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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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村上春樹氏への手紙に代えて
村上春樹氏は国際的にも高い評価を得て、ノーベル賞候補にも擬せられる、日本でもっとも高名な小説家の一人です。氏は今月9日スペインのバルセロナで行われた「カタルーニャ国際賞」の受賞式で「非現実的な夢想家として」と題する受賞スピーチを行い、原発廃止を訴えました(全文は例えばここ)。氏の影響力を考えるとスピーチの内容は相当広範囲の人々に届いたと思います。これは氏への私なりのメッセージです。

生活のすべてを置き去りにして遠く離れた避難所で不自由な日々を強いられている人々、育て上げた作物を放射能に汚染され廃棄しなければならない農民、不気味な音を響かせるガイガーカウンターの針を見つめながら子供の将来を台無しにするのではと不安におびえる母親。福島でそして日本中に広がっている恐怖と怒り、それらはたった一回の地震と僅か4基の原子炉が引き起こしたものでした。

科学者は「絶対はありえない」と言い、経済学者は「あらゆるものはトレードオフがある」言います。しかし、福島原発事故の結果が安全な原発という約束を破ったものであることは疑いようもありません。みな便利さや豊かさを求めます。それでもそれを得るための支払わなければならない犠牲が大きければ、すべての富は悪魔に魂を売った証に見えてしまいます。

「想定外」という言葉は傲慢さの裏返しに他なりません。事故は傲慢によって起きました。何もかも予見することなど不可能なのに、事故が起きるという可能性自身を想定の外に追いやっていたのです。事故が起きてからの指導者たちの混乱ぶりは、本当の意味で原発という怪物を飼い慣らす準備も覚悟もできていなかったことを示しています。そして、それは事故は起きないと信じ込む傲慢さのゆえでした。

私たちは間違った道に迷いこんでしまったのでしょうか。別の道は探さなければならないのでしょうか。道が見つからなくても、せめて道を引き返すことが分別というものではないでしょうか。原発事故という現実を目にして何もしないでいるほど私たちは愚かではいられません。

今は原発の存続を言うことの方が「夢想家」かもしれません。避けられない危険、積み上がる放射性廃棄物、得られるものは多少の贅沢と快適さ、失うものは未来、何をもって私たちは原発を使い続けると言えるのか。

しかし、いや、だからこそ、私は原発の中に核兵器を見てしまう、原発を「過ちは繰り返しませんから」という誓いと祈りを台無しにする不道徳なものと考えている人々に「それは違う」と言うことも義務ではないかと思います。

もともと原発は理解されることの少ない技術でした。最初それは無限の核エネルギーを利用することができる魔法の杖のように思われていました。「原発は電気メーターを無用の長物にするだろう」とまで言われたのです。原発は人類にとって二つ目のプロメテウスの火になることを約束されていると思われていました。

人類文明はいつもエネルギーとともにありました。火は人類をか弱いサルから地上最強の獣に変えました。産業革命は石炭の利用から始まり、20世紀の文明と科学は石油と堅く結びついていました。それは今でも続いています。

化石燃料が広範囲に利用されるまで、最大のエネルギー源は森の木でした。森が失われるとともに多くの文明が消え去っていきました。イースター島の巨大なモアイ像の群れは、かつてそこに存在した文明の生み出したものです。閉ざされた小さな島での争いと森林資源の枯渇がその文明を滅ぼしてしまいました。

人類は地球というイースター島よりは少しは大きな場所に住んでいます。しかし、森林資源が60億人の文明と命を支えることはできません。化石燃料を利用することは現代文明の原因でもありますが必然でもあります。

文明はいつも二つの顔を持っています。人間の手は木の実を砕く石器をいつでも人殺しに使うことができました。オッペンハイマーの手が血で濡れているなら、私たちの手も、文明そのものも血で汚れています。

