ビジネスのための雑学知ったかぶり
ビジネスでも雑学は重要! 知っていると少しは役に立ったり、薀蓄を自慢できる話題をご紹介
プロフィール

RealWave

Author:RealWave
Twitterアカウントはrealwavebabaです。

馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

ご連絡はrealwaveconsulting@yahoo.co.jpまで

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

お客様カウンター

Since 2009/10/21

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本は大企業病
IMDview.jpg
スイスのIMDは国の競争力を判定している

国と企業は違うが・・・

最初にお断りしておきますが、国と企業は違います。 企業は利潤を生むという明確な目的がありますが、国にはそのようなものはありません。社員はCEOの部下ですが、国民は総理大臣の部下ではありません。企業は従業員を雇用し、時には解雇しますが、国民であることは普通は国にも国民にも選択の結果ではありませんし、解雇もありえません。

国と国とが企業のようにある産業で競争をし、どちらかが勝ってどちらかが敗れるというのは意味がなく、あくまでもは個々の企業の問題です。 国の問題ではありません。国どうしの競争力が本当の意味で発揮されるのは戦争をするときだけです。

しかし、ある国に住んでいることが国民にとって他の国の国民であるより幸福かどうかというのは重要です。そして幸福の度合いの大きな部分が経済的な成功に依存していることは間違いありません。高度な医療、飢えのない暮らし、そして相対的に他の国より快適で便利な生活をおくっていると実感できるためには、「貧しくないこと」がどうしても必要です。

スイスのローザンヌにあるIMD (International Institute for Management Development)は世界でも有数のビジネススクールをですが、毎年各国の国際競争力の調査結果を発表しています。そのIMDの2007年版の調査では日本の国際協力は総合で24位とされています。ちなみに1位はアメリカ、2位、3位は香港、シンガポールの順となっています。

IMDは各国の国際競争力をマクロ経済、政府の効率性、ビジネスの効率性、インフラの全部で314項目を、「企業のビジネス環境」という観点から評価しています。日本の24位という順位は、中国(15位)、イギリス(20位)、フランス(28位)、韓国(29位)、と比べてそれほど悲観的なものではないのですが、2003年の24位が景気回復とともに2006年に16位まで上昇してきたのが、ふたたび24位に逆戻りしたのは気になります。日本はバブル経済の崩壊の後のいわゆる空白の10年から回復基調にあったのに、再び後退局面になったように見えます。

IMDの国際競争力比較は、絶対的な意味合いがどの程度かという議論がありますが、国民のひとりひとりの豊かさを示す一人当たりのGDPは1993年の2位から、昨年はOECD30か国中の18位になってしまいました。日本の経済力が相対的に弱体化しつつあるのは間違いないようです。大田弘子経済財政担当相は本年1月18日、衆参両院の本会議で、世界の総所得に占める日本の割合が24年ぶりに10%を割り込んだことなどに触れ、「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」と、国際的な地盤沈下に危機感を表明しました。

危機感の欠如

繁栄していた企業が下り坂になったとき、大企業病の症状が顕著に現れてきます。その中で代表的で一番深刻な症状は危機感の欠如です。カルロス・ゴーンは著作の中で、ルノーから日産に派遣されたとき、社内の食堂で日産の幹部の一人がゴーンに箸の使い方を教えながらたんたんと「日産の社員は危機感がないんだよ」と言うのを聞いて驚いた、と書いています。言っている当人がまるで日産の危機を他人事のように語っていたからです。

上場しているような大企業が突然倒産して、朝出社して来た社員が呆然としているといった映像がニュースで流れることがよくあります。倒産は多くの社員にとって突然のものだったのでしょうが、危機が認識されていなかったわけではありません。それどころか、職場で、あるいは酒場で危機を社員たちが熱をこめて語るような光景はいくらでもあったでしょう。しかし、ほとんどの社員は「まさか本当に倒産するとは思わなかった」のです。大企業ともなれば、たとえ経営危機でもボーナスはともかく、月給はきちんと支払われます。月給が支払われているうちは、本物の危機感は持ちにくいのです。

航空業界は競争の激化、燃料費の高騰などで世界的な再編が進んでいます。アメリカではユナイテッド航空のような世界最大の航空会社が倒産してしまいましたし、ヨーロッパではアリタリアが事実上倒産しました。ナショナルフラッグを自認する日本航空も客観的に見れば、それらの航空会社よりましな状況にあるとはとても思えません。

