原発を考える(3): 原発はどこまで危険か
炉心溶融と大爆発を起こしたチェルノブイリ原発 チャイナシンドローム チャイナシンドロームは、もともとは1979年に公開された原発の事故を描いたアメリカ映画の題名ですが、原発で起きる最悪の事故である炉心溶融、いわゆるメルトダウンを表す言葉として使われるようになりました。 原発は原子炉の中でウラニウムやプルトニウムの核分裂を起こし、それで生じる莫大な熱を使って電力を発生させます。原子炉の熱エネルギーを取り出すことで電気を起こすわけですが、もし熱エネルギーが十分に取り出せなくなると、炉心はどんどん熱くなってしまいます。 それでも原子炉が停止せず核分裂が進むと、燃料のウラニウムも、燃焼を制御するための制御棒も、ついには炉そのものまで融けてしまいます。チャイナシンドロームとは炉心が溶融して、アメリカから見て地球の反対側の中国まで溶融物が突き抜けてしまうとういジョークからでた言葉です。 もちろん、原子炉の熱がどんなに高くてなっても、地球の中心まで溶融物が進んでしまえばそこでお終いで、それ以上先に進むことはありえません。しかし、いったん原子炉が制御不能で暴走を始めた時の凄まじさを表現するたとえとして、チャイナロームは広く使われるようになりました。 チャイナシンドロームはジョークですが、知られている範囲で過去に原発は世界で4回の炉心溶融事故を起こしています。その中でも1979年のアメリカのスリーマイル島と1986年のソ連のチェルノブイリ原発の二つの事故は大きな衝撃を与えました。 中でもチェルノブイリの事故では10トン以上という大量の放射性物質が外部に放出され、北半球全域で事故が原因と思われる放射性物質の落下が観測されました。放射性物質の量は広島に落ちた原爆の500倍におよんだと推定されています。 チェルノブイリ原発は日本を含めた西欧諸国の原発とは形式が異なるため、同じようなシナリオで同じような事故が起きることはないとされていますが、原発が炉心で核分裂でエネルギーを得ている以上、実際に大事故が起きたらどのような事態になるかという意味では世論が原発の恐怖を思い知らされたのは当然のことでした。原子炉冷却材喪失事故 原子炉は100万kワットあたり毎分70トンの水を7-8度上昇させながら冷却することが必要なほど大量の熱を出します。原子炉をいきなり海や湖の水で冷やすことはできませんし、第一それでは発電ができません。日本の原発は沸騰水型(BWR)と加圧水型(PWR)の二種が主流ですが、どちらも原子炉の熱で高圧、高温の蒸気でタービンを回して、その蒸気を外部の大量の水で冷却します。 もし、原子炉から外部の冷却材にいたるシステムのどこかで水などの冷却材が漏れたら、原子炉をうまく停止させない限り、炉心溶融になってしまいます。これはLOCA(Loss Of Coolant Accident原子炉冷却材喪失事故)といって原発にとってはもっとも危険な状態です。 火力発電所は原発以上に高温、高圧の蒸気を使用するのですが、蒸気が漏れたからといって、燃焼炉が溶けだすようなことはありえません。しかし、原発は基本的にチャイナシンドロームになる危険を内在したシステムです。 もちろん、原発は炉心溶融が起きないように安全装置を組み込んでいます。その中でもっとも重要なのはECCS(Emergency Core Cooling System 非常用炉心冷却装置)です。ここでECCSは原子炉の「冷却」はしても「停止」はしないことに注意してください。原子炉の停止は制御棒を挿入することで行われますが、「停止」はしても放射性物質の崩壊により発熱が続きます。ただし崩壊熱は速やかに減衰します。 日本では美浜原発1991年に蒸気発生器の伝熱管が破損してLOCAとなりECCSが作動した事故がありました。しかし、海外の事例も含めECCSが作動した事故では炉心溶融は防がれています。スリーマイル島とチェルノブイリの炉心溶融では人為的にECCSが止められていました(これはミスオペです)。 今の原発は時速100キロで走行中にいきなり勝手にアクセルが踏みこまれて急加速をする可能性のある自動車のようなものです。それも普通のブレーキでは停車できず、緊急ブレーキでかろうじて停止できる仕組みがあるような自動車です。 