その中で「効率」への批判は危険な罠です。効率を求める文明は戦争の悲惨さを拡大してきましたが、同時に医療を始めとした様々な文明の産物は人間の生活を向上させてきました。人間にとって何が幸福かを決めるのはたやすいことではありません。しかし、清潔で豊富な水の供給が伝染病を劇的に減らし、それが産業革命以降の電気やエネルギーの発達によって得られたものだということを見るだけでも文明の果たした役割を否定することはできないはずです。世界を飛び回りネットを通じて誰とでも会話ができる。人類文明が積み上げた高い塔の上に私たちはいます。

本当は文明に二つの顔があるのではありません。文明を作り出し利用する人間に愚かさと賢さが同居しているのです。人間の持つ愚かさを恐れるあまり、文明とその本質である効率性を否定することは賢い行いとは言えません。人間は賢く文明を利用する力も与えられているのです。

原発を捨て去ってしまうことが、人類にとって賢い選択なのでしょうか。結論を出す前にいくつかの現実を見つめ直すことが必要です。それは負の側面を持っているのは原子力だけはなく他の文明、技術も同じだということです。

化石燃料についてはいまさら繰り返すまでもないでしょう。産業革命で化石燃料の利用が始まった時から、環境汚染は化石燃料の最大の問題でした。最近はそれに地球温暖化へ懸念が付け加えられています。

資源の枯渇も問題です。昨年のメキシコ湾での大規模な海底油田からの原油流出は、そこまで石油を求めなければならなくなっている現状を改めて認識させました。石炭採掘で死亡する人は世界で毎年3千人を超えています。単純に死者の数を比べるのは慎みのあることとは言えませんが、死者の数を見る限り原発が何よりも危険な技術とは必ずしも言えません。

再生可能エネルギーに過大な期待をかける危うさも指摘しなくてはなりません。再生可能エネルギーは無尽蔵ですがひどく希薄です。文明を支えるエネルギーとなるためには高密度になるまでかき集めることが必要です。コストのまったくかからない太陽光や風をエネルギー源としながら再生可能エネルギーのコストが高いのは、希薄なエネルギーをかき集めるための設備と手間のためです。

希薄なエネルギーは広大な面積が必要です。必要な広さは工場ではなく農地と比較するのが適当です。土地は輸入も輸出もできません。人口と土地が不均衡な世界で再生可能エネルギーは石油資源以上に偏在しています。

安定性の確保はコストよりさらに克服が困難な課題です。太陽光は夜は使えず、風はいつ止まるか判りません。解決策はすべて未来の手の中にあります。今ある解決策はコストの点で多くの人が受け入れらるような現実性を持ってはいません。

再生可能エネルギーは期待とは裏腹に人類がすべてをそこに依存するまでにはいくつもハードルをくぐり抜けなければなりません。再生可能エネルギーの未来は淡い絵の具で描かれたデッサンです。堅牢な技術に裏打ちされた設計図ではありません。

原発の放射性廃棄物の処理は現在の問題ですが同時に遠い未来の問題でもあります。プルトニウムの半減期は2万4千年です。深い地中に埋めたとしても未来の人類に深刻な被害を与えることはないのか。現代文明の維持のために負の遺産を残すことは許されるのか。

この問いかけに完全な答えを出すことはできないでしょう。しかし、何万年という歳月も地質年代からみればわずかな期間でしかないということは言えます。昭和新山のような火山の爆発以外で深く埋めた放射性廃棄物が地表に露出すようなことは、数万年の間ではまず起こりえません。

私は未来の子孫たちのことを考えるなら10万年先のことより、ここ100年、200年の資源枯渇や環境汚染のことを考えるべきだと思います。地球は少し大きなイースター島に過ぎません。資源が環境がいったん失われてしまえば、文明もまた失われるしかありません。化石燃料か、再生可能エネルギーかあるい原発か、何が人類の未来を守ってくれるのかということはもっと短い期間(と言っても数世紀という時間軸ですが)で考えるべきことだと思います。