それでも社員たちは心の底では「絶対にJALがつぶれることなどありえない」と思っているはずです。もし、本当に危機感があれば多数の組合が協調せずに既得権の守ろうと頑張ったり、経営陣が縄張り争いをしているはずがありません。

しかし、どんな会社でも倒産することはありえます。国がつぶれても残るとまで言われた、大銀行も多くが消滅してしまいました。法的な倒産は免れても、多数の社員が一生安泰だったはずの職場から離れざるえませんでした。

国の場合は営利企業と違って危機は一層見えにくくなっています。一人当たりのGDPが2位から18位になったと聞いても、2位だった頃が今より幸せだったかというとそうでもないように思えます。中国やインドの追い上げが急だと言っても、中国国民やインド国民になりたと思う日本人は少ないでしょう。

日本国民の生活は昔より悪くなっているのでしょうか。もちろん、この質問に対する答えは個人個人で違うでしょう。しかし、10数年前まで、日本の大企業のOLの多くは働き蜂の企業戦士を横目に、しっかりと有給休暇を取って海外旅行と買い物を楽しんでいました。今、そのようなOLたちの仕事は年収300万円にも届かない派遣社員に置き換えられてしまいました。

企業戦士たちも頑張れば(あるいはあまり頑張らなくても)定年まで勤めて、退職金を受け取ることができましたし、大企業であれば系列会社に天下りすることもできました。今では多くの大企業が実質50歳定年のようなことになってしまいました。

「格差社会」ということが最近よく言われますが、問題は格差自身ではなく、勤労者の多くが安定性も、そこそこのレベルの賃金も得られなくなってしまっていることです。安定性を失ったのは企業の勤労者だけではありません。地方の疲弊は公共投資と農業補助の削減が大きな原因ですが、つまりは国家の財政的な余裕がなくなってしまったのが根本です。

日本人が貧しくなってきたのは事実のようです。現在はまだ貧しさがワーキングプアとよばれるような一部の層に限定されていますが、今後高齢化社会で年金、社会保障の財源が枯渇してくると、日本国民の大部分にとって海外旅行は再び夢の世界になってしまうかもしれません。これは予測ではなく、すでに派遣、フリーターには現実になっているのです。

それでも、日本国民が危機感を持つことは難しいでしょう。「ゆとり教育」が学力低下に対する懸念から批判をあびていますが、円周率を3.14でなく3として学んだところで、国際競争力がなくなるというものではありません。問題は「ゆとり」が「勤勉」より正しいと思う人生観、文化の蔓延です。残念ながら「ゆとり」は勤勉の結果として得られる報償で、経済的な裏づけがなくてはゆとりは持てないようです。

新規事業が育たない

大企業が既存の事業だけでは先がないと思って、新規事業を立ち上げようとしてもなかなかうまくいきません。 新規事業は自分たちの積み上げた強みは発揮しにくく、そもそも成功しにくいものですが、うまくいかない大きな理由に社員が成功させようと一生懸命にならないということがあります。

大企業の多くは「出世コース」が決まっていて、普通は主力の事業で業績をあげることです。リスクが多く不慣れな新規事業に配属された社員は、それだけでやる気をなくし、主力事業に早く戻りたいと考えます。トヨタは自動車事業の次の柱として住宅事業を長い間育成しようとしてきましたが、結局成功していません。

トヨタの資本力、技術力、販売力と比べれば、住宅メーカーは吹けば飛ぶようなものなのですが、トヨタは魅力ある住宅を作ることも、効率的に販売することもできませんでした。本当に本気ならは積水ハウスやダイワハウスを買収して、買収した会社にトヨタの住宅部門を吸収させる(逆ではありません)ようなことが必要なのでしょうが、そのような思い切ったことはしそうもありません。

日本は全体として大企業が資源とくに人材を独占しています。大企業に資源を集中させることは、産業が未熟なうちは効率的なのですが、現在の日本では弊害が目立ってきています。たとえば日立は日本国にとって必要な企業でしょうか。こんなことを言うと日立の社員は顔を真っ赤にして怒りそうですが、日立の作っている製品、サービスの大部分は他社で代替可能なものです。そして日立の利益率は、他の重電メーカー、電子機器メーカーと比べて最低水準です。