原発はまかり間違えば炉心溶融、下手をすると冷却材の水の蒸気爆発で放射性物質を大量に撒き散らしてしまうような大事故を起こす可能性がある代物です。安全性を高めることはできますが、危険をゼロにはできません。ECCSも何千回に1回かはうまく働かないことも考えられます。大事故を完全になくすことはできません。原発の危険とどう向き合うか それでは何もかもうまくいかなくなってチェルノブイリの二の舞あるいはもっとひどいこことになる確率はどれくらいあるのでしょうか。これにはPRA(probabilistic risk analysis)あるいはPSA(probabilistic safety analysis)といった手法があり、原子炉1つあたり炉心溶融が起きるのは2万年に一回程度、炉心溶融5回のうち1回くらい1,000人以上の死者が出ると見積もられています(前回の記事 でご紹介した数千万年に1度というのは1970年代にドイツ行った一つPRAの数字です。前提によってPSAの値は大きく変わります)。 PRAは各原発ごとに実施すべきですし、原発が商用化されて60年の間に4件の炉心溶融があり、そのうちの一つのチェルノブイリ事故ではおそらく後遺症も含めて1,000人以上の死者が出ただろうと考えるとこの数字は楽観的すぎるかもしれません。 原発の数は現在世界で450ほどです。そして地球温暖化を追い風にして原発の数は2030年までに2倍の1,000程度になる勢いです。このPRAの結果を概ね妥当と考えても、かなりの新しい原発が人材的に不安がある新興国に建設されることを考えると、10年に一回くらい炉心溶融事故が起きて、2-30年に一回くらいチェルノブイリクラスの大事故が起きることもありえます。立地に無神経で人口密集地の近くに原発が建設されると死者は1,000人どころか数10万人になるかもしれません。 これを見ると原発は推進すべきテクノロジーかということに疑問を持つ人は多いでしょう。とは言っても、飛行機も原発の炉心溶融と同じで墜落すればほとんど助からないという本質的な技術的問題を抱えています。本質的に危険があるからといっても確率的には許容範囲かもしれません。死者の規模も数10万人というとスマトラ沖大地震の津波の死者と同じレベルです。「人類の歴史の中ではそういうこともあるよ」と割り切る考え方もあるでしょう。 ただ、人間の危険許容度は新たな危険が追加されるときと、従来からの危険が取り除かれるときでは大きな差があります。「あなたの隣の原発は2万年に1回大爆発を起こしますが、その危険を取り除くのにいくら支払いますか」という答えと、「あなたの隣に2万年に1回大爆発を起こす原発の建設をいくらもらえば我慢できますか」という質問の答えでは金額が何ケタも違うのが普通です(もらうのと払うのでは違うということもありますが)。 この違いは普通の経済学の合理性に反するので行動経済学と呼ばれる範疇に入ります。つまり原発を新たに作るのは行動経済学的にとても困難なだということがわかります。また、原発の立地が特定の地域に集中するのは行動経済学的には自然なことだということが言えます。新たな危険は受け入れるのに大きな代償を要求されるからです。 同じように行動経済学からは「原発を廃止してエネルギー価格が高くなるとしたら、どの程度の上昇を受け入れますか」という質問には「大して払いたくない」という答えが返ってくるはずです。 原発の危険性をどう考えるかは人によってずいぶん違うでしょう。飛行機を怖がって乗らない人もいますし、気にしないで1年に何十回と乗る人もいます。ただ、飛行機を怖がって乗らない人もタクシーは利用します。本当は確率的にはタクシーの方がずっと危険です。原発も危険で廃止すべきだという人も、木造の安アパートに平気で住んでいたりします。地震や火事を考えると、原発が近くに立地される危険の比ではありません。主観的な危険の確率と実際の確率は一致しないことが多いのです。原発を考える(1):原発に巨大魚という都市伝説 原発を考える(2): WWFが原発に反対するわけ 原発を考える(3): 原発はどこまで危険か 原発を考える(4):反原発論は間違いだらけだが原発も欠陥だらけ 東海地震と浜岡原発
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