ここで話はもう一度原発事故に戻ります。すべてを予測することも無限の費用をかけることもできないのであれば、再び原発事故は起きるのではないか。その通りでしょう。いつかまた世界のどこかで原発事故は必ず起きます。福島原発事故の前から原子炉の炉心溶融の確率は2万年に1度程度と言われていました。世界には約500基の原発があることを考えると、これは40年に1度の事故ということになります。チェルノブイリの事故から約四半世紀が経過して福島があります。見積はそれほど大きくははずれてはいません。

改善は進んでいます。今後津波で決定的な事故につながる可能性はずっと小さくなるでしょう。今回の福島原発の事故でさえ数億円の投資が適切に行われていれば、ここまで深刻な事態を招くことはなかったと言われています。

福島の原発事故は原発事故の恐ろしさを改めて私たち教えています。原発の危険さは証明されたことです。疑う対象ではありません。しかし、膨大な人々の避難、広範囲な放射能汚染の広がりにおののくだけではなく、一人の死者も出ていないという事実も理解する必要があるのではないでしょうか。

運が良かっただけ。そうかもしれません。今回の事故では不幸な偶然と同時に、決定的な事態に至らなかった幸運もありました。地震の直後とにもかくにも原子炉内の核分裂は停止しました。そうでなければ、周辺部には現在より桁違いの放射性物質がばら撒かれていたはずです。チェルノブイリではそうなりました。

原発は発電量当りの死者の数では依然としてもっとも「安全」と言える電力です。風力発電でさえ保守や倒壊で死者が皆無というわけにはいきません。こんな算数をすることは狂気の沙汰でしょうか。しかし、一度の原発事故が日本を人の住めない土地に変えたり、桁外れの死者を出したりするのでなければ、計算することすら不道徳とまでは言えないのではないでしょうか。

原発は核兵器ではありません。原発を核兵器と同一視するのはトラックと戦車を同一視するのと同じです。技術基盤は共通していても目的も性質もまったく別物です。一方は安全性をできるだけ高めようとし、もう一方は殺戮力をできるだけ高めようとする。似ているところはあるとしても違いは無視できるようなものではありません。

私は原発廃止を訴えることが「非現実的な夢想家」だとは思いません。また、原発を支持し続けることが唯一の現実的な解だとも思いません。現実的でないのは、すべての選択肢には負の面があることを認めないことだと思います。

人間の愚かしさには底知れないものがあります。けれども賢さは最後は愚かさに勝ってきました。いま私たちがいるのは人類の賢さのお陰です。逆ではありません。しかし、いつどんなところでも賢さが勝利を収めたわけではありません。イースター島は違いました。優れた文明や技術は失われ、残ったものは数分の一になった人口とモアイ像の群れだけでした。

原発は人間が生み出したものです。悪魔の贈り物ではありません。原発を作りだすことができた人類は原発をより安全なものに進歩させることもできるはずです。原発事故は恐ろしい。しかし恐れるあまりすべてを投げ出し選択肢の外に放り出してしまうことは賢いこととは思えません。ルーズベルトが言ったように「わらわれが恐れなければならないのは、恐れることそのもの」なのではないでしょうか。
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この記事に対するコメント
視点の食い違い
 30年を越える村上ファン歴を持ちます。今回のスピーチはあるべき過去を語った物で、未来は保留しています。但し村上氏が何も考えていないとは考えにくいです。馬場さんのご指摘は承知なのではと想像します。スピーチの長さ・趣旨より具体例に触れないことにしたか、自分の中で熟していないとの判断だと思います。
【2011/06/14 12:06】 URL | 桃栗 #- [ 編集]

エネルギーの奴隷
いつも卓見溢れるブログ拝読しています。横浜市の主婦です。
私もこのブログの趣旨に賛成です。原発を止めても今後もエネルギー問題はますます熾烈になるでしょう。原発が悪であったかどうかは、その恩恵で40年間暮らした実績から明らかです。人類は今後エネルギーの奴隷となり、そこから糧を得る為にのみ戦う暮らしになるのでしょうか。
馬やロバに乗り、帆船を操り暮らす日本に100年後は戻っているように思います(ひ孫の時代)。
【2011/06/15 15:04】 URL | てんとう虫 #- [ 編集]