にもかかわらず日立の技術力や人材は依然として業界の最高レベルです。日本全体の効率性を考えれば、日立をバラバラにして、新規の事業立ち上げに振り向けたほうがよいでしょう。アメリカでは1980年代から90年代にかけてIBMやDECなどのコンピューターメーカーが大規模な人員削減を行ったことが、その後インターネット関連などの新興IT企業が技術力や経営管理能力を素早く充実させる上で大きな力になりました。

日本はいまだに優秀な新卒が大企業に就職しようとするだけでなく、大企業の社員もいられるだけいようとします。結果的には日本のベンチャー系IT企業は付加価値の低い人材派遣型の労働者提供を体育会系ののりでうりまくるものが大部分です。マイクロソフトやグーグルとまでいかなくても、シリコンバレーに山ほどあるようなまともな製品を持つIT企業はほとんど育っていません。マイクロソフト、IBM、SAPのような巨大IT会社は世界中の優秀な製品を持つIT企業を買いまくっていますが、日本の企業が買収されたという話はとんと聞きません。買いたくなるような会社がないのです。

現在の日本の人材市場は依然として官庁、大企業を頂点にしたハイアラキーがあり流動性が低いままです。大企業が優秀な人材を集めようと努力するのは当たりまえですが、30年かけて優秀な人間を石頭に改造しているだけと言われても仕方ないのも事実です。社会の流動性が高まらなくては、経済効率の低くなった大企業の支配する構造から、将来を支える企業を輩出する社会に変わるのは難しいでしょう。

「ものづくり」という成功体験への固執

日本の食糧自給率は40%と主要先進国中最低で、これも本物の危機なのかもしれませんが(本当は嘘です)、そうなってしまった理由には農業だけでは食べていけないという現実があります。日本の農家の平均耕作面積は1ヘクタール程度ですが、これはベトナムの2倍程度です。補助金なしで先進国の日本人に魅力のある職場、年収1千万円以上の農家を目指そうとすると、平均耕作面積を数十倍にもしなければならないでしょう。

日本の農業の生産高は総額で約4.8兆円ですが、これはトヨタの売上げの5分の1程度です。農業人口は300万人以上ですがトヨタの従業員は連結ベースで30万人にも足りません。この比較は色々な意味で乱暴で無茶なのですが、製造業と農業の生産性の違いを実感することはできるでしょう。生産性の低い産業は人を引き付けることはできません。

大企業が不調になると、よく聞かれる言葉は原点回帰です。最近の日本でも「ものづくり」こそ日本の強みなのだから、このものづくりの強さを維持させることが大切だとよく言われます。しかし、日本国民全員が優秀な旋盤工や溶接工になっても生活水準を向上させることはできません。

ソニーや東芝のような電機メーカーの工場の多くは海外に移転してしまいました。残っている工場もがらんとしたところが多くなっています。部品の高密度化やモジュール化で手作業の部分が大幅に減少してしまったのです。投入される工数の多くは現場の組み立てではなく、ICチップのためのソフトウェアの開発やテストになりました。ものづくりと言っても中身はずいぶんと違ってしまったのです。

昔、製造業の設計部門には製図版がずらりとならんでいました。工業高校や高専の卒業者の多くは、最初は製図版を使って上級開発者の設計を正確に製図するところからキャリアをスタートさせたのですが、今ではそういった作業はコンピューターに置き換わってしまいました。もし昔のように製図を手作業でしていたら、1ヘクタールの農地で農業をするような生産性になってしまいます。

今や製造業の中で、テレビがものづくり特集をするときに紹介されるような匠(たくみ)の世界はごく一部にすぎません。そもそも製造業に従事しているのは全労働人口の20%以下です。ものづくりだけでは端的に日本国民の大部分を食べさせていくことはできないのです。

左前になった大企業の原点回帰は、多くの場合危機から目をそらし新しいことへチャレンジすることを避けているのに過ぎません。環境も社員の質もすっかり変わってしまっているのに、本当に原点回帰してしまったら、倒産するだけです。それでも原点回帰を言うのは、成功体験にしがみつくことで社員の志気をとりもどそうとしているのでしょう。あるいは何も具体的なアイデアがないのを隠そうとしているのかもしれません。

人材登用メカニズムの機能不全

企業と国家を混同してはいけないとは言っても、リーダーの重要性は変わりません。昨年の安部首相の辞任の有様を見ると、どのような基準でも彼がリーダーにふさわしい資質を持っていたとは言えないでしょう。マスコミが指導的立場の政治家を良く言うことはまずないのですが、これほど本物の無能者が首相に選ばれてしまうようなことは過去にはほとんどありませんでした。日本に有能な人がいないはずはありません。人材選抜のメカニズムが狂い始めているのです。

