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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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The Next Wave: インターネットの次に来るもの(3): 革命の始まり
続き

インターネットの時代 (1995-2010?)エポックメーキングな出来事:ネットスケープの上場(1995年)
NeXT.jpg
世界最初のWebサーバーとブラウザーが稼働したCERNのNeXTコンピューター


ブラウザー戦争

スイス、ジュネーブの郊外、スイスとフランスの国境をまたいで、ヨーロッパ諸国の共同事業として設立されたCERN(欧州原子核研究機構)の巨大な施設群があります。CERNには周囲27キロにおよぶ巨大な量子加速器を始め、数多くの素粒子物理学の実験装置が備えられています。2008年の南部・小林・益川3氏のノーベル賞受賞には、1999年にCERNで行われた「CP対称性の破れ」の検証実験が大きな力になりました。

CERNでは2,600名の常勤職員を始め、各国から集まった約8千人の科学技術者が働いています。CERNはアカデミックな国際組織のため、企業の研究所のような機密保持にそれほど神経を使わずに、電子メールで情報交換が他の研究所や大学と頻繁に行われています。CERNの電子メールや文書検索システムは、信頼性の点でもビジネスに直結する企業システムのように高いものは、それほど要求はされません。そのようなCERNの環境は動き始めたばかりのインターネットに最適なものでした。ほどなくCERNは生まれたばかりのインターネットの最大の拠点の一つとなっていきます。

tim-berners-lee.jpg
WWWを提案したティム・バーナーズ-リー

1989年になり、CERNに勤務していたティム・バーナーズ-リーというイギリス人のコンピューター技術者がインターネットの新しい活用法を提案します。ハイパーテキスト言語という文章作成用の特別なプログラミング言語を改良して、文章同士がインターネットを通じてコミュニケーションをするシステムを作ろうというのです。

1990年になりバーナーズ-リーは同じくCERNに勤めていたスイス人のロベルト・ケーヨと「World Wide Web: Proposal for HyperText Project」という短い、今から考えるとノイマン型コンピュータを記述したノイマンの論文を上回るほど大きな影響を与えた、提案書を書きます。WWW、ワールドワイドウェッブの可能性が提示されたのです。

提案では後にHTMLと呼ばれることになるハイパーテキスト言語を使って、CERNの膨大な文書を他のインターネットで接続されたシステムの下にある文章と結びつければ、コンピューター同士の接続の煩わしやトラブルなしに、文章から文章へとインターネットの中を「飛び回る」ことができると主張されていました。

この仕組みにはハイパーテキスト言語の両輪をなす、もう一つの道具が提案されていました。文章を見る-Browseするためのインターフェース、ブラウザーです。サーバーに格納されているハイパーテキスト言語で記述された情報を、ブラウザーを通じてユーザーは簡単にアクセスできるはずでした。

バーナーズ-リーたちの提案は採用されました。1991年になりバーナーズ-リーは、その頃アップルを放逐されていたスティーブ・ジョブズが設立したNeXTコンピューター社のワークステーションを使って、世界最初のWWWサイトとウェブブラウザーの稼働に成功します。

CERNで生まれたワールドワイドウェッブとブラウザーはインターネットの使い勝手を飛躍的に向上させました。文章をクリックすれば世界中どこに情報があっても関係なく簡単にアクセスができるようになったのです。

ブラウザーの製品化は事業として魅力的に見えました。ブラウザーを通じてユーザーはインターネットの膨大な情報にアクセスします。「ブラウザーは全てのワークステーションやPCを巨大なデーターベースの情報端末に変える魔法の杖になる」、そう考えた一人にシリコン・グラフィック社を設立して事業家として成功していたジム・クラークがいました。クラークはイリノイ大学を出たばかりの優秀で意欲に溢れた、マーク・アンドリーセンという23歳の若者を見つけ出します。1994年、二人はブラウザーの製品化のためにモザイク・コミュニケーション社を設立し、ほどなく会社の名前をネットスケープと改めます。


MarcClark.jpg
(右から)ジム・クラーク、マーク・アンドリーセン、ジム・バークスデイル(ネットスケープCEO)

ネットスケープのブラウザー、Navigatorはたちまち市場で競争に勝ち抜き、ブラウザーの事実上の標準の位置を占めることになります。NavigatorはUnixワークステーションだけでなく、PCそれもWindows機だけでなく、アップルのMac上でも稼働しました。ブラウザーは単にWWWの情報をアクセスするだけでなく、画像や音声を含めた、あらゆる種類の情報の操作ができます。ブラウザーが普及すれば、WindowsもMacも関係なくPCが利用できる。いや全ての情報がインターネットから取り出せるのなら、ソフトウェアもインターネットのサーバーに置けば、PCすら必要なくなるかもしれない。Windowsに代わる新しいコンピューティングのOSとしてNavigatorへの期待は高まりました。

1995年の8月、ネットスケープはナスダックに上場を果たします。売上のほとんどない、ネットスケープの時価総額は上場初日に100億ドル近くになりました。誰もがネットスケープを明日のマイクロソフトと信じているようでした。ジム・クラークはビル・ゲーツがマイクロソフト設立から12年かかった10億ドル長者の道を、ネットスケープでわずか18カ月で達成しました。