特に村上春樹さんのファンでもなく、著書をまともに読んだ事もない者です。しかし、スピーチ内容には感銘を受けました。 馬場さんの論旨も理解しない訳ではありません。が、フクシマ原発事故による放射線被害は今後数十年掛けて明らかになってくると予測しますし、現在進行形の中では予断を許せる状況にもありません。また、それぞれの統計確率的な各種原則論(自己欺瞞の罠にはまっていると感じているのですが)に守られた原発神話派や放射線医療の分野から正しい情報が得られるとも思いません。 私の亡母は地方医療の開業医でしたが、医療分野における医学の発達と傷病発症の高度化/複雑化の輪廻の現実を早くから見抜いていました。(古くからの医療学会でも主要議題になっていたことです) 人智の及ばぬところを侮って人間の管理下に置けるなどとは思わぬことです。真摯な眼と畏敬の念を持って弛まぬ努力を続けるしかありません。 病原菌ウィルスと同じです。医学と科学は違うからと言って、核エネルギーや原子力を制御出来ているとは思わぬことです。 私は原発反対でも賛成でもありません。村上さんの述べられた「原罪」と人間としての「業の深さ」を痛感させられているだけです。 残された人生、ここで安易な妥協だけはしたくありません。 (失礼しました。目障りでしたら、レス削除いただいて構いません)
【2011/06/16 17:18】 URL | ronpapa #- [ 編集]

信じられない!
原発n事故で影響でるのは4、5年して甲状腺がんが増えるのはデータでてるじゃにですか!直ぐ死ぬわけないのに。少しは勉強したらどうですか?原発の廃棄物処理どうするの?こんな状況でこんな事書く人いるなんて信じられないです!!
【2011/06/20 09:31】 URL | イケガミ #wwmFM0SA [ 編集]

偶然の一致だといいのですが
 フクシマ以来、脱原発を政府方針としている政府はドイツ・イタリアです。スイスでは原子力発電は違法とうことになっているみたいです。アメリカ合衆国・イギリス・中国では原子力発電を見直すまたは縮小するような報道は今のところ見かけません。
 これって、第二次世界大戦で連合国だった国家は原子力発電維持で、枢軸国(とされる)国家は脱原発とかそれムードだったりします。今後のエネルギー政策ってその辺と何か関連があるのでしょうか?
【2011/06/23 19:36】 URL | 黒髪のバルカ #- [ 編集]


暴力とは常に理不尽なものだと思う。殴られた人の痛みは殴られなかった人には理解できないのだから。この国という境界を考えるとき、国民がどちらに共感を抱くかということで、はたして政治が舵をきってゆくのだろうか。日本の歴史を振り返るとき、その主役は国民ではなく、「国民不在」であったような気がする。そしてまたそれは国民自身がすすんで望んだことではなかったのか。
【2011/06/23 23:52】 URL | 匿名 #- [ 編集]

偶然の一致ではないとは言い切れないと思います
黒髪のハルカさんの指摘は偶然とは言い切れないでしょう。
ただ第二次大戦の連合国という枠というのは正確ではなく。基本的に現時点で原発に反対していない国、アメリカ、フランス、イギリス、中国に共通している国は「核兵器保有国」だと言ったほうが正確だと思います。
現在の核保有国は戦後、数多くの核実験を行ってきました。核実験によって大気中にまき散らした放射性物質の量はチェルノブイリや今回の福島原発事故とは比較にならないほどだと思います。放射性セシウムやストロンチウムのみならず、プルトニウムやウランも大量にまき散らしたはずです。実際、60年~70年代に世界中で検出されたプルトニウム濃度は現在の福島原発周辺のレベルと大して変りない濃度であると言っている人もいます。
核実験による放射能汚染の人体への影響は、当時、アメリカやフランスの軍隊によって人体実験も行われたことは知られていますが、その詳細は未だに軍事機密扱いで公開されていません。チェルノブイリの事故で甲状腺癌の発症率の増加が何かと矢面に立たされていますが、核実験が行われていた時期の世界中のがん患者のデータを詳細に分析したらチェルノブイリの比じゃないほどの、放射能汚染とがん患者の増加の因果関係が明らかになる可能性は十分にあると思います。
そして、核保有国に共通して言えるのは既存の石油資源などにも強欲ということです。現在、リビアで行われている戦争は明らかにフランス、イギリス、アメリカによる内政干渉であり、その狙いは世界最大の埋蔵量を誇ると言われているリビアの石油資源であることは明白です。特にアメリカは温暖化問題に関しても京都議定書に批准していません。