日本の政治のリーダーは官僚出身者が長い間中心でした。戦後の歴代の首相の多くは官僚です。岸、池田、佐藤と三代続いた官僚出身者の政権は、米国の軍事的な庇護のもとに経済成長を達成するという目標に邁進しました。その後も、福田、中曽根、大平の各首相は官僚出身です。官僚経験のない田中角栄は例外だったのです。

しかし、官僚出身の首相は宮沢喜一を最後にその後は現れていません。代わって台頭したのは二世議員たちです。橋本龍太郎以後、森 喜朗を除いて、小渕、小泉、安部、福田と最近の自民党総裁、首相は全て二世議員です。福田首相の対抗馬だった麻生太郎も二世(というより3世、4世ですが)です。二世だから悪いというのではありません。二世しか首相になれなくなってしまった、人材選抜メカニズムが問題なのです。

二世議員の首相ばかりが生まれる理由ははっきりしています。自民党は当選回数がポスト獲得で最大の考慮点、つまり年功序列です。二世議員は若いうちに当選できるので、当選回数で有利な上に地盤が確立されていて、選挙に強く無理をする必要があまりありません。今の自民党はプロ野球や相撲はもちろん、芸能界と比べてさえ実力主義でなくなってしまったのです。

官僚支配は天下りのような弊害は大きいのですが、社会の流動性を維持するという意味では、二世議員しか首相になれないような状況よりむしろましと言えます。日本は官僚支配から政治主導の国家への移行がうまくいっていないのです。かつて、薩摩、長州出身者ばかりが出世した藩閥政治から、官僚支配に移行する過程でも日本は機能不全に陥りました。

藩閥政治は軍部を完全に掌握し、日露戦争で国民の反対を抑えても戦争を終了させました。藩閥政治からより平等な官僚主体とした政治体制に移行した日本は、軍部の暴走をとめることができず、破滅的な戦争を起こしてしまいました。

皮肉なことに、官僚出身ではない二世議員ばかりが首相になるようになって、官僚が起こす汚職事件が目立ってきました。守屋前防衛次官の汚職が象徴的です。驚かされるのは、守屋の腐敗ぶりより、たかが数百万円のゴルフ代で、世界二位の防衛支出に責任を持つトップ官僚が魂を売り渡して、まるで下級役人のような収賄事件を起こしてしまったことです。官僚がずいぶん小物の集まりになったのは間違いないようです。天下りも昔と比べて、組織的な汚職の色彩が強くなってきました。(詳しくは「天下りを考える」を参照してください)

大企業でも創業者社長が引退すると、二世、三世が後を継いで衰退に向かうことは枚挙に暇がありません。逆に創業者一族ではなく、サラリーマン社長が後継者となって求心力がなくなってしまうこともあります。権力の中枢を担う人材の選抜プロセスがうまく機能しなくなることは、企業も国家も危機の原因であり同時に結果でもあります。

ではどうするのか

企業も国家も一度衰退に向かうと容易に回復の軌道に戻ることはありません。今はクラシアと呼ばれているカネボウ、昔の鐘淵紡績は戦前は日本最大の企業の一つでした。今のトヨタやNTTのような存在であったわけです。しかし、紡績業の衰退とともに、戦後は一貫して実質的には赤字を出し続けながらた衰退、縮小していきました。それでも、2007年クラシエとして根本的な再編を行うまで、名門企業として存続を続けました。

カネボウが存続を続けられたのは、戦前の蓄積があったからです。カネボウは戦後は利益という意味では何も価値を生み出すことができず、資産を切り売りを50年以上行っていたのです。しかし、カネボウの末期の経営の混乱を見ると、本当の意味で危機感を経営陣や社員が持つことは最後までなかったようです。

企業は急速な円高や、強力な外資の進出のような明確な危機には、効率的に対応することができます。国家も戦争のような脅威には一致団結することができます。硬直した官僚主義国家だったソ連でさえ、第二次世界大戦では驚異的な高効率と生産性を実現しました。

