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馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

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死刑廃止をめぐって
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死刑を求める声は強い(写真は光市母子殺人事件で妻と娘を殺された本村氏)

去る12月25日法務省は1年3ヶ月ぶりに4人の死刑囚の刑を執行したと発表しました。これに対し、日弁連は会長名で直ちに遺憾とする声明を発表しました。 声明の内容は「死刑執行を行わないよう日弁連が事前に要請していたにもかかわらず、執行されたことは誠に遺憾。死刑制度の存廃について国民的議論を尽くし、改善を行うまでの一定期間、死刑執行を停止するよう改めて強く求める」というものです。

死刑を是とするか非とするかは、最高刑を何とするかという意味で、法体系の根幹をなす
重大な問題です。また、国家は犯罪者の生命を奪うことが許されるかという重い問いを投げかけてもいます。とは言いながら普通の日本人にとっては、臓器移植やいじめなどと比べて、さほど大きな関心を持たれる事柄でないのも事実でしょう。

死刑の是非がさほど関心を集めない理由に、大多数の日本人(統計によると80%以上)が死刑廃止を求めていないということがあるでしょう。死刑の廃止は国論を二分するような問題ではないのです。

さらに、臓器移植などと違って自分自身が死刑の問題に正面から向かい合う可能性はまずないと思われていることもあるでしょう。自分が死刑囚になることは考えられませんし、自分ないし家族が大量殺人に巻き込まれることを心配することもあまりないでしょう。結局、死刑になるのは、どこかのとてつもなく悪いやつで、そいつが殺されようがどうしようか関係ない。どちらかというと殺してしまった方が、世の中の筋道として正しいのではないか、というのが平均的な意見で、それが80%という死刑廃止に反対(つまり死刑賛成)になっているのでしょう。

おまけに、死刑について報道されるのは、池田小の児童殺人事件のような、残酷かつ衝撃的な事件に関連するものがほとんどです。池田小事件と犯人の宅間死刑囚の態様を見ていると、「死刑があってよかった」と思う人が多いのではないでしょうか。他の死刑事案も事件の残酷性を見ると、とても人間的な情けを犯人にかける必要性は感じられなくなります。

小説家の加賀乙彦は精神医学者として死刑囚を長年観察し、その中で強く死刑反対の立場を取るようになります。加賀は死刑囚を知ることで、死刑囚といえども鬼畜ではなく人間であり、死刑に至った事件を起こす過程があること、裁判が十分に理解しなかった人間性の内面があることを見出します。そして、国家が死刑囚という一人の人間の生命を奪うことの残酷さを厳しく指弾しました。

しかし、加賀が死刑囚の中に人間を見い出したのは、視点を加害者の側に持ったからです。視点を被害者の側に移せば、犯人を「憎んでも憎みきれない、殺しても殺しきれない」という被害者、被害者遺族の思いがあります。逆に、まったく犯人に人間性がない、つまり知性、認識能力がなくなったような場合、死刑囚が発狂したり、重篤な病気になったりすると、死刑は執行されなくなってしまいます。犯人に人間性があるからこそ、死刑にする意味があるというのが、死刑の考え方でしょう。

おそらく、「人間を殺す死刑は残酷か」という点から死刑を論ずると、加害者側、被害者側どちらの視点を持つかで意見が正反対になり、収束は難しいでしょう。死刑に関する報道が残虐事件と死刑囚の再審請求くらいに限定されているあいだは、80%という死刑賛成の比率は変わらないはずです。

死刑は冤罪の可能性がある以上よくないという意見もあります。冤罪の可能性はあるかもしれないが、それを恐れて死刑により社会的正義の実行をためらってはいけないという考えもあります。死刑は執行されてしまえば、取り返しようがありませんから、冤罪の確率が高ければ、死刑の執行には一層の慎重が求められるかもしれません。

亀井静香は2001年から死刑廃止議員連盟会長を務めている死刑廃止論者です。亀井は死刑反対の論拠として警察官僚としての経験から冤罪発生が構造的にかなり高いという点を指摘しています。容疑者を弁護士にも会わせず、昼夜を分かたず長期間締め上げるというやりかたでは、冤罪の発生は無視できないようです。