そして福島の対応に関して日本政府を声高に非難しているのもこれらの国々です。

海外からの批判や非難に耳をかたむけることも重要ですが、その内容を「核保有国」かそうでない国々かで聞き分けることも重要なことだと思いますし、日本がこの先原発を使い続けるのか、やめるのかを決定していくときには、こう言った「他国のことをいう資格のない国々」の言うことは参考にせず、自分たちの判断で考えて決めてゆくことが重要だと思います。

そういう意味ではドイツに関しても実は同様です。ドイツは自国に炭鉱を保有し、地方主権色の強いドイツはいかに国家として「脱原発」を決定しても、いざとなれば地方の電力会社の独自判断でお隣りのフランスから電力を買うことは可能ですし、現在でも行っています。日本は自国にエネルギー資源もなければお隣から電力を買うこともできません。またヨーロッパ諸国はアフリカの資源の権益を握っていることも忘れてはならない事実です。

原発は確かに非常に危険です。残念ながら、今回の事故で長期の汚染と健康被害は免れないでしょう。しかし、日本がエネルギーの安定供給能力を失えば日本経済は力を失い多くの失業者を生み、貧困と飢え、夏場には熱中症、冬場には凍えて死ぬ人が増えるというシナリオもあり得ます。原発は「安くてクリーンなエネルギー源」ではなく、現状で最も「安定供給能力が高いエネルギー源」です。原発がないと仮定すると、日本は今再び石油ショックが起これば直ちに経済と個人の生活がメチャクチャになりうる、そういう立場の国であるということも原発の危険性とともに忘れてはいけないことだと思います。
【2011/06/25 22:57】 URL | km414 #y7tiKn.I [ 編集]

興味深い記事を拝見しました
文学者は人間に向ってしか言葉を発することが出来ません。
従って、彼等の視点からはことごとく生物としてのヒトの視点は抜け落ちています。大半の人間がヒトを表に出さないで済むのは、飢渇に陥らない間でしかありません。飢渇に陥った人間は自然と生物のヒトとなりますので、人間視点では『原罪』や『業』と呼ばれる行為を行うのにためらいはありません。第二次大戦中に食糧が無くなったフィリピンや南方で展開されたその光景は、有名な餓鬼道の餓鬼の姿に他なりません。この状況でなお人間でいられる割合はおおよそ千人に一人というものでしかありません。

私は只今の日本人は、大量高密度のエネルギーを膨大に使用し、約125百万人の命をつないでいるという現実を直視しない限り、脱原発や再生エネルギー推進論が、現実の力を得ることは無いと考えております。いくら見せ掛けの言論上リベートで、勝利をおさめようが、無理は長続きしないと考えます。なぜならその言論は、人間にしか届かない言葉であり、自然としてのヒトには事実を無視しているのだと思うからです。
【2011/06/26 10:12】 URL | 枯山 #B2zLP17c [ 編集]

はじめまして。
最近、twitterで馬場さんのコメントを見かけるようになり、私もまったく同感でした。私は、放射線を専門に研究をしてきた理学博士です。今の日本はどうかしているとさえ思います。
悪いのは原発ではなく、危機管理を怠り、危険を勧告されていたのにも関わらず、その管理に費用を投じることを渋り続けた責任者にあるわけで、「脱」や「反」を唱えるのとは問題のはき違いであると私は考えています。
ただ、太陽電池で金儲けをしたい人たちの策略か、国の機密事項でも隠されているのか…
思想だけは、ものすごく大きな声で聞こえてきます。