しかし、じわじわと忍び寄る危機に対応することは非常に困難です。敵は外部ではなく、むしろ内部の資源の競合です。全体のパイを大きくするより、自分の取り分を少しでも守ることが最大の関心事になります。悪いことに衰退に向かうと資源の総量が減ってくるので、資源の争奪はますます厳しさを増してきます。前向きで戦略的な資源の投入は一層困難になり、危機を皆が叫び対策を策定しても、実行の段階になると資源配分で紛糾して最後は失敗してしまいます。

イギリスのサッチャー首相は既得権で硬直化した資源配分の大幅な変更を行いました。国有企業は民営化され、福祉の切り下げも行われ、労働組合の力は弱められました。規制緩和は徹底的に進められました。犠牲は小さくはありませんでした。製造業を始めとして、国内の産業の多くは英国企業ではなく外国企業に支配されました。「ウィンブルドン化」といわれるように、金融業の中心のシティーは圧倒的に外国の金融機関が活躍する場になりました。大学も長い目で地道に研究を行うイギリス流の良さが失われ、アメリカ的な成果主義が重視されるようになりました。
thatcher.jpg
マーガレット・サッチャー

サッチャーには強い意志とビジョン、政策や経済への深い洞察がありました。しかし、サッチャーが首相になり、強力なリーダーシップを発揮できるようになるまで、イギリスは100年近くの長期的な衰退過程を経験する必要がありました。その間、7つの海を支配した超大国はヨーロッパの中級国家に転落していました(日本はイギリスになれるか)。それと比べれば日本は国力が低下したと言っても、国民が犠牲をはらう覚悟を持つほどには衰退はしていないのでしょう。

ただ、危機感が日本の国力回復に重要とは言っても、どのような危機感を持つかという問題はあります。戦前の日本は日本の国土で国民を養うことは早晩できなくなるという理論を基にした危機感で、中国に領土を広げようとして崩壊してしまいました。一般的に、防衛や資源、領土というような危機感に訴えやすく、国民のまとまりも得やすいものは、国力の増大にはほとんど役立ちません。

第二次世界大戦以前、アルゼンチンは世界でも最高水準の生活水準を誇っていました。アルゼンチンは人口に比べ広大な面積を有し、食料を含め、多くの資源を持っていましたが、戦後は経済はいつも混乱し、国民の生活水準は低下の一途をたどりました。今、世界で高い生活水準を保っている国は日本を含め、ヨーロッパ諸国など鉱物資源などないに等しい国ばかりです。例外はオーストラリアくらいでしょうか。アメリカも石油を含め、多くの自然資源は輸入に依存しています。

軍事力にいたっては、第二次世界大戦後、国力の向上に役立った国などほとんどないと言ってよいでしょう(例外はイスラエルくらいでしょうか)。アメリカは余計な戦争をするたびに国力を消耗しましたし(ただし、第二次世界大戦と比べれば、GDPに対し無視できるほどで、戦争してもしなくても国力としての地位はあまり影響がなかったと思われる)、ソ連は軍事力増強が国家崩壊のとどめになってしまいました。

国力そして国民経済の向上に役立つのは、民主的で清潔な政治システム、効率的で公正な官僚機構、活力のある産業そして高度な教育システムや医療を公平に受けることができる環境などです。戦後日本は概ねこれらの条件を満たしてきました。少なくとも、南米諸国や発展途上国と比べて、非常に高い水準にあったことは間違いありません。結果的には日本の高度成長は約束されたも同然だったと思われます。

それらの条件に関して、日本が昔より悪くなったということはあまりありません。それでも少子高齢化に伴う年齢構造の変化、官僚機構の陳腐化、格差の拡大による社会の硬直化などの問題がでてきていることは確かです。何より気をつけなければならないのは、「企業の環境」という意味では日本も他の国と競争しているということです。環境は常に競争力のために、改良し続ける必要があります。これはIMDが評価している評価項目そのものと言ってもよいでしょう。

日本は大企業病から脱出できるか、「危機感のないという危機」にどう向かい合うか、これは日本国民自身の問題です。イギリスがサッチャーを得たように、問題を正確に認識し、正しい危機感が持てれば、正しいリーダーシップを発揮する政治家が現れることは歴史が証明しています。日本国民にそれは可能でしょうか。可能であるとしても、それはいつになるのでしょうか。

こちらもご参照を
天下りを考える
天下りを考える もう一言
また公共投資ですか
日本はイギリスになれるか (1)
日本はイギリスになれるか (2)
日本はイギリスになれるか (3)
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://realwave.blog70.fc2.com/tb.php/137-ac0ba42e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。