ただし、冤罪の可能性があるような場合、つまり被告が検事調書を翻し、「あれは言わされたことだ、やっていない」と裁判で主張し、その主張に対し支援団体などが形成されると、死刑の判決があっても、死刑は滅多に執行されなくなります。12人を毒殺したとして死刑判決を受けた平沢貞通は1955年の死刑確定の32年後の1987年、95歳で自然死を遂げました。

もちろん、裁判で無罪を主張したからといって自動的に死刑の執行が行われなくなるということありません。一般的には支援団体を形成するためには、無罪主張の蓋然性の高さと、被告の性格や背景が「支援向き」であることが必要でしょう。しかし、性格が悪いと冤罪で死刑になっても構わないというわけにもいかないでしょう。

死刑が存在するのでかえって、死刑に相当する犯罪に対し、裁判官が冤罪を恐れるあまり、有罪とすべきものを無罪としてしまう危険もあります。小野悦男は1974年の女性連続殺人事件の犯人として逮捕、無期懲役(これは容疑事実と比べると軽いと思われた)となるのですが、1991年高裁で冤罪として無罪となります。しかし、釈放後1996年に猟奇的な殺人事件を犯し逮捕されます。最初の事件も冤罪ではなかったと考える人は多く、もちろん支援団体も胡散霧消しました。

冤罪の危険と死刑は、インフルエンザの予防接種と予防接種による発病との関係に似ています。死刑の社会的な価値と、冤罪の危険のバランスがどこにあるかが問題で、一概に冤罪があるから死刑は認められないとも言えませんし、冤罪があっても悪いやつを見逃してしまうよりはずっと良いとも言えないでしょう。ただ、インフルエンザの予防接種と違って、冤罪の発生確率を推定することは困難です。社会的な最適解を求めることは出来ないのです。

1968年から1969年にかけて、4人を射殺した永山則夫は犯行当時少年でしたが、1997年に死刑を執行されました。永山は家庭環境が極めて劣悪でした。刑務所生活で学んだことを通じ、ほとんど覚醒と言ってもよいほどの成長、変化があったのですが、一度は無期懲役に減刑されたものの、1990年最高裁で死刑が確定しました。ただ、永山の場合は容疑自身は否定しておらず、いわゆる冤罪ではありません。鬼畜同然の状態から人間らしく変貌を遂げた場合、鬼畜の時代の犯行で人間を殺害してしまってよいのかというのが問題の本質でしょう。

永山の死刑執行は、少年犯罪に対する社会の目が厳しくなった最近の傾向が反映していると思われます。永山に対する死刑執行後すぐの1999年に起きた光市母子殺害事件は、犯人の少年の「判決はきっと無期で7-8年で釈放される」という意味の手紙が公開されたこともあり、死刑廃止どころか、少年にも場合に応じ死刑判決をためらってはいけない、という流れを作り出しました。

日本はむしろ死刑の厳格運用へと世論が向いているように見える中、世界的な傾向は死刑を廃止する国が増えてきています。2006年現在、死刑廃止の国88に対し存続国が68、さらに死刑執行停止国が30、通常の犯罪には死刑を提供しない国が11となっています。

EUは死刑廃止を加盟国へ義務付けており、EU加盟を求めるトルコも死刑を廃止しました。韓国では自ら死刑判決を受けた金大中大統領が1997年死刑を停止してから死刑執行は行われていません。ヨーロッパで最後に死刑廃止を行ったフランスは1981年、60%以上の世論の反対を押し切る形で死刑を廃止しました。

いまや先進民主主義国家で死刑を存続させているのは日本とアメリカ(50州のうち38州)くらいですが、民主主義国家とは言えないような国でも死刑が廃止されている国は多数あります。国家による暗殺が疑われるロシアは2007年までの期限付きで死刑停止。ポルポト政権下で国民の1割以上が虐殺されたカンボジアは死刑を廃止しています。軍事独裁政権の多い南米でも、死刑は戦時以外には行いません。

このような現状は日本の一般の死刑に対する認識と大きく乖離していると言ってよいでしょう。なぜ、日本以外の国で死刑廃止をしている国が多数存在しているのでしょう。一つには、死刑廃止をしている国の多くはキリスト教国であり、宗教上の背景が考えられます。

