇条書きにすると
○ わたしが喫煙をひとつの文化であると主張した点が、彼には絶対的に受け入れられなかった。実際彼は、喫煙は文化ではないと、絶縁状に当たるメールに書いていた。
○ 同じ文面上に、嫌煙運動に関して、アグレッシヴ・ヒステリックという言葉を用いたのが、同様に許し難かった。
○ わたしが医師であることに強い問題意識を感じた。
○ わたしの知識不足に唖然とした。実際これは認めざるを得ない部分がある。わたしは喫煙者がニコチン中毒患者として取り扱われていることを知らなかった。
○ 国際派の彼と、とかくドメスティクなわたしの感覚のづれが大きかった。
○ 元々、わたしの日記の内容・彼の日記への書き込み内容に、彼の気に障る部分があり、絶縁に至る背景があった。
○ 俗っぽく言うと、堪忍袋の緒が切れた。
○ わたしの家族への受動喫煙に対する配慮がない、そのわたしの神経が許せなかった。
○ 彼の専門領域への冒涜であると受け取られた。
 
 しかし彼は熱い人物ではあるが、礼儀正しい人物である。実際、本件においても、絶縁状に当たるメールに、自分から誘っておいて悪いがと書いてあったし、わたしの書き込みを削除した旨のメールも頂いた。その彼がここまで徹底した態度をとる説明としては、以上の考察では弱い気がした。
 そこでグローバリズムである。嫌煙・禁煙は世界のうねりになっている。実際、彼は日本が一番遅れていることを嘆いていた。これは事後に聞いた話だが、イギリスでは、日本ではたばこの煙が充満していそうな性質の店であっても、完全禁煙であるし、そもそも喫煙している人間が居ない。イギリスで今日に至っても喫煙しているのは、失礼な言い方になるが、下層階級だけなのだそうだ。そう考えると、感度の差があるにせよ、一応頭を使う必要がある仕事で、よりによって医師がという彼の心情が一気に理解出来た。クジラと違って、科学的な根拠もある訳だし。

 グローバリズムを文化まで広げて考えてみると、白人の価値観の押しつけの面が途端にクローズアップされてくる。これは新手な帝国主義ではないかと思い至った。
 9.11事件は反グローバリズム的側面があったと思うが、犯人が無差別的な殺人に至る心情が理解出来なかった。しかし本日時点では、彼らの危惧・恐怖が判らないでもない心持になってきた。クジラの食文化について多くの白人達が知らないように、イスラムに対する理解度は低いであろう。それに何と言ってもイスラエルの存在が大きい。長らく差別されてきた民族が採っている方法が、まるで日本の体育系部の先輩・後輩の負の連鎖と同じでは。いわば無認識の罪をアメリカ国民やそこで働く他民族が負わされてしまった図式だ。

 村上さんの隣の記事が、わざとか偶然か、村上春樹の長編に関する連載記事だった。わたしは村上春樹の29年来のファンであり、いつの頃から、この手の記事は読まなくなっていた。この日は「ダンス・ダンス・ダンス」であったが、何となく読んでみる気になった。内容に新味はなかったが、この作品で、社会の中の個人としての「僕」に「羊」が「何も考えずに踊り続けなくてはならない。」と話す場面があったことが思い起こされた。当時は現在に至るグローバリズムは始まっていなかったが、回顧的にはグローバリズムは存在した。わたしは社会を日本社会に限局して捉えていたが、村上龍さんの記事を読んだ後には、村上春樹が感じていたひとつに、グローバリズムが含まれていたのではないかと思えてきた。
 村上春樹はご自分が思われているより有能な人物である。また彼の「個」はたいへんに頑強である。わたしは能力が劣るものの、彼の様に「個」を守りたいと考えてきた。しかし今回、グローバリズムの正体が見えてしまったからには、社会に於ける自分の小ささが身に染みる結果となった。わたしは彼ほど強くない。これで戦いから降りようと思う。悲しいことだが、わたしは拘りから解放された。
【2009/04/22 11:59】 URL | 桃栗 #6BZoi3no [ 編集]


そんな崇高な文章で表現しなくても
単純に社会が閉塞してきていて何かしらの大義名分をもって叩ける存在が必要なだけでは?
要するに分かりやすいスケープゴートなのではないかと思っています
自分は喘息気味なのですが、通りすがりに喫煙所からの煙が来たとしても
長時間目の前で吸われるとかでない限りは苦痛に思いません
煙草を嫌がるのも文化とおっしゃっていますが、自分から見るとただの詭弁にしか思えません

とは言え、どんな物が根底に潜んでいるとしても
世の中の大きな流れは喫煙者の方には優しくないのは事実でしょうね
【2011/08/20 13:04】 URL | 名無しさん@ニュース2ちゃん #- [ 編集]


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