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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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The Next Wave: インターネットの次に来るもの (2) : 転換
続き

PCとダウンサイジングの時代 (1980-1995):エポックメーキングな出来事 IBM PCの発表(1981年)

汎用機がコンピューターの王者として君臨してからも、半導体の進歩は着実に続きました。半導体の業界にはムーアの法則といって、半導体の価格性能比(正確には回路数ですが、実質的に同じことです)は2年ごとに2倍になるという経験則があります。

進歩を続ける半導体技術は、神殿の奥深くに納まっていたコンピューターを個人が使うことができるほど小型で安価なものにすることができるようになります。1970年代の後半になると、技術力と企業家精神に溢れた若者たちが、小さいながらもコンピューターとして機能する個人向けのコンピューター‐PC(Personal Computer)を作り始めます。
Apple_I.jpg
Apple I

そんな若者たちの中に、アップル・コンピューター社(2007年に「コンピューター」が取れて、アップルになりました)を設立したスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニャックがいました*。二人はジョブズのフォルクスワーゲンとウォズニャックのHP計算機売って作った1,300ドルを元手に、PCを開発し、1976年にApple Iを666.66ドル(ウォズニャックが数字の繰り返しが好きだったのでこの値付けになりました)で売り出します。

Apple Iは当時のPCが普通組立てキットとして売られていたのに、完成品として売り出されました(それでも何か意味のある動作と出力を行うにはユーザーは相応の技術が要求されましたが)。Apple Iは200台が作られましたが、それは手作りの世界からPCを「大量生産」の工業製品に変えるものと言えました。

Apple Iの成功を踏み台にして、翌1977年アップルはApple IIを発表します。Apple IIはブラウン管表示装置とキーボードを持ち今日のPCとあまり変わらない外見を備えていました。何と言ってもApple IIは完成品として一般の人が家庭で使用することが可能なコンピューターでした。今やジョブズとウォズニャックの作ったアップルは急成長する大企業となりました。
apple2.jpg
Apple II

小型(と言っても、あくまでも大型汎用機と比べてですが)コンピューターの分野で一時はIBMを超えるほどの勢いがあったDEC社の創業者のケン・オルセンは、「個人が家庭でコンピューターを使う理由はない」と言ったことで知られているのですが、Apple IIはシリーズ全体で6百万台、最盛期には年間百万台以上が生産され、そのうちの多くは個人が家庭で使用しました。オルセンの言葉はコンピューターの歴史上で外れた予言としてもっとも有名なものになってしまいました。

しかし、Apple IIが成功しても、依然としてPCは企業がまともにビジネスに使うものとは考えられていませんでした。性能は限定的なものでしたし、信頼性も企業の貴重なデーターを取り扱えるレベルにあるとは考えられていませんでした。

PCがホビーのレベルからビジネスのレベルに転換したのは、ビジネスコンピューターの巨人IBMがPCを1980年に発表してからです。値段は1万ドルから2万ドルもして、とても「家庭用」とは言えませんでしたが、多くの企業はこぞってIBM PCの導入を始めます。IBM PCは最初から日産1千台の生産を行い、IBMはたちまちアップルを追い抜きPC業界のトップに躍り出ます。

しかし、IBMの成功は決して盤石なものではありませんでした。IBM PCはわずか1年という短期間で開発されましたが、そのためにIBMは基幹部品のマイクロプロセッサーを始め多くの部品とOSの外部調達を行いました。マイクロプロセッサーはインテル製の8088、OSはマイクロソフト社のMS-DOSが使われました(当初OSはMS-DOSだけでなく、CP/Mも選べました)。

当時のIBMは社内でインテルの8088より1ケタ以上高速のマイクロプロセッサーを開発済みでしたし、OSもMS-DOSよりはるかに高機能のものを作ることが計画されていましたが、もし自社製品にこだわっていたら、価格も高くなり、販売時期もずっと遅れてしまっていたでしょう。IBM PCが発表されたころ、Apple IIはすでに何百万台も売られていました。IBMがPCの主導権を完全に失わないためには、遅れは許されなかったのです。
IBM-PC.jpg
IBM PC