また、ヨーロッパではトーマス・モアの16世紀の著作「ユートピア」からの長い歴史があります。もっともヨーロッパでは魔女狩り、革命での死刑など宗教的、政治的理由で非常に多数の死刑が行われ、通常の犯罪よりむしろ多かったということもあるでしょう。戦後急速にヨーロッパで死刑廃止が進んだのも、ナチスの時代の死刑の乱発への抵抗感があったと言われています。

もし、近い将来日本で死刑廃止の論議が高まるとすると、ほとんど唯一の可能性はヨーロッパを中心とする死刑廃止がグローバル・スタンダードになることだと思います。それ以外で、死刑囚の人権や冤罪の可能性から死刑廃止の機運が高まるとは、現状を考えるとありえないでしょう。死刑廃止は日本ではあくまでも少数派なのです。

仮に、国連決議か何かで日本に死刑廃止を求める動きがでてきたらどうなるでしょうか。今でも、ヨーロッパ諸国は死刑執行の可能性のある犯罪人の引渡しは行いません。日本は死刑制度がある限り、国際的な犯罪者への対応ができない場合があるのです。

しかし、死刑を廃止すれば、直接の「受益者」は、およそ同情に値しないような、極悪非道の人間です。それに対し、「被害者」は肉親を殺され、憎しみのやり場を死刑執行に求めている人たちです。少なくとも世論にとって死刑廃止は、鯨やマグロが食べにくくなるのとは、次元の異なる問題です。

ここで私の意見を言っておきましょう。私は、日本も死刑を廃止すべきと考えています。死刑の犯罪の抑制効果は証明されておらず、むしろ疑問です。今の日本のように2人以上殺さなければ死刑にならないのなら、1人は殺すが死刑が怖いので2人目は殺さないというのは、あまりありそうもないからです。

犯罪への抑制効果が小さいとすると、死刑の意味は被害者の肉親、関係者などの加害者への加罰感情と社会正義の実践ということでしょう。この点は死刑を廃止している国でも同じです。死刑を廃止しても社会は機能しうるということを、それらの国は証明しています。

ただ、死刑を廃止したからといって、何か世の中が良くなるというものでもありません。犯罪は増えもしないが、減りもしないのです。まして、本来なら死刑になったはずの犯罪者が無期懲役になり、10年程度で出所するようでは、それこそ社会正義が行われてないことになってしまいます。死刑がなくなるのなら、「無期」懲役ではなく「永久」懲役のような刑罰が必要でしょう。

年の最後に答えのない、あまりめでたくもない話題を書いてしまいました。とってつけたみたいですが、皆さん良いお年を。

その後2007年12月18日国連は死刑廃止に向けての決議案を採択しました
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テーマ:意思決定 - ジャンル:政治・経済

この記事に対するコメント

小生も原則的には死刑廃止に賛成ですが、終身刑があることを留保条件とします。
記事でも指摘されているように、日本では「受刑態度が良好」であれば恩赦や特赦で死刑に次する最高刑の「無期懲役」の場合でも、15年程度で仮釈放されてしまいます。このような恣意的な刑罰運用は実質的な減刑であり、行政権の司法権に対する侵害とも考えられます。それはさておき、殺意を持って複数の人間の命を奪いながら15年でシャバに舞い戻る現状では、一般論としても「罪を償った」とは思えませんし、まして被害者遺族側の感情としてはとうてい許せないでしょう。
他人の生命を奪った人間は、その一生を棒に振っても止む無しと思います。
小生が記事冒頭の「光氏母子殺人事件」の夫であったら、仮釈放された犯人を必ずヤルでしょう。
【2006/12/28 13:39】 URL | 田岡組紀和 #- [ 編集]


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死刑についての国際情勢と日本の事情

30日、フセイン大統領の死刑が執行されたニュースが流れています(たとえば、asahi.com)。日本でも、今月25日に4名の死刑が執行されました。他方で、27日に、フランスのシラク大統領が、「死刑廃止」を憲法に盛り込む意思表明をしています。(Yahoo!ニュース:仏憲... デミウルゴスの轡銜(ヒカン)【2006/12/30 16:26】

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