また、事故の起きた原発を何がなんでも止めることを、必死に見せているだけで実はその気がないような政治家や政府の動きも気になります。
ただよく知らない末端の東電の社員に尻拭いをさせて、もし死人が出ても熱中症でしたとか、心臓発作でしたとでも言い訳をつけて、ろくに遺族に補償もしないんじゃないかと思えるほど、事故の扱いも人の扱いも適当に見えます。
国がこれだけの放射線にさらされたら人々はどれくらいの時間でどれくらいの病人が出るのかのデータを取りたくてほぼ放置状態にしているようにも思えてしまいます。
代替エネルギーがまだまだ使いものにならないことは、自然エネルギーを対象にした研究をしていた会社に1年いたので、その状況も大体わかります。

確かに、私たちは放射線の危険にはさらされてはいますが、今は病気の発見も早くできるようになっていますし、自分自身の事故免疫力を高める事で放射線で傷ついた細胞を修正する、そういう自己免疫システムも人間には備えられています。
今の段階でも、すべての人が癌に必ずなる可能性があるわけでもないし、なったとしても早期発見できれば治らない病気ではありません。
原爆が投下された時も、原爆の放射線で健康被害に遭った人と遭わなかった人がいたことでもそれは、容易に分かることだと思うのです。
不安があるのは分かりますが、目くじらを立てて「子供を守らねば」とわめき散らしている親御さんの立場にいる方々も不安でなりません。

それは放射線がなんぞやということをよく知らずに、メディアに出てくる偉い人たちの言葉の受け売りをしているからなのではないかと私は思っています。

私事ですが、前月末に父を癌で亡くしました。また自分自身も職場で受けたセクハラ・モラハラを我慢してしまい心に病を抱え、やっと快復してきたところですが、そこで、この福島の事故も相まって、「人」という対象物に興味を持つようになりました。
今までは、素粒子や光といった物が相手の研究者でしたが、その過去の経験を生かして、今度は医学系の道へ進み、実際のところ人と原発(原子力)の関係をもっと広い視野から見たいと思い、今、準備段階といったところです。

まだまだ私自身は、若輩者ではありますが、馬場さんのつぶやきやコメントに賛成旗を陰ながら振っております。
【2011/08/21 23:52】 URL | とあるどくた #mQop/nM. [ 編集]


普段から地球とと共存しようだなんて姿勢にかけてるのに、このぐらいの事でがたがたいい過ぎな気がする。タンカー事故原油海に垂れ流し事故を見てもどれだけ歴史ある自然を汚しているか、そしてすぐ何もなかったようにしてるか、、自然もご立腹ですよ!結局のところ放射能なんてこわかないね、未来なんか知らないね、というスタンスの浅はかな我々なんですよ。
【2011/10/06 21:06】 URL | cesuku #eQSMJ6Fc [ 編集]


あたますっきりしてきた~
原子力発電所はお金を産むしいいじゃなーい。
うちにも原子力発電所があればな~
でもそうとう高いんでしよ?
可愛いうさぎをかってがまんするしかないな。
たくさんのうさぎがいれば、がまんできるが。
やはりふつうの人はうさぎよりも原子力発電所にむちゅうになるやね~
もっとあたまがよくなればたくさんのうさぎがかえるのにな~
【2011/12/12 06:17】 URL | 匿名 #- [ 編集]


はじめまして。
村上春樹さんの著書、「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」の文庫本あとがきで、
相当早いうちから日本の進む道は、(世界への貢献といった意味でも)「火力や原子力に代わるエネルギーで世界をリードする」ことではないかとおっしゃっていたと思います。
前提として、火力原子力といったものが、日本だけではなく世界にとっても
未来を明るくするものではないと考えていたのだと思います。
私もその点は村上春樹さんに同意です。原発以外の、より安全でクリーンな発電手段を
開発は、日本が再び発展する鍵になると思います。
【2012/09/27 14:54】 URL | yui #- [ 編集]


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