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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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理論物理学と金融危機
小林益川
ノーベル物理学賞を受賞した小林、益川両氏

科学の中の科学

2008年度のノーベル物理学賞は3人の日本人、南部陽一、小林誠、益川敏英の三氏に与えられました。さらにノーベル化学賞を下村脩氏受賞し、同じ年に4名の日本人がノーベル賞を受賞することになりました。

アジアの主役の座をとっくに中国に明け渡した観のある日本ですが、中国のノーベル賞受賞者は台湾と合わせても、まだ4人です。1960年以降の受賞者はおらず、基礎科学の実力は日本に一日の長があると言ってもよさそうです。

ノーベル賞を取るというのは、もちろん容易なことではなく、科学者にとっては大変名誉なことです。しかし、その中でもノーベル物理学賞、なかでも今回のように理論物理学に対して与えられるものは、格別な意味があります。

現代のような巨大科学の時代には、大博士が地下の実験室に独りこもって大きな研究成果をあげるということは稀にしかありません。研究はチームプレーで行われるのが普通ですし、実験には多額の費用がかかります。

大規模な実験施設を造るには、成果を分かりやすく伝えるコミュニケーション能力や、ある種の政治性も必要になってきます。また、実験を指揮するには多くの科学者を動かすリーダシップがなければいけません。単にひらめきやIQの高さだけで、結果が出せるようなものではないのです。

それに比べれば、理論物理学は個人の頭の中で研究を進めることができます。研究者の間で活発な議論や情報交換はありますが、巨額の予算を獲得するための営業活動、政治活動の類の必要性はずっと小さくてすみます。

最初に日本でノーベル賞を受賞した湯川秀樹も、次に受賞した朝永振一郎も理論物理学者でした。「日本は金がないので紙と鉛筆で研究のできる理論物理学でしかノーベル賞は受賞できない」とやや自嘲気味に言う人も多かったのですが、紙と鉛筆でできるというのは、より純粋な「頭の良さ」が要求されると言えます。

物理学は「科学の中の科学」と言われます。物理学からみると、他の科学は曖昧で、「法則」と言っても「例外も一緒にしての法則」と言ったほうが良いくらいです。簡潔な方程式ですべてを語りつくす物理学は、科学の理想像です。

その中で理論物理学は、ニュートン、アインシュタインと続く物理学の本流です。理論物理学は「科学の中の科学」である物理学の中で、さらに「物理学の中の物理学」と呼ばれるのにふさわしいものです。

世界の科学者の世界では理論物学者を頂点として、実験物理学者、理論化学者と続く、ある種の階層が存在します。初対面の科学者同士はさりげなく、相手の専門を聞き、自分との位置関係を確かめ合うほどです。

理論物理学者はそんなに沢山必要?

科学者の世界で最高位に座る理論物理学者なのですが、そのうちどれだけが世の中に役にたっているかとなるといささか心もとないものがあります。理論物理学は世の中の根本を考えることが仕事ですが、基本理論の進歩などそうあるものではありません。

理論物理学はこの20年ほど超ヒモ理論という、世の中の物質も力も微細なヒモの振動によって生まれるという考えが主流なのですが、どうも間違っているのではないかという意見も根強くあります。少なくとも超ヒモ理論が正しいという確たる証拠も、それどころか超ヒモ理論を証明してくれるような実験(可能かどうかは別にして)も今のところ存在しないのです。

これでは、そのうちニュートン、アインシュタインのような大天才が現れて、超ヒモ理論を覆す、画期的な理論を考え出し、それがあっさりと証明されてしまうこともないとは言えません。

つまり現在超ヒモ理論を教義にしている理論物理学者(ということは現役バリバリの理論物理学者の大部分ということですが)がお払い箱になってしまうということも、十分あり得るということです。

こんなことは他の分野の科学では考えられません。科学は非常に細かく細分化、専門化していますし、主流の科学者の大部分が一つの船に乗っていて、沈んだらお終いなどということはないからです。

余計なお世話かもしれませんが、理論物理学者はそんなに沢山必要なのでしょうか。理論にはいくつもの枝別れや可能性があるので、あまりに少数であれば、すべての可能性をしらみつぶしに検討することはできなくなってしまうでしょうが、世の中でIQのもっとも高い人たちを理論物理学に縛り付けておくことは資源の無駄遣いと言えないことはありません。

ニュートンもアインシュタインも理論を突き詰めたのは自分ひとりの脳みその中でした。ある時代、たまたま同時期に同じような結論に達するということはあるでしょうが、理論物理学の世界では「三人寄れば文殊の知恵」とはなかなかならないのです。

