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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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進化論をビジネスに適用すると
「最も強いものや最も賢いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残るのだ」言葉はダーウィンのが言ったことになっていて、小泉前首相も引用したので一段と有名になりました。しかし、この言葉はダーウィンの「種の起源」にも出ておらず、そもそもダーウィンはそんなことを言ったという証拠もないようです。しかし、変化しなければ生物が生き残れないように、企業も環境に適応できなければ滅びてしまう、ということはよく言われます。企業戦略策定の基本的ツールの一つのSWOT分析というものがあって、企業の外部環境、内部環境を分析し、企業が環境にどのように適応しているか検証するのに使うのですが、生物を企業に置き換えて、進化論をビジネス論に適用しようとするのは、言ってみれば自然なのかもしれません。

進化論の適用例として自然淘汰という考え方があります。生物は突然変異で様々な変化をします。変化の中で有利な変化をしたものが、生き残り子孫を繁栄させるという理論です。これが冒頭の強いものが生き残る、さらに競争原理で勝ち残るのは自然の(神の)摂理なのだという考えにつながるわけですが、真っ正直に進化論をビジネス論に適用しようとすると、色々難しい問題が出てきます。進化論では自然淘汰に勝ち残るためには、

(1)個々の個体が生き残る
(2)生き残った個体が子孫を沢山作る

ことの2つが基本になります。(1)の方は生物が食物の獲得に成功する、捕食者から身を守る能力を持つということです。これを市場の獲得、競争相手との勝利、と読み替えることは意味があるでしょうか。次に(2)の方ですが、子孫の生産のためには配偶者が必要です。進化論では性選択と言って、異性に好まれることが進化で勝ち抜く必要条件になります。しかし、この条件は往々にして(1)と矛盾します。

良く出てくる例に孔雀の雄があります。孔雀の雄は美しく大きな羽を持っていますが、個体の維持のためにはあまり役には立ちません。それどころか、奇麗で大きな羽を作るコストは莫大なものでしょうし、動きを束縛し、やたら目立つので捕食者に対し不利になるはずです。同じように繁殖期になると生物は、やたら大きな声で鳴いたり、目立つように飛び回ったり(雄が多いのですが)、捕食者の餌食になりやすいことを沢山行います。性選択で配偶者を顧客と考え、性選択のためのコストをマーケティングコストに置き換えるのは、例え話以上の意味があるでしょうか。

ダーウィンの時代は科学的には存在が確認されていなかったのですが、結局生物が勝ち残るとはいかに「自分」の遺伝子を大量に残すかということに尽きます。「自分」と括弧にくくりましたが、この場合個体としての自分なのか自分の遺伝子そのものなのかという事が問題です。進化論的な考えでは「自分」とは自分の遺伝子に他なりません。「利己的な遺伝子」という本がありますたが、この本で著者のドーキンスが言っていたのは、遺伝子から見れば生物の個体というのは寿命の短い取り替えのきく乗り物過ぎず、遺伝子こそが、永遠の寿命を持っているということになります。

このあたりになってくると進化論のビジネスへの適用は、単なる比喩以上には難しい気がしてきます。企業にとっての遺伝子? 企業のDNAというような言い方を最近しますが、これな本田イズムとかXX魂とか、企業の伝統、文化を指すものです。どうもピンと来ません。所詮比喩は比喩なのかもしれませんが、そう結論付ける前にちょっと視点を本当の進化論にもう一度戻してみましょう。

生物を観察すると、その複雑さに驚かされます。眼の構造を見ると、光を取り入れ屈折させるレンズ機能の部分や、光を感じ取る受光部分、受光した情報を脳に伝達した神経など多数の部品が精密、正確に組み立てられています。このような精緻な物が、コインの裏表のような偶然に頼った突然変異と、その後の勝ち抜き合戦だけでできあがるものなのでしょうか。そうではなくて誰かが詳細な設計図を作り、それに基づいて計画的に進化を運営していかずに可能なのでしょうか。これは進化論に対立する創造論という考え方です。アメリカでは進化論は聖書の教えに反すると言って教えない学校もあるらしいですが、さすがに指導的な立場の人が「人間の祖先が猿ではありえない」というのは難しい。しかし、ブッシュ大統領は創造論に多大のシンパシーを感じていると公言しているようです。要は生物の発生と結果としての人間の誕生は神の御心の賜物以外にはありえないという考え方です。