企業がIBM  PCを積極的に導入し始めたことで、情報処理の様相は大きく変化を始めます。「個人向け」という市場がコンピューター業界に出現する一方、企業の中では情報処理が情報部門の独占物ではなくなりました。PCの上ではワードプロセッサーや表計算のような便利なツールが利用できるようになり、コンピューター利用の前提と思われていたプログラミングをすることもなく、誰でもコンピューターで生産性を高めることができるようになりました。

企業に導入されたPCはすぐに部門の中で連結されるようになります。LAN(Local Area Network)を使って結ばれたPCを使うことで、情報の共有や業務の連携が始まりました。面倒で、時間と金がかかり、しかも使い勝手の悪い中央集権型のメインフレーム(汎用機)での処理をPCやLANを使って置き換えることは「ダウンサイジング」と呼ばれました。少し前まで、「大きなことは良いこと」だったのに、「小さなことは良いこと」に変わってしまったのです。

ダウンサイジングにはPCとは別の動きもありました。多種類のコンピューターで稼働するOSのUNIXです。UNIXは主にPCよりはもっと大きなワークステーションと呼ばれるコンピューターで利用されました。

UNIXはアメリカの電話事業に君臨していたAT&Tで開発されました。司法省との独禁法の裁判でも和解条件としてコンピューター事業への参入を禁止されていたAT&Tは、特定の機種に限定されずに稼働する小型コンピューター向けのOSとしてUNIXを開発し、その後一般にUNIXを公開します。莫大な開発コストがかかるOSが広く利用できることで、主として技術者向けに沢山のメーカーがUNIXワークステーションを送り出すことができるようになりました。

UNIXワークステーションは個人や家庭で使われることはありませんでしたが、企業の中ではPCと同じように汎用機の世界からのダウンサイジングを加速するものでした。UNIXが稼働するコンピューターはPCより強力だったので、LANだけでなくより複雑で大規模なネットワークを構築することができました。

UNIXが遠隔地のコンピューターを連結するのに使った通信方式はTCP/IPと呼ばれるものでした。もともとTCP/IPは1960年代にアメリカ国防省のARPANETというネットワークの研究プロジェクトが元になっています。ARPANETプロジェクトは一般の汎用機のネットワークが中央集権型で中央のコンピューターが破壊されるとネットワークの機能も失われるという問題を解決するために始められました。冷戦下の世界でソ連の核攻撃でも生き残れるネットワークの構築を目指したのです。

1980年代になりTCP/IPはUNIXの中に組み込まれます。UNIXのコンピューターは中央集権的な管理機能を持たずに、互いにTCP/IPで連結することができました。ばらばらのLANのネットワークはTCP/IPで一つのネットワークになっていきます。

TCP/IPは最初は大学や研究所のようなアカデミーの世界で使われはじめましたが、TCP/IPを使えば、企業内だけでなく電子メールでどこのシステムとも連絡が取れることで、個人を含めた多くのユーザーに普及していきます。ダウンサイジングで情報処理が汎用機からPCに移されたように、ネットワークも企業の占有物から一般のユーザーへと開放されることになったのです。

コンピューター利用の中心は企業の深奥から、広い世界へと広がることになりました。そしてTCP/IPで連携された巨大なネットワークは「インターネット」と呼ばれました。(続く


* アップルコンピューターを設立したのは、スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニャックと他にもう一人、ロナルド・ウェインがいました。ウェインはAppleのロゴとApple Iのマニュアルを作ったのですが、アップルコンピューター設立後2週間で持ち分の10%の株を800ドルで売ってしまいます。他の設立者の負債に共同責任を取ることに不安を感じたためと言われていますが、もしウェインが株を持ち続けていたら、現在は200億ドル財産を持っていたことになります。

インターネットの次に来るもの:目次
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