金融商品の多くは理論物理学者が作った

理論物理学者のほとんどは、みな子供の時は神童扱いされていたはずです。しかし、純粋な頭の良さが求められる理論物理学では、努力しても越えられない相手が、必ずでてきます。100メートル競走でほとんど全てのランナーにどうしても勝てない相手が出てくるのと同じで、資質の違いが決定的に結果を左右してしまうのです。

理論物理学は極論すれば金メダル以外は意味のない世界です。理論物理学者の多くは挫折して、人に物理学を教えるだけになるか、他の分野に転向することになります。理論物理学は天才、秀才の墓場かもしれませんが、本当に死んでしまうわけにはいきません。

ということで、大量の理論物理学者が金融界に転じて、金融商品の開発をすることになりました。1990年のソ連の崩壊では、優秀な頭脳が非常に安く獲得できるということで、ロシアからアメリカへの飛行機がソ連時代の科学者だらけになったこともあったと言われています。

なぜ、それほど優秀な頭脳が金融商品の開発に必要なのでしょうか。それは、現代の金融商品は、金融工学の名の通り、複雑な数学の塊のようなものだからです。

1997年のノーベル経済学賞はマートンとショールズにブラック・ショールズ方程式の数学的に厳密な証明を行ったことに対して与えられました。ブラック・ショールズ方程式というのは金融オプションの値段を理論的に導くものです。

金融で言うオプション取引とは株や債券を現物ではなく、将来売ったり、買ったりする権利を売り買いすることです。将来の話ですから、値段は値動きの激しさや、権利行使までの時間に影響されます。ブラック・ショールズ方程式は値動きの激しさ、オプション決済までの時間と、オプションの理論価格の関係を示します。

ブラック・ショールズ方程式の中身はともかく、オプションの「現在」の値段が決まるとすると、「将来」オプションを売ったり買ったりする「オプションのオプション」も考えられます。さらにオプションを組み合わせる、組み合わせたもののオプションを考えるという具合にいくらでも商品が作れます。これらは金融商品から派生してできた商品という意味金融デリバティブ、あるいは金融派生商品と呼ばれます。

デリバティブを作るには二つのものが必要となります。ひとつは複雑な組み合わせ商品の値段を計算するコンピューター、それに商品の枠組みを考える高度な数学的能力です。金融業界で働く、多くの元理論物理学者は、その数学的能力を提供したのです。

金融業界は理論物理学者、数理学者などかつては自然現象や工学を相手にしていた、最優秀の頭脳の持ち主を金にものを言わせて大量に採用しました。彼らはウォール街ではクオンツ(量子力学:Quantum Mechanicsから作った造語)と、やや軽蔑的なニュアンスで呼ばれました。泥臭い商売とは無縁に、理論と数学の世界で仕事をするからということでしょうか。

サブプライム商品からCDSそして金融危機

しかし、そんな理論家の作った商品はネズミ算的に増えていきます。もともと難解なオプション理論を組み合わせて、「オプションのオプションのそのまたオプションのそのまた・・」という具合に商品を開発していったのです。もはや誰も何がどうなっているか全貌はわからなくなっていました。

そんな中、上がり続けるアメリカの住宅価格を前提に、本来なら住宅融資など受けられないはずの低所得者向け、住宅ローンが登場します。サブプライムローンです。住宅価格が上がり続ける限り、支払いが滞っても、貸主は損はしない。日本のバブル期の土地神話と同様な住宅神話に金を貸し続けたのです。

サブプライムローンで貸し手を強気にさせる、もう一つの要素がありました。サブプライムローンの貸主たちは、債権を細切れにして商品として売り出したのです。こうすれば、貸主は貸付のリスクから解放されて、新たな貸し出しを行うことができます。

これらの商品は単純に債権を細切れにしただけではありません。他の金融商品やオプションと組み合わせて、複雑怪奇な商品として流通することになりました。そのため、サブプライムローンが住宅神話の崩壊で、債権としての劣化が進んだとき、いったい誰がいくら損をしているのか、容易に算定することが困難なことになってしまいました。

サブプライムの問題は2007年ごろから表面化しました。住宅価格が弱含みになり、それとともに延滞率も上昇していったのです。当初、低所得者向けの住宅市場に限定された問題と楽観的に構えていた、金融界や政府も次第に影響が大きくなるにつれ問題の深刻さを認めざる得なくなりました。

ベアスターンズを皮切りに、リーマンブラザーズなど有力な金融機関が破綻を始め、次から次へと倒産をしたり、政府の管理下に置かれることになります。そしてついに、2008年の10月に入り、株式市場が全世界的にパニック的な下落局面に突入しました。