しかし、少し考えてみると創造論に頼らなくても、進化は説明できます。つまり、進化というのは非常に長い時間に渡って達成されるものだからです。個体の生き残りにせよ、性選択にせよ、ある特定の形質がほんの0.1%他の形質より優位をもたらすと仮定すると、千世代後には、その形質は一方の50倍も沢山遺伝子を残していることになります。千世代というと途方もない数字のようですが、人でも2-3万年です。進化論を云々するような時間から考えると大したことはありません。1時間に2
回ほど分裂するような微生物なら1月足らずということになります。最近、カンブリア紀の大爆発と呼ばれる5億年ほど前に突然生物が空前(そして絶後)の多様化が起こった出来事を、生物が眼を獲得したためだとした理論が出てきたのですが、その理論の提唱者のアンドリュー・パーカーは光に単に反応するだけだった受光細胞が眼に進化するのに百万年もかからなかったのではないかと推測しています。

過去の化石やDNAの採取といった研究が進むにつれ、生物の進化は創造論のような整然とした計画性のあるものではなく、その場限りの生存競争に有利となる変化の積み重ねだということが、ますます明らかになってきています。また、環境の変化がなければ、生物の形態は概ね安定的なものだということもわかっています。眼の誕生はそういう意味で競争関係の激変を招いたことは確かでしょう。眼の誕生以前は互いに接触するまで、捕食者と被食者の関係は発生しなかったのに、突然遠くから捕食者は被食者に襲いかかるようになったのです。以来、逃げるものと追うもののスピードの競争、擬態など様々な戦略が生物によって編み出れ、自然淘汰を通じて、変化を優位に変換した生物が生き残ったというわけです。

それでは、進化論をもう一度ビジネスにあてはめて考えてみましょう。企業のプランナーやコンサルタントは戦略を策定します。戦略策定は論理的な作業で、SWOTその他色々なツールも使い、データ分析、顧客調査など戦略の適用する環境についての情報を集めます。できあがった戦略は創造論の神にも似た精緻なものでしょう。だとすると企業の競争は結局は偶然に依存する自然淘汰、生物の進化よりも計画的に行われるのでしょうか。

必ずしもそうとは言えません。私がサラリーマン人生を始めた30年以上前は新日本製鐵は圧倒的な大企業でした。経団連会長を何人も輩出し、意識の上でも実質的にも日本産業のリーダーだったのです。今でも、新日鐵は製鉄業では日本一ですが売上はトヨタの5分の一ほどに過ぎません。しかし、これは新日鐵が強者の驕りでトヨタのようなカイゼン活動をサボっていたからではないでしょう。戦後間もない間
は、3白と言って、砂糖、紡績、セメントが日本の産業の中心でした。石炭は黒いダイヤと呼ばれて、石炭産業の役員はボーナスで家の一軒くらい軽く買えたそうです。石炭産業が没落したのは、どう考えても改善や企業変革の遅れというより、環境の根本的変化のせいでしょう。トヨタも確かに立派な会社ですが、つぶれかけた日産でも新日鐵の3倍くらいの売上はあるのです。要は企業として成功するかどうかの相当な部分が、環境変化にたまたま適応した産業に存在した、事業品目を持っていたということに依存しているのです。

別の例をではインテルがメモリーからMPUに事業構造を転換した例があります。インテルはそれこそ企業文化的にメモりーを大変重要視していました(半導体メモリーはインテルの発明です)。ところが、製造部門は生産設備が窮屈になると、一枚のウェファーから最大の利益が上げられる製品を作ろうとしていました。上層部の移行に関わらず、インテルはいつの間にかメモリー中心の半導体メーカーからMPU中心の半導体メーカーになっていたのです。

私はどんなに企画、戦略の策定に努力しても未来が不確実である以上、企業の繁栄の大きな部分は長期的には突然変異のような偶然に支配されると考えています。大きな変化をしなくてもゴキブリ、銀杏、シーラカンスが数億年を生き抜いたように、生き残る企業もあるでしょう。しかし、オーストラリアに犬や猫(そして人間が!)が持ち込まれて、先住の動物種の多くが、あっという間に絶滅したように、なくなる産業もあります(1970年代の第一次石油ショックで電力を大量に消費するアルミ産業はいっぺんに日本で成立しなくなりました)。私たちは、このような突然の環境変化に多くの場合無力だということは謙虚に認識すべきでしょう。

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テーマ:進化論的組織論 - ジャンル:政治・経済

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