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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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沖縄戦の集団自決に軍の強制はあったのか
Civili-okinawa.jpg

沖縄戦は、太平洋戦争末期の1945年3月から6月のにかけて約3ヶ月、日米両軍の間で行われた激戦です。双方の被害は甚大で、勝者のアメリカ側の戦死者は1万2千人以上(これは4年にわたるイラク戦争でのアメリカ軍の総戦死者約2倍です)、日本側は20万人におよぶ人命を失い、そのうち民間人の死者は半分以上にのぼったと言われています。

民間人の死者は村役場が焼失して戸籍そのものがなくなるなどのため、確定が困難なのですが、当時45万人の沖縄島民の4分の1から3分の1が死亡したと思われます。この比率は苛烈だった独ソ戦でのソ連市民の死者の割合から考えても、非常に大きな値です。沖縄戦は民間人の犠牲と言う意味では第二次世界大戦でもあまり類のないほど悲惨な戦いだったのです。

沖縄戦で死亡した多数の民間人の死の多くが「軍に強制よる集団自決」であったかどうかで再び議論が起きました。議論のきっかけになったのは、今年の4月文科省が教科書検定で沖縄戦での「集団自決」が軍の命令、強制によるものとした教科書が歴史の事実を誤解させるものだとして訂正を求めたことに始まっています。

私自身は当の検定対象になった高校の教科書を直には読んでいませんし、文科省の指導自身の詳細を知っているわけではありません。ここでの話はあくまでも報道などに基づくものだとお断りしておきます。その上で、慰安婦問題と同様の議論の構図があるように感じています。

沖縄で集団自決が多数あったということを否定する向きは、今回の文科省の当初の検定意見に反対する側はもちろん、賛成する側にもあまりいないようです。ですから、論点は「自決が軍による強制」によるものかどうかということになります。軍による強制とする立場に反対する人たちの根拠としてよくあげるのは、軍命の証拠となるものが物理的に何も存在していないということです。

むしろ、軍は民間人の命を救うということに力を注いだので、民間人に自決を強制したり、まして殺害するようなことはありえないというのが反対論者の立場なのですが、物理的証拠がないことが強制がなかった証拠だというのは相当に無理があるでしょう。

そもそも「自決」というのは字の通り「自ら決して命を絶つ」ということで、これは民間人でも軍人でも同様です。太平洋戦争では玉砕という形で圧倒的な米軍に突撃して戦死した将兵が多数いましたが、同時に自決したものも沢山いました。しかし自決が自分の意志によるものという建前がある以上、「捕虜になる可能性がある場合は自害すること」という命令書は存在するはずがありません。自決はあくまで形式上は自発的なものです。

では、なぜサイパンや硫黄島をはじめ多くの戦場で日本兵はほぼ全員が死亡するまで戦い、その多くは自決してしまったのでしょう。それはよく知られているように「生きて虜囚の辱めをうけず」という戦陣訓を皆守ることを当然だとしたことによります。書き物としての戦陣訓以上に、最後は自決するのは当然だというのが日本軍の「文化」だったのです。

そのような文化に支配された軍人と共に戦い、降伏勧告文書を持ち帰っただけで、スパイ扱いされて殺されてしまうような状況では、民間人といえども最後は自決せざるえなかったのは当然です。では、それをはたして「軍による強制」とまで言ってよいのでしょうか。

これは「強制」「命令」という言葉の解釈の問題でしょう。少なくとも日本軍と一緒に戦うようなことがなければ、自決を含めあれほど多数の民間人が死亡するような事態はあり得なかったはずです。その意味で強制的な自決、戦死であったことは疑う余地がありません。

反面、悪辣な軍国主義者が組織的な意思決定に基づき民間人の自決を強要しようとしたというなら、これはいくらなんでも言いすぎでしょう。組織的な意思決定としては、沖縄戦が必至と考えられるようになった沖縄戦の前年1944年の夏から、沖縄島からの集団疎開に政府、軍は努力し6万人以上が島外に移動しました。ここを見れば「軍は民間人の生命保護に最大限の努力をした」という意見は間違いではありません。

同様に「防空壕で泣き叫ぶ赤ん坊の声で米軍に発見されるのを恐れた日本兵が赤ん坊を殺した」からといって、日本軍が民間人を殺しまくろうとしたというのは乱暴でしょう。極限状況の中での行動を組織的な軍国主義の証拠とするのは議論のすり替えです。もし自分は同じ状況で、同じ行動をするはずがないと確信しているとしても、それはただの願望です。これは軍国主義と言うより人間の本性の問題です。

しかし、ルワンダやカンボジアなどの大量虐殺を上回るような民間人の死亡率を「末端の日本兵の追い詰められた挙句の暴発」の結果に過ぎないというのは、物事を正面から考えない態度としか言いようがありません。組織的な大量虐殺を上回るような殺し合いを沖縄の民間人は自分たちで行わざるえなかったのです。

このようなことを高校の歴史教育でどのように教えればよいのでしょうか。中国の反日教育ように「悪くて残酷な日本兵が中国人を殺しまくった」というような図式ではないのです。残酷性や狂気ではなく、周りの人の意見をよく聞き、国民としての義務に忠実でいようという気持ちがこのような結果を招いてしまったのです。「国が何を言おうと、嫌なことは絶対に逆らうべきだ」などと学校で教えてしまったら、給食費も年金も税金も誰も払わなくなってしまうでしょう。

それでも、国、法律、道徳、文化という普通なら社会を円滑に動かすことために必要なものが、時としてそれらが単なる軍命以上の強制力で人々を死に追いやることがあるということはとにもかくにも伝えていく必要があるのでしょう。単なる解釈の違いと言うには、結果はあまりに重大だからです。
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