事態を決定的に悪化させた原因に、CDS(Credit Default Swap)という、貸し倒れの保証を行う商品があります。CDSは債権の持ち主が、一定のリスクプレミアムつまりお金を払うことで、別の第三者に貸し倒れの際の保証を求めることができるものです。

サブプライムローンが形を変えて、様々な商品に化けても、商品を販売する側の信用は問題になります。CDSがあれば、そのようなリスクすら解消することができるようになったのです。リスクを誰も認識しないまま、サブプライムローンの毒は金融全体を蝕んでいったのです。

石油タンクと火薬庫が並んで建っている

CDSは貸し倒れのリスクを補填する保険の一種と考えられます。実際、アメリカ政府の管理下に置かれることになった、大量のCDSを持っているAIGはもともとは保険会社です。しかし、普通の保険とCDSは大きな違いがあります。

一般に保険は損害が発生する個々の事象は独立、つまりお互いに無関係と考えます。生命保険なら、誰かが死んだからといって、他の人が死ぬ確率が高くなることはありません。自動車保険も同様です。自動車事故が連鎖的に起きることはありません。

CDSは違います。全ての市場は連動しており、さらにデリバティブで複雑な組み合わせ商品が出てきてから、市場の連動性は一層高くなっています。CDSは火薬庫と石油タンクが立錐の余地もなく立ち並んでいるようなところに、丸ごと損害保険を提供するようなものなのです。

全世界のCDSの発行額は50兆ドルにも達します。これはアメリカのGDPの3倍です。想像もつかないほど巨額の債権がCDSの保証を受けていることになります。もし、貸し倒れが発生して、CDSがきちんと履行されなかったら。つまり、貸し倒れが保証されなかったら、たちまち貸し倒れは連鎖反応を引き起こすでしょう。火薬庫も石油タンクも全てが一度に大爆発を起こす可能性があるのです。

これは悪夢というより、人類的な危機と言っていいでしょう。そして、この危機はほとんどの人にとっては突然でした。今年7月に開かれた主要国サミットの最大の議題は地球温暖化の解決に取り組むための各国の協調でした。それから3か月で人類の危機は、将来の地球温暖化ではなく、目の前の経済の崩壊になってしまったのです。
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たった3か月前は地球温暖化が最大の課題

核兵器から金融商品へ

本当に経済が大崩落を起こせば、人類全体が危機に陥る可能性がないとは言えません。現在の人類社会は複雑な物資の流通で支えられています。物資の流通は経済的な信用システムがあって初めて機能します。信用システムがなくなってしまったら、資源も食料も動かしようがなくなってしまいます。

なぜこんなばかげた状態になってしまったのでしょうか。高度な数学で支えられた理論と、その理論を動かすことのできるコンピュータシステムが全体を見えないものにしてしまっています。技術が人類の能力を超えて人類を危機に招いているというのは、まるで核兵器と同じです。

実際、CDSはたびたび核兵器に例えられます。世界経済が崩壊したときの被害の大きさは核戦争とあまり変わらないかもしれません。そして、CDSを作ったのも、核兵器と同様に高度な知能を持つ、理論物理学者や数学者たちでした。

核兵器を作ったのは、政治家や軍人なのでしょうか。それとも科学者たちなのでしょうか。CDSやオプション商品を作ったのは、株屋や投資会社なのでしょうか。あるいはクオンツたちなのでしょうか。市場は人間の欲望が渦巻く場所ですが、複雑怪奇な仕組みは理論家のクオンツたちがいなければ存在しなかったことは事実です。

最初の原爆実験がアメリカのニューメキシコ州で行われる前、原爆の想像を絶するエネルギーが大気に火をつけ、地球全体が破滅するのではないかという危惧が出されました。

今考えると馬鹿げた妄想にも思えますが、結局この疑問にはマンハッタン計画(原爆開発計画)のメンバーのひとりで、後にノーベル物理学賞を受賞した優秀な物理学者のハンス・ベーテが計算の結果「あり得ない」という結論を出しました。しかし、ベーテが計算するまでは、確信を持って「そんなことは起きない」と言える人はいなかったのです。

CDSを作ったとき、CDSが破綻したら世界経済全体が崩壊してしまうと心配した人はどのくらいいたでしょうか。心配した人がいたかどうかは知りません。しかしいずれにせよ、CDSが破綻しても世界経済が崩壊しないと計算で証明した人はいないのです。人類は最高の頭脳の持ち主たちの生み出した怪物に、また苦しめられることになってしまいました。


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