マイクロソフトは反撃に出ます。ネットスケープが上場されたのと同じ年の1995年の5月16日、ビルゲーツは幹部向けに「The Internet Tidal Wave(インターネットの波)」と題したメモを送ります。その中でゲーツはネットスケープがインタネットの世界から生まれた新しい競争相手であるとして、インターネットの可能性を十分に理解していなかった失敗を認めます。そして、インターネット対応は最重要課題であり、マイクロソフトの製品ラインはインターネット環境に向け舵を取らなければならないと伝えました。

しかし、ゲーツ以外のマイクロソフトの幹部はインターネットの重要性をゲーツほどには認識していなかったのかもしれません。メモが出されて半年ほどたち、シアトルで行われることになったインターネットの祭典-インターネットサミットを控えた12月6日、マイクロソフトのインターネット戦略の発表のリハーサルの席上でビル・ゲーツはマイクロソフトの幹部たちに苛立ちを含んだ強い口調で、「われわれはインターネットに真剣だ(hard-core)だということを皆に判らせなければならない」と命令します。マイクロソフトはついに巨大な経営資源のインターネットへの注入を開始します。

成果は素早く上がってきました。Navigatorに対抗したInternetExplore(IE)をマイクロソフトは圧倒的なシェアを持つWindows95に無料で組み込みます。多くのソフトウェアメーカーを追い払い叩き潰してきた手法でしたが、今度も有効に働きます。IEはたちまち、ExcelやWORDのようにWindowsユーザーの中で大半を占めるようになります。

ネットスケープはその後、製品開発のトラブルなどで迷走し、1998年にAOLに買収されます。そのAOLもタイムワーナーとの華々しい合併の後は事業の低迷が続き、2009年12月に独立企業として体よく切り離されることになります。

1995年をインターネット時代の始めと考えるのは妥当でしょう。1991年たった1個しかなかったウェッブサイトは、1992年の暮れに26個に、1993年には200個を超えるほどになります。そしてネットスケープがナスダックに上場した1995年の8月には18,000に増加していました。アメリカのP&Gなど大手企業の多くはホームページの開設を始めたのもその頃です。インターネットの調査会社のNetcraft社によれば、2009年11月現在のウェッブサイトの数は全世界で2億4千万に達しています。

ブラウザーを巡るネットスケープとマイクロソフトの戦いは、PCの時代のアップルとIBMの競争と似ています。どちらもベンチャー企業が急成長して既存勢力の牙城を揺り動かしそうになったのを見て、既存勢力が反撃に出て勝利を収めました。

ただその後の結果はずいぶんと違っています。IBMはIBM PCでPCの業界標準を確立し、PCのトップに躍り出ますが、互換機に苦しめられ、付加価値の大半をただの下請け部品メーカーと思っていたインテルとマイクロソフトに奪われてしまいます。結局IBMはPCの主導権を失い、PC事業から撤退します。

これに対し、マイクロソフトはWindowsという強固な基盤を利用することでブラウザーの覇権を得た後も順調に成長を続けます。1995年という年はマイクロソフトがWindows95を発表した年でもあります。Windows95でマイクロソフトはIBMのPC用の自社製OS、OS2に決定的な打撃を加え、業界標準としての地位を完全に確立しました。

しかし、ブラザー市場での勝利自体はマイクロソフトに格別の利益をもたらしませんでした。マイクロソフトはIEを無償でWindows95に含めてしまったため、ブラ―ザー自身の売り上げはなかったのです。

多分マイクロソフトはExcelやWORDがそうだったように、競争相手を打ちのめしてしまえば、改めてブラウザーに値段を付けることはできるだろうと考えたのでしょう。しかし、オープンの世界から生まれたブラウザーの開発はそれほど難しいものではなく、IEに値段を付けたくても無償ブラウザーが次々現れるのでマイクロソフトはIEで儲けることは困難でした。

むしろマイクロソフトがインターネットから利益を得たのは、皮肉なことにマイクロソフトの製品が不完全だったからだと言えます。WindowsやOffice製品の欠陥を狙ってウィルスが常に生み出される状態では、ユーザーは保守の行われないPC OSを付く気にはなれません。もし、ウィルスの心配がなければ今よりずっと多くのユーザーが相変わらずWindows95を使っていたでしょう。ウィルスのためにユーザーは必要がなくてもWindowsの更新が必要です。そしてウィルスはユーザーがインターネットにPCを接続させなければ、外出を全くしなければインフルエンザにかかることがないように、無関係でいられるはずのものです。インターネットからマイクロソフトは大きな利益を得てきたのです。

インターネットの出現は、ネットスケープが上場でいきなり桁外れの値段を付けたように、誰もが何かとてつもないことが起きると予感させるものでした。それは予感以上の確信と言えました。しかし、インターネットがどのように世界を変えるか、そしてインターネットからどのように利益を得るのか、明確な道筋は明らかではありませんでした。誰もが新しい可能性を現実のビジネスにつなげようと必死でした。21世紀はもう目前に迫っていました。(続く

インターネットの次に来るもの:目次
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