ビジネスのための雑学知ったかぶり
ビジネスでも雑学は重要! 知っていると少しは役に立ったり、薀蓄を自慢できる話題をご紹介
プロフィール

RealWave

Author:RealWave
Twitterアカウントはrealwavebabaです。

馬場正博: 元IT屋で元ビジネスコンサルタント。今は「A Thinker(?)]というより横丁のご隠居さん。大手外資系のコンピューター会社で大規模システムの信頼性設計、技術戦略の策定、未来技術予測などを行う。転じたITソリューションの会社ではコンサルティング業務を中心に活動。コンサルティングで関係した業種、業務は多種多様。規模は零細から超大企業まで。進化論、宇宙論、心理学、IT、経営、歴史、経済と何でも語ります。

ご連絡はrealwaveconsulting@yahoo.co.jpまで

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

お客様カウンター

Since 2009/10/21

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ウェイソン・テスト
BARID.jpg
アルコールはIDカードを見せてから

片面はアルファベットが、その裏側には数字が印刷されているカードが4枚テーブルの上に並んでいて、見えている面はA、F、3、4となっています。 今「母音の裏側の数字は偶数になっている」という規則があると言われてその規則を確かめるとしたら、どのカードを裏返してみればよいでしょうか。

(この問題を始めて見た人はちょっと考えてみてください)

まず、Aのカードを裏返してみる。これはいいですね。裏が偶数ならOkです。次にFは裏返さない、Fは母音ではないから、裏が何でも関係ありません。さて、3、4のどちらを裏返すか。もし4と思ったら、それは違います。4の裏が子音でも規則に反しているわけではありません。子音の裏側について規則は何も言っていないからです。

正解は3です。3の裏側が母音なら規則は間違っていることになります。簡単ですか?間違っても恥ずかしくはありません。このテストはウェイソン・テストといって、1966年にイギリスのピーター・ウェイソンが同様の実験(オリジナルはアルファベットではなくカードの色)を行った結果では、大半の人が間違えました。

簡単に解いた人の中には、論理学の知識を使った人がいたかもしれません。論理学では「AならばB」であると「BでないならAでない」は同じで、それぞれ対偶であるといいます。対偶の考えを使えば、偶数ではなく奇数を裏返せばよいということがすぐにわかります。

しかし、対偶のような論理学の定理に頼らずに考えると、数学者でも間違ってしまうことがあります。たった4枚のカードの話なのですが、これはなかなか難しい問題なのです。ところが、カードではなく設定を変えると話が違ってきます。

酒場に4人の若者がいて、飲み物を飲んでいます。アメリカでは飲酒年齢に達しているかどうかわからない場合はIDの提出を求めるのですが。4人の若者はそれぞれ、

・ ビールを飲んでいるがIDカードの年齢は見えない
・ ジュースを飲んでいるがIDカードの年齢は見えない
・ IDカードは飲酒年齢に達していないが、何を飲んでいるか見えない
・ IDカードは飲酒年齢に達しているが、何を飲んでいるか見えない

このとき、飲み物、IDカードの年齢を確かめなければいけないのは、どの若者でしょうか。これはすぐにわかりますね。ビールを飲んでいる若者のIDは要チェック、ジュースを飲んでいる若者は調べる必要がない。

次に誰の飲み物をチェックするかですが、IDで飲酒年齢に達している若者は調べる必要がない。当然でしょう。ということで飲酒年齢に達していない若者の飲み物を調べる。ジュースならOk、ビールならアウトです。

これはとても簡単な問題ですが。実はビールを母音、ジュースを子音、飲酒年齢に達しているのを偶数、達していないのを奇数と考えると、最初のカードの問題と全く同じ問題なのです。

どうして、カードの問題は大半の人が間違える。あるいは対偶のような論理学の助けが必要なのに、酒場の問題はあっさり直感的にわかるのでしょうか。はっきりしているのは、酒場の若者の飲酒年齢の問題と比べると、カードの母音、偶数の問題は抽象度が高くなっているということです。

酒場の問題では文脈的に実生活と結びつけて考えることができる(言われなくてもそうしてしまう)のに、カードは結びつける実生活はないので、論理的に考えるしかありません。人間は(たとえ数学者のように数学が得意な人でも)、抽象度が高い問題を直感的に解決することは苦手なようなのです。

ウェイソン・テストは結果が劇的なので、「なぜ」ということについて、進化論的な分析(数学はたった数千年の歴史しかない・・・)や文化論的(人間は規範については頭が回るのだ・・など)解釈は色々あるのですが、ほとんどは人間の数学や論理学を直感で理解するようにはできていないというのは事実のようです。

人間が数学的な計算を直感的にはできない(あるいは間違えることが多い)というのは、「人間は合理的に利益の最大化を目指す」という経済学の一般的な前提が間違っているということではないかという疑問につながります。

「行動経済学」は人間のそのような特性に焦点をあてて、経済学そのものを見直そうというものなのですが、確かに人間は単純な意味での合理性とは異なった行動を取るのは事実です。

典型的な例としては、不公正は結果は受け入れないという「最後通牒ゲーム」があります。最後通牒ゲームでは相手の申し出を受け入れないと損とわかっていても、申し出が不公正だと思うと多くの人は拒否をします。

最後通牒ゲームは感情の問題なのですが、感情を抜きにしても確率だの論理学などが必要な時、人間の直感は間違うことが多いのです。確率がからむと間違えるという例では、「モンティホール問題」があります。モンティホール問題では高名な数学者でさえ間違えてしまいました。

実際の世界では経済的な判断は、数字を確率的に考えるというさらに複雑な話になります。進化論的に考えるのなら、「10人でマンモスを追いかける」のと「2人づつ5組で、ウサギを追いかける」のとどちらの方が得なのか、という問題を直感的に判断する能力を発達させることはなかったようなのです。

経済学的に考えれば、「明日100万円もらうか10日後に200万円もらう」かという判断と「1年後に100万円もらうか、1年と10日後に200万もらう」かという判断は同等のはずですが、大部分の人が後者に対しては1年と10日後に200万円もらう方を選ぶのに、前者では明日100万円もらうという人が多いということがあります。

もちろん、1年後に100万円くれるという約束が守られるなら、1年と10日後に200万円くれるという約束も守られそうだが、明日と10日では気が変わらないうちにもらう方がよいという、「実際的」判断があるでしょう。

再び進化論を持ち出すなら、今ウサギを捕まえるほうが10日後にマンモスを捕まえる方に賭けるより妥当なことが多かったということなのかもしれません。だとすると、目先の利益を追求するように人間は進化してきたのかもしれません。

色々実験をしてみると確かに人間は目先の利益を重視することが多いようです。つまり「タバコをすう」「博打で有り金をはたく」「レジの現金を誤魔化す」といった行動を取るのは、愚かというより人間の「進化の過程で獲得した合理性」なのかもしれません。

しかしウェイソン・テストの示すように、数学的な論理がからむと人間は簡単に間違えてしまうことが多いのです。面倒くさいし、「そもそも人間は数学を考えるようには進化してこなかった」と言いたくなるかもしれませんが、時には謙虚に考え込んでみる必要なありそうです。
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://realwave.blog70.fc2.com/tb.php/98-763c24f7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。